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第49話 知らない私に、出会った日


四日間のお盆休みが終わり、カフェ・ラフォーレ リーヴルスにはまた活気が戻っていた。


入口のドアを開けると、ほんのりと漂うコーヒーの香りと、人の声。

賑やかすぎるくらいの空気に、メイは思わず足を止めた。


「おはようございます……?」


フロアには、制服姿のスタッフたちが集まっていて、なんだかとても楽しそうだった。


「メイちゃん、おはよっ!」


ひときわ元気な声が、奥から聞こえてくる。

見ると、詩音が嬉しそうにこちらへ走ってきた。


「どうどう? ついに支給されたんだよ、制服! 似合ってる?」


そう言って、詩音はくるりと一回転してみせた。


バンドカラーのシャツは、くすんだセージグリーン。胸当て付きのロングエプロンは、落ち着いたチャコールグレー。

黒の細身パンツに、しっかりした革風のスリッポン。

いつもの明るさとはまた違う、どこか“カフェの顔”っぽい雰囲気が漂っていた。


「……うん。かっこいい。なんだか、ちょっと知的に見えるかも」


「ち、ちてき!? なにそれ~っ!」

ほっぺをぷくっとふくらませる詩音。


「似合ってるって意味だよ」


ふたりのやりとりに、すぐ後ろから沙織の声が飛んできた。


「詩音ちゃんはどんな格好してても似合うよ。中身が自由人だからバランス取れてるのよ~」


「沙織ちゃん、ひどーい!」


ユキは無言のまま、小さくうなずいてから一言。


「確かに、自由人。」


「えええええ!?」


そんな楽しげな空気の中、店内に静かな声が響いた。


「はい、みんな集合お願いしまーす」


店長の鈴原敦子が手を軽く叩く。

わいわい騒いでいたスタッフたちも、それぞれの位置へと動き出す。


「じゃ、またあとでね!」


詩音がひらひらと手を振って、仲間の輪に戻っていった。

メイはそれを見送ってから、ふっと小さく息を吐いた。


(……すごいな。ほんとに、いよいよだなって感じがする)


制服姿のスタッフたちが並ぶその光景が、グランドオープンの近さを静かに伝えていた。


◇◇◇


午前中、メイは展示エリアで読み聞かせイベントの打ち合わせをしていた。


9月6日のグランドオープン当日、展示エリアで行われるイベントのひとつ。人気絵本『森のうたうきつね』を使って、ナレーター役として地元出身の声優・槙原すみれさんが朗読してくれることになっている。私はその進行補助と、準備サポートを担当することになっていた。


ふれあい文学館からは、当日の司会として太田さんが来てくれる予定だ。普段から文学館のイベントの進行をやっている女性職員。太田さんが来てくれるのは心強い。久しぶりの再会だったけれど、打ち合わせは和やかに進んだ。


「それじゃあ、当日よろしくね」

「うん、私も楽しみにしてます」


そう言って笑顔を交わし、槙原さんと太田さんの二人を正面玄関まで見送りに出た。


◇◇◇


店内に戻ると、カフェフロアの奥に見慣れないテーブルが設けられていた。上には数種類のサンドイッチが並び、スタッフたちが紙コップ片手に立ち話をしている。


「メイちゃんも、一緒に食べようよ!」


詩音が皿を手に、こちらに気づいて手を振る。


「え、私、カフェスタッフじゃないし……」


戸惑うメイに、キッチンの奥から鈴原店長の声が飛んできた。


「メイちゃんの分もあるわよ〜。展示スタッフも戦力なんだから、しっかり栄養補給しなきゃね」


言われるがまま、メイも詩音の隣に腰を下ろす。手渡された紙皿の上には、野菜とチキンがぎゅっと詰まったボリュームのあるサンドイッチ。


「これ、ラフォーレの新名物!『森のキャロット・サンド』! どう?かわいくない?」


詩音がどや顔で言う。


「名前はかわいいけど……すごいボリューム」


メイはそっと半分に割って、ひと口かじる。ローストチキンの香ばしさと、ほのかにスパイスのきいたキャロットラペの甘み。グリルされたズッキーニの食感と、クリームチーズのまろやかさが絶妙だった。


「……おいしい。こういうの、あまり食べたことない」


「だよね、だよねっ! これ、実は試作の段階で私も推したんだよー」


自慢げに言う詩音に、メイは笑いながら、もうひと口。


「そういえば……」


一息ついて、メイがふと思い出したように言う。


「こないだ浴衣の着付けのとき、テントがどうこうって話してたよね?」


「うん、あれね〜。おじいちゃんにもらったやつ、雨漏りがすごくてさ」


「へえ〜、そうだったんだ」


「結局、浩太おじちゃんが前に使ってたの譲ってくれたんだ。まだ全然キレイだったよ。

なんかね、いろいろ他にも道具持ってたらしいんだけど、もうキャンプ行かないって言って、ほとんど手放しちゃったんだって」


「それは……惜しいことしたね」


「でしょー!」


メイはふっと笑う。詩音の話を聞きながら、あの写真集の一節が頭をよぎった。


「そうそう、メイちゃん。ゆるキャン、全部見たよ」


「え、もう全部!?」


「うんっ、私もキャンプ行きたい! 富士山ドーン見たい!

それに、あの写真集みたいな、森とか湖のそばで、テント立てて寝てみたい~!」


詩音の瞳がきらきらしているのを見て、メイは少しだけうれしくなった。


「確かに、ああいう自然の中でお泊まりできたら、気持ちいいだろうな……」


メイも笑みを浮かべながら、ぽつりとつぶやいた。


◇◇◇


——いよいよその日がやってきた。


地元のFMラジオ「お昼もモリモリ!」に、ラフォーレ・リーヴルスが出演する日がやってきた。


中継場所は、展示エリアの一角に設けられた簡易ブース。

マイクが3本、卓上にきちんと並び、その向こう側に、Y-FM名物レポーター・チャイミーさんが腰を下ろしている。


テーブルを挟んだこちら側には、鈴原店長、詩音、そしてメイの三人。ブースの隙間からは、カフェスタッフたちが壁にぺったりと張りつき、様子を覗き見している。


「なんか緊張するわね」

鈴原店長が、詩音にそっと声をかけた。

柔らかい笑顔を浮かべているその姿。メイの目には全然余裕があるように映った。


「やばいです。緊張が止まらない……」

詩音は、まるで寒空に震える小動物のように、肩をすくめてガタガタしている。


(あんなにノリノリだったのに……)

メイは心の中でつぶやいた。けれど、そのメイ自身も、肩に入った力が抜けない。拳をぎゅっと握ったまま、手のひらにじんわりと汗が滲む。


「そろそろ入ります!」

背後からスタッフの声が響いた。


チャイミーさんが、ぱちんと手を叩く。


「じゃあ、いってみようか!」



「では呼んでみましょう。現場のチャイミーさん!」


番組パーソナリティの軽快な声が、展示エリアに響き渡った。


「は〜い、チャイミーです! 今日は9月6日にオープンする、話題のブックカフェ“ラフォーレ・リーヴルス”さんにお邪魔しております〜!」


生中継が始まった。


一瞬で空気が変わった。緊張の糸が、さらにぎゅっと張りつめる。


「まずは、カフェ・ラフォーレ・リーヴルス店長の鈴原敦子さんにお話をうかがいます。店長、よろしくお願いします!」


「はい、よろしくお願いします。」


いつもの落ち着いた声で、鈴原店長が答える。受け答えは台本通りの内容なのに、なぜかすべてが自然でスムーズに聞こえる。話し方、間の取り方、声のトーン……プロかと思うほどだ。


(すご……)


メイは横で圧倒されながら思った。


「では続いて、カフェスタッフの小豆沢さんです!」


「はい!よろしくお願いします!」


さっきまでガチガチだった詩音が、まるで別人のように元気よく応えた。チャイミーさんの質問にも、笑顔で、堂々と、まるで陽の当たる野原を駆けてるみたいなテンションで答えていく。


(……本番、強っ!)


そう思ったメイの手元で、持っていた原稿がかすかに震えてる。


残りはあと一人。そう、次は私。


「では次に、こちらのカフェと連携している“ふれあい文学館”の平瀬さんにもご登場いただきます。平瀬さん、よろしくお願いします!」


「……あ、はい。よろしくお願いします……」


声が小さい。自分でも分かるくらい、心臓の音が邪魔をして、声がうまく出ない。


「このカフェと文学館の関係について、教えていただけますか?」


台本通りの質問に、メイは用意してきた原稿を読み始める。


「わ、私たち“ふれあい文学館”では……」


緊張のせいか、声は平坦で、文の切れ目がどこか曖昧。まるで機械が読み上げているかのような、自分で聞いていても恥ずかしくなる棒読みだった。


「グランドオープンでは、読み聞かせイベントなども開催されるそうですね?」


「は、はい……。『森のうたうきつね』の……ナレーターとして……」


頭の中は真っ白。原稿を読むだけなのに、どこを読んでいるのかすら、わからなくなりかけていた。


(あと、ひとつ……)


三つ目の質問がきた。「カフェの雰囲気はいかがですか?」


「と、…とても、なごやかな雰囲気で……やさしい光に包まれた……」


読み終えた……!そう思ったその瞬間。


「ところで平瀬さん、個人的に“好きな本”って、ありますか?」


——え?


原稿に、そんな項目はない。


頭の中で、真っ白い紙吹雪が舞う。UFOの本、UMAの本、都市伝説……いや、違う。そんなの言えない。キャンプ?いや、焚火……いやいやいや!


何か答えなきゃ。だけど、何も言葉が出てこない。気が遠くなる感覚。


目の前が、静かに、ホワイトアウトしていった。


* * *


「お疲れさまでした〜!」


ラジオ局の中継スタッフが引き上げていく中、詩音はパッと元気よくお辞儀をして声をかけた。


「ありがとうございました〜!」


横を見ると——メイが、虚ろな目でじっと一点を見つめていた。


「……メイちゃん?」


返事はない。


完全に、魂が抜けている……


カフェの奥で見学していた沙織が近寄ってきた。


詩音が振り返って、真顔で言う。


「沙織ちゃん……メイちゃん、たぶん……今、あっちの世界に旅立ってしまった……」


「……成仏してくれ」


鈴原店長が軽やかに歩きながら、二人の横を通り過ぎる。


「ふたりとも、よかったわよ〜。

メイちゃん、最後のとこ、声ふるえてて逆にリアルだったわ」


そう言って、涼しい顔で去っていった。


沙織と詩音は、目を合わせて、ぷっと吹き出した。


「ふふっ……」


「うふふ……」


メイはまだ、虚空を見つめていた。


◇◇◇


中継が終わったあと、メイはひとり、文学館へ向かう道を歩いていた。


空はすっかり夕方の色で、少しだけ赤みを帯びた日差しが、公園の木々をやわらかく照らしている。


(……いや、無理だった)


何を話したのか、まったく記憶にない。

最後の質問のあとの記憶は、真っ白だ。


(絶対にやらかした……完全に、やらかした)


肩を落としながら、メイは文学館の裏手に続く坂道を登った。


事務所のドアをそっと開ける。


「……お疲れさまです」


気まずさ全開の小声。


すると、前のデスクから杉山さんが立ち上がり、パタパタと駆け寄ってきた。


「メイちゃん、よかったわよー!」


「……え?」


「ラジオよ、ラジオ! すごくよかったわ、感動しちゃった。なんだか、胸がじーんとしちゃって……」


目を輝かせてそう言われて、メイはぽかんとしたまま固まった。


(……私、なに話したんだ…?)


◇◇◇


その夜。


静けさに包まれた自分の部屋で、メイはイヤホンを耳に差し込んだ。

机の上には、昼間スタッフから受け取ったUSBメモリ。例の、あのラジオ生中継の音源が収録されている。


(……ちょっとだけ、聞いてみようかな)


USBをパソコンにカチッと差し込む。

覚悟を決めて、再生ボタンを押した。


チャイミーさんの元気な声がイヤホン越しに流れてくる。

店長の落ち着いたトーン。詩音の明るくて元気なやりとり。聞いているだけで、なんだか笑ってしまう。


そして、ついに自分の番が始まる。


棒読み。たどたどしい受け答え。


「……うわ」

思わず顔を覆いたくなる。胸がきゅうっと縮まる。


(ああ、聞くんじゃなかったかも……)


そして、問題の“あの質問”が、もうすぐやってくる。


「平瀬さんの、好きな本はなんですか?」


来た。記憶がない。ここからの数十秒、メイの脳内には何も残っていない。


なのに――


イヤホンから聞こえてきたのは、落ち着いた、けれどどこか熱を帯びた自分の声だった。


「小さい頃、母に絵本を読んでもらった記憶があります。

母の声にのって、絵本の主人公たちが動き出すような、そんな感覚に襲われたことがありました。

それは、やさしく読んでくれたときにはやさしく、勇ましく読み上げたときには勇敢に。

同じ本なのに、同じ登場人物なのに、母の読み方次第で、主人公は自由にその姿を変えていきました。


あの頃は分かりませんでしたが、今になって思います。

本は、読み方によって変わる。どんなふうにでも、自由に、豊かに。

その変化の中には、読んでくれた人の想いが、そっと溶け込んでいるのかもしれません。


きっと母は、私に伝えたかったのだと思います。

——あなたの感じたことを、あなたの言葉で伝えていいんだよ。

たとえ拙くても、心を込めた声には、ちゃんと届く力があるんだよって。


私は、自由で、可能性に満ちた世界を与えてくれる“読書”が、今も大好きです。

その原点が、母が私に読んでくれた絵本『森のうたうきつね』。

これが、私のいちばん好きな本です。」


しん、と部屋が静まり返る。

イヤホンから、チャイミーさんの「ありがとうございました!」という元気な声が響くまで、メイはぼんやりと一点を見つめていた。


(……なんだこれ? 私、こんなこと言ったんだ)


狐に取り憑かれたって、こういうことを言うんだろうな。


メイは、くすっと笑った。

知らない自分の声が、少しだけ好きになった。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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