第42話 衝撃、のちスマイル
8月中旬の朝。
カフェ・ラフォーレ リーヴルスは、ほんのり熱気を帯びていた。
明日からスタッフ全員が、数少ない“揃っての休み”に入る。9月6日のグランドオープン以降は、年末年始を除き、年中無休の予定。こうして全員が一斉に休める機会は、今後そうそうないらしい。
メイもこのタイミングで、久々の四連休。
でも、今はまだ、仕事の真っ只中。
展示エリアの片隅で、手帳とにらめっこしていた。
──オープニングイベントで行う絵本『森のうたうきつね』の読み聞かせ。
地元出身の声優さんを招き、親子向けに行う小さな催し。メイは、その現場確認をしていた。
「……こんなもんかな」
椅子の並び、音響機材の置き場、読み手の立ち位置。
気になったところを手帳に書き込み、ペンを止める。
(当日は文学館の人たちも来てくれるし、大丈夫……たぶん)
そう自分に言い聞かせながら、メモ帳をバッグに戻した。
午後には、この内容をまとめた企画書を仕上げて提出しないといけない。
なかなかハードだ。でも、明日からの休みを思えば、やるしかない。
それに、今日はもうひとつ、楽しみにしていることがあった。
(……タープ、買いに行くんだった)
そう思っただけで、頬がほんのり緩む。
(早く終わらせちゃおっと!)
心の中でそっと気合を入れて、メイは展示エリアをあとにした。
カフェエリア横の通路では、美智子とユキが、お客様のテーブルを見て回る作業の確認中。厨房の奥からは、コーヒー豆を挽く香ばしい音と香りが漂ってくる。
(模擬営業、今日が本番って言ってたな)
店内の雰囲気は、プレオープンに向けた静かな緊張感で満ちていた。
そのとき、すぐ前で誰かの話し声が耳に入る。
「こんなに忙しいなら、休まない方が楽かもって思いません?」
「お休みは、心の洗濯よ。……うちは従業員想いな会社だし」
沙織と、アルバイトの杉本ミホがカウンター裏で小声で話している。
(なんか、いい会話)
通りすがりにちょっと微笑んで、邪魔しないよう足早に出口へ向かおうとしたとき——
「平瀬ちゃん、ちょうどよかった!」
聞き慣れた明るい声に振り返ると、カフェの一角、窓際の席に柳森さんが手を振っていた。
隣には鈴原店長と、見慣れない若い女性が一人。
「はい、何でしょうか?」
歩み寄るメイに、柳森さんが小さく笑って言った。
「来週の水曜日、こっちに来る予定ある?」
「えっと……少々お待ちを」
スマホのスケジュールを確認して——
「はい、その日は朝からラフォーレ勤務になってます」
「よかった!」
柳森さんが、ほっとした顔になる。
「実はその日ね、Y-FMの生中継が入るの」
Y-FMは、矢鞠市にある地方FMラジオ局のことである。
「えっ、ラジオ……ですか?」
「そう。カフェの紹介と、オープニングイベントのことを少し。で、予定では敦子先輩と、ここのスタッフ一人と、私の三人で出る予定だったんだけど……どうしても抜けられない会議が入っちゃって」
(あ、まさか……)
「平瀬ちゃん、代わりに出てくれない?」
「……え?」
「ラジオ。……お願い」
(ええええぇぇ!?)
脳内で警報が鳴り響く。
生放送、インタビュー、マイク……ムリムリムリ!
「え、えっと……あの、ちょ、ちょっと……」
詰まりかけた言葉を、鈴原店長のふんわりした笑顔が包み込んだ。
「メイちゃんなら、きっと大丈夫よ」
(え……ズルい、その笑顔……)
つい、視線が柳森さんと店長を交互に見てしまう。
…ふたりのステキなお姉さまの、心を奪われるような視線……
——そして、ホワホワしたまま。
「……やります」
気づけば、言っていた。
(うわあぁぁぁ…なんでオッケーしてるんだ、私!)
ラフォーレを出て文学館へ向かう道。
顔を真っ赤にして、ため息をつきながらメイはとぼとぼと歩く。
(……あのまなざし、ズルいよ)
日陰を探しては移動するその足取りは、後悔と混乱でふらふらだった。
◇◇◇
その日、ようやくすべての仕事を終えたメイは文学館の玄関を出た。
空はすっかり夏の夕方。じんわりとした熱気が残っているけれど、朝の緊張感はどこかへ消えていた。
(はぁ……疲れた)
あの“ラジオの一件”は、いまだ心に引っ掛かってるけれど。
「……でも、引き受けてしまったからには、ちゃんとやらなきゃ」
自分に言い聞かせるように、ぽつりと声に出してみる。
言葉にしただけなのに、ほんの少し気持ちが前を向いた気がした。
(……口に出すの、意外といいかも)
そう思って、今度は少し勢いをつけてもう一度。
「よし、これからタープ買いに行くぞっ!」
右手をグーにして、ぴっと掲げる。
……とたんに恥ずかしくなって、すぐにおろす。
(……これじゃ、まるで詩音じゃん)
思わず吹き出して、肩の力がふっと抜けた。
◇◇◇
矢鞠駅を通り過ぎて、たどり着いたのはあの大型アウトドアショップ「マウントワン」。
初めて訪れた頃は、入るだけで緊張してたけど、今はそこそこ慣れてきた。
自動ドアを開けて中に入ると、お客さんはちらほら。静かな空気が漂っている。
入口近くには、新しくディスプレイされたファミリーテントとカーキ色のチェア、それにモスグリーンのタープが張られていた。
「あ、タープ……」
思わず声が漏れる。
メイはそのまま、タープのコーナーへ。
ところ狭しと並んだタープの棚の前で、店内をぐるりと見渡す。
「……あれ?」
(お姉さん、いない……?)
いつも優しく接客してくれる、あの店員のお姉さんの姿が見えない。
ちょっと残念……と思いかけたその時、背後からふわっと優しい声が聞こえた。
「今日は、タープですか?」
「わっ……!」
思わず小さな声を漏らしながら振り返ると、そこにいたのは前にも接客してくれた、あの『お姉さん』だった。
「あ……はい。この前、デイキャンプに行って……日差しがけっこうきつかったので」
「そうでしたか。夏の陽射し、甘く見てはいけませんからね」
にこやかに笑うお姉さん。
「…それでタープが気になって、という感じですか?」
「はい……でも、どれを選べばいいか、全然わからなくて……」
「大丈夫ですよ。ひとつずつ、一緒に見ていきましょうか」
お姉さんは、メイの横に立ち、棚に並ぶ商品を指さしながら続けた。
「まず、大きく分けて、タープは“ヘキサ”と“スクエア”の形があるんです。スクエアの方が設営がシンプルで、四隅をしっかり固定すれば、日陰をしっかり作れます。風にも強いですし、扱いやすさ重視ならこちらがおすすめですね」
「へえ……こっちの四角いのが、スクエア……」
「はい。ここに映ってるような感じですね」
写真付きのPOPを差しながら、にこやかに続けた。
「で、こっちのヘキサは六角形っぽい形で、見た目がカッコいいんですが、ちょっと慣れがいります。ポールの位置や張り方に工夫が必要なので、最初の1枚にはちょっと難易度高めかもです」
メイは頷きながら、パッケージの写真を見比べた。
「ちなみに、おひとりで使われますか?」
「あ……はい。ソロです」
「それでしたら……このサイズあたりがちょうどいいかもしれませんね。
ソロなら1.8〜2.5メートル四方でも十分ですが、この先、どなたかと一緒を想定すると、3メートルクラスが安心です」
「なるほど……」
お姉さんは、メイの表情を見ながら、ふっと微笑んだ。
「あと、色も大事ですよ。テントの色と合わせると統一感出ますし、写真映えもしますから」
「あ、それなら……私の、オレンジ色の、丸っこいテントです」
「オレンジ!いいですね、明るくて元気な色。じゃあ、組み合わせとしては……このカーキやベージュはすごく相性いいですよ。ちょっと落ち着いた雰囲気になって、オレンジが映えます」
「ベージュ……いいかも」
少しだけ目が輝くメイ。
(なんか……楽しい)
そのとき、ふと値札に目がいって、固まった。
「……にまん、ごせん、はっぴゃくえん……」
思わず声に出ていた。
(た、高い……!タープって、こんなにするの……!?)
考えてみれば、5万円だった予算は、あと8千円ほど。寝袋も買ってないし、その他の備品もまだ……。
「お値段、気になります?」
「……はい。今、けっこうギリギリで……」
そのとき、すっとお姉さんが顔を近づけて、小声で囁くように言った。
「実はですね、明日からサマーセールが始まるんです。このタープもかなりお安くなりますよ」
「えっ……ほんとですか……!?」
お姉さんは、目を細めて笑った。
「よかったら、明日また見に来てくださいね」
「はいっ、そうします!」
メイはぺこりとお礼を言って、店舗をあとにした。
ドアを出た瞬間、夕暮れの風がふっと吹いた。
振り返ると、ガラス越しにお姉さんが手を振っているのが見えた。
メイも、そっと手を振り返す。
(……明日、また来よう)
夕暮れの空を見上げたメイの口元に、自然と小さな笑みが浮かんでいた。
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