第31話 欲しいものリスト
とある平日の夜。
仕事を終えたメイは、ふれあい文学館の近くのコンビニでカレーを買い、住宅街の夜道を歩いていた。
街灯に照らされたアスファルトを見下ろしながら、ふっと思う。
田中部長に「軽い連絡係だから」と言われて引き受けた仕事は、気がつけば文学館とラフォーレを行き来する毎日になっていた。
蔵書のチェックや、提出する資料作り。
そして何より大変なのは、展示の仕上げ。
片手間でできるような仕事じゃない。
それでも——不思議と、嫌ではなかった。
西伊豆で心を動かされたこと。
苦手だった柳森さんとも、少しだけ近づけたこと。
そして、詩音という友達ができたこと。
……自分でも驚くくらい、今は前を向けていられる、ような気がする。
その気持ちを支えているのは、「キャンプをしてみたい」という小さな願いだった。
キャンプのことを考えると、胸がちょっと弾んで、足取りまで軽くなる。
気づけば帰宅する歩みも、いつもより早くなっていた。
「ただいま……」
誰もいない玄関を開けると、少しもわっとした空気がお出迎えする。
いつものように明かりをつけ、窓を開けると、夜風がひやりと頬をなでていった。
コンビニのカレーをレンジで温め、ささっと平らげる。
食後に淹れたマグカップのコーヒーから、香ばしい湯気が立ちのぼる。
その匂いに包まれると、ようやく今日一日の疲れがほぐれていくようだった。
けれど、今夜のお楽しみはまだこれから。
食器を流しに置き、カップを手に自分の部屋へ直行する。
六畳の空間は散らかってはいないけれど、静かな空気がじんわりと漂っていた。
「さあーて、はじめますか!」
小さく声を出して気合を入れると、机の上に広げたのは、この前、葛城書店で買ってきた『そうだ、キャンプへ行こう』。
イラストや漫画も交えた、初心者向けのやさしいハウツー本だ。
これを頼りに、今日からちゃんと“キャンプ準備”を始めてみようと思っていたのだ。
スマホのメモ帳アプリを立ち上げると、画面には『欲しいものリスト』の文字だけがぽつんと残っていた。
本に目を通しながら、必要そうなものを拾っていく。
「テントと寝袋。それから……ローチェアも、あったほうがいいかな」
「シングルバーナーも。料理するなら、やっぱり必要」
思いついたものを声に出しながら、一つずつ入力していく。
ある程度の知識は、この本やアニメ「ゆるキャン△」で仕入れていたので頭にはある。
けれど、いざ書き出してみると、思いのほか大変な作業だった。
「……焚き火台は、絶対いる」
指先を止めずに打ち込んでいくうちに、リストはどんどん長くなっていく。
ランタン、マット、鍋やカトラリー。
書けば書くほど「ほんとに揃えられるのかな」という不安が胸にのしかかる。
「キャンプって、想像以上に“道具の世界”なんだなぁ」
ぽつりと独り言をこぼし、ひと通りリストを書き終えたメイは、通販サイト・エマゾンのアプリを開いて「テント」と検索した。
——しかし。
画面いっぱいにずらりと並んだ商品を見て、胸の中のやる気が、ふわっとしぼんでいくのがわかった。
「やっぱ、こんなにあるんだ……」
ドーム型、山岳用、ツーリングテント。
スクロールするたび、次から次へと出てくるテントたち。
さらに「耐水圧」「設営のしやすさ」なんて文字が並ぶと、もう頭がぐるぐるしてくる。
寝袋も同じだった。マミー型に封筒型、対応温度に中綿の種類。
値段だってピンからキリまで。高ければいいってものでもなさそうなのは、素人のメイにもなんとなくわかる。
知識として知っているだけじゃ、全然足りないんだなぁ、と痛感する。
「現実はアニメよりも奇なり、だなぁ……」
ぼそっとこぼして、エマゾンのアプリを閉じたそのとき——
ブーン、とスマホが震えた。
画面を見ると、詩音からのRainだった。
「おつかれさまー!」
「今おわったよ、もうへとへと〜」
『おつかれ、詩音』と返す。
「今日こっち来なかったんだね」
「明日は来るの?」
『今日は文学館の仕事。明日はお休みでーす』
「えーそうなんだ」
「明日スイーツの試食会だったのに、残念」
『えー、そーなの!?』
「明日作るの、カスタードとベリーのミルフィーユだって!」
「ページみたいに層になってて、めっちゃかわいいやつ」
『なにそれズルい!』
「さらに焼きりんごにアイスのせたやつとか」
「シナモン香るって書いてあった」
「もうスイーツテロ確定!」
『やめて〜、めちゃ食べたくなる!』
「じゃあ今度、私が作るから!」
「山盛りで♡」
『美智子さんに作ってもらうから、いいや』
「えー、いけずー(>人<;)」
メイは、ふっと笑ってスマホを伏せた。
ほんの数分のやりとりなのに、肩の力がすっと抜けていく気がした。
「……あ、Rainとかしてる場合じゃないぞ」
我に返ったようにつぶやく。
目の前のリストは、さっきから変わらないままだった。
「これじゃあ、実物を見てみないと分からないかも……あっ」
そこでふと思い出す。
少し前にポストへ投げ込まれていたチラシのこと。
そのときはろくに見もせずに捨ててしまったけれど——確か、駅の近くにアウトドアショップがオープンしたって書いてあった。
「明日、休みだし……行ってみようかな」
コーヒーを飲み干すと、ほんのりとした苦味が喉に残った。
メイは小さく息をついて、静かな夜の部屋に身をゆだねた。
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