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第30話 好きの声が届くとき


朝の矢鞠駅前。


少しだけ風はあるけれど、日差しはもうすっかり夏の気配をまとっていた。


「いたいた、沙織ちゃーん!」


詩音は駅前のロータリーを歩いていた沙織を見つけると、パッと笑って小走りで近づいていった。


「おはよう、詩音ちゃん。……今日もテンション高くない?」


「うん!全開プリプリだぜぃ!」


勢いよくくるっと回って、人差し指を高く天に突き上げる。

決めポーズのまま、元気よくひとこと。


「フィーバー!」


「それを言うなら、全開“バリバリ”じゃない?…ていうかそのポーズ、どっから持ってきたの」


「時代を超えて生きてる女、それが私! 小豆沢詩音、22歳!」


ドヤ顔でビシッと決める。


「ふふっ、やっぱり……これが“ポジティブ暴走娘”ってやつかあ」


「え?」


「……あ、いや、瑞稀ちゃんが言ってたんだよ。“詩音は、ポジティブ暴走娘だ”って。まさにそれかなって」


「えー、ちょっとぉ!? 瑞稀ちゃんそんな風に!?」


元同僚の瑞稀の顔が浮かび、詩音は口を尖らせる。


「ポンコツ暴走娘なんて、ひどすぎるっ!」


「……いや、“ポンコツ”とは聞いてないけど。

でも、当たってなくもないかもね?」


「ううっ……否定できないのがつらい……っ!」


ふたりの笑い声が、駅前の朝に心地よく響いた。



カフェ・ラフォーレ リーヴルスまでの道を、歩きながら話す二人。


「……でさぁ〜沙織ちゃん、昨日の“推し本”、見つかった?」


「うーん、まだかな。気になるのはいくつかあったんだけど……これっていうのは、まだなくて」


「私は、ね。見つけちゃったかも」


「おっ、なになに?」


「“風のあとを、歩いて”ってやつ。写真集なんだけどね、なんか……見てると背中を押されるような気がしてさ。気づいたら、すっごく惹かれてた」


沙織は少し意外そうな顔をした。


「へえ〜写真集かあ。詩音ちゃん、そっち系いくんだ」


「なんか最近、“ちょっと好きかも”が、“たぶん好き”に変わってきてる感じ。うん、そんな気がするんだよね」


「ふふ、いいね。なんか今日の詩音ちゃん、ちょっといい感じ」


「でしょでしょ? 今日もプリプリでいきますからーっ!」


詩音が拳を軽く振り上げると、沙織もつられるように笑った。


……にこやかな一日の始まりであった。


◇◇◇


午前中、カフェ・ラ フォーレ リーヴルスはオープンに向けての準備で、そこそこに賑やかだった。


「次、アイスラテの作り方いきますー。氷は最後に入れてね! あと、ミルクはピッチャーごと冷蔵庫戻しといて!」


ドリンクメニューの指導は、代官山の系列店「カフェ・ラ ヴィラ ド ヨハン」から開店応援で来ている林美智子が担当していた。

体育会系のノリでハキハキしていて、頼れる姉御肌。キビキビとした動きが、店内の雰囲気を引き締めている。



戸惑うスタッフもいる中、詩音は手際よくカップを並べ、メニューに目を通しながら、タイミングよく動線を移動していく。


「あれ、詩音ちゃん。意外と……いや、けっこう出来るタイプ?」


沙織が不意に言うと、近くにいた美智子がふっと笑って頷いた。


「うん、ちゃんと見て動いてるし、声も出てる。意外と、じゃなくて、かなりいいんじゃない?」


そんな評価が聞こえた詩音は

「え、えへへ……ありがとうございますっ!」


と、照れくさそう。でも、口元はゆるみっぱなしだった。


「ただ、ミルクの位置間違えなきゃ、もっと完璧だったなー?」


「う、それは……すいません! あ、次は絶対、覚えましたからっ!」


「よーし、ならもう一回アイスカフェラテ、いってみよっか!」


まるで部活のようなノリに、詩音は「はいっ!」と気合を込めて返事をする。



本棚エリアから、そのやり取りを見ていた店長の鈴原敦子がくすりと笑う。


「……ね? あの子って、放っとけないんだよね。ちょっとおっちょこちょいだけど、一生懸命で、どっか真っ直ぐでさ」 


隣で見ていた柳森淳子も、頷きながら答えた。


「わかります。誰かが手を伸ばしたくなるっていうか……たぶん、“応援したくなる”って、こういうことなんでしょうね」



その後も、メニュー表の配置確認や、カトラリーのストック補充など、こまごまとした作業を黙々とこなしていった。


◇◇◇


カフェ講習が終わり、ひと息ついたころ。

詩音は昨日の写真集を見に本棚へ向かった。


「あった、これこれ」


『風のあとを、歩いて』を手に取る。


「やっぱり、いいな…これ」


少しの間、見とれていた詩音。

何かを思いついたように、写真集を棚に戻すと、別の本棚に向かった。

文芸書コーナーで、以前気になった『海街diary』を手に取り、ページをめくった。


「これも、好きかもなぁ…」


紙とインクの匂いを吸い込みながら、ほんわかとしていると……


「小豆沢さーん、ちょっと」


カウンターの奥から、鈴原店長の声が聞こえた。


「はーい。今行きます!」


詩音は小走りにカウンターへ向かった。


「小豆沢さん、ちょっとお願いしてもいい?」


カウンター越しに顔をのぞかせたのは、鈴原店長だった。


「はい、なんでしょう!」


「レジ横のディスプレイ、ちょっと殺風景でさ。駅前のアンティーク雑貨屋さんで、何か飾れそうな小物を見てきてくれる?」


「雑貨屋さん……あ、あの角にある、おしゃれなとこですよね?」


「そうそう。予算はこれくらいで。詩音ちゃんのセンスにお任せするから、楽しんできて」


「わ、わかりましたっ!」


差し出された封筒を受け取りながら、詩音の顔がぱっと明るくなった。


(センスにお任せ……! 任された!)


詩音は封筒をバッグにしまい、軽やかに店を出た。


(さてさて、どんなのが合うかな~)


店の前の歩道に出たところで、風がそっと髪をなでた。

気持ちは、今日いちばんに晴れやかだった──その時までは。


◇◇◇


詩音は、商店街の道をスキップしそうな勢いで歩いていた。


手に提げた小さな紙袋の中には、古びた洋書みたいなデザインの小物入れ。

革風の表紙に金の飾り模様──いかにも「アンティーク風」って感じで、カフェの雰囲気にぴったりだった。


(いや〜、これめっちゃ良くない!?)


袋を軽く持ち上げてニヤニヤ。

心の中ではすでに、レジ横の棚に置かれたそれを思い浮かべている。そこに小さなドライフラワーなんか添えちゃって──


(美智子さん、どんな顔するかな。「やるじゃん詩音ちゃん!」って絶対言うし、店長もきっと、あのちょっとだけうれしそうな顔でうなずいてくれる)


スタッフたちの反応を思い浮かべながら、ふわっと胸があたたかくなる。


そして自然と、その想像の中に、店内の風景が浮かんでくる。


やわらかな光が差し込むカフェの窓辺。背の高い本棚の列。紙とインクの匂い。すこし冷たい木のカウンターの手ざわり。


その中で、ひときわ心に残っているのは──

昨日、初めて出会ったあの一冊。


『風のあとを、歩いて』


ページのすみに書かれていた、あの言葉。


──歩いていれば、風が背中を押してくれる。


(……なんか、ホントに背中押されてる気がするんだよね、今)


頬をなでる初夏の風が、いつもよりすこしやさしく感じられた。


(本って、やっぱり、いいなぁ)


そんなふうに思ったちょうどそのとき──


前から、大学生くらいの男の子たちが歩いてくるのが見えた。


すれ違いざま、ふと耳に入ってきた言葉に、詩音の足がぴたりと止まった。


「ここさ、なんかブックカフェできるらしいよ」


「え、マジ? 本読む喫茶店? 今さら紙の本なんて流行んねーって」

「てか、本とか読むヤツの気が知れねーよ」

「大丈夫、すぐ潰れるって」


……その瞬間、詩音の足がピタっと止まった。


(え……なに、それ)


一瞬、頭の中が真っ白になった。

目の前がふっと、色をなくすような感覚。


何かが胸の奥でざわついた。


視線を落としたまま、詩音はそっと、袋を抱き直す。

足元が、わなわなと震えていた。

どうしようもく、熱いものが込み上げてくる。


(……このままじゃ戻れない)


そして、静かに背を向け、公園の方へと歩き出した。


一歩、また一歩――足取りはどんどん早まっていく。


(……なんでそんなこと言えるの?)


気づけば、走っていた。

靴音が舗道を叩くたび、心の中の感情が跳ね上がっていく。


(知らないくせに)

(なにも知らないくせに…)


胸に抱えた紙袋の中、本の形をした小物入れの角が痛いほど刺さってくる。

けど、その痛みすら、今はどうでもよかった。


(本って…すごいんだよ!)


叫びたいのに、声にならない。

走れば走るほど、悔しさと悲しさが加速していく。


(やさしいのに!)

(背中を押してくれることもあるのに!)

(どうして、そんなふうに笑えるの!)



(……悔しいっ)


悔しい。

悔しくて、どうしようもなくて、止まらない。


気づけば、公園の奥。木陰のベンチの前で、足が止まっていた。

息は荒く、肩が上下する。

もう、足も、気持ちも、いっぱいだった。

涙が、こぼれそうになるのを、なんとかこらえていた。


(本って……本って、ほんとうに……!)


──そのときだった。


「……小豆沢さん?」



ふいに聞こえた声に、詩音ははっと顔を上げた。


そこには、ベンチのそばに立つメイの姿。

お弁当の包みを手に、驚いたような顔でこちらを見ていた。


「平瀬さんっ……!」


声にならない声を上げて、詩音は駆け寄った。

そのまま、ぐしゃぐしゃな顔でメイの胸に飛び込む。


「えっ……ちょ……どしたの?」


メイの戸惑いもよそに、詩音は堰を切ったように泣きじゃくる。

言葉にならないまま、しゃくり上げながら、どうにか思いを伝えようとする。


「本って……すごいんだよ……あったかくて……でも……でも……」

「悔しくて……でも、なにも言えなくて……!」


メイは、黙って聞いていた。

そして、そっと詩音の背中に手をまわす。


その瞬間、詩音の涙がどっとあふれた。


もう止まらない。


肩を震わせて、大きな声で、子どものように泣いた。


◇◇◇


しばらくして、ふたりはベンチに並んで座っていた。


詩音の目は赤く、鼻をすする音が静かに響く。


ひととおり聞き終えたメイは、小さく頷いた。


「……そんなこと、あったんだね」


「……ごめんなさい。取り乱しちゃって」


「ううん、大丈夫」


メイは前を向いたまま、少しだけ空を仰いでから、ぽつりと口を開いた。


「……言いたければ、言わせておけばいいと思う」


その声は、ただ静かだった。


「“好き”って気持ちはさ……誰かに押しつけるもんじゃないし、誰かの“好き”を笑う権利も、誰にもないよ」


少しだけ間を置いてから、メイは詩音のほうを見た。


「だから――自分の“好き”を、大事にしてあげて」


言葉が、風に乗って、そっと胸の奥に染み込んでいくようだった。


詩音は、肩をすくめるように小さく笑って、それからふっと息をついた。


「……うん、なんか、ちょっとだけわかった気がする」


まだ少し赤い目をしていたけど、その声には、ちゃんと前を向く力がこもっていた。


詩音が思い出すようにつぶやく。


「……森のきつねのうた、だね」


メイが小さくうなずいた。


「ちゃんと、届いてたよ。小豆沢さんのうたも」


詩音は、ふっと目を伏せて微笑む。

そして、空を見上げて、大きくひとつ息をついた。


「……自分の“好き”を、大事にする……か」


そう言いながら、胸の奥にぽっとあかりが灯るような感覚があった。

メイは少し照れたように、小さくうなずいた。


「うん。……それで、いいと思うよ」


詩音はひとつ深呼吸して、肩の力を抜いた。

「ふふ。なんか、元気出てきたかも」


その言葉を聞いて、メイも少しだけ、口元を緩めた。

ほんの少し考えてから、ちょっとだけためらうように、でもどこか優しさをこめて言った。


「それでこそ……ポジティブ暴走娘、だね」


詩音はきょとんとして――次の瞬間、目を見開いた。


「え!? なにそれ、誰情報っ!?」


メイは、ちょっとだけ悪戯っぽく目を細めた。


「沙織さんが言ってたよ」


「もー、沙織ちゃんったら! あとで言っとこ!」


詩音はふくれっ面で頬をぷくっと膨らませてみせた。

その様子がおかしくて、メイはぷっと吹き出す。

詩音も、つられて笑った。


明るい笑い声が、夏の空気にふわりと広がった。


「さーてとっ!」

詩音は、すっと立ち上がった。


「そろそろ戻らなくっちゃ」


「あ、これ忘れないで、小豆沢さん!」


ベンチの横に置いてあった紙袋を手に取って、そっと手渡す。


「あ、そうだ、忘れるところだった。あぶなっ!」


紙袋を受け取ると、詩音は二、三歩歩いて、くるっと振り返った。


「…詩音でいいからね! 

ありがとう、メイちゃん! またねー!」


元気に手を振って、詩音は走り出す。


ベンチに残ったメイは、ふわっと小さく笑った。


「……またね。シオンちゃん」

小さくつぶやいた。


夏の日差しが、公園のふたりを明るく照らしていた。




これで第3章はおしまいです。

気づけばもう30話。楽しんでもらえているかは不安もありますが、みなさんが読んでくださっていることが、いつも励みになっています。


メイと詩音、ふたりの物語がようやく重なり、新しい展開がはじまります。さらに、新しい登場人物も加わって、また違った空気や関係が広がっていく予定です。


いつもは1日空けるんですが、今回はこの流れのまま、明日から第4章に突入します!


次章もどうぞ、気楽にのぞきにきてくださいね。


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