第28話 ひらかれた本、ひらかれた気持ち
次の日。
開店準備中のカフェ・ラ フォーレ リーヴルスは、朝から少しだけざわついていた。
店内の本棚に、少しずつ本が並び始めている。
今日の午前中は、葛城書店・店長の柳森淳子から、蔵書についての講義が行われる日。
「じゃあ、はじめるわね。」
空調の効いた店内の一角に設けられたテーブルを囲んで、カフェスタッフが椅子に腰かけている。詩音もそのひとり。緊張と朝の眠気もあって、ちょっとだけぼんやりしていた。
「ここ、カフェ・ラフォーレリーヴルスには、およそ3500冊の本が常備されています」
手元の資料に視線を落としながら話す、柳森さん。
「この店の本棚には、さまざまなジャンルの本があります。文芸書、エッセイ、写真集、実用書、児童書など、それに、地元作家さんのコーナーもあります」
カフェスタッフは、真剣なまなざしで聞いている。そんなスタッフを和ませるように、やさしさのトーンを上げて、話を続けた。
「ところで、みなさん…
本っていうと、全部“読まれるため”にあるって思うかもしれないけど……実はそうでもないの」
え?という顔をするスタッフたちの中で、詩音も同じようにきょとんとしていた。
「もちろん、読んでもらえたら一番。でも、それと同じくらい大切なのは、“そこにあることで空気を作る”ことだと、私は思っています。これはどんな本でもそういう一面はあるけれど、カフェのような空間では特に感じやすいんじゃないかな」
まわりのスタッフはうなずくも、まだピンとこない様子の詩音。
(…?? なにそれ?意味不明だぞ…)
柳森さんは続けた。
「たとえば、本棚に背表紙が並んでいるだけで、静かに見守られているような安心感があるでしょう?カフェって“何もしてなくても、そこにいていい”場所だから…」
「なので…このお店の本は、全部をじっくり読むためのものだけじゃなく、“ちょっとだけ読む”ための本も大切にしてます。エッセイとか、詩とか、短編集とかね」
そう言って柳森さんは、近くに積まれた本のひとつを手に取った。
「たとえば、これ。“ひとくち夜話”っていう短編集。帯に“やさしさが、ひとくちだけほしい夜に”ってあるでしょう?」
表紙は、月とスープ皿のイラスト。どこかあたたかい雰囲気の本だった。
「コーヒーを待ちながら、ふと手に取って、2ページ読む。それだけでも、その人の中に何かが灯るかもしれない。……そういう本が、ここにはたくさんあります」
「……“ちょっと読む”だけでも意味があるんですね」
別のスタッフがぽつりとつぶやくと、柳森さんは嬉しそうにうなずく。
(ほぇ〜。そんな読み方もあるんだぁ)
◇◇◇
後半は、スタッフたちと共に、実際に棚を見て回る時間となった。
「並べ方も工夫してます。全部背表紙だけだと固くなるから、こうやって表紙が見える“面出し”も混ぜて。」
「ジャンルごとに“気分”で誘導するの。こっちは散歩や旅の本。この棚は、軽いエッセイとカフェ本。あっちが写真集ね」
案内されるままに、詩音はふと旅の棚の一冊を手に取った。
ページをめくると、カフェや古本屋、ちょっとした路地裏の写真がたくさん載っていた。
(へぇ……こういうの、好きかも)
その隣には、鮮やかな装丁のグラフィックノベル。少し先には、短い詩が手書きで綴られたような小さな文庫本。
ふと、棚の一角に見慣れたタイトルを見つけて、詩音は足を止めた。
「……あれ?コミックもあるんですね」
「うん、人気の作品を少しずつだけど置いてあるの。話題になってるものとか、ちょっと雰囲気のいい日常系とかね」
柳森さんはそう言って、小さな平棚を指差した。
そこには『山と食欲と私』『珈琲時間』『海街diary』『ねことじいちゃん』といった、“読んでてほっとする”タイプの作品が、数冊ずつ並べられている。
「コミックって、手に取りやすいでしょ?
だから、本が苦手な人や、あまり読まない人にも入り口になってくれるの。
読書って、背筋を伸ばして挑むものじゃなくて、もっと自由でいいと思うのよ」
詩音はうなずきながら、何気なく『海街diary』を手に取った。
ぱらぱらとめくると、姉妹たちの何気ない日常に、ふんわりとした空気が流れていた。
(……なんか、落ち着く)
肩の力が、少し抜ける気がした。
本って、もっと難しいものだと思ってたけど。
「……本って、思ったより自由なんですね」
思わずつぶやいた自分に、ちょっとだけ照れる。
でも柳森さんは、ふんわり笑ってうなずいた。
「うん。詩音ちゃんにも、きっと合う一冊が見つかると思う」
「わ、なんか名言っぽい!メモしとこっと……」
詩音は慌ててポケットをごそごそ。小さな付箋紙を取り出し、ペンでさらさらと書きつける。
「“本って、思ったより自由”……っと」
「え、自分のセリフのほう!?」
スタッフの一人が吹き出し、続けて周囲からもくすくすと笑いが漏れる。
「あーっ、違いますよー! なんか名言っぽかったからつい!」
あたふたする詩音の背中に、あたたかい笑い声が広がっていった。
柳森さんは微笑みながら、ひとこと。
「ふふっ、そういうところ、詩音ちゃんらしくていいのよ」
(いま、褒められた?……なんだろ、ワクワクしてきたかも)
◇◇◇
午後になって、店内の空気がまた少し変わった。
カフェスタッフたちは、それぞれ什器の搬入や本棚の整理に散っていく。
詩音も、段ボールを解きながら、ふと午前中のことを思い返していた。
(本って、思ったより自由なんだな)
さっき見た『海街diary』のあのやわらかなページを思い出す。
ちょっとだけ、自分にも読めそうな気がした。
そんなとき。
「小豆沢さん、展示エリアの平瀬さんの方、手伝ってもらえる?」
振り返ると、鈴原店長が笑顔で立っていた。
「はいっ!」
資料片手に、詩音は展示エリアへ向かう。
昨日の“資料ぶちまけ事件”が頭をよぎって、ちょっと緊張する。
◇◇◇
展示エリアの中では、メイが一人で作業をしていた。
床に広げた台紙とパネル、壁に貼る準備をしているらしい。
「あの……こっち、手伝ってって言われて来ました」
声をかけると、メイが顔を上げた。
「ありがとうございます。じゃあ、これ、そっちの棚に並べてもらえますか」
静かな口調。
なんとなく距離があるような気がして、詩音は少しだけ胸がざわついた。
(やっぱ、まだ怒ってるのかな……)
そそくさと作業をすすめていたけど、どうしても気にかかってしょうがない。
たまらず、ぽそっと聞いてみる。
「あのぉ……昨日のこと、やっぱり怒ってます?」
メイが瞬きをひとつ。
「昨日の?」
「あの、資料ぶちまけたやつ……」
「…ああ。全然怒ってないですよ」
あっさり返されて、拍子抜けする詩音。
それでも…
「でも、なんか……話し方が冷たくて……」
「……あ、ごめんなさい。そういう喋り方、よくしちゃうんです……無意識に」
ちょっと照れくさそうに笑うメイ。
その笑顔に、詩音の肩の力がふっと抜けた。
「よかった……ずっとビビってました」
「えぇ……そこまで?」
二人の間に、ようやく小さな笑みが生まれた。
作業に戻り、詩音が本を棚に並べていた時。
展示棚の上にあった一冊の絵本が目に入った。
「……あ。これ、知ってる!」
詩音がぱっと指差す。
『森のうたうきつね』
赤いマントのきつねが、星空の森を歩いている表紙。
「この赤マント、なんか勇者っぽくて好きだったんですよね…。私、小さいとき、おばあちゃんに読んでもらいました」
「……うちにもありました。寝る前に、母に読んでもらったかな」
そう言ってメイが本を手に取り、そっとページをめくる。
「この本、矢鞠市に住んでた“おばあちゃん作家”の絵本なんです。実は私のいる文学館も、その人の功績がきっかけでできたんですよ」
「えっ、そうなんだ。……私、『星をひろったたぬき』の話も好きです。池で星をすくっちゃうやつ」
「あれ、ちょっと泣きますよね。たぬきのぽんた、めっちゃ健気で」
「うんうん……」
「私は『森のうたうきつね』。音痴でからかわれてたコンが、ヘタだけど一生懸命歌う場面、なんか好きだった」
「あ、分かる、それ! 確か、霧で迷子になった子どもたちが、それで安心して眠るんですよね!」
「そうそう。ヘタでも歌は好き、その気持ちは伝わるよって、なんか良かったかな…」
展示エリアの空気が、じんわりやわらかくなっていく。
「…じゃあ次これ、かけますね」
メイはパネルを壁にかけようと脚立に登った。
「これ軽いから、一人でいけそうです」
「……落ちないでくださいね?」
「大丈夫ですって」
余裕そうに笑いながら、慎重にパネルをかける。
でも、脚立を降りるときにちょっとバランスを崩して――
「おっとっと……」
メイはそのまま、両足でぴょんっとジャンプ着地。
無事に降りた、と思ったそのとき。
「——あ、後ろ!」
詩音の声と同時に、パネルが落ちた。
ドン!
大きな音が、部屋中に響いた。
「大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか…」
落ちたパネルが倒れないよう、メイが両手で支えて、苦笑いを浮かべた——直後。
飾り棚の上に置いてあった、きつねのオブジェが、メイの頭頂部めがけてダイブ。
ゴン!
「いったぁ……!」
しゃがみこんで頭を押さえるメイに、詩音が駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか!?」
「……うん。ちょっと、きつねに しばかれました」
それを聞いて、詩音がぷっと吹き出した。
「なにそれ……じわじわくる……!」
「もう……笑いすぎです」
「だって……“森のうたうきつね”、物理攻撃してくるとは思わないじゃん……!」
二人の笑い声がぽつぽつと広がっていく。
「平瀬さん、案外ドジっ子なんですね」
「それ、小豆沢さんに言われるとは思わなかったです」
「ふふっ」「あはは」
二人の笑い声が、展示エリアに響きわたった。
ガラス越しの光がやさしく差し込む。
思いがけない時間が、ふんわりとあたたかい空気を運んできた。
さっきまでの気まずさは、もうすっかり消えていた。
◇◇◇
その夜。
お風呂から上がって、髪を乾かしながら、メイはキッチンでコーヒーを淹れた。
湯気といっしょに広がる香りが、どこかほっとさせてくれる。
カップを片手に、いつものように二階の自分の部屋へ。
ベッドに腰掛けてふと見上げると、本棚の上の、小さなきつねのオブジェが目に入った。
今日、展示スペースで頭に直撃してきた“あれ”とまったく同じもの。
(……たしか、小さい頃、お母さんに買ってもらったんだっけ)
はっきりとした記憶じゃない。ただ、うっすらと、そんな気がする。
(それにしても……まさか今日、あいつにしばかれるとは思わなかったな)
思い出し笑いのように、ふっと口元がゆるむ。
(小豆沢さん……変な子だけど、いい子だな)
そんなことを思いながら、メイはそっとコーヒーに目を落とした。
カップのぬくもりが、胸の奥にも、じんわりとしみていくようだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
今回登場した「森のうたうきつね」は、作中に登場する架空の絵本です。
実は、この絵本は三つのお話からなる短編集なんです。
その中から、絵本のタイトルにもなった一編をご紹介します。
——
森のうたうきつね
矢鞠のおばあちゃん 著
あらすじ
夜の森にひとりぼっちの若いきつね。歌うのが大好きだったけれど、音痴だとからかわれて、ずっと歌うことをやめていた。
ある夜、深い霧で迷った動物たちが、きつねの小屋にたどり着く。
「こわいよう、こわいよう」と震える子どもたちに、きつねは思わず歌を口ずさむ。
へたっぴでも、その歌にはぬくもりがあった。歌に励まされた動物たちは安心して眠りにつき、無事に朝を迎えることができた。
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残りの二つも、どこかでご紹介できたらと思っています。




