第25話 あいさつと、逃走劇
メイがふれあい文学館を出たのは、もう夕方になってからだった。
(ちょっと残業で遅くなっちゃったけど……今日のうちに、挨拶しておこう)
カフェの企画で葛城書店とやりとりすることになって……その担当が、私。
そして、店長の柳森さんとも、一緒に仕事することになるなんて……
これまでにも何度か、イベントなどで顔を合わせたことはある。
でも、ちゃんと一緒に仕事をするのは、今回が初めて。
(……正直、柳森さん、キレイすぎて、いつもちょっと緊張するんだよなぁ)
そんな風に考えながら、葛城書店に続く公園の道をしっかりとした足取りで進む。
やがて、見えてきたレンガ調の建物。
メイは、葛城書店の自動ドアを開けて中に入った。
(……え?)
入口近くの本棚の陰に、誰かがしゃがみ込んでいた。
明るい髪の女の子が、じーっとレジカウンターの方を覗き込んでいる。
明らかに挙動不審……
そう思った瞬間、メイの視線を感じたのか、その子が振り返った。
思いっきり目が合う。
ぱっちりした目に、丸っこい輪郭。
挙動不審なその子は、一瞬硬直したあと、両手をぶんぶん振ってこう言った。
「ち、ちがうんです!不審な者じゃないですぅ!」
え、なに? 明らかに不審な者なんだけど……
キョトンとするメイをよそに、その子は顔を真っ赤にして身を翻えし、猛スピードで書店の外へ走って逃げていった。
メイは、ぽかんと立ち尽くした。
(……なんなの、今の)
(……でも、どこかで見たような……)
記憶を探って、思い出す。
(……あ! あの子……
自転車ドミノ倒ししてた子だ!!)
と、そんな時——
「平瀬ちゃん!」と声がかかる。
見ると、柳森さんが、レジカウンターの奥から手を振っていた。
お店の制服姿で立つ柳森さんは、やっぱりいつ見ても絵になる。
さっきまでの記憶は、店長の微笑みと一緒に、すっと上書きされてしまった。
「こんばんは、柳森さん。ブックカフェの件、私が担当になりました……今日はご挨拶にと思って。
よろしくお願いします」
メイは深々と頭を下げてた。
「こちらこそ。丁寧にありがとうね。平瀬ちゃんが担当なら、心強いわ」
いつもの柔らかな声で柳森さんが言った。
(……いや、そんな… こっちは、こんなに緊張してるんですけど)
「ところで、キャンプの準備は進んでる?」と、さりげなく尋ねられる。
メイの心臓が、ドキッとなった。
(あっ、そうだ。
この前、初心者向けのキャンプ本を買った時に“頑張ってね”って言われたんだった)
ほんのちょっと、頬が熱くなる。
自分の“好きなもの”を人に知られるのって、なんとなく気恥ずかしい。
以前の私なら、たぶんお茶を濁していただろうけど――
「少しずつですが、準備してます」
そう答えた自分の声は、思ったよりちゃんとしていて。
柳森さんは、やわらかく微笑んでくれた。
◇◇◇
「ひいぃぃぃぃ〜〜〜〜〜っ!!」
葛城書店を飛び出した詩音は、店の前の歩道でしゃがみ込み、頭を抱えていた。
(ヤッバー……完っ全に、見つかった……!)
(ていうか、なんで私、声出しちゃったの!?)
(不審な者ではないですって何!? 認めちゃってるじゃん!!)
急に立ち上がったと思えば、その場でぐるぐると回り、ひとり小声で「無理無理無理無理……」と連呼する詩音。
ハッと我に帰り、誰かに見られてないかとキョロキョロ。
案の定、親子連れや通行人に変な目で見られていた。
あわてて、足早にその場を離れた。
(……ああ、ヤバい。スパイとして失格すぎる……)
詩音は、少しずつ歩調を緩めながら、葛城書店の裏に広がる、大きな公園へと足を向けた。
広くて緑の多い、静かな公園。夕暮れの風が心地よく抜けていった。
園内を歩いているうちに、さっきまでの動悸も少しずつ収まっていく。
ちょうど空いていた木陰のベンチに腰かけて、詩音は、バックから出したペットボトルのお茶をひと口。
ベンチの上にペットボトルをそっと置くと、ふぅーと大きく息を吐いた。
気づけば、さっきまでいた葛城書店のことを考えていた。
(……あのお店、素敵だったなぁ)
(本の並べ方も、雰囲気も……なんか、心地よかった)
(あの美人店長も、噂ほど怖そうじゃなかったし。むしろ、かっこよくて優しそうな……)
だんだんと笑顔が戻ってきた。
「……ふふっ。新店舗、やる気出てきたかも……!」
こぶしを小さく握りしめたその瞬間——
ガコン!
「うわわわわっ!」
詩音の肘がペットボトルにぶつかり、ベンチの下にお茶がぶちまけられた。
慌ててしゃがみ込み、ペットボトルを拾う。
お茶はこぼれて、ほとんど残ってないけど——
「まあ……いっか!」
詩音は小さくつぶやいた。
「……うん、ちょっと楽しみになってきたかも」
さっきの不安は何処へやら。
クスッと笑うその顔は、楽しみに満ちていた。
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