第17話 迷子の詩音
終電間近の電車の中。
まばらな車内。
揺られながら、詩音は出入口付近の壁にもたれ、ぼんやりと窓の外を見ていた。
ガラスに映る、自分の顔。
少し疲れた、頼りない顔。
(新店舗……かぁ)
さっきの、美馬店長との会話が何度もリフレインする。
◇◇◇
「ふ、副主任ですかぁ?」
「そうだ」
「新店舗の……」
「そうだ」
「でも、ワンちゃん、いっぱいいるんですよね……? 大きいのとか、小さいのとか…」
「……ワンちゃん?」
「だって、ドッグ カフェって……」
「違う。ブックだ。本が読めるカフェだ」
「本!? 犬じゃないの!?」
「ああ、本だ。
矢鞠市でオープンさせる新店舗は、我々にとって初の本格的コンセプトカフェだ。
大切なプロジェクトだぞ」
美馬店長は、言葉を丁寧に選びながら続けた。
「今回、各店舗から一人ずつ精鋭を送り出すことになった。
私は、お前を推薦したいと思っている」
「せいえいって……すごい人のことでしょ……無理無理無理無理……!」
激しく首を横に振り続ける詩音に、
店長は静かに言った。
「落ち着いて聞け、詩音。」
「お前はな、自分で思っている以上に、カフェスタッフとして大切な力を持っている。」
「仕事の出来は、まぁ及第点だが…」
ズバッと言われ、詩音は小さく肩をすくめた。
「だが、お前には、
お客様の心をやわらかくする、不思議な力がある。」
「声のトーン、笑い方、間の取り方——
無意識だろうが、自然と空気をあたたかくできる。」
「新しいブックカフェには、
ただ静かなだけの空間じゃなく、
心がふわっとほぐれる瞬間が必要なんだ。」
「詩音、お前なら、それができる。」
「……ただし」
店長の声が、少しだけ重くなる。
「やる気と集中力が、決定的に足りない。」
「新店舗で、それを磨いてこい。」
「返事は来週まででいい。
よく考えて決めなさい」
◇◇◇
「……褒められたような、怒られたような」
小さくため息をつきながら、詩音は呟いた。
窓に映る自分の顔は、
どこかぼんやりしていて、
現実感がなかった。
(精鋭、だなんて)
(私……?)
詩音はそっと天井を仰いだ。
(……私、そんなにすごくないよ)
(こんな私が、そんな大事なところに行っちゃって、本当にいいのかな……)
電車は、
暗く沈んだ街へと、
ためらうように、それでも止まらずに走り続けていた。
◇◇◇
「ただいま…」
玄関をあけた詩音めがけて、いつものように猛スピードでチワワが突進。
いつもなら受け止める詩音だが、
今夜は体をかわした。
玄関下にドシャっと転落するチワワ。
「おかえり。あんた、ご飯は?」
「いらなーぃ」
上の空な返事を弱々しく返す。
足にまとわりつくチワワをよそに、詩音は階段を登っていった。
キッチンで洗い物をしていた母が、手を止め、不思議そうに振り向いた。
階段の下で、こっちを見ているチワワ。
「チワワ……大丈夫?」
母はあっけにとられていた。
詩音は、部屋に入ると、服もバックもそのままに、ベットに大の字に倒れ込む。
「…はぁ〜〜〜」
天井をみながら大きなため息ひとつ。
「なんで私なんだろう……
他にも出来るコいっぱいいるのに…」
自分にはそんな大役務まらないからなのか…?
他にも出来るコがいるから遠慮してるからなのか…?
単に仕事が大変になるのが嫌なのか…?
なぜ、悩んでいるのか、詩音にもグチャグチャでわからなくなっていた。
スカートのポケットからスマホを取り出し、Rainを開く。
『おきてる?』
送った先は、親友の保志日菜乃だ。
『おきてるよ』
『どうした?』
すぐに返事がきた。
『副が主任だよ』
『?なに』
『犬が本になって』
『もうわからないよ』
『わからないのはこっちだよ』
そう返信が来たすぐあとに、着信が。
電話にでる詩音。スマホからは日菜乃の声が聞こえてきた。
「何かあったかー、詩音」
いつもの日菜乃の落ち着いた声が聞こえた。
「ひなちゃん、私、どーしたらいいと思う?」
「まずは何があったか、言ってごらん」
子供を諭すようになだめる日菜乃。
「あのね、副主任がね、及第点で、…精鋭になったんだよ」
だんだん泣き声になる詩音に
「分かったよ、詩音。明日は何時あがり?」
ゆっくりと、やさしく、日菜乃は聞いた。
「お…ヒック、お、お休みだよ」
我慢してた涙がこぼれ、嗚咽が混じる。
「じゃあ、11時にいつものとこで」
「わかった…ありがとう、ひなちゃん…ヒック」
「泣くなよー詩音。また明日ね」
そう言って、電話は切れた。
ほっとしたのか、心がふわりとゆるむ。
重たいまぶたが、じんわり下がる。
「ありがと…ひなちゃん…」
寝言みたいな声でつぶやきながら、
詩音はそのまま眠りに落ちた。
微かな笑顔を浮かべて、
胸の上で、スマホをぎゅっと抱きしめた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!




