第147話 明島アウトドアヴィラージュ
平日。朝9時半。
中央林間駅、中央口のハンバーガーショップの前。
詩音はスマホを片手に立っていた。
短めのネイビーのフード付きジャケットに、黒のショートパンツ。足元はマスタード色のタイツにハイカットのスニーカー。
寒さ対策はしているのに、どこか軽やかで落ち着きがない。そのアクティブさが、いかにも詩音らしい。
中央林間は、小田急線と田園都市線が交差するターミナル駅だ。
都心へのアクセスが良く、それでいて緑も多い。暮らしやすさで人気の街——そんな説明が、自然と似合う場所だった。
電車が到着したのだろう。
改札の向こうから、人の波が一気に流れ出してくる。
その人混みの中から、詩音に気づいて小走りで近づいてくる影があった。
ベージュの中綿ジャケットに、細身のデニム。
淡いえんじ色のマフラーを首元に巻き、小さめのリュックを背負っている。派手さはないけれど、無駄のない実用的な装い。
——メイだ。
詩音は顔を上げ、ぱっと手を振った。
「おはよー、メイちゃん」
「ごめーん、一本乗り遅れた」
少し息を整えながら、メイが続ける。
「凛々花ちゃんは?」
「まだだよ」
詩音はスマホの画面をちらっと見てから言った。
「白いレクサスのUXって言ってたよね」
「……うーえっく?」
「ユーエックス。レクサスのコンパクトSUVだよ」
「コンパクト……」
その言葉を聞いた瞬間、
詩音の頭の中に——勝手な想像が浮かんだ。
前席がベンチシートの古い車。
そこに三人が、ぎゅうぎゅうに押し込まれている。
『メイちゃん、もうちょっとそっち行けない?』
『無理無理、詩音押さないで! それじゃ凛々花ちゃんにぶつかっちゃう!』
『詩音ちゃん、メイちゃん、これじゃハンドル切れないよ〜』
なぜか、そんな妄想にどっぷり浸かっていた。
「……狭いんだ……」
思わずぽつりとつぶやき、詩音は苦笑いを浮かべた。
そのとき。
ロータリーの向こうから、白い車が静かに入ってくる。
レクサスだった。
「あれじゃない?」
メイが指差す先で、白い車がロータリーにゆっくりと入ってくる。
小さな円を描くように停車すると、運転席のドアが開き、凛々花がひょこっと顔を出した。
白いタートルネックのニットに、落ち着いた色合いのコート。
どこか控えめなのに、清潔感のある佇まいが、凛々花らしい。
「凛々花ちゃん」
メイが小さく声をかけると、凛々花も気づいて、控えめに手を振り返した。
凛々花の車を見た瞬間、
「……大きいじゃん!」
詩音は思わず目を丸くして、にっこり笑いながら手を振った。
二人は揃ってロータリーへ駆け寄った。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
凛々花はそう言って、胸の前で手を合わせる。
その仕草が妙に可愛らしくて、メイは思わず頬をゆるめた。
「ううん。私も今来たところ」
メイがそう言い終わるより早く、
「私、うしろ!」
詩音がさっと後部座席のドアを開ける。
「後ろでいいの?」
「うん、広そうだから!」
じゃあ、とメイは自然に助手席へ回った。
「うわー、シートが白い!」
後部座席に座るなり、詩音が声を上げる。
「高級感あるね」
運転席まわりを見渡しながら、メイも感心したように言った。
「でもね、パパのレクサスの方が高いんだって」
「……レクサス2台持ちなんだ」
メイの口からポロッと漏れた。
「うん。もうちょっと大きいやつ。今日はこっち借りてきただけ」
凛々花はシートベルトを締めながら、何事もなかったように笑う。
「じゃあ、いくね」
アクセルを踏むと、車はするりと静かに走り出した。
「乗り心地、いいね〜」
「すごく静かだね」
楽しげな声が車内に広がる。
目指すのは、
――明島アウトドアヴィラージュ。
これから始まる一日を予感させるように、白いレクサスは穏やかに道路へ溶け込んでいった。
◇◇◇
国道16号を相模原方面へ。
天気は晴れ。平日らしく、トラックや商業車が多いものの、流れは悪くない。
車内には、女性ボーカルの静かな英語の曲が流れていた。
声はやわらかく、音も控えめで、会話の合間にそっと溶け込むような音楽だった。
「明島って、東京都だよね?」
後部座席から、詩音が身を乗り出すように言う。
「うん。立川の方だから、そこそこ距離ありそう」
メイが前を見たまま答える。
「1時間半くらいだって。ナビが言ってたよ」
ハンドルを握りながら、凛々花が補足する。
「ロングドライブだぁ〜」
詩音は嬉しそうに声を伸ばした。
窓の外では、冬の光を受けた街路樹が流れていく。
その向こうに見える空は高く、どこか遠出をしている気分にさせた。
メイが、フロントガラスの向こうを眺めながらふと口にした。
「でも、なんで明島なの?
キャンプ道具なら、ラズベリーモールでも買えるのに」
ハンドルを握る凛々花は、少しだけ考えてから答える。
「ママがね……そこで買ってって」
「そうなんだ」
「ママのお客さんなんだって」
その言葉に、後部座席から詩音が身を乗り出す。
「凛々花ちゃんのママって、何してる人?」
「広告代理店。
いつも忙しそう」
淡々とした口調だったけれど、そこには慣れのようなものが滲んでいた。
「へぇ〜」
メイが相づちを打つ。
「それで、明島のゴールマンと関係があるとか」
「よく分からないけど……
話しておくから、って言われたの」
少し肩をすくめて、凛々花は笑う。
「メイちゃん、そこ、行ったことある?」
今度は詩音が聞いた。
「ううん。はじめてだよ」
「アウトドアのお店、いろいろあるんだって」
そう言いながら、凛々花は楽しそうに前を見る。
「なにそれ、楽しみ〜」
詩音が弾んだ声を上げた。
少し間があいて、メイが思い出したように言う。
「そういえば詩音、ソロキャン用に何か買うって言ってたよね」
「うん。
卓上コンロのガスボンベと、激熱ホカロンかな」
あっさりした答えに、メイはくすっと笑う。
「ソロキャン、いよいよって感じだね」
「うん!」
詩音は元気よくうなずいた。
車内の曲が変わり、
さっきまでより、少しだけリズムのある音が流れ出した。
三人はそれぞれ、これから向かう場所と、
その先に待っている時間を、心の中で思い描いていた。
◇◇◇
明島アウトドアヴィラージュに到着すると、三人は車を降りた。
平日らしい静けさはあるものの、駐車場には思ったよりも車が並んでいる。
建物の向こうから、楽しげなざわめきのようなものが、かすかに伝わってきた。
「梓ちゃん、もう着いてるかな?」
メイが周囲を見回す。
三人は、ゲートのような建物に向かって歩き出した。
アスファルトの地面がひんやりとしていて、詩音が肩をすくめる。
「やっぱ寒いね」
そう言って、ジャケットの襟をぎゅっとつかんだ、そのとき。
「あ、いた」
詩音の声に、メイと凛々花も顔を上げた。
待ち合わせ場所の「入口の脇」に、ひとり立っている影がある。
落ち着いた色合いのジャケットに、細身のパンツ。
背中には小さめのメッセンジャーパック。
無駄のないその佇まいは、いかにも梓らしかった。
こちらに気づくと、梓は軽く手を上げる。
「おはよう」
「待った?」
メイが声をかけると、
「いや、さっきついたばかり」
と、梓はあっさり答えた。
「ねー!早く行こーよー!」
声の方を向くと、詩音が凛々花の手を取って、今にも走り出しそうな勢いだ。
「詩音ちゃん、そんなに引っ張らないで〜」
凛々花が苦笑いする。
その様子を見て、梓とメイは自然と顔を見合わせ、微笑んだ。
「じゃ、行くか」
「うん」
詩音と凛々花の後ろ姿を追って、四人は歩き出した。
駐車場からゲートのような建物に入ると、通路は屋内広場を通り抜ける造りになっていた。
天井が高く、視界がひらけている。
外の寒さとは違う、少しだけやわらいだ空気が流れていた。
「広いスペースだね」
「土日とか、イベントやってそう」
詩音と凛々花が、顔を見合わせて楽しそうに話す。
その様子を見ていると、メイも自然と気分が上がっているのが自分でも分かった。
「梓ちゃんは、ここ来たことあるの?」
何気なく聞くと、
「いや、初めて」
梓は、いつも通りの落ち着いた口調で答える。
けれど、その視線は店の配置や人の流れを静かに追っていて、
ほんの少しだけ、楽しんでいるのが伝わってきた。
(あ、梓ちゃんもワクワクしてる)
メイは、そんな小さな変化に気づいて、そっと微笑んだ。
建物を抜けた先は、名前の通り、ちいさなヴィレッジのようだった。
通路の両脇に、アウトドアブランドの店舗が連なり、視界が一気にひらける。
「うわー、ノースファンタスだよ!
あっ、モンレルもある!」
詩音の声が、少し先まで弾んで響く。
有名ブランドの看板が並ぶ景色に、テンションは一気に跳ね上がっていた。
「まずは凛々花の買い物からな」
梓が釘を刺すように言うと、
「ごめんね。あとで寄ろうね」
凛々花が、申し訳なさそうに、でも楽しそうに笑った。
四人は、自然と奥の方へと歩き出す。
――と、その途中。
「うわっ!チャムジィもあるじゃん!!」
弾かれたように前へ出た詩音の手を、すかさずメイがつかむ。
「あとで!」
「お前は子犬か。リードつけるぞ」
梓の言葉に、詩音は「ワン!」と犬の真似をしながら、メイに引き戻されていった。
その様子を、凛々花は少し離れたところで、くすっと笑いながら見ていた。
――と、そのとき。
ふと、足が止まる。
視線の先にあったのは、ひとつの店のショーウィンドウ。
理由は、分からない。
でも、気づけば、自然と目が引き寄せられていた。
「……あ」
小さく息を漏らして、立ち止まる凛々花。
「どうした、凛々花。置いてくぞ」
梓の声に、はっと我に返る。
「ううん、なんでもない」
そう言って、凛々花は小走りで三人に追いついた。
何事もなかったように、四人はまた歩き出す。
目指す先は――奥に見える、ゴールマンの店。
ゴールマン。
言わずと知れたアウトドアブランドの老舗だ。
その関東の旗艦店とも言えるのが、ここ――明島直営店。
豊富なアイテムが揃うだけでなく、法人対応も行っているという。
入口の自動ドアを抜けた瞬間、視界が一気にひらけた。
そこに広がっていたのは、想像していた以上の売り場。
天井は高く、テントやギアが所狭しと並び、まるで屋内に設えられた展示会場のようだった。
「……おお、広い」
さっきまであんなにはしゃいでいた詩音が、思わず息を呑む。
「これ、全部ゴールマン?」
メイがきょろきょろと辺りを見回す。
「どうだろう。ラインナップ多いから、有り得なくもないけど」
梓の言葉に、三人は顔を見合わせる。
四人は入口付近で立ち止まり、しばらくのあいだ、
その圧倒的な空間をただ見渡していた。
「で、まずは何からいく?」
梓が凛々花を見てそう問いかけると、
凛々花は一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。
「うん……ちょっと、待ってて」
そう言って、近くにいた女性店員のほうへ歩み寄る。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
にこやかな声をかけられ、
凛々花は少し背筋を伸ばしてから、遠慮がちに口を開いた。
「あの……伊藤と申しますが、三浦さんは、いらっしゃいますか?」
その瞬間、店員の表情がわずかに変わる。
「あ……はい。少々お待ちください」
そう答えると、店の奥へと早足で下がっていった。
「三浦さん?」
小さく首をかしげて、メイが凛々花を見る。
「うん。ママがね、着いたらそう言ってって」
凛々花はそう答えて、小さく息をついた。
しばらくして、先ほどの女性店員がひとりの男性を連れて戻ってきた。
胸に大きくロゴの入った赤とシルバーのジャケットに、
ワイシャツとネクタイ。
明らかに他の店員とは違う装いの、
四十代前半くらいの細身の男性だった。
凛々花の前で、すっと足を止める。
「伊藤様、ようこそいらっしゃいました。
私、営業企画部の佐久間と申します」
にこやかな笑顔とは裏腹に、
声は落ち着いていて、どこか一線を引いたような響きがある。
佐久間は名刺入れを取り出し、
丁寧な動作で一枚の名刺を差し出した。
受け取った名刺には、こう記されていた。
――営業企画部 主任 佐久間 伸一
「あいにく三浦は本日不在でして……。
お話は伺っておりますので、本日は私がサポートさせていただきます」
そう言って、佐久間は丁寧に頭を下げた。
その光景を、
メイと詩音と梓は、きょとんとした表情で見つめている。
「よろしく……お願いします」
一拍置いて、
凛々花も少し戸惑いながら、ぺこりと頭を下げた。
「冬のキャンプに行かれるということで……
まずはテントからご覧になられますか」
そう言いながら、佐久間は視線を前に向け、テントが立ち並ぶエリアへと歩き出した。
そのあとを、四人がぞろぞろとついていく。
「凛々花は初めてだからな。
あのツーリングドームくらいが、ちょうどいいんじゃないか?」
梓がそう言って、ソロからデュオ向けの定番テントを指さす。
扱いやすそうで、サイズも控えめ。いかにも“最初の一張り”という佇まいだ。
けれど、その言葉をかき消すように、佐久間が一歩前に出た。
「こちらが、我が社の旗艦テント――タフストリームです」
案内されたのは、まるで家のような大きさのファミリー向けテントだった。
淡いグレーの幕体は張りがあり、内部はすでに“部屋”として完成している。
「居住性を重視した二ルーム構造でして、
リビングと寝室をしっかり分けられる設計になっています。
冬場でも快適にお使いいただけるよう、通気と保温のバランスにも配慮しています」
淡々とした説明を受けながら、凛々花とメイ、そして梓はテントの中へ足を踏み入れた。
「でかい……」
思わず、メイが声を落とす。
「でも、なんか快適だよ」
詩音はそう言うと、今度は外観が気になったのか、くるりと外へ出ていった。
「三浦から伺っていた内容ですと、こちらがおすすめです」
佐久間は手を前で軽く重ね、凛々花のほうを見た。
その様子を横目に見ながら、梓は一瞬だけ首を傾げた。
にこやかではあるけれど、どこか噛み合っていない——そんな違和感だった。
一歩近づき、佐久間に向かって問いかける。
「これ……初心者には、少し大きすぎませんか?」
「ですが、大きいものを、というお話でしたので」
佐久間は表情を崩さず、穏やかに、しかしきっぱりと答えた。
梓が視線を凛々花へ向ける。
凛々花は、少しだけ間を置いてから、遠慮がちに口を開いた。
「……ママがね。
大きくて、しっかりしたものがいいって」
「凛々花は、どうなんだ?」
そう聞かれて、凛々花はテントの中をもう一度見回した。
「うん……大きいのは、いいなって思うんだけど……」
言葉の最後が、少しだけ曖昧に揺れる。
そのとき。
「ねー! こっちもいいよ〜!」
詩音の元気な声が響いた。
凛々花たちがタフストリームの出入口から外へ出ると、少し先のトンネル型テントの下で、詩音が両手を大きく広げ、こちらを向いて立っていた。
「これ、大きいけど可愛くない!?」
タフストリームよりひと回りコンパクトな、ダークグリーンのトンネルテント。
三〜四人用と書かれた札が、前室の柱に下がっている。
詩音の声につられるように、凛々花も前室へ足を踏み入れた。
その後ろから、梓とメイが続く。
「あぁ、こちらは——
タフストリームほどの大きさではありませんが、
トンネル・ツーフォというモデルでして……」
佐久間が説明を始めかけた、その瞬間。
「ねー! 見て見て、寝室もたっぷりだよ!
みんな一緒に寝れちゃうよー!」
佐久間の声をかき消す勢いで、詩音が叫ぶ。
インナーテントの中では、詩音がごろん、と転がり、
そのままもう一回転した。
まるで、自分の居場所を見つけた子どものようだ。
前室に立つ凛々花は、その様子を少し離れたところから眺めていた。
それから、テントの中をぐるりと見渡す。
天井の高さ。
前室の広さ。
風が抜ける感じ。
もう一度、詩音のほうを見る。
次に、メイの顔。
そして、梓へと視線が移った。
くすっと、小さく笑ってから、凛々花は言った。
「……どう思う、梓ちゃん」
「うーん」
梓は少しだけ考えてから、正直に言った。
「初心者が使うには、まあ大きめだけど……悪くないと思う」
その言葉に、凛々花はゆっくりとうなずき、にこっと笑った。
「じゃあ……これにします」
佐久間のほうを向いて、そう告げる。
「えっ……あ、はい。かしこまりました」
一瞬、面を食らったように見えた佐久間は、わずかに動揺しながらも、すぐに気を取り直した。
近くの女性店員を呼び寄せ、声を落として指示を出す。
「こちら、グランドシートをお付けいたします」
「おー! お兄さん太っ腹!」
詩音が無邪気に声を上げる。
「もー、詩音!」
メイが恥ずかしそうにたしなめたが、
“お兄さん”が効いたのか、佐久間は一瞬きょとんとしたあと、満更でもなさそうに口元を緩めていた。
そのやりとりに、凛々花は思わず声を立てて笑う。
メイも、思わず苦笑いを浮かべていた。
その横で、梓が少しだけ距離を詰め、
声を落として、ぽつりとつぶやく。
「凛々花のテント……みんなで立てないとな」
どこか、心配をにじませた声だった。
「……そうだね。でも、それも楽しそう」
メイがそう微笑むと、
梓は一瞬、視線を床に落としてから、
「……だな」
と短く答え、わずかに口元を緩めた。
「では次に、寝袋を見ましょうか」
佐久間の案内で移動すると、寝袋コーナーはあっさりと決まった。
勧められたのは、限界温度マイナス十五度のマミー型。
冬用としては安心感があり、凛々花も梓も、特に迷うことなく頷いた。
続いて、マットの並ぶエリアへ。
「ねー、これ!すごいよ!」
先回りしていた詩音が、すでにマットの上でごろごろしている。
厚さ十センチのインフレーターマットに、身体を預けて満足そうだ。
「うちのベッドより寝心地いい!」
その様子に、近くにいた女性店員が困ったように声をかける。
「あの……こちら、展示品でして……」
「あ、すみません!」
詩音は慌てて飛び起きる。
「いや、大丈夫ですよ」
佐久間が軽く手を振り、凛々花のほうを向いた。
「伊藤様も、よろしければ横になってみますか?」
促されて、凛々花もそっとマットに身体を預ける。
「……いいね。詩音ちゃんの言う通り」
その様子を見て、梓も小さく頷いた。
マットも、迷うことなく決まる。
その後はランタンをひと通り見て回り、
四人は最後に、チェアの並ぶコーナーへと向かった。
「チェアはロータイプとかハイタイプがありますけど……まずは、座ってみてください」
佐久間に促され、凛々花はいくつかのチェアに順番に腰を下ろした。
「さすがゴールマン、座り心地いいね」
隣のチェアに腰かけたメイが、感心したように言う。
「これ、映画監督が座るやつみたい!」
詩音はディレクターズチェア風の一脚にどっしり座り、ご満悦だ。
「いかがでしょう。座り心地は」
佐久間にそう尋ねられ、凛々花はゆっくり立ち上がった。
「えーと……あの……」
少し言葉を探すように視線を落とし、間を置いてから、静かに口を開く。
「チェアは……今日は、いいです」
その声は小さかったが、迷いと決断が混じったような、不思議な響きがあった。
うつむき加減のその表情を、梓とメイは、どちらも見逃さなかった。
ーーー
「カードでお願いします」
凛々花がそう言って会計をしていると、
「あれ見て! 可愛くない!?」
詩音はカラフルなリュックが並ぶコーナーを見つけるなり、弾かれたように駆け出した。
「おい、詩音!」
「いっちゃった…」
梓とメイは、思わず顔を見合わせて苦笑する。
ふと、梓はレジのほうへ視線を向けてから、ぽつりと口を開いた。
「凛々花……あれで良かったのかな?」
「そうだね……でも、テント決めたときとか、うれしそうだったし」
少し考えるように間を置いてから、
「まあ……な」
と、梓は小さく息をついた。
そのとき、レジの先のリュックコーナーで、詩音と佐久間がなにやら話し込んでいるのが目に入った。
身振り手振りを交えて話す詩音に、佐久間は思わず声を立てて笑っている。
「……あいつ」
「……詩音らしいね」
やがて、ひと通り話し終えたのか、詩音が満面の笑みで戻ってくる。
「ねえねえ! 佐久間さんね、買った荷物、預かってくれるって!
ゆっくりアウトドアヴィラージュを楽しんでいってって!」
「それは助かるね」
メイが梓を見ると、梓はふっと力を抜いたように笑った。
「お待たせ〜」
会計を終えた凛々花が、楽しそうに輪に加わる。
その表情を見て、梓もメイも、さっきの迷いが少しだけ遠のいた気がしていた。
ーーー
ゴールマンを出ると、外の空気が少しだけ軽く感じられた。
「楽しかったねー!」
詩音が大きく伸びをしながら言う。
そんな詩音を、凛々花はどこか安心したような笑顔で見ていた。
その横に、梓がそっと近づく。
「……チェアは、いいのか?」
凛々花は一瞬だけ言葉を探すように視線を落とし、それから梓を見て、遠慮がちに微笑んだ。
「あのね……ちょっと、寄ってってもいい?」
その一言に、メイと梓は顔を見合わせて、軽く頷いた。
⸻
凛々花に案内されて向かったのは、フェローピークの店舗だった。
国内メーカーのアウトドアブランドで、入口の脇には、どこか洗練された雰囲気のキャンピングトレーラーが置かれている。
そのすぐ横のショーウィンドウ。
一脚のチェアが、静かに展示されていた。
先ほど、凛々花が思わず足を止めた――あの椅子だった。
店内に入ると、広いフロアの奥、チェアコーナーに同じものが並んでいる。
「これ……」
凛々花が、ほとんど独り言のようにつぶやく。
「ああ、バンブーチェアか」
梓が小さく言った。
竹のフレームは、濃すぎない落ち着いたブラウン。
張られた帆布は、やわらかなグレー。
派手さはないのに、そこにあるだけで、空間の音が少しだけ静まったような気がした。
凛々花は、少しだけ迷ってから、その椅子にそっと腰を下ろした。
包み込まれるような感触。
張りすぎず、沈みすぎない。
まるで、ハンモックに身を預けたときのような、穏やかな心地よさだった。
背もたれに身体をあずけた、その瞬間。
やさしい風が、ふっと吹き抜けたような気がした。
凛々花は身体を起こし、小さく息を吐いてから、静かに言った。
「……これにする」
遠くを見るような目で、でもどこか確かな表情で、微笑む。
その言葉に、メイは胸の奥が少しだけあたたかくなるのを感じた。
「うん。いいと思う……凛々花ちゃんっぽい」
メイがそう言うと、
「ああ、悪くないと思う」
と、梓も短く続けた。
一方で――
「やっぱ渋いわー!」
詩音はすでにアパレルコーナーに突撃し、服を手に取っては楽しそうに眺めている。
その様子を見て、三人は顔を見合わせて、思わず笑った。
ーーー
フェローピークをあとにしたころには、時計は午後1時を回っていた。
「お腹すいたね」
メイがそう言うと、
「うん」
と、凛々花が素直にうなずく。
「そこのカフェで、何か食べてくか」
梓がそう言いながら視線を巡らせた、そのときだった。
「あれ……詩音は?」
気づけば、さっきまでいたはずの姿が見当たらない。
「……あそこ」
凛々花が、少しだけ困ったように笑って指をさす。
その先では、
「ねえ、あのお店、面白そうだよー!」
声だけを残して、詩音が軽やかに駆け出していくところだった。
「まったく……」
梓は小さくため息をつきながらも、どこか諦めたような顔で後を追う。
その背中を見送りながら、メイと凛々花は顔を見合わせ、思わず笑った。
「行っちゃったね」
「……行っちゃったね」
ふたりはそう言って、梓のあとを、のんびりとついていった。
詩音が飛び込んでいったのは、アウトドア雑貨が所狭しと並ぶセレクトショップだった。
ひと足遅れて中に入ると、棚という棚にカラフルな小物や不思議な形の道具がぎっしり詰まっている。
木製の食器、エナメルのマグ、奇妙な形の小さな鉄製スタンド――
見ているだけで、用途より先に「楽しそう」が浮かんでくる。
「……カラフルで楽しいね」
凛々花が、思わず声を落として言った。
「ねえ、これって何に使うの?」
メイが手に取ったのは、見慣れない形の金属製アイテム。
「それは焚き火用のトングだな」
梓が即座に答える。
「……トング、だな」
凛々花が、少しだけ間を置いて、同じ言い回しをなぞる。
その繰り返した声がどこかおかしくて、
梓とメイは顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
「ところで、詩音はどこだ?」
梓があたりを見まわしても、姿が見当たらない。
「あ…」
メイがぽつりと言う。
詩音は何かを手に持ち、
しれっとレジに並んでいた。
レジから戻ってきた詩音が、にこにこしながら言う。
「お待たせ〜」
「いや、待ってないし」
梓が即座にツッコミを入れる。
「もー、梓ちゃんの、いけず〜」
クスクスッと笑うメイと凛々花。
「お腹すいたね〜。どこかで食べてかない?」
と、詩音。
「お前なぁ……人の話、聞いてなかったろ」
その瞬間、メイと凛々花は堪えきれずに笑い出した。
つられて、梓も吹き出す。
ーーー
モンレル直営のカフェレストランは、木目を基調にした明るい店内だった。
大きな窓からは冬のやわらかな光が差し込んでいて、外の冷たい空気が嘘みたいに感じられる。
四人は窓際のテーブルに並んで腰を下ろし、それぞれ注文を済ませた。
「ふぅ……ちょっと落ち着いたね」
メイがコートを脱ぎながら言うと、詩音はすでにソワソワした様子でバッグに手を伸ばしていた。
「ねえ、詩音。さっき、何買ったの?」
「え、見る?」
にやっと笑ってから、詩音は小さく間を取る。
「ジャジャーン」
テーブルの上に置かれたのは、やたらとゴツい、大きなカラビナだった。
「……これ、登山用だよな?」
梓が眉をひそめる。
「え? リュックだよ。ほら、シェラカップとかランタンとか、ぶらさげるの。
イケてるキャンパーみたいじゃん!」
得意げに言う詩音に、メイは思わず苦笑いする。
「いやいや、そんなに大きくなくても……」
今度は凛々花が身を乗り出した。
「あとは?」
「これっ!」
次に取り出されたのは、花柄のポーチ。
小さいような、大きいような、なんとも言えないサイズ感だ。
「これに化粧品とか入れたり……」
「……大きすぎない?」
「じゃあ、クッカーとか」
「それだと、小さすぎるような…」
メイが率直に言うと、詩音は一瞬だけ言葉に詰まった。
「え……そうかなぁ」
「これ、絶対使わなくなるやつだ……」
梓がぽつりと言う。
その横で、メイが梓のほうを見て、少しフォローするように言った。
「でも、服とか衝動買いしなかっただけでも、良しじゃない?」
「そうそう! それでね——」
詩音は待ってましたとばかりに、さらにもう一枚取り出す。
「これも買ったよ」
水色のトレーナー。
前にも後ろにも、レゲエのDJらしき人物の顔が、どーんとプリントされている。
「……なんだ、その顔」
「え? これ、かわいいでしょ〜」
そう言って、詩音は自分の身体に当ててみせる。
メイは一瞬、言葉を失った。
(……私、街じゃ着られない……)
そう思ったけれど——
「かわいい!」
凛々花が、ぱっと表情を明るくして言った。
「でしょ! 色違いもあったよ!」
はしゃぐ詩音と凛々花。
「……よくわからん」
梓が小さく呟く。
「さすが、ポジティブ暴走娘だけある」
「その呼び名、詩音にぴったりだな」
梓の言葉に、詩音が目を見開いた。
「あー! メイちゃん、みんなにバラしたぁ〜!」
その声に、テーブルの空気が一気にほどける。
笑い声が重なって、四人の間には、あたたかい時間が流れていた。
◇◇◇
帰り道。
白いレクサスの後ろを、梓のホンダ・レブルが一定の距離を保って走っている。
信号で止まるたび、後部シートの詩音が振り返っては、ぶんぶんと手を振った。
ラゲッジスペースには、今日そろえたキャンプ道具がぎっしりと収まっている。
テントに寝袋、マットにランタン。
そして、その横に、少しだけ存在感を主張するバンブーチェア。
「うしろ、キャンプ道具でいっぱいだね」
詩音がそう言って、感心したように目を丸くする。
「案外、重いんだね。キャンプ道具って」
ハンドルを握りながら、凛々花がぽつりとつぶやいた。
そう言いながら、どこか満足そうに口元をゆるめる。
その横顔を、助手席のメイは静かに見ていた。
「あのチェアも、かさばるけど……正解だと思うよ」
「うん」
短い返事だったけれど、迷いはなかった。
(凛々花ちゃん、ずいぶん変わったな)
メイは、初めて会った頃の、つかみどころのなかった凛々花の姿をふと思い出す。
どこか遠くを見ているようで、決断を人に委ねがちだった、あの頃の彼女。
「座ってみてね。ふわっと包まれたんだぁ……」
凛々花の声は、少しだけ弾んでいた。
「そうそう。座ってみなきゃ、わからないもんね」
後部シートから、したり顔で詩音が口を挟む。
「選んでるとき、いなかったくせに」
メイが茶目っ気たっぷりに言うと、
「デヘヘ……」
と、詩音は照れ笑いを浮かべた。
少し間があって、メイが思い出したように言う。
「ところで詩音、ガスボンベとホカロンは買ったの?」
「……うわっ、忘れた!」
「……やれやれ」
助手席のメイが小さく息をつくと、
次の瞬間、車内に笑いが広がった。
レクサスは、その笑い声を乗せたまま、夕方の道を静かに走っていった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!




