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第144話 AI研修!


研修当日の朝。


電車の揺れに身を預けながら、詩音は落ち着かない様子でスマホを握りしめていた。

膝の上に置いたその画面には、何度も開いては閉じた研修案内のメールが表示されている。


――集合時間、10時。

――場所、ル ポ ドゥ レヴ・コーポレーション本社。


(……合ってるよね。うん、合ってる)


確認するたび、内容が変わるわけでもない。

それでも不安になると、指先が勝手にスクロールしてしまう。


同じ文面を、もう何度目だろう。

自分でも苦笑してしまいそうになるのに、やめられない。


「……教官、怖いかも……」


ぽつり、と小さな声がこぼれた。


向かいの席に座っていたサラリーマンが、ちらりと不思議そうな視線を向けたけれど、詩音はそれにも気づかない。

それほどまでに、頭の中は研修のことでいっぱいだった。


(知らない人ばっかりだし……

 なんなら、頭よさそうな人ばっかりだし……)


想像が先に膨らんで、胸の奥がきゅっと縮む。


そのとき、ふと気づく。


「あ……」


息を止めたまま考え込んでいたことに気づいて、詩音は慌てて深呼吸をひとつ。

ゆっくり、ゆっくりと息を吐く。


(大丈夫、大丈夫……)


そう言い聞かせるように、もう一度だけスマホを握り直した。


◇◇◇


ソレリア北駅。


ホームに降り立った瞬間、空気がふっと切り替わった気がした。

再開発された街特有の、広く整った、無駄のない景色。


ガラス張りの建物。

きれいに並ぶ街路樹。

行き交う人たちの足取りも、なぜかみんな颯爽として見える。


「……都会だ……」


詩音は思わず、ぽつりと呟いた。


慌ててスマホを取り出し、ゴーグルマップを起動する。


(えっと……ここを出て、右……で、徒歩5分……)


画面と現実の景色を交互に見比べながら、慎重に歩く。

ちゃんと合っているはずなのに、なぜか不安で、何度も立ち止まりそうになる。


そうして少し進んだところで——

視界の先に、ひときわ目を引く建物が現れた。


コンクリート打ちっぱなしの外壁。

そこにさりげなくあしらわれたレンガ。

無骨なのに、どこか洗練されていて、静かな存在感を放っている。


「……え、ここ……?」


思わず足が止まる。


入口脇のプレートに刻まれた文字を見て、詩音はごくりと喉を鳴らした。


――ル ポ ドゥ レヴ・コーポレーション本社。


案内メールに書かれていた社名と、目の前の建物がぴたりと一致した瞬間。

心臓が、どくん、と大きく跳ねる。


(む、無理かも……)


じわじわと押し寄せてくる圧。


(思ってたより、ちゃんと“会社”だ……)


くるっと踵を返し、思わず来た道を振り返る詩音。


(……帰ろうかな)


一歩、踏み出しかけて。


(いやいやいや! ダメでしょ!)


自分で自分にツッコミを入れ、慌てて首を振る。


もう一度、深呼吸。


「はぁ……」


本社ビルを見上げると、緊張はむしろ増していく。

背筋が勝手に伸びて、肩にぎゅっと力が入る。


詩音はスマホをぎゅっと握り直し、小さく、自分に言い聞かせた。


「……だ、大丈夫。

 今日はただの研修、だから……」


声に出してみると、ほんの少しだけ現実味が増した気がした。


そうして、意を決したように。

詩音は本社ビルの入口へと、ゆっくり歩き出した。


ーーー


建物に入ると、すぐ正面に受付カウンターがあった。

ガラスと木を組み合わせた落ち着いたデザイン。

そこに、清楚な雰囲気の女性が座っている。


空間全体が、静かに、きゅっと引き締まった空気をまとっていた。


完全に気後れした詩音は、バッグの紐をぎゅっと握りしめる。


(ここで名前言うだけ……

 言うだけ……)


一度喉を鳴らし、カウンターへ近づいた。


「えっと……あ、あの……」


受付の女性が、にこやかに顔を上げる。


「はい」


「あ、あじゅさわ、しおんでしゅ……」


(げっ、名前で噛んだ……)


「あの……AIの、け、研修で……」


(うあ……噛み噛みだ……)


内心で盛大に崩れ落ちていると、受付の女性はまったく気にした様子もなく、端末を操作する。


「小豆沢様ですね。研修の方ですね。

 本日は一階の《le Lienル・リヤン》で行います。こちらへどうぞ」


「あ、はいっ!」


声だけは無駄に元気だな、と、

詩音は自分で自分にツッコミを入れながら、案内に従った。


廊下に出ると、さらに“会社感”が襲ってくる。


落ち着いた服装の人たちが足早に行き交い、

タブレットを見ながら歩く人、電話で静かに話す人。

すれ違うたび、ふわっとコーヒーの香りが漂った。


(うわ……みんな、仕事できそう……)


背中が丸まりそうになるのを、ぐっとこらえる。


(副主任なんだから……一応……)


そう自分に言い聞かせながら、案内された扉の前に立つ。


「こちらが研修会場です」


そう言われて扉を開けた瞬間——

詩音は、思わず足を止めた。


「……え?」


そこに広がっていたのは、

“会議室”でも“研修室”でもなかった。


天井の高い、明るい空間。

無造作に置かれた木のテーブルと椅子。

奥には、まるで本物のカフェのような厨房設備。

壁際には本や写真、さりげないアートが並んでいる。


(……ここ……会社……だよね?)


頭の中に「?」が三つほど浮かぶ。


案内プレートに、小さく記された文字が目に入った。


―― ル・リヤン

“つながり”という意味のスペース。


理由はわからないけれど、

さっきまでのガチガチだった緊張が、

ほんの少しだけ、ふわっとゆるんだ気がした。


詩音はきょろきょろと空間を見渡しながら、

そっと一歩、足を踏み入れた。


ル・リヤンには、すでに人が集まり始めていた。

ざっと数えて、十数名。


(……多くない?)


ラフォーレのカフェは全部で八店舗のはずだ。

きっと本社の若手社員や、別店舗のスタッフも混ざっているのだろう。

見渡す限り、知らない顔ばかり。


(むり……

 知らない人オンリーは、ほんと無理……)


詩音は空いている端の席を探しながら、

そっと、壁際へにじり寄る。


と、そのとき——


「あ! 詩音さん?」


明るい声に振り向いた瞬間、

そこにあったのは、見覚えのあるやさしい笑顔だった。


「あ……!」


——松岡明美。

ラフォーレのオープニング応援スタッフのひとり、あの“明美ちゃん”。


変わらない、ふんわりとした雰囲気。

少し首をかしげた仕草まで、記憶のままだ。


「やっぱり! 詩音さんですよね。お久しぶりです」


「明美ちゃん……!」


その一言で、詩音の肩から力が抜けた。

同時に、思わず明美にすがりつく。


「よかったよ〜……

 知ってる人がいたよ〜……」


安心しすぎて、ほとんど泣き声だ。


「ふふ……今日はよろしくお願いしますね」


そう言って、そっと詩音を支えながら距離を整える明美。

にこっと浮かべた笑顔は、相変わらずやさしい。


その声のトーンも、立ち姿も、

すべてが“安心”でできているみたいだった。


「もう……明美ちゃん、天使だよ〜……」


詩音は両手で、ぎゅっと明美の手を握る。


「詩音さん、相変わらずですね」


ラフォーレで一緒に働いていた頃と、何ひとつ変わらない詩音に、

明美はくすっと微笑んだ。


「詩音さん、もう席、決めました?」


「ううん、まだ」


「じゃあ、よかったら一緒にどうですか?」


「ぜひ!」


ほんの数分前まで、

“知らない人だらけの異世界”だったこの場所が、

一瞬で“知ってる場所”に変わった気がした。


気がつくと、詩音の鼻歌が、ふっとこぼれている。


テーブルは、いわゆる研修用の長机ではなく、

カフェで使われていそうな木のテーブルが、ゆったりと配置されていた。

マグカップとメモ帳が用意され、どこかワークショップのような空気だ。


「前、行っちゃいます?」


明美が小さな声で言う。


「行っちゃおうか!」


ついさっきまでの“壁際待機”が、嘘みたいだった。


明美と並んで一番前の席に腰を下ろした瞬間、

詩音の中に張りつめていたものが、すうっとほどけていく。


(はぁ……よかった……

 ひとりじゃなくて……)


そんなことを考えているうちに——

研修開始時刻ちょうど。


入口のドアが、静かに開いた。


カツ、カツ、と迷いのない足音。


入ってきたのは、

きっちりとしたスーツに身を包んだ女性と、

その少し後ろを歩く、ラフな格好の男性だった。


見覚えのある、背筋の伸びた立ち姿。

鋭すぎないけれど、ぶれない視線。

その場に立っただけで、空気がすっと引き締まる。


(……あ)


詩音の脳内で、そう叫んだ次の瞬間。


「美智子さん!!」


反射的に立ち上がって、声を上げていた。


——林美智子。

明美と同じく、ラフォーレのオープニング応援スタッフの中でも、

リーダー的存在だった人。


(やばっ……声、出ちゃった……)


研修スペースが、ぴたりと静まる。


美智子は一瞬きょとんとした表情を浮かべ、

それから詩音を見て、すぐに状況を理解したようだった。


「はい、そこ。立たなくていいから、座って」


ビシッ、と指で示され、

詩音は慌てて腰を下ろす。


「す、すみません……!」


顔に、一気に熱が集まる。


けれど——

その直後。


美智子の口元が、ほんのわずかに緩んだように見えた。


「みなさん、おはようございます。

 本日、講師を務めます、林美智子です。よろしくお願いします」


引き締まった声。

会場から、ぱらぱらと拍手が起こる。


その少し後ろに立っていた、三十歳前後の男性が軽く会釈した。


「システム開発部の加持です。

 本日は、システムの技術面を中心に説明を担当します」


その横で、美智子が小さくうなずく。


拍手をしながら、詩音はそっと明美と視線を交わした。

明美が、にこっと小さく笑う。


(……知ってる人、二人もいる)


詩音の胸の奥で、

「安心」と大きく書かれた、ピンク色の風船が

ぷくーっと膨らんでいく。


こうして——

詩音にとって、長くて短い一日。

本社でのAI研修が、静かに幕を開けた。


「では、始めます」


強く、けれど無駄のない美智子の一言で、

研修ルームの空気が、さらにきゅっと引き締まった。


詩音は、無意識のうちに背筋を伸ばしていた。


(……この感じ)


ラフォーレのグランドオープン。

開店直前、スタッフ全員が持ち場につく直前の、

あの、張りつめた空気。


——ああ、そうだ。

あのときも、こんなふうに胸が少しだけ高鳴っていた。


(ちょっと……懐かしいかも)


そんなことを思いながら、

詩音は小さく、口元をゆるめた。


「まずは、私から説明します」


美智子はそう言って、スクリーンの方へ視線を向ける。


「従業員支援システム

 Repos AI Conciergeレポス・エーアイ・コンシェルジュ——

 通称、“レポコン”です」


隣に立つ加持が、慣れた手つきで操作を始め、

画面にいくつものウィンドウが映し出された。


「主な役割は、

 シフト作成の補助、業務提案、

 そして、現場の負荷を“見える形”にすることです」


ふんふん、と、どこか呑気にうなずきながら聞いていた詩音。


続いて加持がシステムの運用方法について説明をはじめた。


加持の声は穏やかで、説明も丁寧。

——なのに。


(……あれ?)


気づけば、その説明のスピードが、思った以上に速い。


「条件」「優先度」「制約」「再計算」


聞き慣れない単語が、

詩音の頭の中で、わらわらと渋滞を起こし始める。


(ちょ、ちょっと待って……)


必死にメモを取ろうとするが、

ペン先が、思考のスピードにまったく追いつかない。


頭の中で、ぷしゅう、と湯気が立ちのぼる。


ふと隣を見ると、

明美は相変わらず涼しい顔で、さらさらとメモを取っていた。


(……さすが天使)


そんなことを考えているうちに、


「……概要説明は以上です」


加持がそう言って、

資料をトントンと揃えながら話を締めくくった。


「いろんなこと、やってもらえるね」

「なんか、楽できそうじゃない?」


部屋の隅の方から、そんな声が小さく聞こえてくる。


そのときだった。


美智子が、一歩、前に出た。


「勘違いしないでください」


低く、落ち着いた声。


それだけで、空気が変わる。


「この会社のAIは、

 あなたたちの“代わり”ではありません」


低く、はっきりとした声。


「“楽をするため”に、使うものでもない」


その一言で、

さっきまで小さくざわついていた研修ルームが、

すっと静まり返った。


詩音のペン先が、ぴたりと止まる。


「——あなたたちの“相棒”です」


言い切るように、迷いなく。


その言葉は、

釘を打つような強さで空間に落ちた。


(……相棒かぁ。

ひとりじゃなくなる、ってことだよね。

それなら……ちょっと、心強いな)


詩音の胸の奥が、ふっと、あたたかくなる。


冷たいもの、という感じはしなかった。

仕事を奪われる、という不安とも、少し違う。


一緒に考えて、

一緒に支えてくれる存在。


そう思った途端、

さっきまで遠く感じていた“レポコン”が、

なんとなく身近に感じられた。


ーーー


ひと通りの操作説明が終わったところで、

加持が穏やかな声で言った。


「では、実際に触ってみましょう」


その合図と同時に、

各テーブルに置かれていたタブレットに、参加者たちが一斉に手を伸ばす。


希望条件を入力。

スタッフの制約を設定。

——そして、自動シフト生成。


「……あ、出た」


誰かの小さな声をきっかけに、

画面いっぱいに、すっとシフト表が表示される。


「おお……」

「早っ……」


あちこちから、抑えたどよめきが漏れた。


詩音も、思わず前のめりになる。


(すご……

 いつも頭を抱えてたシフト作りが、こんなに簡単に……)


指先を、そっと画面に添えた。


——その直後。


「あれ? あれあれ?」


タブレットが、ぴたりと動かなくなった。


(え……なに?

 私、今なに押した……?)


もう一度タップ。

反応、なし。


(やばい、やばいやばい……)


一気に血の気が引く。

背中に、ひやっと冷たいものが走った。


「……どうした?」


静かな声。


美智子だった。


詩音は、びくっと肩を跳ねさせる。


「す、すみません!

 たぶん……変なとこ、触っちゃって……!」


美智子は何も言わず、

詩音のタブレットを覗き込み、

迷いのない手つきで操作をひとつ戻した。


次の瞬間——

止まっていた画面が、すっと動き出す。


「……おぉ……」


思わず漏れた声と一緒に、

詩音は大きく息を吐いた。


「た、助かった……」


胸を撫でおろす詩音に、

美智子は淡々と、けれどきっぱりと言う。


「焦らなくていい。

 間違えるための研修だから」


その言葉が、

胸の奥に、じん、と染み込んだ。


(……そんなこと、よく言われてたな)


ラフォーレのグランドオープン前。

厨房で失敗して、手が止まったとき。


——「大丈夫。次、いこ」


そう言ってくれた、美智子の声と重なる。


はじめてだらけで、

毎日が手探りだった、あの頃。


(……なんか、懐かしい)


まだ分からないことは山ほどある。

正直、頭の中はパンパンだ。


でも——


(ちゃんと、ついていこう)


詩音は、ぎゅっとペンを握り直した。


タブレットの画面には、

少しだけ見慣れてきたシフト表。


その向こうに、

自分の新しい役割が、ぼんやりと見え始めていた。


ーーー


「午前はここまで。

 午後は13時から再開するので、各自、昼食をとって戻ってきてください」


美智子のその一言に、

研修ルームのあちこちから、ふぅ……と安堵の息が漏れた。


「美智子さん!」


荷物をまとめて出ていこうとする背中に、

詩音と明美が同時に声をかける。


「詩音、明美。久しぶりだな」


振り返った美智子は、相変わらず背筋がぴんと伸びている。


「まさか、美智子さんが講師だなんて思わなかったよ〜」


「研修の手引きに、ちゃんと書いてあっただろ?」


「え? そうなの……明美ちゃん、知ってた?」


「……はい」


一瞬の間。


「ちゃんと読んどけよな」


「あはは……」


デヘヘと照れ笑いする詩音の横で、明美が少しだけ苦笑する。


「美智子さん、代官山のお店に戻られたんだと思ってました」


「一度はな。でも、去年の十一月に本社から声がかかって」


「そうだったんですね」


「午後からも大変だぞ。今のうち、しっかり休んどけ」


「はい!」


詩音と明美の声がきれいに揃う。


美智子は軽く手を上げると、そのままル・リヤンを後にした。



正午。


さっきまでの張りつめた空気が嘘みたいに、

ル・リヤンは一気ににぎやかになった。


研修参加者たちが、それぞれ持参したお弁当やテイクアウトを広げ、

あちこちで小さな会話が生まれている。


大きなガラス窓から差し込む冬の日差し。

木のテーブルと、少しだけ低めの椅子。

奥には、カフェの厨房みたいな設備がさりげなく並んでいる。


(……ほんと、会社っぽくない)


でも、不思議と落ち着く。


詩音は、そんな空間に少し肩の力を抜きながら、

明美と並んでテーブルについた。


「でもさ……相変わらず、ビシッとしてたよね、美智子さん」


「はい……でも、今日はちょっとだけ優しかった気もします」


「うんうん。そこがまた怖いんだよ」


ふたりで、くすっと笑う。


しばらくして、詩音が思い出したように顔を上げた。


「そういえばさ、明美ちゃん。

 今は……ル・ベルソゥだよね?」


カフェ・ル ベルソゥ・デ・ワーグナー。

青山にある、ル ポ ドゥ レヴ社の四店舗目のカフェだ。


「はい。戻ったら、いきなり

 “今日から副主任ね”って言われて……」


「えっ」


詩音の箸が、ぴたりと止まる。


「それ、さらっと言ってるけど……すごくない?

 出世したねー!」


ぱちぱちと、軽く拍手をすると、

明美は少し照れたように首をすくめた。


「全然、そんな……まだまだです」


「いやいや。副主任仲間じゃん」


詩音が親指を立てると、

明美も、少し迷ってから同じポーズを返す。


ふたりで、ぷっと吹き出した。


「なんか……詩音さんと話してると、思い出します。ラフォーレ」


「いろいろあったからねぇ」


「はい……栞事件とか」


「わっ、やっぱそれ?」


「はい。赤いリュック背負って、

 バイクの後ろに掴まって入ってきた時、

 お店の中、すごいことになってました」


「あはは……」


「美智子さんなんて、

 『詩音が来たぞ!』って大声で叫んで。

 メイさんと沙織さんが、すごい勢いで飛び出してきて……」


「そんな、だったんだ……」


明美は、ふっと表情をゆるめた。


「……みなさん、元気ですか?」


「メイちゃんも、沙織ちゃんも、ユキちゃんも。みーんな元気だよ」


「……そうなんですね。よかった」


その一言に、

明美の声が、ほんの少しだけやわらいだ。


お弁当をつつきながら、

研修の話、カフェの話、年末年始の話。


朝の、あのド緊張が嘘みたいだ。


(……午後も、がんばるぞ)


詩音は最後のひと口を、少しだけゆっくり味わった。


ーーー


午後の研修が始まると、

ル・リヤンの空気が、ほんの少しだけ切り替わった。


午前中の座学とは違い、

各テーブルにタブレットが配られ、

実際に操作しながら進める実習に入る。


「では、午後は

 レポス・AI・コンシェルジュの実演と演習です」


林美智子のそのひと言に、

詩音は反射的に背筋を伸ばした。


隣の席では、明美が真剣な顔で画面をのぞき込んでいる。

詩音もタブレットに視線を落とし、そっと息を吸った。


(よし……がんばるぞ)



詩音は、表示された指示に従って、

ひとつずつ条件を入力していく。


・平日は夕方が混む

・土日は来客が多い

・詩音は副主任

・ユキは静かに回せる

・沙織はピーク対応が強い


「……えっと、こんな感じかな」


恐る恐る、

「自動作成」のボタンをタップした、その瞬間。


タブレットから、声がした。


「条件を確認しました。

 無理のないシフトを提案します」


「うわっ! しゃべった!」


思わず声が裏返る。


「あ、それ、音声モードですね」


すぐ近くで、システム開発部の加持が穏やかに言った。


「音声モードなんて、あるんだ……」


詩音がぽそっとつぶやいた、その次の瞬間。


「はい。音声での入力も可能です」


今度は、

はっきりと中性的な声が返ってきた。


「へぇ〜……じゃあさ」


詩音はにやりと笑って、タブレットに話しかける。


「あなたのお名前は?」


「私は、レポス・AI・コンシェルジュです。

 あなたの業務を支援します」


「ほ〜。じゃあ、好きなものは?」


「カフェの雰囲気と、コーヒーの香りです」


「うはっ、粋なこと言うね〜。

 じゃあ、好きなタイプは?」


一瞬の間。


「あなたのような、元気な方です」


「やだ〜、この子ったら」


詩音は体をくねくねさせて、

大げさに照れてみせる。


「そこ、レポコンで遊ばない!」


鋭く飛んできた、美智子の声。


「わっ、怒られた……」


肩をすくめる詩音に、

タブレットがまた、淡々と答える。


「怒られるのは、いつものことですね。詩音さん」


「うわっ、名前で呼ばれた!」


そんなレポコンと詩音のやりとりに、

周囲から、くすくすと笑い声がこぼれた。


詩音は、少し照れたように頭をかきながら、

周りを見渡す。


(……すごいな、AI)


ちょっと生意気で、

ちょっと空気も読めて。


でも、ちゃんと支えてくれる存在。


(相棒、か……)


さっき美智子が言った言葉が、

胸の奥で、また静かに響いた。


ーーー


15時。


ル・リヤンに、ほんの少しだけ張りつめていた空気が、ふっとゆるんだ。


「では、以上で本日の研修は終了です」


林美智子の落ち着いた声が、空間に静かに響く。


「今後のスケジュールは、各店舗の店長宛に共有してあります。

試験運用を経て、本稼働に移行してください。

本日は、お疲れさまでした」


ぱちぱち、と拍手が起こり、

それと同時に、あちこちから安堵の息がこぼれた。


「……うっわー、疲れたね」


椅子にもたれながら、詩音が大きく伸びをする。


「頭、パンクしそうです……」


明美も苦笑しながら、メモ帳を閉じた。


「ねえ、明美ちゃん。

このあと、ちょっとお茶してかない?」


「えっ、いいんですか?」


「ちょっとだけだよ〜。研修完走した記念にさ」


ふたりで立ち上がろうとした、そのとき。


「——ラフォーレ リーヴルスの代表の方」


加持の声に、詩音の動きが、ぴたりと止まる。


「このあと、AI書籍管理システム

LibrAリブラ》の研修がありますので、こちらに残ってください」


「……え?」


詩音の口から、思わず間の抜けた声が漏れた。


「ま、まだあるの……?」


そばに立っていた美智子が、きっぱりとうなずく。


「ラフォーレはブックカフェだからな。

リブラは、かなり重要なシステムだ」


「ひえ〜……」


詩音の肩が、がくりと落ちる。


「じゃあ……」


明美は少し申し訳なさそうに微笑んだ。


「お茶は、また今度ですね。詩音さん」


「うん……ごめんね」


「お先に」


そう言って頭を下げる明美に、詩音は小さく手を振った。


参加者たちが次々と帰っていく中、

詩音だけが、ぽつんと席に残される。


(……私だけ、居残りだ……)


けれど、不思議と、嫌な気持ちはしなかった。


加持が、詩音のテーブルに一冊の資料を置く。


表紙には、

『AI書籍管理システム “LibrAリブラ”』

と書かれている。


そっと手に取る詩音。


(リブラ……どんなシステムなんだろう)


胸の中に、ほんの小さな好奇心が芽生えていた。

詩音の気持ちは、もうすっと前を向いている。


◇◇◇


LibrAリブラの研修を終え、外に出た頃には、

ソレリア北の街は、すっかり夕闇に包まれていた。


ビルのガラスに映る灯り。

足早に帰路につくサラリーマンたち。

昼間とはまた違う表情を、この街は見せている。


「……つかれたぁ」


小さくつぶやきながら、詩音は歩く。


朝は、

怖くて、緊張して、逃げ出したくなった。


知らない場所。

知らない人。

知らないシステム。


でも。


(……来てよかったかも)


頭はパンパンで、

体も正直、くたくただ。


それでも、

胸の奥には、じんわりとした温度が残っている。


ラフォーレの副主任として配属された頃。

何も分からなくて、

必死で、がむしゃらだった、あの頃。


(……ちょっと、似てるな)


ふと足を止めて、夜の街を見上げる。


「新しい……相棒、かぁ」


レポコン。

リブラ。


名前も、仕組みも、まだ完璧には分からない。


でも。


「……がんばるぞー」


誰に聞かせるでもなく、

少しだけ元気な声で、そう言ってみる。


その声は、

冬の夜の空気に溶けて、

静かに、前へと進んでいった。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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