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第143話 詩音の不安、メイの迷い


1月6日。

ふれあい文学館の仕事始め翌日。


朝の空気はまだどこか正月の名残を引きずっていて、街並みも通勤する人の足取りもゆっくりだった。


今日はラフォーレでの仕事。

メイは白い息を吐きながらラフォーレの裏手へ回り、従業員入口のドアをそっと開けた。


更衣室の電気はすでに点いている。

ほんのり漂う柔軟剤の匂い、ロッカーの開閉音。

懐かしい“カフェの朝の空気”が胸に広がる。


「おはようございます」


声をかけて入ると、ロッカー前に詩音がぽつんと立っていた。

いつもの元気が……ない。


「あ、メイちゃん……おはよう」


間延びした返事に、メイは眉をひそめた。


「なんか元気なくない?」


詩音はロッカーの扉をもたれかかるように閉め、しょんぼりと肩を落とす。


「JRの研修に行くことになったんだよ」


「JR?って、鉄道会社……?」


その瞬間。


「それ、AIの間違い」


影のようにスッと現れたユキが、淡々と訂正した。


「あ、ユキちゃん。あけましておめでとう」


「おめでとうございます」


ユキは淡々と頭を下げ、すでに着替えを終えて制服の裾を整えながら続ける。


「AI管理システム、来月から運用するみたいで……」


「あのシステム、とうとう実用化するんだ」


メイがロッカーを開けながら頷くと、詩音がすかさず悲鳴のように叫ぶ。


「そう! その研修なんだよ〜!」


ユキは表情一つ変えずに言った。


「昨日はあんなに気合い入ってたのに」


「だってユキちゃん、知らない人ばっかりなんだよ! 教官、怖いかもなんだよ!」


「出た出た、詩音の“怖い人恐怖症”が」


メイがシャツを取り出しながら笑う。


「そういえば梓ちゃんと初めて会ったときも詩音、びびってたもんね」


「だって! 怖そうな人、苦手なんだよ!」


なぜか耳を両手で覆いながらぷるぷる震える詩音。


ユキはそんな詩音の横を通りながら、ぽつり。


「大丈夫。こわいなら、こわくないフリをすればいい」


感情の起伏ゼロの声で言い捨て、そのまま更衣室を出ていった。


残された二人。


「ユキちゃんメンタル、強っ……」


メイが笑うと、詩音は床を見つめたままため息をついた。


「詩音、ソロキャンはそれが終わってから行くの?」


「おお、ソロキャンだ!」


詩音の顔がパッと晴れた。

まるでスイッチを押したみたいに表情が戻る。


「行くよ! 今月の20、21で。予約したんだよ!」


嬉しさが全身から漏れている。


「どこにしたの?」


「御殿場! たかね野キャンプ場ってとこ。富士山見えるんだよー!」


「いいじゃん。じゃあそれを励みに、研修頑張りな」


「え、あ、うん……がんばる……」


ソロキャンのワクワクと研修の不安が胸の中で渋滞しているような顔。

そんな詩音を見て、メイは思わずクスッと笑った。


◇◇◇


展示エリア奥の小さな作業スペース。

メイはノートを開き、ペンを持ったまま固まっていた。


「自然と……バレンタイン……?」

声に出してみても、しっくりこない。

タナ坊に任された企画は、考えれば考えるほど霧が濃くなる気がした。


ひと息つこうと席を立ち、控え室へ向かう。


ラフォーレの控え室の扉を開けると、敦子が湯気の立つカップを手に座っていた。


「あら、メイちゃん。聞いたわよ、展示の延長になったんですって」


「はい。でも、その……」


メイは少し迷ってから、バレンタイン企画の悩みを打ち明けた。


「自然とバレンタインを結びつけるのが、どうしても難しくて……」


話し終えると、敦子はゆっくりと息をつき、顎に手を当てた。


「そういうことなのね……」


一度、言葉が静かに落ちる。

その“間”に、敦子の視線はどこか遠くを眺めるように揺れ——


次の瞬間、ぱっと目が輝いた。


「ねえ、メイちゃん。だったら……ラフォーレと一緒にやらない?」


「コラボ……ですか?」


「そう。もともと“ラフォーレ・リーヴルス”って“本の森”って意味でしょ?

自然がテーマの展示とは、むしろ相性いいと思うわ」


そう言って敦子は椅子から身を乗り出し、ひらめきをそのまま言葉に乗せた。


メイの目がみるみるうちに明るくなる。

「……それ、すごくいいです!」


ちょうどそのとき。

外から「お邪魔します」と声がして、葛城書店の柳森淳子が控え室へ入ってきた。


「あら、敦子さん、メイちゃん。あけましておめでとう」


「あけましておめでとう。ちょうどいいところに来たわ」

敦子はすぐにさきほどの話を淳子に説明する。


淳子は目を細め、すぐに笑みを浮かべた。

「楽しそうね。葛城書店もぜひ一緒にやらせて。“森のバレンタイン”、面白いじゃない」


その楽しげな空気の中で、

メイは胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。


——これならいけそうだ。


小さく息をついたとき、張りつめていた気持ちがふっと軽くなった。


◇◇◇


夕方。

街のネオンが灯りはじめた頃。仕事を終えたメイと詩音は、いつものハンバーガーショップの二階席にいた。


窓際の席には、西日がやわらかく差し込み、山盛りのフライドポテトからふわりと湯気が漂っている。


「たかね野キャンプ場、良さそう」

メイがゴーグルマップをスクロールしながら言う。


「でしょ! 浩太おじちゃんイチ推しなんだよ」


詩音はドリンクのストローをちゅーっと吸いながら得意げ。


「浩太おじさんって、あのテントくれた?」


「そうそう! で、そのキャンプ場、ゴルフ場の敷地内にあるんだって」


「ゴルフ場のキャンプ場?」

メイの指が止まる。


その瞬間——メイの脳内では。


《うお、ボール来た!!》


テントの上にゴツゴツ落ちてくる大量のゴルフボール。

それを「ひぇーっ」と言いながらよけつつ、必死に焚き火を守るメイのイメージが炸裂する。


「……それ、危なくない?」


眉を寄せて尋ねるメイ。


「え? そうかな?」


詩音はムシャムシャとポテトを食べ続けている。

まるで危険度ゼロの顔で。


(……なんか、やっぱり心配かも……)


メイは心の中でそっとため息まじりにつっこんだ。


「でもね、ここなら電車でも行けそうだし、設備も良さそうだし!」


「いよいよ詩音もソロキャンデビューかぁ」


メイがダイエットコーラをすすりながら言うと、ふと何か思い出したように顔を上げた。


「詩音さ、焚き火やるの?」


「うん、そのつもりだけど?」


「焚き火台、貸そうか?」


「え! いいの!?」目がキラキラ。


「焚き火シートも火バサミも、ひと通りあるから」


「やったーーー! 借りる!!」


両手を握って喜ぶ詩音。

その勢いにポテトまでぴょこんと跳ねた。


「あと、何かいるものあったら言ってよ」


「うん! 言う!!」


少女のように喜ぶ詩音を見て——

メイもふっと、優しく微笑んだ。


ーーー


「で、研修はどこでやるの?」


メイがストローをくるりと回しながら尋ねる。


「本社。ソレリア北駅からすぐのところらしいよ」


「横浜かぁ…いつから?」


「今度の木曜日」


「え、明後日じゃん」


「そうなんだよ…あーー心配だよ。教官、怖いかなぁ」


詩音はハンバーガーの包み紙をぎゅっと握りしめ、肩を縮こまらせる。


「美智子さんみたいにビシっとした人だったりね」


「わっ、それ怖そう」

詩音は目をまんまるにしてすくみ上がる。


「ごめん、ごめん」

メイは笑いながら手を振った。

「でもさ、その先に楽しいことが待ってるから。頑張ってきなよ」


「そうだよね……すべてはソロキャンのため!」


さっきまでの弱気がどこへやら、詩音はポテトをぎゅっと握りしめ、少しだけ拳を突き上げる。


「なんか違うけど、ま、いいか」


メイはコーラを飲みながらくすっと笑った。

その笑い声に、詩音も釣られるようにほっとした表情になっていった。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

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