表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/185

第138話 それぞれの年末へ


12月29日の朝。

きりりと冷えた空気の中、メイは白い吐息をのばしながらラフォーレに向かって歩いていた。

肩をすくめてスタッフ通用口へ回り込んだ、

その瞬間――


「メイちゃーん! おはよー!」


元気いっぱいの声が弾んだ。

見ると、詩音が小走りでこちらへ駆け寄ってくる。


「いよいよ最終日だね!」

「だね。午後は、みんな出勤なんでしょ?」

「うん、大掃除だからね。……あ、ミホちゃんはインフルでダウンしちゃったけど」


二人で通用口を押して中へ入る。


「おはようございまーす!」


更衣室には、すでに沙織とユキが着替えを終えていた。


「沙織ちゃん、早いね」

「最後だから、ビシッとしないとね」


颯爽と更衣室を出ようとする沙織に、後ろを歩くユキが小さくつぶやく。


「……沙織さん、エプロンの紐、ほどけてます」

「えっ!? うわ、本当だ…!」


慌てて結び直す二人の背中を見送りながら、メイと詩音は思わずクスッと笑い合った。


詩音がロッカーにダウンコートをかけながら尋ねる。

「メイちゃん、文学館はもうお休みに入ってるんだよね?」


メイはセーターを脱ぎながら、いたずらっぽく微笑んだ。

「うん。でも私はラフォーレと一緒だから、そのぶん振替休日、しっかりもらうよ」


「それ、もうキャンプで使っちゃおうよ!」

「ふふ、いいかも」


そんな会話をしていると、更衣室のドアが開き、アルバイトの子たちが次々と入ってきた。


「おはようございます!」

「おはよー、陽菜ちゃん、美優ちゃん!」


一気に空気が明るくなり、年末らしいにぎわいが更衣室いっぱいに広がっていった。


◇◇◇


オープン準備に取りかかるラフォーレのスタッフたち。

詩音は店頭にイーゼルを抱えて出ていき、黒板をそっと立てた。

そこには、丁寧な文字で

「本日のラストオーダー 13:30です!」

と書かれている。


位置を微調整して、ぱんぱんっと手を払う。

ふと顔を上げると、冬の空は驚くほど透き通った青だった。


「よーしっ! 最終日、がんばるぞーっ!」


青空へ向けて両手を突き上げる。

その大きな声に、近くの植え込みでのんびりしていた黒と茶色のブチの猫がビクッと身構えた。


「あ……」


目が合った瞬間、猫はすばやく尻尾を巻いて駆けていく。

詩音は肩をすくめ、でもすぐに破顔した。


「あはは、ごめんごめん。ちょっと声、大きかったかな〜」


明るい笑顔のまま店内へ戻っていった。


◇◇◇


同じ頃。


「凛々花〜、早くしなさーい!」

明るい声が玄関に響き渡った。


「はーい」

スニーカーの紐を結び終え、凛々花はぱん、と軽くお尻を払って立ち上がる。


「あなたがスケジュールなんて組むなんて、珍しいじゃない」

陽子はキャリーバッグをガラガラと引きながら、

エントランスから駐車場へと軽やかに歩いていく。

その声には、抑えきれない嬉しさがにじんでいた。


「たまには……な。オアフのマカプウトレイルに、すごく綺麗な絶景ポイントがあるんだ」


照れくさそうに説明する父・海樹は、レクサスRXのトランクを開けながら

いつもよりどこか楽しげだった。


「でもショッピングはひとりで行くからね〜」

陽子はキャリーバッグを軽やかに差し出す。


「はいはい」

海樹は笑いながら受け取り、まるで軽い箱でも持つように、ひょい、と積み込んだ。


──ラフォーレでのサイン会のあとから、

家の空気が少しずつ変わった気がしていた。


凛々花も大きなキャリーバッグをコロコロ転がして玄関を出る。

ふと思い出したように、慌てて戻って鍵を閉める。


「凛々花〜、置いてくわよ〜」

陽子の弾んだ声が響く。


「ゴールマンの件、ほんと上手くいったわよねぇ。この前なんて支社長と食事だったのよ〜」

仕事の話を楽しそうに続ける陽子。


海樹は、そのどれにも嫌な顔ひとつせず、うん、うん、と穏やかに相槌を打っている。


「ほら凛々花、バッグこっちに」

海樹は後部トランクを整え、凛々花の荷物も丁寧に収めた。


──こんな穏やかな年末の出発、いつぶりだろう。


トランクがバタンと閉まる音に、凛々花は思わず微笑む。


「忘れ物、ないか?」

海樹が運転席のドアに手をかけながら振り向く。


「うん、大丈夫」

凛々花も後部座席へ滑り込む。


「さあ、行きましょ」

すでに助手席に座っていた陽子が、嬉しそうに声を弾ませた。


海樹がスタートボタンに触れると、

インパネが淡く光をまとい始めた。

それはまるで眠っていた車が目を覚ますよう。


レクサスRXはほとんど音もなく、

静かな朝に溶け込むように滑り出していった。


門のモーター音が小さく鳴って、背後でゆっくり閉まっていく。

凛々花の家は、まるで「いってらっしゃい」と

優しく見送るように、どこか明るく佇んでいた。


◇◇◇


凛々花たちが住宅地を抜けた頃。


「冷てぇ……!」

梓はマンションの片隅で、レブルのタンクに水をかけていた。

洗い流された水滴がきらりと光り、バイクはみるみる鮮やかに輝きだしていく。


そこへ、コンビニのレジ袋を下げた兄・広瀬悠がひょいと帰ってきた。


「寒いから、風邪ひくなよ」

いつもの調子で言って通り過ぎようとする。


「ああ、大丈夫」

梓もタオルで手を拭きながら立ち上がる。


「兄貴……」

「ん?」振り返る悠。


「最近、エンジンの吹け上がりがイマイチなんだけど」

「そっか……そろそろオイル交換かな。今度やっておくよ」


そう言ってエントランスに向かう──が。


「兄貴……」

再び声をかけられて、悠は足を止めた。


「ん、どうした?」

吐く白い息がふわりと冬空に溶けていく。


梓は横目にそらし、少しだけ言いにくそうに口を開いた。


「これさ……私ばっかり乗ってて、いいのか?」


その問いに、悠はレジ袋を持ち替え、

ゆっくりとレブルに近づいた。

そしてシートを軽くポンと叩く。


「いいさ。梓が乗るほうが、こいつも調子よさそうだし」


それは、いつもより少し柔らかい声だった。

ふっと笑みまで浮かんでいる。


梓は目を伏せながら、頬にほんのり熱が灯るのを感じる。

照れ隠しのように小さく笑った。


悠の背中がマンションに消えていくのを見送りながら、

心の奥でそっとつぶやく。


(……ありがとう、兄貴)


そしてもう一度タンクを磨きはじめた。

冬の青空が、ブラウンの車体にゆるく反射していた。


◇◇◇


夕方のラフォーレ。

スタッフ全員がジャージ姿で、黙々と大掃除に励んでいた。


そのとき。


「すみませーん……! 猫、はいっちゃいました〜!!」


入口側で、くるみが半泣きで手を振っている。


「えっ!?」

バケツをひっくり返しそうになりながら、詩音が駆け寄る。


黒と茶色のブチ模様の猫が、

ピカピカになったばかりの床の上を、

シュバッ、とばかりに駆け抜けていった。


「わ、わっ、わぁぁっ!」

拭き掃除をしていた陽菜が、避けきれずに盛大に尻もちをつく。


猫はひらりと方向転換し、

亜里沙の拭いていたテーブルにピョンと飛び乗った。


「ひゃっ!!」

驚いた亜里沙は、椅子にペタンと座り込む。


猫はそのままカフェの奥へ疾走。

スタッフ全員があっけにとられ、目で追うしかない。


「ひ、陽菜ちゃん! 亜里沙ちゃん! 大丈夫!?」

詩音がバタバタと駆け寄る。


店内を一周した猫は、

なぜか満足げな足取りで詩音の近くへ歩いてきた。


「あ、この子……

今日の朝、私の声にびっくりして逃げた子だ……」


詩音はそっとしゃがみこみ、

ゆっくりと手を差し出す。


──次の瞬間。


「シャアアアアアアアア!!!」


「ぎゃあああああああ!!?」


全力の威嚇に、詩音は派手にひっくり返った。


猫は微動だにせず、

“勝負あった” とでも言うように尻尾を立て、

ゆうゆうと退店していく。


ぽかんと見送る詩音。


「……うそ。完敗……」


その横で、モップを持った沙織が肩をすくめた。


「猫の仕返しだね。“詩音の大声”への」


「ちょっと! そんなこと言わないでよー!!」


掃除の疲れと笑いが入り混じる中、

店内にはスタッフたちの明るい声が響き続けた。


◇◇◇


「カフェ、賑やかだなぁ……」


展示エリアの奥で、メイは小さくつぶやいた。

作業スペースの片付けをしながら、ちらりと店内の笑い声に耳をすませる。


メイがラフォーレでの仕事のときにいつも使っていた、この小さなテーブル。

その上には、つい先日のトークショーの進行表や資料がまだ散らばったままだ。


「ほんと、あっという間に年末だ……」


引き出しを整理していると、奥のほうから一冊のファイルが出てきた。

『森のうたうきつね』──グランドオープンのときに使った資料だ。


「たった三ヶ月前なのに……なんだか懐かしいな」


ページをぱらぱらとめくると、

詩音と出会った日のこと。

緊張しながら絵本の読み聞かせの司会をしたこと。

胸がきゅっとするほど鮮明に思い出がよみがえる。


ふっと息をついていたところで──


「メイちゃん、こっちはどう?」

展示エリアの入り口側から、詩音の明るい声が飛んできた。


「もうちょっとで終わるよー!」

メイは作業スペースから顔を出して答える。


「オッケー! 4時45分からミーティングやるからね!」


「はーい!」


返事をすると、メイはまた手を動かし始めた。

年末の空気の中、いつもより少し急ぎ足で片付けを進めていく。


◇◇◇


午後4時45分。

今年最後のミーティングが、静かに始まった。


「みんな、大掃除お疲れさま。……そして今年一年、本当にありがとう」


スタッフの輪の中で、敦子は穏やかに微笑む。


「オープンしてからの三ヶ月、目まぐるしかったけど……

ひとつひとつ、みんなと一緒に積み重ねてこられたことが、私は嬉しかったです。

来年も無理せず、のびのびやっていきましょうね」


ふわりとした声でまとめると、

「じゃあみなさん、良いお年を」

と優しく頭を下げた。


「お疲れさまでしたー!」

明るい声が響き、スタッフたちはぞろぞろと控え室へ戻っていく。


取り残されたように立っていたメイの肩に、そっと詩音が寄り添った。


「年末って……なんかちょっと寂しいね」

誰もいなくなったカフェを見つめながら、メイがぽつりとつぶやく。


「うん。でもさ、いっぱい思い出もらったよね、この場所に」

となりに並んだ詩音が微笑む。


「……そうだね」


ふたりは顔を見合わせ、ほっと笑った。


詩音は店内をぐるりと見渡し、声を少し張る。


「ラフォーレ、ありがとう。来年もよろしくね!」


「よろしくね」

メイも自然とあとに続いた。


ふふっと笑い合いながら、二人は控え室へと消えていく。


磨き上げられたカフェフロアには、

一年の思い出がゆっくりと沈んでいくような、

あたたかな静けさだけが、そっと残っていた。


ここまで読んでくださってありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ