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第133話 光の集まるほうへ


夜。閉店間際のショッピングモール。


全国展開のファストファッション店「ユニクラ」には、BGMの「蛍の光」が静かに流れていた。


「……で、パジャマも買うのか?」


梓が腕を組みながら、隣であきれ顔をしている。


「うん。あと歯ブラシと下着と、明日の服も」


凛々花は、かごを抱えながら店内を行ったり来たり。

選ぶというより、目についたものをポンポン入れていく。


「……お泊まりセット、フル装備だな」


「うん、無いと困るでしょ」


「お金、持ってるのか?」


「ううん、カードで」

さらりと答える凛々花。


「……布団も買っていく?」


「それはあるから!」


こいつなら本当に買いかねない。

そう思って梓は苦笑した。


支払いを終え、大きな紙袋をふたつ抱えた凛々花は、地下の駐車場に向かうエスカレーターに向かいながら、ふと立ち止まった。

ショーウィンドウに映る自分を、しばらく見つめる。


“買い物をしている間は、忘れられたのにな……”


梓が振り返る。


「おい、行くぞ」


「うん」


いつもの笑顔を作って、凛々花はその場を離れた。


◇◇◇


ガチャ、と鍵のまわる音。

暗い部屋の奥へ、廊下の明かりがすっと伸びる。


「入って」


靴を脱ぎながら、梓がぶっきらぼうに言った。

凛々花は、両手に大きな「ユニクラ」の紙袋を二つぶら下げたまま、そろそろと上がり込む。


「梓ちゃん、ひとり暮らし?」


「いや、兄貴と。今日は友達と旅行で、いないけど」


靴箱の上に置かれたキーケース、玄関脇のキャップハンガー。

生活感の中に、どこか男の人の匂いが混じっている。

その「人の気配の残り方」が、妙に安心した。


明かりをつけたリビングは、必要なものが必要なだけ置かれた、もの静かな空間だった。

テーブルの上には、テレビのリモコンがぽつんと置かれている。

窓の外には、静かな夜の街の光…。


途中で買ったほか弁を広げて、温かいご飯と湯気にほっとしながら、取りとめのない話をして過ごした。


こうやって誰かと並んでご飯を食べている時間は、不思議と心が休まった。


食べ終わるころ、梓がキッチンからマグカップをふたつ持って戻ってきた。


「インスタントだけどな」


「……ありがとう」


テーブルに置かれた湯気。

コーヒーのほろ苦さが、部屋の空気にじんわりと広がる。


しばらく、話もせずに、ただ湯気を見つめていた。


やがて、凛々花が小さく口を開いた。


「……なんかね、家に帰りたくなかったの」


梓はコーヒーに口をつけたまま、何も言わず聞いていた。


「……パパが、来てたの」


言葉は軽く言ったのに、空気は重くなった。

カップの縁を指でなぞる、細くて白い指先が震えている。


「でも…どうしたらいいのか、わからなくて。気づいたら追いかけてて。

 会いたくなかったのに……変だよね」


梓はほんの一瞬だけ、視線を落としてから言った。


「……そっか」


それは、ただ受け止めた声だった。

なぐさめるでもなく、否定するでもなく。


そして、ぽつりと。


「いいんじゃないのか」


「え……?」


「それが、凛々花の気持ちだろ。

自然に体が動いたなら…それでいい」


しばらく二人のあいだに、音がなかった。


「……明日、ラフォーレには行くんだろ?」


凛々花は、カップの影から顔を上げずに答えた。


「……わかんない」


梓は立ち上がって、洗面所の方に顔を向けた。

給湯器がピッ、と軽い音を立てる。


「ま、風呂でも入ってゆっくり考えな」


振り返り、凛々花と目が合うと、

梓は少しだけ優しい目をした。

その何気ない仕草が、凛々花の胸の奥に、小さな安心を落としていった。


ーーー


代わる代わるお風呂を済ませる。


髪をバスタオルで押さえながら梓がリビングに戻ると――


凛々花は、もう真新しいパジャマに着替えて

床に座り込み、スマホをいじっていた。


「梓ちゃん、おかえりなさい」


顔を上げて、いつもの笑顔。

その笑顔が、どこか無理してないふりに見えるのは――たぶん、梓の気のせいではない。


「今ね、メイちゃんからRain。『大丈夫?』って」


「ああ」


「梓ちゃんとこ、泊まるよって返した」


「そっか」


ーーーピコン。


梓のスマホが震えた。

画面には、メイから短いメッセージ。


『凛々花ちゃんのこと、よろしくね』


梓は一言だけ返した。


『わかった』



ーーーピコン。


今度は凛々花のスマホ。


「詩音ちゃんからだ」


二人で画面を覗き込む。


『明日、カイさんのサイン会、来るよね?』


凛々花は少し考えてから、

「考えとくね」とだけ打って送った。


梓はその横顔を、横目でそっと見守る。


しばらく、各々スマホをいじって時間が流れたあと。


「凛々花、ベッド使っていいぞ」


「梓ちゃんは?」


「シュラフがあるから」


押し入れから赤い寝袋を出し、床に広げる。

凛々花は、目を輝かせるように見ていた。


「いいな〜それ。……わたし、そっちで寝たい」


「は?」


「キャンプみたいで楽しそうじゃん」


言うなり、梓を押しのけて、すっと寝袋に潜り込む。


「…あったかい!」


梓は肩をすくめて笑った。


ベッドの上には梓、床には寝袋に丸まる凛々花。

いつの間にか深夜になっていた。


「そろそろ電気、消すぞ」


黒い寝袋から顔だけ出した凛々花が、ふっと顔を向ける。


「梓ちゃん。わたしも、キャンプ行きたいな」


「なんだよ、急に」


「寝袋、気持ちいいよ」


楽しそうな声に、梓はくすっと笑う。


「凛々花、キャンプ道具とか持ってんの?」


「ううん。持ってない」


「じゃ、最低限はそろえないとだな」


「…うん」


「テントは一緒にするとして、寝袋は必要だろ」


「……うん」


「これから寒くなるし、そこそこいいやつじゃないと」


「……」


返事がないので、梓が覗き込むと、

凛々花はもう静かな寝息を立てていた。


「……寝たか」


梓は、少しあきれたように、それでも優しい声でつぶやく。


そっと照明を落とす。


暗闇の中、寝袋にぬくもりをためた凛々花が、

まるく、子猫みたいに呼吸している。


「一緒にキャンプ、ね……」


誰にも届かない声でつぶやき、

梓も布団に潜り込んだ。


冬の夜は、思っていたよりも――静かで、あたたかかった。


◇◇◇


翌朝。


ガラス越しの朝の光が、ゆっくりと店内に満ちていく。

カフェ・ラフォーレ リーヴルスの控え室では、詩音と沙織、ユキが支度をしていた。


「会場、もうできてるのかな?」

詩音が制服の襟を整えながらつぶやく。


「結構大掛かりだったから……」

ユキがロッカーを閉めながら言う。


「昨日の夜、本社の内装班がドバッと入ってたじゃん。完璧なんじゃない?」

沙織はゴムで髪をひとまとめにする。


「そう言えば詩音さん、昨日、控え室で暴走したという噂が……」

ユキがさらっと刺す。


「や、やめてよぉ、ユキちゃん!蒸し返さないで!」

詩音は顔を真っ赤にして両手で頬を押さえた。


「大丈夫だよ、詩音。あの人、きっと慣れてるよ、ああいう熱烈暴走ファンには」

沙織がニヤつく。


「なってないから!フォローになってないってば!」


控え室に、どっと笑いが広がった。

その笑い声の端に、ほんのり緊張が混じっている。


——今日は、カイ・イトウのトークショーとサイン会。


三人は控え室を出て、会場に向かった。


ーーー


「うわっ、すご!」

「……ホントに広くなってる」


ラフォーレの一角を改装して設けられた会場は、昨日の夜のうちにしっかりと仕上がっていた。

展示エリアの向かい側の本棚がごっそり姿を消し、奥の倉庫スペースとつながって、まるで別の空間になっている。


「昨日のうちに、全部やったのか…」


広々としたその会場は、ひと晩で作ったものとは思えないクオリティだった。


ステージ前には五十席がきれいに並べられ、照明の角度も細かく揃えられている。

奥の壁には、カイの写真集の写真が数点だけ、上品に飾られていた。

余白まで“計算”されている――そんな空間。


「さすがは、本社の内装班……」


ユキが感心したようにポツリとつぶやいた。


「そういえばメイちゃん、今日は来ないの?」

沙織がふと思い出したみたいに言う。


「午前中は文学館の打ち合わせだって」


詩音が制服の袖をまくりながら答えた。

「今日のサイン会の“視察”の手伝いらしいよ」


「視察?」

沙織が目を丸くする。


「うん。市の広報と一緒に。

でも、午後にはこっち来るみたい」


「なんだか、メイちゃんも大変だねぇ」

沙織は小さく笑う。


ユキが、静かに言った。


「今日のサイン会とトークショーは、本社スタッフと葛城書店が完全に取り仕切るイベント。

……きっと、市の広報課も参考になるはず」


その一言で、空気がすっと引き締まる。


——今日は、特別な一日になる。

三人は、それぞれの胸の奥でそう感じていた。


そのときだった。


エントランスのほうから、わっと人の気配が流れ込んでくる。

三人が振り向くと、店長の敦子を先頭に、十数名のスタッフが次々と入ってきた。

大きなバッグや機材ケースを抱え、今日の司会者らしき女性も笑顔で列に並んでいる。


「おはよう」

敦子が、ふわりとした笑顔で言う。


「おはようございます」

三人は一斉に頭を下げた。


敦子はそのまま三人の前で足を止める。


「今日は、トークショーに来たお客様のご案内、お願いね」


「はい!」

三人は背筋をしゃんと伸ばした。


敦子は満足そうに微笑むと、すぐ会場へ向かっていく。


奥のほうではさっそく準備が始まっていた。

白布をかけた長テーブルには、最新写真集『瞬撮』が、美しく積み上げられていく。

ケーブルを這わせる音、細やかな指示の声、スタッフ同士の短いやりとり。


さっきまで静かだった空間が、まるで目を覚ますみたいに動き出していた。

“イベントが始まる”そんな空気が一気に濃くなる。


「……すごっ。本格的イベント!」


詩音はぱっと拳を握り、勢いよく叫ぶ。

「カイさんにピッタリじゃん! がんばってこーー!!」


その声に、スタッフのあちこちから笑いが起きる。


「そうだね」

「頑張ろう!」

そんな明るい返事が次々と返ってきた。


詩音のその明るさが、張り詰めていた空気に、そっと息を吹き込んでいく。


「詩音……やっぱ、ただものじゃないわ」

沙織は、感心したように小さく笑った。


◇◇◇


梓の自宅マンション。

エレベーターのドアが静かに開いた。


先に一歩出た梓のあとから、凛々花が続く。

昨日とはまるで別人のような装いだった。


淡いベージュのニット。

薄いグレーのスカート。

軽くまとめられた髪。

足元は真新しいスニーカー。


肩には新しいショルダーバッグ。

そして両手には、大きなユニクラの紙袋がふたつ。


「……全部、買ったやつか?」


「うん。服も下着も、それからコートも」


「コートもか?」


「うん。昨日のより、あったかいよ」


凛々花は、ちょっとだけくるりと身体を回してみせる。


「これ、正解だったな〜!」


はしゃぎ声がエントランスにひびく。


梓はその横顔を見ながら、小さく笑う。

――元気そうに見える。

でも、どこか “張ってる” 感じもする。


ふたりは並んで外へ出た。

マンションの前に停めたレブルの横を通り過ぎる。


「あれ? バイクで行かないの?」


「その袋、昨日も危なかったからな。今日は電車」


「スリルあってよかったのに」


「いや、危ねぇから、電車」


少しあきれたように梓が返すと、

凛々花はまたニコッと笑って、そのあとを小走りでついていく。


けれど――


その笑顔の奥では、胸のざわつきがまだ収まらない。


(ラフォーレに行くって決めたけど……

 何を話せばいいんだろう。

 どんな顔をすればいいのかな)


考えそうになるたび、凛々花は、

「笑う」という安全策で、それを押し戻した。


笑っているほうが、楽だから。


総美大野駅へと続く住宅街。

冬の冷たい朝の風が、ふたりの髪を、そっと揺らした。


◇◇◇


そのころ。


矢鞠駅の改札。

黒いコートの男性が改札を抜けると、白いダウンコートの女性が小さく手を上げた。


「すまない、遅くなった」


「いえ、大丈夫です」


ふたりは肩を並べて歩き出す。


駅前の並木道は、午前の光を弾いている。

その先には――静かに開店準備を終えた、カフェ・ラフォーレ リーヴルス。


冬の朝は、ゆっくりと動きだしていた。



ここまで読んでくださってありがとうございます!

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