第130話 青に変わる窓の光
クリスマスイベントをおよそ二週間後に控えた、カフェ・ラフォーレ リーヴルス。
クリスマス仕様に模様替えされた店内は、朝からにぎわいをみせていた。
カップを運ぶ音、焙煎豆の香り、スチームの湯気――それに紛れて、
エントランスの大きなツリーやカウンター上のアンティークなリースに
スマホを向けるお客さんも少なくない。
BGMにはジャズアレンジの「ジングルベル」が流れる中、
みな楽しそうな笑顔を浮かべている。
クリスマスが近づいてきているのだと感じさせる風景は、
どれも少し浮き足立って見えていた。
「なんか今日、混んでない?」
沙織がカウンターの向こうを見やる。
「日曜日だからじゃないの」
詩音が答え、カップを並べながら肩をすくめた。
「たぶん、これじゃないですかぁ〜」
くるみがそっとスマホを差し出す。
画面にはラフォーレの公式オンスタ。
先日のクリスマス装飾の様子が、ドキュメンタリー風の動画や写真としてアップされていた。
「昨日、投稿されたみたいです」
「うわー、めっちゃバズってるじゃん!」
「なるほどね、そりゃ混むわけだ」
沙織が苦笑いを浮かべながら、下げてきたトレーを奥へ運ぶ。
「ねぇねぇ、沙織ちゃん、かわいく写ってるよ」
詩音がくるみのスマホを覗き込みながら騒ぐ。
「あ〜ホントですぅ〜、笑顔弾けてますぅ」
「もー、おまえら!いいから、働け!」
照れくさそうに言いながらも、沙織の頬はほんのり赤い。
そんな日常の笑い声が、冬の光にきらめいた。
◇◇◇
同じころ、控え室では――。
ふれあい文学館主催のミニトークショーの打ち合わせが行われていた。
参加するアマチュアカメラマンたちの、顔合わせを兼ねた事前レクチャー。
長机を囲むのは、四人の出展者たち。
「それでは、今回のトークショーにご参加いただくみなさんをご紹介します」
メイが資料を整えながら、丁寧に声を出した。
「『夜と朝の、すき間で』の海原悠人さん。山頂の雲海を撮られた一枚ですね」
眼鏡の奥の目が柔らかく笑う。落ち着いた声で「よろしくお願いします」と短く頭を下げた。
「『朝の山小屋』の井口智哉さん。冬山の写真を中心に撮影されていて……」
「いやぁ、まだまだですわ。寒さに強いだけが取り柄でして」
豪快ながらもどこか親しみのあるその声に、場が少し和んだ。
「そして、『火のそばで、まだ話してる』の西原柚季さん」
柚季はふわりと微笑み、「友達とキャンプしたときの写真です」と答える。
その笑顔の奥に、夜の焚き火のようなぬくもりがあった。
「最後に、『木陰でしゃがんでいる女の子』のリリカさんこと、伊藤凛々花さんです」
名前を呼ばれた瞬間、凛々花の胸の奥で、なにかが静かに沈む。
机の上の紙の端に指を置き、かすかに息を吸った。
「……よろしくお願いします」
自分の声が少し遠くに聞こえた。
会釈をしながら、彼女はふと窓の方を見た。
すりガラス越しの光が、すうっと翳った気がした。
(トークショーに出ることは、別に嫌なわけじゃない。
ただ、パパがラフォーレへ来るというだけで、胸の奥がざわざわする。
居心地の良かった場所が、
なんだか違った景色に変わってしまいそうで――。
だから、あのときは、なんとなくラフォーレに来られなかった。
でも梓ちゃんに言われた。逃げちゃだめだって。
メイちゃんも詩音ちゃんも、イベントに向けて前を向いている。
みんなそうしてる。
だから、私も――)
でも、凛々花の心の中のレンズは、まだピントが合っていなかった。
「では、当日の流れを確認していきましょう」
メイの声で、ふと我にかえる。
凛々花はメイの方へと視線を移した。
メイは進行表を手に立ち上がる。
「まずは二ページ目に書いてありますが、開演は十三時からです。
遅くても三十分前には、この控え室に集合してください。
次に、開演十分前には――」
その口調や表情は真剣そのもの。
まるで台本の文字をなぞるように、慎重に読み上げていた。
「……質問は三つです。
一つ目が“写真を撮るときに大切にしていること”。
二つ目が“自然の中で、シャッターを切りたくなる瞬間”。
三つ目が“あなたにとって、いい写真とは”――です。
質問内容はそこに書いてある通りなので、確認しておいてください」
話しながら、メイは配布した資料の角をトントンと整えた。
その横で、柳森淳子が柔らかく口を挟む。
「メイちゃん、そんなに肩に力を入れなくても大丈夫よ。
みなさん、自由にお話しいただければそれで十分ですから」
そのひと言で、控え室の空気が少し緩んだ。
「平瀬さん、気合い入ってるねぇ。私もがんばらねぇとな」
井口がガハハと笑う。
「そうですね。いいトークショーにしましょ」
柚季もにこやかに答えた。
「は、はい……すみません」
メイが顔を上げると、淳子がやさしく微笑んでいた。
目が合って、メイも少し照れたように笑う。
「じゃあ、続けますね。そのあとは――」
声のトーンが少し柔らかく変わり、和やかな雰囲気の中、打ち合わせが再開した。
そんなメイの姿を、凛々花はじっと見つめていた。
◇◇◇
打ち合わせが終わり、メイは身支度を終えた参加者を控え室の出口で見送った。
「おつかれさまでした。当日はよろしくお願いします」
頭を下げるメイに、「こちらこそ、よろしくお願いします」と笑いながら出ていく参加者たち。
控え室のドアが静かに閉まる。
「ふぅ〜……」
メイは大きく息をついて、両手で頬を軽く叩いた。
「……ちょっと力、入りすぎたかな」
独り言のようにつぶやいて、壁の時計を見上げる。
「もっと、楽しくやらないと」
その声に気づいて、奥の席にいた凛々花が顔を上げた。
まだ残っていたらしい。
「あ、凛々花ちゃん……聞こえちゃってた?」
凛々花は黙ったまま、にこりとメイを見た。
「なんか、私、空回りしてたよね」
自嘲気味に目線を落とすメイ。
「ううん」
凛々花は首を横に振り、ゆっくりと立ち上がる。
「メイちゃんの話で、窓の光が青に変わったよ」
「……え?」
思わず聞き返すメイ。
凛々花はにこりと笑ったまま、コートの袖を軽く引いた。
「私も、がんばるからね」
柔らかな笑顔が残る。
窓の外では、冬の午後の光が少し傾き、
壁に映る影の色がほんの少し青みを帯びていた。
——その青の奥で、
まだ知らない気配が、静かに息をしていた。
◇◇◇
「冷てぇ〜!」
自宅マンションの前で、梓は愛車ホンダ・レブル250の洗車中。
バイクシャンプーの泡をやさしくシャワーで落としていた。
夏は快適な洗車も、冬となれば勝手が違う。
水は冷たいし、日差しがあっても寒いものは寒い。
ある意味、修行。
それでも、愛車がきれいになっていくのは、悪い気はしない。
マイクロファイバーのタオルで水滴を丹念に拭き取っていると、ほんのりと汗が滲む。
仕上げはコーティング剤入りのワックス。
スプレーしてやさしく磨く。タンク、スポーク、マフラー――。
ピカピカになっていくのが手に取るようにわかる。
「こんなもんかな……」
洗車終了。
午後の日差しにブラウンのタンクが鏡のように輝く。
そこに映り込む自分の顔に、少し驚いた。
……どことなく、笑顔を浮かべている自分。
(洗車して、笑ったことなんてなかったのにな)
この数ヶ月、なんだか変わった気がしていた。
何がどう変わったかなんて、うまく説明はできない。
それでも、メイや詩音に出会って、何かが確かに変わった。
そして凛々花とも――。
「あいつ、大丈夫なのか……」
ポケットからスマホを取り出して、スケジュール帳を開く。
十二月二十一日。ラフォーレのミニトークショーの日。
(仕方ない、行ってみるか……)
そんな思いが、頭の中をゆっくりと満たしていく。
「なんだかなぁ……」
梓はふっと口元をゆるめ、スマホをポケットに戻した。
冬の柔らかな陽の中、洗車したてのレブルは、
そんな彼女を見守るかのように、穏やかに輝いていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます!




