第126話 崩れそうな景色の中で
巷では、11月22日から勤労感謝の日を挟んで三連休となっていた。
その初日、土曜日。
カフェ・ラフォーレ リーヴルスは、開店と同時に次々とお客さまが訪れ、店内は朝から活気に包まれていた。
オーダーが重なれば、厨房はたちまち慌ただしくなる。
「……連休、キライ」
ユキがパフェを作りながら、ぼそりとつぶやく。
「好きとか嫌いとか言ってられないでしょ」
隣で紅茶とコーヒーを同時に淹れていた沙織が、肩越しに返した。
ふと目をやると、無表情のまま、信じられないほどの速さでパフェを次々と仕上げていくユキの姿があった。
その手際の鮮やかさに、沙織は小さく息をもらした。
「相変わらず……速いな、ユキは」
カップを並べ、注文の品をトレーに整える。
カウンターに一通り並べ終えたところで、沙織はホッと肩をゆるめた。
顔を上げると、フロアでは詩音がにこやかにお客さまと言葉を交わしている。
あちこちから声を掛けられても、笑顔を絶やさず、一人ひとりに丁寧に応じている。
「……詩音は忙しいの、好きみたいだな」
その生き生きとした表情に、沙織はふっと微笑んだ。
その頃——
メイはふれあい文学館のホールに立っていた。
この日は『親子でつくろう!おりがみワークショップ』というイベントがあり、スタッフが足りないからと朝から駆り出されていたのだ。
腕には「案内係」と書かれた腕章。
頼りなげに巻かれたそれを、何度も気にしてしまう。
「おはようございます! 今日は折り紙で遊んでいきましょう!」
講師の明るい声が入口まで響いてくる。けれどメイの表情はどこか浮かない。
(……ミニトークショー、どうしよう。
まだ凛々花ちゃんに連絡がつかないままだし)
そんなことをぼんやり考えていたそのとき。
「おねえちゃん!」
背後から弾むような声が響き、メイはハッと振り向いた。
そこにはお母さんと、幼稚園生くらいの女の子が立っている。
「あの……いまからでも入れますか?」
「えっ、ええ、どうぞ!」
慌てて笑顔をつくり、二人をホールの中へと案内する。
(ダメだな……もっとちゃんとしなきゃ)
小さく息をつきながら、気を引き締めるメイだった。
同じ頃——
凛々花は、いつものように外出の支度をしていた。
テーブルの上に置かれたデジタルカメラをしばらく見つめ、そっと手に取ってトートバッグへ忍ばせる。
最寄りの南前田駅。
週末の朝は、ラズベリーモールへ向かう人で改札前がにぎわっていた。
見慣れた光景——その流れに逆らい、ラフォーレへと向かうのが、凛々花の「いつも」だった。
——けれど、その日は違った。
改札の前で、ふいに足が止まる。
押し寄せる人の波の中、ひとりだけ取り残されたように立ち尽くす。
「行きたいのに……どうして足が進まないんだろう」
やがて人波が途絶え、静けさが戻る。
凛々花は宙をぼんやりと見上げると、くるりと踵を返して駅を後にした。
灰色を帯びた空が、泣き出す前のような気配をまといながら、そんな凛々花を見つめていた。
——その一方で、クリスマスイベントの準備は着実に進んでいた。
◇◇◇
翌日の日曜日。
梓は、水曜日からの西伊豆ソロキャンに向けて、道具の手入れと準備をしていた。
床に道具を並べ、座り込んでひとつひとつ丁寧にチェックしていく。
袋からローチェアを取り出した瞬間、違和感が走った。
「……やっぱダメか」
前のキャンプのときから怪しかったフレーム。
組み立ててみると、ピンが曲がっていてカチッと噛まない。無理に直そうとしても、グラつくだけだ。
「……安物だからな」
初めてキャンプに行った頃から使っていたローチェア。
とりあえずで買ったにしては、よく持った方だろう。
「新しいのにするか…」
スマホを取り出し、通販サイトのエマゾンでローチェアの検索をはじめた。
目にとまったのは、有名メーカー「ヘリナックルス」のグラウンドチェア。軽量コンパクトなのに頑丈で、ツーリングキャンプ派の定番。梓も前から気になっていた。
「やっぱ、いいよな……でも高ぇ」
長く使うなら間違いない。
腹を括って注文ボタンをポチろうとした、その時。
《11月26日 水曜日お届け》
「は? 当日かよ」
これじゃ間に合わない。
チェアなしで行くか……でも冷えてきたこの時期、地べたはさすがにキツい。
「よし、明日マウントワンで探すか」
そう決めると、スマホを伏せ、再び道具のチェックへと戻っていった。
◇◇◇
三連休最後の月曜日。
昼前のカフェ・ラフォーレ リーヴルスは、驚くほど静かだった。
レジカウンターには、沙織とユキが並んで立っている。
「なんか今日、暇じゃない?」
「うん、ガラガラ……」
昨日・一昨日の喧騒が嘘のように、来客はまばらだった。
「気合い入れてきたのに、拍子抜けだなぁ」
そのとき、後ろからひょこっと顔を出した詩音。
「そんな日もあるって!」
両肩をポンと叩かれ、思わず二人は振り返る。
にこにこと笑う詩音を見て、沙織がポツリとつぶやいた。
「詩音は……忙しくなくても楽しそうだな」
「ううん、ラフォーレが好きなんだよ!」
屈託のない笑みに、沙織も思わず口元を緩めた。
◇◇◇
——昼下がりの控え室。
段ボールが積まれた脇のテーブルで、詩音がまかないを頬張っていた。
そこへ通用口のドアが開く。
「……おはようございます」
元気のない声とともに入ってきたのはメイだった。
「メイちゃん、おはよー!」
いつもの調子で明るく返す詩音。
その様子を見て、メイが苦笑する。
「詩音は変わらず元気だね」
「ってか、メイちゃんこそ元気ないじゃん」
「……返事、来ないんだよ。凛々花ちゃんから」
弱々しい声に、詩音の表情も翳った。
「そういえば、私の方も来てないや」
スマホを取り出しRainを確認する。
「あ……既読ついてる」
「私も今朝見たらなってたんだけど……それっきりで」
メイの言葉に、詩音は眉を寄せた。
「何があったのかな」
「それが分からないんだよね……」
ふたりの間に重たい沈黙が落ちる。
そのとき——
通用口が再び開いた。
「こんにちは〜」
やわらかな声とともに入ってきたのは、柳森淳子だった。
「あ、淳子さん」
「こんにちは」
立ち上がって挨拶を交わすふたり。
「どうしたの? 二人とも浮かない顔して」
促されるように、メイが事情を説明した。
「そう……どうしちゃったのかしらね」
「思い当たることがないんです」
少し考え込んでから、淳子はメイを見つめて言った。
「メイちゃん、トークショーのことなんだけど」
「はい」
「凛々花ちゃん抜きも、考えておかないといけないわね」
「でも、写真展のメインは凛々花ちゃんの……」
食い下がるメイに、淳子はやさしく語りかける。
「そうね。でも、もしものことも考えておかないと」
「……」
うつむくメイの肩を、そっと押すように微笑んだ。
「大丈夫。いざとなったら、私がうまくまわすから」
その茶目っ気を含んだ笑みに、ようやくメイも力なく頷いた。
「……はい」
笑顔を作ろうとしたけど、それはどこか弱々しいものだった。
◇◇◇
その頃、凛々花は自宅にいた。
誰もいないリビングのテーブルには、愛用のトートバッグとデジタルカメラが置かれている。
淡いクリーム色のワンピースに、ベージュのトレンチコート。外へ出かける準備は整っているのに、凛々花は広い家の中を、落ち着きなくウロウロしていた。
ダイニングからリビングへ、また戻って……そのたびに裾を指先でつまんだり、ベルトをぎゅっと結び直したり。立ち止まっては、ふぅと小さな息を吐く。
そうしているうちに、いたずらに時間だけが過ぎていった。
やがてピタリと足を止めると、テーブルの上のデジタルカメラをじっと見つめる。
「……やっぱり、行かないとかな」
小さなつぶやきとともに、凛々花はカメラとトートバッグをすっと手に取り、玄関へと向かっていった。
◇◇◇
同じ頃——
午後のやわらかな日差しの中、梓はマウントワンの駐車場にバイクを滑り込ませた。
見渡せば、どこも車でぎっしり。
「……これだから、休みの日は来たくないんだよな」
小さくぼやきながらも、ヘルメットを外すと髪を払い、足早に店内へ入っていった。
フロアは案の定、人でごった返している。だが梓は周囲に目もくれず、まっすぐチェアコーナーへ。
そこには、いくつかの椅子が展示されており、その中に目当ての一脚を見つけた。
「……あった」
濃いベージュの〈ヘリナックルス・グラウンドチェア〉。
そっと腰を下ろしてみる。
座面は低いが、包み込むような座り心地。ぎし、ともせず身体を受け止める感触に、思わず口元がゆるむ。
(やっぱ、いいもんは違うな……)
プライスカードに目をやると、通販サイトより少し高い。けれど迷うほどではない。
(まぁ、このくらいなら、いいか)
立ち上がり、棚から箱を取り出すと、そのまま混み合ったレジへと向かった。
会計を済ませて外に出ると、バイクの荷台にチェアを括りつけながらふっと思う。
(せっかくだし、ラフォーレにでも寄ってくか)
いつの間にか足が向く場所になっていることに、梓は苦笑しながらゴーグルを下ろした。
エンジン音を響かせ、バイクはラフォーレの方向へ走り出した。
ーーー
大通りに出ると、梓の視界に大きな公園の緑と、その奥にラフォーレの建物が映った。ちょうど手前の赤信号に捕まり、バイクを減速させる。
「……詩音に、また来たの?とか言われそうだな」
そんなことを思い、苦笑がこぼれる。
そのとき、右手にある歩道に目が止まった。
ベージュのトレンチコート。見覚えのある後ろ姿が、ラフォーレへと歩いていく。
「あれ……凛々花?」
次の瞬間、その姿はふいに立ち止まり、踵を返すと、公園の入口の方へ歩き出した。
「何やってんだ、あいつ……」
梓の脳裏に、メイの言葉がよみがえる。
――『凛々花ちゃんと連絡取れないんだよ』
信号はまだ赤のまま。
焦る気持ちを抑えながら、視線で凛々花を追う。
やがて彼女が公園の中に消えた瞬間、信号が青に変わる。
梓はアクセルをひねり、すぐ先のラフォーレ駐車場へ右折した。
バイクを駐輪場に滑り込ませると、慌ててエンジンを切り、ヘルメットを脱ぎ捨てるように外す。
そして、迷うことなく公園の中へ駆け込んでいった。
梓が公園に足を踏み入れると、奥へと伸びる小道の先に、ベージュのトレンチコートが見えた。
「凛々花っ!」
声を張り上げながら駆け寄ると、その背中がビクリと震える。ゆっくり振り返った顔は――やっぱり凛々花だった。
「梓ちゃん……」
口元に浮かんだ笑みは、どこか無理をしているように弱々しい。
梓は歩み寄りながら問いかける。
「凛々花、こんなとこで何やってんだよ」
「うん。公園に呼ばれて……」
つぶやきのような言葉。
「違うだろ。ラフォーレに来たんじゃないのか?」
問いかけに、凛々花は作り笑顔のまま視線を落とし、言葉を閉ざす。
「メイとか、すごく心配してたぞ」
そのひとことに、凛々花の肩が小さく揺れた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……梓ちゃん、あのね」
その表情にはもう笑みはなく、どこか張りつめた影が滲んでいた。
ーーー
公園のベンチに並んで座る梓と凛々花。
長い沈黙が流れる。
梓がちらっと横目で見ると、凛々花は視線を宙に漂わせていた。
重い空気を嫌うように、梓が口を開いた。
「凛々花は……ラフォーレに行きたくないのか?」
少し間を置いて、凛々花がふわっと話し出す。
「ラフォーレ、行きたいんだけど……体が曲がっちゃうんだよ」
「体が曲がるってなんだよ」
「……足が、変な方向に逃げるっていうか」
そんな凛々花に、梓は苦笑しつつも、言葉を続けた。
「行きたいなら、行けばいいだろ」
「行ったら、崩れちゃいそうで……」
消え入るような小さい声。
「……何が?」
そう聞き返して凛々花を見る。
凛々花は黙って下を向いたまま、膝の上で手をぎゅっと握っていた。
梓はベンチにもたれかかり、空を見上げてひとつ息を吐いた。
「実は私もさぁ、この公園に逃げ込んだことがあったんだよ、ラフォーレに行けなくて」
凛々花はふと梓を見た。
「梓ちゃんも…?」
「ああ…。ラフォーレのオープンのとき。
メイにレセプションに誘われてたんだけどね」
黙って話を聞く凛々花。
「なんか人と交わるのが嫌っていうか、話すのが苦手っていうか…
気づいたら、このベンチで時間つぶしてた」
「……ふーん」
「でもな、そうやって逃げたってモヤモヤは消えないんだよ。むしろ残る」
うつむく凛々花に梓は続けた。
「逆に、思い切って一歩出てみたら……案外なんとかなった。だから凛々花も、逃げるかどうかは自分で決めろ。
ただ、ちゃんと伝えろよ。黙って逃げたら、残るだけだ」
「……そうだよね」
凛々花の表情が少し明るくなったように感じた梓。
「なーんて、偉そうに言ってるけどさ、結局は元バイト先の先輩に背中押されて、やっと踏ん切りついたってとこなんだけどな」
梓が肩をすくめて笑うと、凛々花もつられるように微笑んだ。
「ほら、おまえの好きなナントカって写真家も来るんだろ、イベントに」
「パパ…」
「え?」
「カイ・イトウ。私のパパなの」
一瞬、頭が真っ白になる梓。
「え、ちょ、パパって……お父さん!?」
「うん、そう」
しばし沈黙。
「…メイたちは知ってるのか?」
「ううん。聞かれてないし」
「まぁ、そりゃそんなこと聞かないだろうけど…」
あまりにサラッと言う凛々花のことが、逆に気になった梓は聞いた。
「上手くいってないのか、お父さんと?」
「仲、いいよ。たぶん」
「でも、遠いの」
凛々花の表情がまた少し曇る。
「遠いって…一緒に住んでないのか?」
「一緒だよ。時々、かげろうになるけど」
「……かげろう?」
梓は眉を寄せた。冗談に聞こえない。
「そう。だから、なんか景色が崩れちゃいそうで…」
梓はしばらく黙り込んだ。
理解できるような、できないような言葉。
けれどその奥には、父親のあいだに横たわる“なにか”があるのは感じとれた。
「……複雑だな」
梓は腕を組み、空を見上げた。
そして、自分の言葉で続けた。
「でも、トークショー、出るにせよ出ないにせよ、ちゃんと伝えろよ、メイに。
それだけで違うから」
凛々花は少し考えてから笑みを浮かべて、梓を見て言う。
「梓ちゃん。影が、少し軽くなった気がする」
「影が軽い……? ……よく分かんねぇけど、そりゃ良かった」
夕暮れが近づき、公園は静かに色を変えていく。
梓と凛々花の沈黙も、その景色に溶けるように少しずつやわらいでいった。
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