第107話 キャンプの午後とハプニング 〜デュオキャン Ⅴ〜
タープとテントを設営し終えたメイと詩音。
「じゃあ、荷物下ろしちゃおう」
二人はプジョー208のリアハッチを開け、次々と荷物を取り出した。
それぞれのテントにリュックやシュラフ、インフレーターマットをしまい込み、
タープの下ではローチェアを組み立てる。
おそろいのカラフルなローチェア。
「これ、同じだから間違えちゃうね」
メイが言うと、詩音がくるりと椅子をひっくり返して見せた。
「メイちゃん、よく見て〜。ここ」
背もたれの裏には、蝶ネクタイみたいな、でっかいピンクのリボン。
「可愛いでしょ〜」
「リボン、デカっ! これなら間違えないわ」
メイが吹き出す。
詩音がテーブルを組み立てていると、テントの中からメイのごそごそする音が聞こえた。
覗き込むと、シェラフを出してインフレーターマットを膨らませている。
「寝床、もうやっちゃう?」
「梓ちゃんが言ってたじゃん。“明るいうちにやっとけ”って」
「ああ、そうだった」
詩音もテーブルを置き終えると自分のテントに戻り、
マットの上に色違いの赤いマミー型シュラフを広げ、形を整える。
「完成〜」
得意げにテントから出た、その瞬間——
足先がロープに引っかかった。
「わっ……!」
バランスを崩した詩音は、反射的に目の前のメイにギュッと抱きつく。
「ちょ、何!? いきなり告白?」
「いや、命の恩人だから抱きついただけ!」
「はいはい。転んだら抱きつくルールね」
「デヘヘ」
二人とも吹き出し、ロープをまたぎながら笑い合う。
「ねぇメイちゃん、焚き火台は?」
「焚き火する時でいいんじゃない?」
メイはキャンプギアを詰め込んだバッグを車から下ろしながら答える。
詩音も調理道具の入った大きなトートバッグを抱え、
「やっぱ重いわ〜これ」
と苦笑い。
「車じゃないと無理だったね」
「梓ちゃん、バイクでどうやって土鍋、運んでるんだろう?」
「いや、梓ちゃんは土鍋とか持って行かないと思うけど」
タープの隅に敷いたレジャーシートの上には、持ち込んだ荷物がずらりと並んだ。
「よし、完了〜」
「それっぽくなった〜」
二人は満足げにサイトを見渡す。
「ちょっと座ってみようよ」
ローチェアに腰を下ろすと、目の前には大きな富士山がそびえていた。
「いいなぁ〜、富士山……」
タープの下で、二人の視線は自然とその頂へ向く。
昼下がりの陽射しが山肌をやさしく照らし、
草原にはタープの影がゆらゆらと揺れている。
遠くからは、誰かがペグを打つ乾いた音が、風に乗って届いてきた。
「ねぇ、お腹すかない?」
「うん、ちょっと空いたかも」
メイは、自分のお腹がグゥと鳴った気がして、思わず笑った。
「レストハウス、行ってみようよ」
「いいね、いこいこ!」
ローチェアから立ち上がったメイは軽く伸びをし、
詩音はスマホをポケットにしまう。
テントのあるサイトから、富士山と反対方向へ目をやると、
四百メートルほど先に売店とレストハウスの建物が見えた。
「散歩がわりに歩いてこうか」
「そうだね。運動、運動〜!」
二人は富士山を背に、軽やかな足取りでレストハウスへと向かった。
空は雲が減り、青空が広がっていた。
広々とした草原の中を進むと、ひんやりとした風が髪を揺らし、
草木に混じって、どこからか焚き火の匂いがふっと鼻をくすぐる。
さっきまでの強い風はすっかりおさまり、午後の空気は穏やかだった。
「気持ちいいねー」
「タープ張ってたときの風、なんだったんだろ」
「きっと風神さまのイジワルだよ」
「でも、そのおかげで……ほら」
メイが振り向く。視線の先には、裾野までくっきりと見える富士山。
詩音も振り返り、
「だよね。ありがとう、風神さま」
と笑った。
二人は富士山を眺めながら、後ろ向きのまま歩く。
その時——
メイのかかとが、地面の小さな段差に引っかかった。
「うわっ……!」
今度はメイが詩音にギュッと抱きつく。
「ちょ、何!? いきなり告白?」
「いや、命の恩人だから抱きついただけ!」
「ルール通り、二回抱きついたら今度はおんぶだからね」
「そんなルール聞いてないし!」
二人は吹き出し、笑いながらレストハウスへと歩いていった。
テントから歩くこと五分ほどで、レストハウスに到着した。
おしゃれなウッド調の建物には、
“ふもとテラス”と書かれた木製の看板が掲げられている。
木のドアを押して中へ入ると、天井の高い木目調の店内が広がった。
正面の大きなガラス窓からは富士山がよく見え、
その手前にカウンター。中央には一枚板の長テーブルがいくつも並んでいる。
「おぉ、おしゃれカフェだ!」
二人は並んでメニューを眺める。
「この“豚鹿バーガー”、美味しそう。セットにしちゃおうかな」
「夜、鍋だから軽くにしないと」
「うーん……じゃあ単品で」
二人は券売機で豚鹿バーガーを注文。
カサリと出てきた整理番号の紙を握りしめる。
ほどなく番号が呼ばれ、受け取りカウンターへ。
トレイに置かれたバーガーは、レタスがはみ出し、
肉厚のパテがどっしりと挟まれている。見た目は一見普通だが、その名前が気になる。
「豚鹿って、豚と鹿?」
「鹿肉、初めてかも」
「いただきまーす!」
ひと口かじった瞬間——
「うまっ!」
「もっとクセあるかと思ってたけど……美味しい」
なんだかんだ言いながら、二人はあっという間に平らげてしまった。
ーーー
「美味しかったね〜」
ふもとテラスをあとにした二人は、建物の横に広がる池の方へ歩いていった。
水面は鏡みたいに静かで、青空と富士山の姿をくっきり映している。
草が揺れるたび、きらりと水面が光った。
「うぁ〜、綺麗かも!」
詩音はスマホを取り出し、池に映る逆さ富士をパシャリ。
「一緒に撮ろ?」
「富士山、入ってる?」
「ちょっとこっち寄って」
パシャッ。
二人の笑顔と逆さ富士が、画面いっぱいにおさまった。
池の端を歩くと、木々の隙間に二体のアニマルオブジェが現れた。
「あ!これ、ゆるキャンでも出てきたやつだよね!」
詩音が目を輝かせる。
「これってやっぱ……ライオン?トラ?」
「象とか?」
「それはないな」
メイはライオンに顔を寄せて「ガオー」と顔マネ。
詩音は「きゃー食べられる〜!」と小芝居をして、メイがシャッターを切る。
しばらく笑い声が続いたあと——
「そろそろ戻ろっか」
ふたりはテントへ向かって歩き出した。
炊事場の横を通ると、自販機がずらり。
「あ、自販機だ〜」
「ちょっと寄ってみよ」
カップ麺、お茶、スポドリ、指定ゴミ袋……
「なんでもあるね」と言い合い、冷やかすように見て回った。
富士山の方へ向き直ると、相変わらず雄大な姿。
「どこからでも富士山見えるの、いいよね」
詩音はまたスマホを取り出し、パシャリ。
「何枚撮ってんだって感じだけど……」
そう言いながら、メイもつられてシャッターを切る。
「ねぇ、あの草原中央トイレ、寄って行こうよ」
「うん、トイレ行きたいし……」
草原中央トイレは淡いクリーム色の壁に木のアクセントが入った山小屋風。
中に入ると広々として清潔で、自然光がそっと差し込んでいた。
「……綺麗すぎない?」
「キャンプ場のトイレって感じじゃないよね」
用を済ませた二人は、テントへ戻りながら話し始める。
「戻ったらコーヒー飲まない?」
「いいね、それ!」
「ラフォーレのコーヒー粉、持ってきたの。敦子店長が“お餞別ね”って」
「さすがは敦子さん」
「しかも淹れるのは……私! 一応プロだから!」
「あはは、確かにプロだわ〜」
サイトへ戻ると、メイがバーナーとケトルを準備。
詩音はドリップペーパーを探してテントに潜り込んだ。
数秒後——
「あれ……ない!」
「どうかした?」
「ドリップペーパー……忘れた」
詩音は泣きそうな顔でテントから出てきた。
「せっかくメイちゃんに美味しいコーヒー淹れようと思ったのに……」
「売店で探そうよ。どうせ薪も買わなきゃだし」
「……うん」
二人は車に乗って売店へ。
しかし——
「ペーパーは置いてないんですよ……」
店員さんが申し訳なさそうに言う。
「……そうですか」
詩音の肩がさらにしゅん、と落ちる。
「ほら、オリジナルのドリップコーヒーもあるし……」
メイが優しく声をかけた、その時——
「あら、あなたたち……?」
聞き覚えのあるやわらかな声。
「お姉さん!」
白糸の滝とマカノ牧場で会った“あのお姉さん”が、
鹿肉ソーセージのパックを手に立っていた。
「奇遇ね、また会うなんて」
「お姉さんもキャンプですか?」
「ええ。今日はこのキャンプ場の“麓キャビン”に泊まるの」
「麓キャビン?」
「小さなトレーラーハウスよ。デッキ付きで可愛いの」
「へぇ〜!」
メイも詩音も興味津々。
「あなたたちは……お買い物?」
「じつは、ドリップペーパー忘れちゃって……売店にもなくて……」
メイが説明する横で、詩音は小さくうなだれていた。
お姉さんはくすっと微笑む。
「どっちが忘れたのか、一目瞭然ね」
詩音は「うぅ……」と小さく潰れる。
「ドリップペーパー、いっぱいあるから、あげるわよ」
「え!?いいんですか!」
詩音の瞳が再び輝く。
「もちろん。キャビンまで一緒に取りに来てくれる?」
「はいっ!ありがとうございます!」
二人はそろって深くお辞儀した。
外へ出ると、午後の光が草原を照らしていた。
お姉さんを先頭に、三人並んで麓キャビンへ向かう。
「あなたたち、神奈川だったのね」
「はい、私は矢鞠で、この子は瀬原なんです」
「私は緑区よ。ご近所さんね」
お姉さんのやわらかい声に、メイの胸がじんわり温かくなる。
やがて、小さな白いトレーラーハウスが見えてきた。
ウッドデッキが可愛らしく、その横には紺色のBMW。
「ここが麓キャビンよ」
「オシャレだぁ〜!」
二人は思わず息を呑んだ。
「どうぞ」
お姉さんに招かれ、デッキへ上がる。
扉の横にはランタン、折りたたみチェア、薪の束。
木の良い香りがふわっと漂う。
キャビンの中はコンパクトなキッチンと小さなテーブル。
パンの袋とマグカップが置かれ、ちょっとした生活感が温かい。
そっと尋ねたメイ。
「あの……彼氏さんは……?」
「あぁ、一応、旦那なの」
「ご、ごめんなさい!」
「ううん。散歩してくるって、どこか行っちゃっただけよ」
そう言ってお姉さんはキッチン下の引き出しを開く。
「はい、これ」
取り出したのは——未開封のドリップペーパー。
「えっ……こんなに!?いいんですか!?」
「もうひとつあるから、遠慮なく」
「ありがとうございます!!!」
メイは深く頭を下げ、
詩音は袋を抱き締めて震えていた。
「命の恩人です……!」
「大げさねぇ。キャンプ、楽しんでね」
「お姉さんも!」
キャビンを出て歩きながら、詩音は袋をぎゅーっと抱きしめる。
「……足向けて寝られないよ。足は富士山の方にしなきゃ……」
その顔はもう完全に復活していて、
メイは「分かりやすっ」と心の中で突っ込み、くすっと笑った。
「薪も買わないとだね」
「カビラっ!」
元気よく返事する詩音を見て、メイの表情も自然とほころぶ。
二人は売店へ戻っていった。
ーーー
売店で薪とプリンを買い、プジョーに積み込んだ二人は、ガタガタと草原を戻っていった。
テントに着くと、メイはバーナーでお湯を沸かし始め、
詩音は鼻歌まじりにコーヒーの準備をする。
ドリップペーパーをセットし、ラフォーレのコーヒー粉をふわり。
「お湯、沸いたよ〜」
「カビラっ!」
詩音が嬉しそうにケトルを受け取り、細く細くお湯を注ぐ。
コーヒーの香りがタープ下にふわ〜っと広がった。
「いい香り……」
「こういう時思うよねぇ……みんな今ごろ仕事してるんだよなぁ〜って」
詩音はケトルをくるりと回しながら、ちょっと得意げ。
「お土産買ってかなきゃだね」
「うん、麓高原の土とか」
「なんで!?」
詩音は真顔。
メイは思わず「それ誰が喜ぶの」と笑いそうになる。
「お待たせしましたー!」
詩音がドリップを終え、二つのマグをテーブルに並べた。
その横には、さっき買った“濃厚プリン”がちょこん。
二人はローチェアに座り、富士山を正面にコーヒーをひとくち。
「……美味しい! ラフォーレの味そのまんま」
「ふふん、淹れたのは私だからね〜」
プリンの蓋を開けると、ぷるんと揺れる艶やかな表面。
「プリン、濃厚〜!」
「コーヒーと合わせたら最強だね」
甘みと苦みがほろりと混ざり合い、思わず二人とも目を細める。
タープ越しの空はやさしい夕方の色。
富士山は静かに、堂々と二人を見守っていた。
「……夢みたいだね」
「ホントだね」
時計は午後4時を指していた。
⸻
「ごちそうさまでした〜!」
プリンを食べ終えると、風が少し冷たくなってきた。
「ちょっと寒いね」
「今、9度だって」
温度計を見ながらメイが肩をすくめる。
「ねぇ、メイちゃん。お風呂どうする?」
「無料のお風呂あるし……行ってみる?」
「行こ行こ!」
ふたりはタオルと着替えを持ち、また歩き出した。
売店横の道を抜け、ゲートの奥へ。
木の屋根がかかった一角に“無料のお風呂”があった。
「……あっ」
すでに女湯の前には10人以上の行列。
「こりゃ、無理だねぇ」
詩音が看板を覗き込む。
「人数制限あるみたいだよ」
「どうする?」
「ボディシートあるし、明日温泉行くし……今日はいっか」
「だね」
二人は苦笑いしながら、来た道を戻った。
売店の横を通ったとき。
「メイちゃん、あれ見て!」
詩音がいきなり指を伸ばした。
その先には——
夕日に照らされ、赤く染まる“赤富士”。
「……すごい……」
二人はその場に立ちすくんだ。
山肌が真紅に染まり、
空の青と強烈なコントラストを描く。
「スマホ、置いてきちゃったよ……」
「パシャッ!」
「……え?」
「心のシャッターを切る音」
詩音の真顔に、メイはプッと吹き出した。
でも——すぐに視線は富士山へ戻る。
赤い山肌。
ピンクがかった雪。
吸いこまれそうなほど美しいコントラスト。
「……凛々花ちゃんだったら、どんな風に撮るんだろうね」
詩音がぽつり。
「……撮ってもらいたいよね」
二人はしばらく黙って、その夕景を見つめた。
風の音すら、どこか優しく感じる。
時間が止まったような静けさ。
ふたりは、それぞれの心に
赤富士の姿を深く焼き付けた——。
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