第103話 はじまりの朝 〜デュオキャン Ⅰ〜
第103話 はじまりの朝 〜デュオキャン Ⅰ〜
朝4時半。
ピピッ、ピピッ……とスマホのアラームが鳴る。
ベッドの上で目を覚ましたメイは、大きく背伸びをしてから、そっと立ち上がり、窓を開けた。
まだ真っ暗な空には、わずかにきらめく星。
ひんやりとした風が頬を撫でていく。
「よし、雨降ってない」
思わず顔がほころぶ。
「いくぞー、キャンプっ!」
その言葉が静まり返った家に響いて、自分でびっくりしてしまう。
「あっ……」
とっさに口を押さえて、苦笑いを浮かべた。
◇◇◇
準備は万端だった。
キャンプギアは昨夜のうちに車に積み込んである。
玄関の鏡の前で、メイは少し緊張した面持ちで自分を見つめた。
ターコイズの薄手パーカーに、淡いグレージュのフリースジャケット。
ボトムはアースカラーのコーデュロイワイドパンツ。
肩からはブルーグレーのミニショルダーバッグを提げている。
「……大丈夫、かな」
これは、ラズベリーモールのチャムジィで詩音が選んでくれたコーデ。
自分なりに、“おしゃれ”、がんばったつもりだ。
なんてったって、待ちに待った初キャンプ。
そう思うと、不安よりも楽しみの方が大きくなってきて、自然とまた笑みがこぼれる。
玄関を開けると、東の空がほんのりと色づき始めていた。
白いプジョー208が、静かにそこに佇んでいる。
ぎっしりとキャンプギアを積み込んだその車が、メイを待っていた。
「行ってきます」
そうつぶやいて、少しだけ家を振り返る。
そして運転席に乗り込むと、キーを回し、クラッチを踏み込む。
ゆっくりと動き出すプジョー。
野太いエキゾーストの音が、まだ人の気配のない住宅街に、やわらかく響き渡っていった。
◇◇◇
瀬原市の住宅街を抜け、ゆるやかなカーブを曲がったときだった。
メイの目に、ヘッドライトに浮かび上がる人影が映る。
──詩音だ。
鮮やかなブルーのパーカーを着て、大きく手を振っている。
胸元にはフーリーバードのロゴが入っていた。
足元はキャメル色のストレッチジョガーパンツ。
その隣には、山のように積まれた荷物。
メイはゆっくりと車を停めて、エンジンを切ると外に出た。
「おはよー、メイちゃん」
詩音は少し小声で言う。
「おはよう」
メイも思わず声をひそめて答える。
「その服……」
「あっ、これ? 一緒にラズベリーモールのチャムジィで買ったやつだよ」
詩音はにっこり笑って、くるっと一回転してみせた。
まるでファッションモデル気取り。
「メイちゃんのフリースも、そうだよね?」
「うん……」
「似合ってるよー! やっぱ私の目に狂いはないっ」
自慢げに言って、ドヤ顔をしてみせる詩音。
「はいはい。じゃあ、荷物、積んじゃうよ」
メイはくすっと笑いながらリアハッチを開けた。
「だねっ」
詩音が足元にあった大きなトートバッグを持ち上げる。
「それ、なに?」
「調理グッズだよ〜」
「なんか、でかくない?」
「そう? 土鍋とか入ってるし」
「……土鍋?」
「うん。鍋、やるって言ってたじゃん」
「ハハ……なるほどね」
詩音は重たいトートをよいしょと荷室に積み込み、
メイはテントや寝袋を形を整えながら丁寧に詰めていく。
「かなりパンパンだね」
「だね。でも、積めたし。ルームミラーも見えるし。
忘れ物、ない?」
「うん、たぶん大丈夫っしょ」
「……なんか心配」
思わず笑ってしまうメイ。
「じゃ、乗ろっか」
ふたりはそれぞれ車に乗り込み、バタンとドアが閉まる。
カチャッとシートベルトの音がして、同時に「ふぅー」と息を吐く。
車内はしばし静まり返る。
詩音がメイの方を向いて、ふっと笑った。
「いよいよ、だね」
「うん」
「なんか……」
「なんか……」
「──楽しみーっ!!」
ふたりの声がぴたりと揃い、思わずケラケラと笑い合う。
メイがキーを回す。
エンジンがかかり、再び静かな住宅街にエキゾーストが低く響く。
「初キャン、楽しむぞ!」
詩音がこぶしを上げた。メイもそれに応える。
ふたりの手が、天井にゴツンと当たる。
「イタッ!」
「あははっ!」
またしても、ふたりの笑い声が車内に弾けた。
「じゃあ、スタートするね」
「うん。しゅっぱーつっ!」
詩音の元気な声に合わせて、プジョーはゆっくりと走り出す。
空は少しずつ、朝の色へと染まり始めていた。
◇◇◇
薄暗い朝の道を、白いプジョー208は滑るように走る。
向かうは、東名高速・綾瀬スマートインター。
車内には、ふたりのお気に入りのアニメの主題歌が流れていた。
メイと詩音は、BGMに合わせて小さく口ずさむ。
窓を少しだけ開けると、早朝のひんやりとした風がふわりと流れ込んできて、
ちょっとした非日常の香りがした。
「雨、降らなくてよかったね」
助手席の詩音がつぶやく。
「うん。麓高原の方も、曇りのち晴れってなってたし」
メイがそう返すと、詩音はフロントガラスの向こうをじっと見つめながら言った。
「富士山、ドーン! 楽しみだねぇ〜」
「だよねっ!」
顔を見合わせて、ニヤニヤと笑い合うふたり。
朝の空気に、ふたりのテンションだけがぽんと浮かんでいるようだった。
綾瀬スマートインターを抜け、東名高速へと合流。
朝の光がゆっくりと広がりはじめる中、プジョーは快調に走り抜ける。
「朝早いのに、案外、車多いんだね」
助手席の詩音が、前を見ながらぽつりとつぶやく。
「平日だからね。通勤の人たちも出てくる時間帯だし。
混む前に厚木を抜けたかったんだ。渋滞、嫌かなって思って」
「なるほどー。だから、あんな早く出発したのか」
「うん。ちょっと早すぎたかな、とは思ったけど……」
──今日のドライブプランは、メイがすべて任されていた。
メイらしく、事前に調べ上げて、時間とルートをしっかり組み立てていた。
その目論見通り、渋滞には捕まらずに走行。
厚木インターを過ぎる頃にはスイスイと流れはじめ、交通量もぐっと減ってきた。
「快調だね〜」
「うん。予定通り!」
「それで、メイ隊長。われわれはこれより、どこを目指すのでありますか?」
「うむ、詩音隊員。まずは、足柄サービスエリアを目指すぞ」
「カビラ!!」
「……え?」
「カビラだよ! 洋画で『了解』って字幕が出るとき、カビラ!って言ってるやつ!」
「……それ、たぶん『copy that』だね」
「……えっ」
「『カピダッ』って聞こえるかもしれないけど、カビラではないかな」
「えー……。カビラ、じゃないんだ……」
詩音はちょっとしょんぼりした表情を見せたあと、ぱっと顔を上げた。
「でも! ネイティブっぽくていいよね。伝わるかは知らないけど!」
「まぁ、言いたいことは伝わったし……」
「よし、じゃあ私はこれでいくっ! カビラ!!」
そう言って、詩音は得意げに胸を張った。
メイは笑いながら、アクセルをゆるめず、足柄へと向かっていた。
◇◇◇
大井松田インターを過ぎる頃には、外の景色もすっかり朝の色に変わっていた。
けれど、空はどんよりとした雲に覆われたまま。
「このあたりからだと、富士山、けっこうよく見えるんだけどな……」
メイがフロントガラス越しに、遠くの空を眺めながらつぶやく。
「そうなんだ……。どのへんかなぁ、富士山って」
詩音が窓の外を見渡していると、ちょうど左に緩やかなカーブを切ったところで、
眼前に、もこっとした大きな影のようなものが現れた。
「……あれ、富士山?」
「だよね、きっと」
確かに、そこには富士山のようなシルエット。
だけど、その上半分以上が、雲にすっぽりと覆われていた。
「……雲が多すぎて、よく分かんないね」
テンションがほんの少しだけ、ふたりとも下がる。
“ドーン!”と現れてくれるのを期待していたぶん、ちょっと拍子抜けしてしまう。
でも、メイがそっと声を上げた。
「でも、これから晴れるって言ってたし」
「だよね! 大丈夫だよ──私の富士山っ!」
詩音が無理やりテンションを上げて、拳を小さく握った。
その姿にメイも笑って、アクセルを軽く踏み込む。
前方に、「足柄SAまで6km」の標識が見えてきていた。
◇◇◇
プジョー208が、静かに足柄サービスエリアへと滑り込んでいく。
早朝の駐車場は、まだ空きスペースが多く、すんなりと車を停めることができた。
「着いた〜」
「お疲れさま〜」
ふたりは顔を見合わせて、ほっと笑う。
ダッシュボードの時計は、6時28分を指していた。
詩音は、くすみピンクのサコッシュを肩にかけて車を降りる。
サコッシュには、さりげなくフーリーバードのロゴが入っていた。
メイもブルーグレーのミニショルダーを持って外に出る。
「ふぅ〜……」
思わず大きく伸びをすると、ひんやりとした朝の空気が肺に入ってきて、
なんだか身体も目を覚ますようだった。
「ここで、軽く何か食べていこっか」
「うん。朝ごはん食べてないから、お腹すいちゃったよ〜」
詩音がお腹を軽くさすりながら、キラキラした目で建物の方を見つめる。
建物の中に入ると、朝のサービスエリアはひっそりとしていた。
天井の明かりがやわらかく灯る中、数組の客がちらほらと座っているだけ。
「おー、空いてるねぇ」
詩音が嬉しそうに声を上げる。
「ほんと。いつもこのくらい空いてるといいのに」
人の多い週末のサービスエリアしか知らないふたりにとって、
こんなに静かなフードコートは、ちょっと不思議で、でも心地よかった。
並んだ店舗のうち、まだ開いているのはわずか。
詩音の目が、あるお店の看板に止まった。
「あ、ラッテリア……! うちの方、あんまり見かけないんだよね」
「じゃあ、ここにする?」
メイの言葉に、詩音はうん、と頷いて、カウンターへ向かう。
「えっと〜……エビバーガーのセットと……チュロスも食べちゃおうかな」
「え、大丈夫? このあと、富士宮やきそばも食べるんだからね」
「おぉ、そーだった! チュロス、抜きで!」
ふたりは笑い合いながら、揃ってエビバーガーのセットを注文した。
◇◇◇
「ここのエビバーガー、好きなんだよ〜」
詩音が幸せそうにかぶりつく。
「わかる! セットのハッシュドポテトも、いいよね」
ふたりは夢中で朝ごはんを頬張り、あっという間にエビバーガーをペロリと平らげた。
トレイの上には、残ったコーヒーと包み紙だけ。
ホットコーヒーの湯気を眺めながら、ふたりはゆっくりと話を続けた。
「なんか、こうやって遠出するの、久しぶりだなぁ」
詩音がぽつりとつぶやく。
「私は……五月に、西伊豆のおばあちゃんのとこ行ったけど」
「メイちゃんの田舎、西伊豆なんだ……」
「私のっていうか、お父さんの実家だけどね。
あのオイルランタンも、西伊豆のおばあちゃんからもらったんだ」
「へぇー。おばあちゃん、キャンプとかしてたのかな?」
「さぁ……もしかしたら、おじいちゃんかも」
「ねぇ、西伊豆って、堂ヶ島とかあるとこだよね」
「うん。うちの田舎は、そこよりもう少し北かな」
「小さい頃、行った記憶あるんだけどなぁ……なんか大勢で行った気がする」
「私も。お父さんとお母さんと……あと、なんかいっぱい人がいたような……
たぶん、小学校に入る前かも」
「覚えてるもんだね。人の記憶って、面白いね」
そんな、他愛もない話でテーブルの上は温かく満たされていた。
特別な話じゃない。けれど、旅の途中だからこそ、どこか心に残るような時間だった。
「さて、そろそろ行きますか」
メイが腕時計に目を落とす。
「次は何処ですか、隊長っ」
詩音が背筋を伸ばして聞く。
「うむ。次は、スーパーで買い出しだよ、詩音隊員!」
「カビラっ!」
詩音がビシッと敬礼を決める。
「……カビラ、かぁ」
ぷっと吹き出すメイ。
ふたりは立ち上がって、トレイを手にダストボックスへと向かう。
「そんなに、おかしいかなぁ……」
詩音が後ろから追いかけるようにしてつぶやいた。
◇◇◇
新富士インターを降りたあと、ナビに導かれるまま車を進めていく。
やがて、目的のスーパー「ミックスバリュ富士宮宮原店」が見えてきた。
駐車場は広く、空もようやく明るくなりきったところ。
プジョーをさっと停めて、ふたりは車を降りる。
「ここ、24時間営業って書いてある!」
詩音が入口の看板を指さして言う。
「だからここにしたんだ。朝早くても安心だから」
メイはそう言いながら、クーラーバッグとエコバッグ、それに“キャンプ計画帳”を手に取る。
準備万端の様子で、自動ドアをくぐって店内へ。
「おお……普通にスーパーしてる」
「だって、ミックスバリュだし」
朝早くにもかかわらず、店内の棚はしっかりと補充されていて、商品も豊富。
大手系列だけあって、地元の食材もあれば、アウトドア向けのアイテムも目立つ。
「……あ、薪も炭も売ってる。なんかキャンプ用品、多くない?」
詩音が足を止めて、アウトドアコーナーを見つめる。
「うん。紙コップとか紙皿も充実してるし……」
ふたりはカートを押しながら、あれこれ眺めて歩き回る。
「夜は、モツキムチ鍋だからね!」
「はい、料理長! お任せします!」
「メイちゃん、そこは『カビラ!』でしょ〜」
「……えー……カビラ……」
小声でつぶやくメイに、詩音はニヤニヤしながら腕を組んだ。
キャンプ計画帳に書き込んであった食材リストを見ながら、
詩音は小気味よくカゴに品物を入れていく。
「白菜に……キムチに……あ、シメのうどんも……っと。
お酒も買っていくんだよね」
頼もしい手つきでどんどん品物をカゴへ。
まるで買い物部隊のリーダー。
魚売り場の前で、ふと立ち止まる詩音。
「ねぇ、メイちゃん。焚き火でマシュマロ焼くじゃん?」
「うん?」
「でさぁ、これ。ししゃも、焼かない?」
指差したのは、子持ちししゃものパック。
「……それ、いいかも。美味しそう」
「でしょ〜?」
詩音は得意げにニンマリ笑って、ししゃもをカゴへイン。
そのままお菓子コーナーに移動して──
「あと、ポテチと〜……」
「詩音さ、お菓子、買いすぎじゃない?」
「余ったら持って帰ればいいのだよ、ワトソンくん」
「……だれ、それ」
「え? シャーロックの助手」
「いや、それは知ってるけど」
ふたりはくすくす笑いながら、引き続き店内を歩いていった。
買い物というより、ちょっとした冒険。
そんな雰囲気をまといながら、ふたりのカゴは少しずつ、キャンプの色に染まっていった。
クーラーボックスとエコバッグいっぱいの食材を抱え、ふたりは車へと戻る。
「……重たい……。ちょっと買いすぎたんじゃない?」
メイが、リアハッチをバタンと閉めながら息をつく。
「ま、これくらいないと、私たちの──
底なし胃袋
(
ボトムレス・ストマック
)
は満たされないのさ!」
詩音が両手を腰に当て、どこかの魔女のように笑う。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ〜〜〜っ」
「……底なしなのは、詩音だけだけどね」
メイが苦笑しながら運転席へ。
ふたりは再びプジョーに乗り込んだ。
ダッシュボードの時計が示す時刻は、8時45分。
「えっ、まだ9時になってないんだ」
「早起きしたから、なんか時間たっぷりある感じだよね」
「ここから麓高原までって、どのくらい?」
「30分くらい……だけど、まだ寄るところあるでしょ?」
「えーと……あ! 富士宮焼きそば!」
「正解っ。このあと行くのは、白糸の滝ですっ」
「し、白糸の滝……? なんか聞いたことある! そこに富士宮焼きそばあるの?」
「あるんだな〜、これが」
「さすが隊長っ!」
「じゃ、出発しまーす」
「カビラ!!」
詩音の号令とともに、メイはプジョーのエンジンをかけた。
車はふたたび、穏やかなエキゾースト音を響かせながら、ゆっくりと走り出した。
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