第102話 出発前夜、準備よし!
キャンプ計画最終会議の翌日、午前十時すぎ。
メイは、プジョー208をマウントワンの駐車場に停めた。
この日はメイと詩音、ふたりとも仕事は休み。昨夜、梓からの指摘を受けて、不足していた道具類を買い出しに来たのだ。
車を降りてマウントワンのエントランスをくぐると、店先のポスターが目に入る。
──「秋キャン応援フェア」
「ふふっ……」
メイはポスターを見て、思わず口元を緩める。
入口すぐの展示スペースには、大型の2ルームテントがどっしりと構え、その脇にはシェラフやランタンなどが秋仕様でずらりと並ぶ。
ディスプレイを見ているだけで、なんだか気分が高まってくる。
そのとき、背後から聞き慣れた声が響いた。
「ごめーん、ちょっと遅れた〜!」
メイが振り返ると、詩音がトートバッグを肩にかけて駆け寄ってきた。
「私も今来たとこだから」
「秋キャンフェアだって! 見た?」
「うん、見た。なんか気合い入るね〜」
テンションの上がった詩音は、バッグからおなじみの“キャンプ計画帳”を取り出すと、パラパラとページをめくった。
「まずは……っと、私が買うのはランタン! あとはCB缶のパワーガスと、防風板もだね〜」
「うんうん、じゃあランタンコーナー行こうか」
ふたりはそのまま、店内の奥──ランタン売り場へと向かった。
「この前来た時、いいなって思ってたんだよー、これ」
そう言って詩音が手に取ったのは、アンティーク風のランタン。ブロンズカラーの金属製で、クラシカルな見た目が目を引く。
「これ、オイルじゃなくてLEDなんだ……」
メイが手に取りながら、少し意外そうに言う。
「うん、メイちゃんのヤツに似てるよね」
「でもこれ、ちょっと暗くない?」
「かなぁ? メイちゃんのは暗いの?」
「うん、あのオイルランタンだと少しね。だから私、これみたいに小さいのをもう一個買ったんだ」
メイが指差したのは、手のひらに収まるほどの小型LEDランタン。高輝度タイプで、色温度の調整もできる機能派モデル。
「そっかぁ……暗いと怖いしなぁ」
棚を見回していた詩音が、ふと目に留めたランタンを手に取る。
「これとか、どうかなぁ……」
手にしたのは、金属のような質感を持つ筒型のランタン。どこかクラシカルな雰囲気をまといながらも、スイッチを入れると頼もしいほど明るい光が広がる。
「お、明るいねぇ。色も明るさも調節できるし……」
光の色を切り替えると、白っぽい昼光色から、ほんのりと温かみのある暖色へと変わっていく。
「うん、いいかも。これにする!」
詩音は、カートにランタンをぽんと入れた。
「次は、パワーガスかぁ……」
ノートを開いたまま、詩音がつぶやく。ふたりは店内をウロウロと歩いた。
「あ、ここだ」
メイが棚を指さす。
「これだよね、梓ちゃんが言ってたの。気温が低くても火力が安定してるガスボンベ……」
その横で、メイの目がふと別の棚に止まる。
そこには、コンパクトなシングルバーナーが並んでいた。
「ねぇ、何本にする?」
返事がない。詩音がメイを見る。
「メイちゃん?」
ハッと我に返ったように、メイが言う。
「ねぇ詩音……あのさ、私、バーナー買っちゃおうかな」
「え、卓上コンロ持っていくんだよね?」
「うん。でもさ、料理してるときに、お湯とか沸かしたくなるかもなって」
「なるほど! もうひとつあると便利かも」
「これでさ、お湯沸かして……コーヒー入れて……」
「ローチェアに座って……」
ふたり、妄想タイムに突入。
そんなとき、メイの視線がふと戻る。
目に留まったのは、フェア対象で30%オフの札が下がった小型バーナー。
シルバーの本体は無骨で頼もしい雰囲気。畳んでみると、片手にすっぽり収まるほどコンパクトだった。
「このメーカー、よく見るよね。バーナーといえばって感じの」
手に取って折りたたみながら、メイはつぶやいた。
「CB缶タイプだし……ボンベ共有できるし……」
詩音と目が合う。
「えーい、買っちゃおっと」
メイは照れたように笑って、そのバーナーをカゴに入れた。
「あはは、メイちゃん、火がついた。バーナーだけに」
「詩音、うまいっ!」
クスクスっと笑い合うふたり。
そのカートには、少しずつ、デュオキャンの準備が積み上がっていった。
◇◇◇
メモに書き出しておいた買い足しアイテムを、順調にカートへ放り込んでいく。
「グランドシートはブルーシートで代用するから……こんなところかな」
メイがキャンプ計画帳を見ながらつぶやき、顔を上げると──
「メイちゃん」
少し離れた棚の前で、詩音が手招きしていた。
近づいてみると、詩音が小さな声ではしゃいだ。
「これ、可愛くない?」
手にしていたのは、淡い紫色のステンレスマグ。サンリオのキャラクターが描かれている。
「かわいいね、このカップ」
「私、クロミ、好きなんだよねぇ」
「私は……こっちのポチャッコかな」
隣に並んでいた白いマグをメイが手に取る。
ぽてっとしたイヌのイラストが、どこか懐かしい。
「これで夜明け前のコーヒーを飲むとか、絶対気分あがるよ〜」
「うんうん! しかもこれ、二層構造っぽいから冷めにくそう」
また、目が合った。
「……買っちゃえ!」
ふたり声をそろえて笑いながら、カップをカートに入れた。
◇◇◇
大きな紙袋を手に、メイと詩音はマウントワンをあとにした。
「いや〜、ヤバいね、秋キャンフェア。買いすぎちゃう〜」
紙袋を見下ろしながら、詩音がニヤニヤ。
「だよね……。買わなきゃいけないの、まだまだあるのに」
メイもつられて笑いながら、車の鍵を取り出す。
「詩音、乗って。次はホームセンターだよ」
プジョー208のドアロックを解除しながら、そう声をかけた。
◇◇◇
ホームセンターにやってきたメイと詩音。
ふたりは湯たんぽ売り場の前に立っていた。
昨夜、麓高原キャンプ場の最低気温がマイナス2度になると知ってビビっていた詩音に、「シェラフの中に入れとくと、超あったかいぞ」と梓が勧めていたアイテムだ。
「湯たんぽなんて買ったことないから、どれがいいのか分からないや」
少し戸惑いながら、詩音が並んだ商品を見渡す。
「だよね。でもこの昔ながらのやつが、いちばん暖かいんじゃない?」
メイはトタン製の湯たんぽの説明書きをじっと見つめた。
「お湯を入れるんだよね?」
「うん。これ、水入れてそのままコンロにかけられるんだって」
「ほぇ〜」
手に取って重さを確かめながら、詩音が感心したようにうなずく。
「……コンロの上に置くなら、焼き肉もできるよね?」
「え?」
「この上にお肉置いて、ジューって……」
得意げな詩音。
「……それは、しないと思うよ」
メイは苦笑しながら、小さく首を横に振った。
詩音がふと棚の下のPOPに目を留める。
「これってカバー着けて使うんだ。じゃないとヤケドするもんね」
湯たんぽカバーのコーナーには、無地のものがほとんどだったが、その中に一つだけ、北欧風の幾何学模様のカバーが混ざっていた。
「これ、よくない?」と、詩音が目を輝かせて言う。
「なんか、おしゃれかも」
メイは手に取って、赤っぽい柄と青っぽい柄を見比べる。
「メイちゃん、どっちがいい?」
「私は……青かな」
「だと思った。私は赤にしよっと」
ふたりはそれぞれ、トタン製の湯たんぽとカバーをカートに入れた。
「次は……ブルーシートかな」
「ホッカイロ、激アツのやつそこにあるよ」
「それも買わなきゃだね」
そんな会話をしながら、ふたりの買い物はにぎやかに進んでいった。
買い物を終えたメイと詩音は、ホームセンターの駐車場へと戻ってきた。
メイがプジョーのリアハッチを開け、ヨイショと荷物を積み込んでいく。
その横で、詩音がノートを見ながらチェックを入れる。
「食材は行きにスーパー寄るからいいとして……これで全部かな」
「準備オッケーって感じだね」
笑顔で答えるメイに、詩音がニヤけながら言う。
「メイちゃん、あと一週間だよ!」
「どーする!」
「どーしよう!」
思わず顔を見合わせたふたりは、両手を合わせて軽く飛び跳ねる。
キャッキャとはしゃぎながら、駐車場の片隅でひとしきり盛り上がる。
やがて息を整えたメイが、小さく笑って言った。
「ヤバい、ドキドキしてきた」
「私も!」
「……少し落ち着こう」
メイが時計に目をやる。
「あ、もうお昼すぎてるんだ」
「どーりでお腹すくわけだ。ご飯いかない?」
「うん、どこ行く?」
「駅の近くのカレー屋さん、平日ランチやってるよ」
「あそこ駐車場あるし……いいね」
「ナン食べ放題だよ。何枚いく?」
「え、そんなに食べないし!」
プジョーのドアを閉めて乗り込むふたりの声が、昼下がりの空に軽やかに響いた。
◇◇◇
デュオキャンプまで、残り一週間を切った。
ラフォーレ・リーヴルスでは、写真展がじわじわと話題になり始め、週末には満席になる日も出てきていた。
展示を見に来たついでにカフェを利用するお客さん、SNSで話題を見かけて訪れた読書好きのカップル──
静かだったラフォーレの初秋の空気に、少しずつ賑わいが戻ってきていた。
そんな中でも、メイと詩音は変わらず慌ただしく働いていた。
だが、“いつも通り”のはずなのに、どこかそわそわしてしまう。
頭の片隅には、荷物のリスト、天気予報、キャンプ場のチェックイン時間──
日が進むほどに、胸の奥が小さく騒ぎ始める。
梓からは、相変わらずというか、あれから一度も連絡はなかった。
凛々花も週末には姿を見せなかったが──
月曜日の夕方。
メイが展示エリアから戻ってきたそのとき──
ふと、カフェのソファ席に目をやったメイは、見覚えのある後ろ姿に気づいた。
白いシャツに、いつもの生成りのトートバッグ。
──凛々花だ。
思いがけない再会に、自然と足が向かう。
「凛々花ちゃん」
メイの声に、凛々花が顔を上げた。
読んでいた本をそっと閉じ、目を細める。
「凛々花ちゃん、なんか久しぶり……」
「学校の課題が忙しくて……」
「そっか、大変だねぇ」
そう言いながら、メイは閉じられた本の表紙に目をやる。
『たよりたいけど、たよれない』──
凛々花の写真〈ポニーを撫でる親子〉に添えられていた、あの本だった。
「その本……」
「うん。ポニーの写真の前に置いてあったのと同じの」
凛々花はふわりと笑った。
けれど、その表情はどこか、あたたかかった。
「ことばって、やさしいね。
気持ちの居場所を、そっと教えてくれるから」
「……ん?」
分かるようで、分からないようで──でも、ちゃんと届いてくる気もした。
「あぁ……うん。そうだね」
凛々花の言葉に少し困惑しているメイを気にすることなく、凛々花は続けた。
「明日……キャンプだね。さっき詩音ちゃんが言ってた」
「……あ、うん。そうなんだ」
気を取り直して、今度はしっかりと返すメイ。
「楽しんできてね……キャンプ」
にこっと笑う凛々花。
それは体裁を整えた笑顔ではなく、血の通った自然な笑顔だった。
メイはその笑顔に、胸が少し温かくなる。
「ありがとう、凛々花ちゃん」
──ありがとう、凛々花ちゃん。
メイもまた、やさしく微笑み返した。
◇◇◇
そして──その夜。
仕事を終えて帰宅したメイは、早々にキャンプ道具の積み込みを始めていた。
プジョーのリアシートを倒すと、そこには思いのほか広いスペースが生まれる。
縁側に寄せていたギアをひとつずつ運びながら、順番やバランスを考え、丁寧に収めていく。
朝から降ったり止んだりを繰り返していた雨空は、今は静かに落ち着いている。
「よし、よし……もう降らないでね」
星の見えない夜空を仰ぎながら、そっとそう呟いたメイは、再び無言で作業に戻った。
◇◇◇
荷物をすべて積み終えると、冷凍庫からナポリタンを取り出してレンジで温め、いつものように夕食をとった。
そのタイミングで、スマホが小さく鳴る。
──ピコン。
詩音からのRainだった。
詩音:もう準備終わった?
メイ:うん。バッチリだよ。詩音は?
詩音:私もオーケーだよ
明日の天気、大丈夫かな?
メイ:曇りのち晴れだから大丈夫だよ!
詩音:なんかソワソワする
その言葉に、ふっと笑ってしまう。
──うん、分かる。自分も同じ気持ちだった。
画面を見つめながら、胸の奥がざわめいているのに気がついた。
メイ:明日、早いから早く寝ないと
詩音:うん、そうする
明日は、朝の5時半に詩音を迎えに行く予定だ。
ちょっと早すぎるかな……とも思ったけれど、予定をたっぷり詰め込んだ初日、早めの出発がよかった。
メイ:朝、出るときにRainするね
詩音:りょーかい!
スマホをそっと置くと、部屋の中に静けさが戻ってくる。
「いよいよ、明日なんだよねぇ……」
ぽつりとつぶやき、メイは椅子の背にもたれた。
胸の奥にあるのは──大きな期待と、ほんの少しの不安だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます!




