第10話 ただいま、おばあちゃん!
国道を外れて、安久里村の標識を右に曲がる。
すると、あの見慣れた細い道が現れた。
カーブをゆっくり抜けながら、少しずつ記憶の景色が重なってくる。
右手に見える防波堤の向こうには海水浴場がある。車の中からは見えないけれど、潮の匂いは確かに漂ってきた。
(あの角の喫茶店、まだやってるんだ…)
シャッターの開いた店先を横目に見ながら、メイはさらにスピードを緩めて走る。
そして、見えてきた。
『とうふや』の、古びた看板。
でも、豆腐は売ってない。
茶碗にお箸、えんぴつに下着、ちょっとしたお菓子に牛乳まで置いてある。
前時代のコンビニ、みたいな、村の雑貨屋さん。
なんで『とうふや』なのかは、謎のままだ。
茶色くすすけた木の壁は、前に来た時と変わらず、ちょっとだけ傾いて見える気もする。
車をそっと店の前につけたところで、丸見えの店内に人の影が近寄ってきた。
—— あ、おばあちゃんだ。
格子柄の割烹着に、少し曲がった背中。
眼鏡越しにこちらをのぞき込むような、あのやさしいまなざし。
「メイちゃん、おかえり」
……その言葉。
“いらっしゃい”じゃなくて、“おかえり”。
小さいころから、ずっとそう言ってくれていた。
おばあちゃんのこの言葉を聞くと、なんだか安心する。懐かしくて、くすぐったくて、嬉しくて。
——なのに、どうしよう。泣きそうだ。
あわてて笑顔を作る。目元がちょっと熱い。
「ただいま、おばあちゃん」
ゆっくり、でもしっかりと、そう言った。
◇◇◇
「ずいぶん美人さんになったねぇ、メイちゃん。何年ぶりだい?」
いやいや、美人はないでしょ。
それに、白いプリントTに、いつものデニム、上に薄いグリーンのカーディガン羽織っただけ。
髪も適当にまとめただけだし、メイクもほとんどしてないし。
でも、ちょっと嬉しかった。
「ううん、2年半ぶりくらい。おばあちゃん、元気そうで良かった」
少し照れながら、そんなふうに返した。
店の奥、畳の間にあがりながら、会話が弾む。
おばあちゃん……いつもと同じだなぁ。
割烹着姿も、声のトーンも、なにもかも。
「おじいちゃん、大丈夫なの?」
「大丈夫ずらよ〜。ただ骨が折れただけだから」
“ただ骨が折れただけ”…いや、充分心配なんですけど。
聞けば、階段の最後の一段でつまづいて、スネの骨を折っちゃったらしい。
頭は打たなかったし、本人はいたって元気なんだとか。
今は隣町の病院に入院中。
「骨もね、80過ぎるとすぐ弱くなるから。あの人も、歳には勝てんずらよ〜」
お茶を淹れながら、おばあちゃんは笑ってそう言った。
……笑って言えるところがすごいなって思った。
「シュウマイ、買ってきたよ。例のやつ」
「まあ、うれしいずら。おじいちゃんの分、あとで持ってってあげようかね」
——おじいちゃん、ほんとに、大丈夫そうだ。
そう思えたら、ちょっとだけ肩の力が抜けた。
◇◇◇
面会時間は午後3時から。
それに合わせて病院に行くことに。
その前に、おばあちゃんの買い物に付き合うことにした。
この村には、スーパーがない。
コンビニも、去年なくなっちゃったって。
いまは食料品も扱ってる酒屋さんが一軒あるくらいだって言ってた。
だから、おばあちゃんは買い物が必要になると、裏に住んでる、遠い親戚のシンペイおじさんに車を出してもらうらしい。
私も何回か会ったことある。
笑うと顔がくしゃっとなる、優しいおじさん。確か60代半ばだったような……
「シンペイおじさん、元気なの?」
「元気、元気。あの人はね、昔から運転好きだから。今も車ん中が趣味部屋みたいになってるずら」
「たしか、お酒やめたんだっけ?」
「そうそう。飲むと性格変わっちゃうから、自分で禁酒しとるよ。えらいねぇ」
おばあちゃんがあっけらかんと話すので、メイもつられて笑った。
◇◇◇
家を出るまでの時間は、おばあちゃんの手伝いをすることにした。
……といっても、棚を拭いたり、品出しするくらいだけど。
でも、こういうのは、ひとりでやると案外重労働なんだよね。
その間も、お店には、近所のおばあちゃんやおじいちゃんが代わる代わるやって来ては、手伝ったり、おしゃべりしたり、誰かが持ってきた梅干しをお裾分けしたり……
なんだろう、この空気。
懐かしいというより、ちょっと、うらやましい気持ちがした。
◇◇◇
お昼ごはんは、おばあちゃんが用意してくれていた。
地元の漁師さんから頂いたというアジの開きと、お刺身、しじみの味噌汁。
お茶を濁したけど、たぶん昨日も隣町まで、シンペイおじさんに車を出してもらったんだと思う。
「会社では、ちゃんとやってるの?」
「うん、まあ……それなりに」
「お休みは取れてる?」
「うーん、平日だけどね。土日はイベントで現場行くこと多くて……」
曖昧な返事をする私に、うんうんと頷きながら、楽しそうに聞いてくれるおばあちゃん。
その顔を見てるうちに、胸の奥が、じんわりあったかくなってきた。
——来て、よかったな。
正直、最初はちょっと面倒に思えた。
……いや、ほんとうは、“あの車”に乗るのをためらっていたのだ。
でも、あの焚き火の動画を見てから、心のどこかが少しずつ変わりはじめている、とメイは思う。
こうして楽しそうに笑うおばあちゃんを前にして、そのことが、じんわりと胸にしみてきた
◇◇◇
お昼ごはんのあと、洗い物をしようと土間へ入ったとき、ふと目についたものがあった。
お店と居間の境目にある古い棚の上。
編み物のカゴの隣に、少しほこりをかぶったランプのようなもの。
いや、ランプじゃない。ランタンだ。
ブロンズ色のしっかりしたボディ。
どこか懐かしさを感じる丸いガラスのホヤ。
この前、葛城書店で買ったキャンプ雑誌で見たランタンに、よく似ている気がする。
「おばあちゃん、これ……」
「ああ、それ? 今は使ってないずら。よかったら持ってきんしゃい」
「え、でも、悪いよ。なんか……もらっちゃうの」
「ほんとに、いいんだよ。メイちゃんが持ってってくれたら、うれしいずら」
にこっと笑うおばあちゃんの顔が、やさしさで少しにじんで見えた。
手に取ったランタンは、ずっしりとした重みがあった。
——はじめてのキャンプ道具。
自然と、笑みがこぼれた。
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