第1話 空虚と動画と心の火種
平瀬メイは、夜が嫌いではなかった。
誰とも話さず、一日が終わるこの時間が、一番自分のままでいられる気がした。
短大を出て、地元・神奈川県矢鞠市の小さな会社に勤めて一年と少し。
仕事内容はいたって普通。電話をとり、ファイルを整理し、コピー機の調子をたまに伺う。それだけの日々。
誰かと競うこともなければ、特別期待されることもない。
「平瀬さん、今日もありがとうね」
そう言われるたびに、笑って「はい」と返す。けれど、その声がどこまで届いているのか、自分でもよく分からなかった。
職場は家から徒歩圏内。満員電車に揺られずに済むのは助かる。就活のときから、そんな職場を探していたのも事実だ。
家は立派な一軒家。正確には母方の祖父母が建てた家を、両親がリフォームしたもの。
けれど両親はもういない。二つ下の妹も地方の大学へ行き、今はひとり暮らし。
広すぎる家は、良くも悪くも「ひとり」を強く意識させる。
だけどメイは、寂しいと思ったことはない。
むしろ——一人って、楽だなぁ。そう思っていた。
そんな家に、今日も帰ってきた。
コンビニのパスタを食べ、インスタントのコーヒーを淹れて、自室へ。
灯りは消して、デスクライトの光だけにして、ベッドに寝転がる。
唯一の趣味は読書。といっても恋愛小説や自己啓発本には興味がない。
彼女が読むのは、UFOとか幽霊とか時空のねじれとか、そんな類いの本ばかりだった。
それも「読むだけ」。心霊スポットに行くわけでも、誰かと語り合うわけでもない。
ページをめくって「ふうん」と思って、それで終わり。
今夜は読書じゃなくスマホの気分。
音のない部屋に、スマホの画面だけが光っていた。
何気なくSNSを開く。
「#ねこ」「#今日の晩ごはん」「#空が綺麗だったから」
タイムラインは、誰かの“今日”で溢れていた。
知り合いも少しはいるけれど、ほとんどは知らない人。
タグの海に漂うように、指先が画面を滑っていく。
そのとき、不意に親指が止まった。
焚き火の動画。
暗い背景に、ぽっと灯る小さな炎。
薪が燃える音がスマホ越しに届く。
パチ……パチッ……。
風の音も、虫の声もない。ただ火だけがそこにあった。
理由なんてなかった。偶然かもしれない。
でもメイの目は、その炎から離れられなかった。
燃えては揺れ、揺れてはまた燃える。
一定のようで、不規則な火の揺らぎ。
画面越しにじわじわと、心の奥へ染み込んでいく。
それは、音もなく降る雪のようだった。
冷たくもなく、あたたかすぎるわけでもなく。
ただ静かに──すっと、心に入ってきた。
気づけば、頬をつたうものがあった。
スマホの画面に、小さな雫がひとつ落ちる。
自分でも、いつ流れたのか分からない涙。
だけど、どうでもよかった。
「……火、きれい」
声にならないような言葉が、部屋の静けさに滲んでいく。
炎が、ただきれいだった。
それだけ。
小さな、小さな火種。
何かを変えるほど強くはない。
けれど確かに——彼女の心の奥に、ぽっと灯っていた。
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