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第二話 偏愛 六


 六


 横山隼はかつてないほどに胸の高まりを感じていた。

 ようやく手に入った。ようやく。

 今年の入学式の時に初めて見つけた、光り輝く女、本町ひとみ。あふれんばかりのエネルギーが遠目にも伝わってきて、横山は一目で恋に落ちた。絶対に欲しい。そう思った。


 横山は超が頭についてもいいぐらいの裕福な家に生まれた。

 生まれつきの容姿も相まって、両親からは溺愛され、ほしいものはなんでも手に入った。たとえ他の子どもが欲しがっているものでも、横山は時に横取りして手に入れてきた。両親もそれを許してくれた。「隼は特別だからと」。

 成長するにつれて、自分は頭もいいことが分かった。スポーツ神経も抜群だった。気になった異性はたとえ人のものでも遠慮なく奪い取った。怖いものなしとはこのことだ。特別な自分に勝てる相手などいない。

 この大学に入ってからも、一番難しくて厳しいとされる田尾寺教授のゼミに難なく入った。歴史は好きだし得意だったので苦でもなんでもなかった。同期で入ったゼミ生は、横山と比べられる劣等感からか次々とやめていき、院まで進んだのは横山だけだった。周りからの尊敬のまなざしをほしいままにし、女性に告白されるのは日常茶飯事だった。

 

 そんな時、本町ひとみに出会った。

 

 ひとみは横山がこれまで出会った人間の中で、横山以外の唯一の特別な人間だった。

他の人間はなぜかひとみのほとばしる眩しいまでのオーラに気が付かない。どう見ても特別なのに。むしろよそよそしくされている場面さえあった。やはり愚かな人間にはわからないのだろう。

 一人だけ。三田凪という女だけはひとみの特別性に気が付いているようだったが。

 しかし、横山はここで想定外の苦難を味わう。

 横山は基本的に女性の方から自分によって来るので、自ら異性にアプローチする経験があまりなかった。それで問題などなかった。ちょっと水を向ければ大体の女性は横山に夢中になるのだから。

 だがしかし、ひとみは全く横山に興味を示さなかった。

 さりげないアプローチはすべて無視された。というか、鈍感すぎて気が付かれなかった。業を煮やして冗談ぽく迫ったら、あからさまに拒否された。

 本町ひとみは、まったく、これっぽちも、全然、横山に興味がなかったのだ。

 横山は自分にぞっこんの後輩女子を何人か使ってひとみに外堀から取り入ろうともした。しかし、その間に入る女子が結局、横山を独占したがるのでうまくいくはずもなかった。むしろ逆効果で、あっという間にひとみは学科で孤立した。最後に一番、横山にぞっこんだった花山沙也香を使ったが、結果は同じだった。

 どいつもこいつも使えない。

 手に入らないもどかしさに横山の心が鬱屈するほどに、ひとみの輝きは増していった。横山の歪んだ想いは募り続けた。

 そして、ある日気が付いた。もし、自分以外にひとみの特別性に気が付いた男が現れたらどうなるかと。その男がひとみをもっていってしまったら、と。

 ありえない話ではない。むしろいつか必ずそうなる。現に、三田凪はあっという間にひとみを独占した。そうだ。敵は男だけとは限らないのだ。

 横山は望んだものは絶対に手に入れる。たとえその方法が倫理に反するものでも。自分なら許される。だって自分は特別なのだから。

 そうして横山は歴史の研究の中で知りえた禁忌に手を出した。

 ひとみを完全に自分のものとするために。




 本町ひとみは今、横山が彼女を監禁するために用意した部屋で震えていた。さっきまでのトロンとした夢見心地な表情ではもうなくなっている。理屈はわからないが、何かの拍子に幻惑が解けたらしい。

 まあいい。

 横山はなにも焦っていなかった。少々面倒にはなったが、ここまでくればもう問題ない。この家の防音性能は確認済みだ。泣こうがわめこうがもう手遅れだ。逃げられはしない。いったん適当に拘束して、魔術はゆっくり何度でもかけなおせばいい。

 横山は棚からあらかじめ用意していた手錠を取り出した。ひとみが「ひっ」と声を上げる。

「大丈夫。こわくないからね」

 横山はにっこり微笑みながらひとみににじり寄った。

 その時、ひとみのエナメルバッグが微かに震えた。

 ひとみははっとしたように鞄を見ると、急いで中からスマホを取り出した。

 それはちょっとまずいな。

 横山は空手で鍛えた足運びで一気に距離を詰めた。会話ボタンをスワイプした瞬間のスマホを、ひとみから奪い取る。

「ちょ! 返してください!」

 叫ぶひとみを無視して、スマホを耳に当て、背を向ける。

『ひとみ?』

 この声は三田凪か。

さっさと切ってしまうのが一番安全だ。しかし、一番のライバルからひとみを奪い取ったことを考えると、一発、勝利宣言をしたくなってしまう。

「残念。横山だよ」

 ひとみが騒いで横山の服を引っ張っているが、横山は完全に無視してにやりと笑った。

「魔女っ娘ちゃん。悪いけど、ひとみはもう俺のものだよ」

 一瞬の沈黙。ショックを受けているのだろう。横山の口角がさらに上がる。しかし、返ってきた凪の声色は冷静だった。

『後ろの騒いでるのはひとみの声ね。どうやら幻惑は解けてるみたい。水を飲んだのね。よかった』

 横山はちらりと床に転がったペットボトルを見た。なるほど。三田凪がなにかやったのか。

「術は何度でも、かけなおせばいいさ。それこそ一生、繰り返してね」

 そうだ。三田凪がどうやって横山の術を強制解除したのかはわからないが、自分の勝利は変わらない。

「ここの住所もわからないんだろ。助けにもこれないね。魔女っ娘ちゃん。ひとみとは喧嘩別れになっちゃうけど、ごめんね」

 悔しさで声も出まい。横山は満面の笑みで電話を切ろうとした。が、次の凪の一言で横山は動きを止めた。

『助けに行く必要はないわ』

 ん? 

『だって、ひとみが正気に戻ったんでしょう』

 凪の声は断言した。

『じゃあ、それで十二分よ』

 意味が分からない。横山が口を開こうとした瞬間、横山の服がまた引っ張られた。

 尋常じゃない力で。


「返しなさいって言ってるでしょうがあああ!」


 上着がすさまじい勢いで引っ張られたかと思うと、横山は宙に浮いた。

「え?」と事態を把握する間もなく、部屋の壁の本棚に横山の体がたたきつけられる。

「がは!!?」

 ばらばらと横山が集めた本が床に散らばる。横山は頭上から落下する本をもろに食らいながら本棚の前でしりもちをついていた。唖然としながらひとみを見る。

 どれだけの体格差があると思っているんだ。どんな力だよ。

 ひとみは斜に構える形で横山をにらみつけていた。

『ひとみが高校時代に一時期だけやってたスポーツがあるんだけど、知ってるかしら』

 横山の足元に転がったスマホから凪の声が流れる。

『町中の教室だったんだけどね。体験を申し込んで、一か月かそこらで、そこの元プロのコーチに圧勝しちゃって、居づらくなってやめたんだって。あの子、熱くなったら止まらないから。なんだと思う?』

 ひとみは斜に構えたまま両足を肩幅に広げ、前後にリズムを刻み始めた。両の拳を顔の前で構える。

 事態に気づいた横山は慌てて立ち上がり、空手の構えを取った。両手を前に構え、ひとみの動きを凝視する。

 ひとみの上半身が瞬時にブレた。


『キックボクシングよ』


 経験したこともないようなすさまじい右ブローが、横山の腹部を貫いた。

「かは!」

 瞬時の判断で腹筋を固めたにもかかわらず、規格外の衝撃が横山を襲う。まるで除夜の鐘を突く丸太を叩きつけられたようだった。体が浮き上がり、背中が本棚にめり込む。

 再び、ひとみの腕が目で追えない速度で動いた。

 空手で培った勘から、とっさに顔の右側を両手でガードする。判断通り、ひとみの左フックが横山のガードに当たった。

 そして、ガードをものともせず、横山の両腕ごと顔面を殴りつけて吹き飛ばした。

「!?」

 再び宙に浮いた横山は背中から床に落下する。それでも勢いが止まらず、ずざざざざと音を立てながら、ドアの戸に激突した。横山がさっき閉めた南京錠がガチャガチャと音を立てる。

 横山は殴られた頬を押さえた。ガード越しでなければ、歯が全部砕け散っていたのではないかと思える衝撃だった。

 ひとみが首を鳴らしながら近づいてくる。

 横山はドアノブにしがみつくように立ち上がった。

「ま、まって。ひとみちゃん。落ち着こう。ね? いったん落ち着いて」

 横山に到達する寸前にひとみが小さくジャンプし、くるりと体を反転させた。

 まずい。

 横山は自分が考えられる最高の防御の構えを胸の前で繰り出した。

 その渾身の防御を、ひとみの後回し蹴りが貫いた。

 格闘技界において、時に足の筋力は腕の筋力の3倍の威力を叩き出すといわれる。

「特別」な少女、本町ひとみも例外ではなかった。

「ふげえええ!」

 横山は、南京錠どころか、枠ごと破壊された扉の残骸とともに、回転しながら廊下を転がった。

 

 長い廊下の中ほどまで転がり、激痛に呻きながら恐怖におののいた眼でひとみを見つめる。

 肩をいからせた本町ひとみが、枠だけ残ったドアの残骸をくぐり、ゆっくりと廊下に足を踏み入れた。


 人間じゃない。


「う、うわああああああ!」

 特別な人間である自分の心が、本物の「特別」を前にして、ぽっきりと折れたのを、横山ははっきり感じた。

 逃げなければ。

 這うようにして残りの廊下を逃げまどい、玄関にたどり着く。

 ドアに縋りつき、震える指先でドアノブの鍵を開ける。しかし、南京錠はカギを差し込まなければ開かない。ひとみを監禁するために横山自身がそう改造したのだから当たり前だ。

 慌ててポケットさぐる。

 鍵がない。さっきの部屋で落としたんだ。

 横山は恐怖でふるえながらゆっくりと後ろを振り返った。

 本町ひとみはすぐそばまで迫っていた。フーフーと短く息を吐き、臨戦態勢だ。

「ひ、ひとみちゃん!」

 もうだめだ。謝るしかない。

「ご、ごめん! だましてごめん! 薬入りの紅茶を飲ませてごめん! 呪文で操ってごめん! あと、ええと、盗撮してごめん! 監禁しようとしてごめん!」

 ひとみの動きが止まった。

 いける。いけるのか?

 横山は思い出した。そうだ、自分はこれまで散々モテてきた。いける。いけるかもしれない。

「ひとみちゃん。きっかけは妙薬と呪文だったけど、ほんとそれはあやまるけど」

 そうだ。初めからこうすればよかったんだ。

「ひとみちゃん」

 気持ちを伝えるんだ。真正面から。


「好きです! 付き合ってください!」


 ひとみは一瞬、黙った。横山は唾を飲み込む。

 ぼそりと、ひとみがつぶやいた。

「……り」

「へ?」

 ひとみは叫んだ。


「ほんとムリ!」

 

 次の瞬間、ひとみの渾身の右ストレートが南京錠ごと横山を家の外に殴り飛ばした。

「ぶぼべ!!」

 横山はドアを突き破ったのみならず、ゴロゴロと玄関の前をすさまじい勢いで転がる。

 しばらく転がり続けた横山の体は、駐車された一台の車にぶつかる形で動きを止めた。見慣れない車だった。

 その車の助手席のドアがガチャリと開いた。

 三田凪が颯爽と降り立つ。

 凪は横山には見向きせず、玄関に突っ立ったひとみに駆け寄った。

「ひとみ!」

 凪に抱き着かれて我に返ったひとみは、しばらく呆然としていた。そして、自分に抱き着いているのが凪だと気が付いた瞬間、堰を切ったように泣き出した。

「うわあああああん! 凪ちゃああん」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら凪を抱きしめる。

「こわかったああ。こわかったよおおおお」

 泣きじゃくるひとみの頭を凪が「こわかったね、がんばったね」とやさしくなでる。

「ママ! 飲み物持ってきて!」

 凪がそう叫ぶと、運転席から中年女性が下りてきて、「はいはい」とお茶のペットボトルをもっていった。

 その光景を見ながら、横山は自分の意識がゆっくりと遠ざかっていくのを感じた。


 こうして、横山隼の初めての失恋は幕を閉じた。


「あと、ママ。あいつ、トランクに放り込んどいて」


 はずだった。




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