第二話 偏愛 四
四
横山先輩が泣きじゃくる私をなだめるのに半時間はかかった。
私は丸テーブルに座るがいなや、凪ちゃんとケンカしたこと、そのケンカの理由が横山先輩についてであることまで、泣きながら横山先輩に吐き出した。さすがに呪いやら魔術のことは話せなかったので、尻切れトンボになり、まったく要領が得ない話だっただろうが、横山先輩は辛抱強く聞いてくれた。
「大丈夫。ケンカなんてよくあることだよ。魔女っ娘ちゃんとはすぐ仲直りできるよ」
横山先輩は私が胸の内をあらかた出し終わり、落ち着きかけたところを見計らってそう言った。棚からお菓子の箱を取り出す。今日もゼミ室は二人だけだった。静かに流れるいつもの音楽の中、時折、私がしゃくりあげる音だけが響く。
「……そうでしょうか」
「うん。約束する。友人関係のコツはね、あきらめないこと。大きいケンカをしても、これで関係が終わりだなんて思わずに、ちゃんと仲直りしようという気持ちがあれば、絶対に友達は戻ってくる」
横山先輩は高そうなチョコレートをテーブルに置いてくれた。
「紅茶、今、いれるね」
私は「ありがとうございます」と答えた後に、凪ちゃんとの話を思い出した。
『紅茶を飲んじゃダメ』
大丈夫だ。横山先輩はそんな人じゃない。人に呪いをかけたり、飲み物に何か混ぜたり、そんな卑怯なことをする人じゃない。
でも。
泣きそうな顔で背を向ける凪ちゃんの姿が頭に浮かんだ。
「あ、あの。すみません。今日はやっぱり紅茶は遠慮します……」
「え? どうして?」
横山先輩がきょとんとする。
言葉をにごす私を見て、横山先輩は「ああ」と納得したような声を出した。
「そっか。いつもはクッキーだけど。そうだよね。チョコにはやっぱりコーヒーだよね。ちょうどいいや。良い豆があるんだ」
そう言うと、今度はコーヒーミルを取り出し始めた。なんでもあるな。このゼミ室。
「あ、いえ。コーヒーもいいです……」
「え?」
横山先輩が本格的に眉をひそめる。
「コーヒー、苦手?」
「ええと、その、実は今日、おなかの調子が悪くて……」
「そうなの? 大丈夫?」
「大丈夫です! ただ、本調子ではないので、大事をとろうかと……」
そう言いながら、よくよく考えれば、さっき屋上でばくばくコロッケパンを口に放り込んでいたのを、横山先輩に見られていたことに気が付いた。まずい。嘘ってばれるかも。どうしよう。嫌われちゃう。
しかし、横山先輩は特に訝しがるようすもなく、「そっかあ」と残念そうにコーヒーミルを棚に戻した。
「じゃあ、甘いものもあんまりよくないよね。チョコもまた今度にしよっか」
「す、すみません」
よし。今日だけだ。今日だけは凪ちゃんへ義理を立てよう。先輩のことを疑われて嫌な気持ちにはなったけど、凪ちゃんなりに心配してくれた結果だったのだから。
そして、「紅茶のまなかったけど、何もかわらなかったよ」と明日、伝えて、もう一度ちゃんと話をしよう。
チョコもしまいなおした横山先輩は私の向かいに座り、今日はお茶もお菓子もなしで雑談をした。
最近見た映画だとか、本だとか、田尾寺先生の意外な一面だとか。他愛もない話ばかりだったけど、横山先輩は話が上手で、何度も私を笑わせてくれた。きっと、落ち込んでいる私のために明るい話題を選んでくれているのだろう。さっきまでの涙はひっこみ、心がどんどん温かくなっていく。
ほら。凪ちゃん。紅茶とか関係ないんだよ。
私は、ちゃんと本心で、優しい先輩が好きなんだ。
時の流れを忘れるとはこのことなんだろう。気が付くと、窓の日差しに夕暮れを感じる時間になっていた。
「お、もうこんな時間だね」
「すいません。長居しちゃって」
「全然。楽しかったよ」
なんだかデート終わりのような会話に、ちょっと照れくさくなる。
「でも、ほんとわかってないよね」
横山先輩が椅子から立ち上がりながらつぶやいた。
同じく椅子から腰を浮かしかけていた私は意味が分からず、「え?」と聞き返した。
「泣いてた時、言ってたじゃん。俺にひとみちゃんがふさわしくないって魔女っ娘ちゃんにも他の子にも言われたって」
「あ、はい」
「他の子って、どうせ沙也香ちゃんでしょ。それ言ったの。わかってないなあ。あの子は相変わらず」
横山先輩がゆっくりとテーブルを回って近づいてくる。
「ひとみちゃんの魅力がわからないんだよ。だから簡単にケンカして、席も離れちゃうんだ。何度も仲直りしろってあの子にも言ったんだけどね。いつもは何でも言うこと聞くくせに、今回だけは意地でもしなくて。ほんと使えない。前までひとみちゃん、最前列に座ってくれてたのに。おかげで今では最後尾でしょ。最悪だよ。授業の間、せっかく一番近くで見つめていられたのに」
横山先輩が私のそばに体を寄せてきた。頭の奥の奥で警鐘が鳴る。
おかしい。なにかおかしい。なにか危険だ。
でも、私の体は動かなかった。頭にもやがかかっているようだ。心臓は高鳴っているが、緊張ではない。すごく心地よいときめきのような鼓動だ。
思考と心がかみ合わない。
「ひとみちゃんは特別なんだよ。スペシャルなんだ。頭の先からつま先まで光り輝いている。沙也香ちゃんなんかとは比べ物にならない。なんでみんなわからないのかな」
横山先輩の顔が近づいてくる。いつもの優しい表情をしている。でも、目は爛々と光っていた。
やばい。なにかやばい。
でも、何がやばいのかも考えられない。思考回路がまるでねばついた泥のようなもので覆われたように、思うように考えることができなかった。頭の奥で必死にならされる警鐘の音がどんどん遠く、鈍くなっていく。
「俺にふさわしくない? 何を言ってるんだろうね。俺にこそふさわしい。むしろ俺のために天が遣わしてくれた存在だよ。そうだろう。ひとみちゃんは俺のものだ。誰にも渡さない」
おかしい。にげろ!
そう叫ぶ頭の中の私の理性は完全に何かに覆われてしまった。
頭が乗っ取られる。なんで? 紅茶は飲んでないはずでしょう。え、紅茶? なんで飲まなかったんだっけ?
「ひとみちゃんもそう思うでしょ。俺のこと、好きでしょ」
私は目の前にある横山先輩の顔を見つめながら動けなかった。好きかと聞かれて反射的にうなずきそうになっている自分の体を頭の奥の奥に追いやられた理性が押しとどめている。でもそれも限界だった。消えゆく私自身の思考が、最後に一人の少女の姿を脳裏に描き出した。
助けて。凪ちゃん。
横山先輩が、私の耳のそばでささやいた。
「カフェカシタノンカフェラそして息子よ彼自身のすべてのもののために語れ」
私の中で、凪ちゃんの姿が消えた。
「もう一度聞くよ。ひとみ。俺のこと、好き?」
私は横山先輩の目をじっと見つめ、大きくうなづいた。
そして、笑顔で言った。
「はい。大好きです」
続きは明日、投稿予定です。
よろしくお願いいたします。