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第二話 偏愛 二


 二



 自分の気持ちが変化したタイミングがいつなのかは明確にはわからない。ただ、初めて自分の胸の高まりを感じたのは、恐らく2週間前にゼミ室で偶然居合わせたときだろう。


「ごめんね。田尾寺先生、いま出かけてて」

 その日、田尾寺先生に出しそびれていたレポートを提出するために私は田尾寺ゼミの研究室を訪ねた。そこには田尾寺先生はおらず、横山先輩がおしゃれな丸テーブルに座って調べ物をしていた。

「あ、そうなんですね。じゃあ出直します」

 そう言ってお暇しようとした私を、横山先輩が引き留めた。

「すぐ戻ってくると思うから、中で待ってなよ」

「いえ、お邪魔でしょうし」

 横山先輩は笑って立ち上がった。

「論文で煮詰まっててね。実を言うと休憩の口実がほしかったんだ」

 横山先輩は椅子を一つひいて、手で私に座るように促した。

「お茶、付き合ってよ」

 そうまでされると断りづらく、「すみません」といいながら私は椅子に座った。

「紅茶でいい?」

「あ、おかまいなく」

「一人で飲んでもつまらないからさ」

 そう言うと横山先輩は部屋の隅の棚から陶器の茶器を取り出し、本格的な紅茶を入れ始めた。

「すごい。ゼミ室ってそんなのあるんですね」

「いや。他のゼミ室にはインスタントコーヒーぐらいしかないよ。ぼくの趣味。置かせてもらってるんだ」

 私はゼミ室を見渡した。歴史の本が詰まった本棚が所狭しと並んでいるのは当然として、所々に観葉植物だとか、レトロなCDプレイヤーなどがディスプレイされている。田尾寺先生にはあまり似つかわしくない気がした。

「ばれた? 本以外は大体ぼくが持ち込んだ物だよ。田尾寺先生には教授の部屋が別にあるから。このゼミ室は散らかさない限り好きにしていいよって」

 お湯が沸いたようで、茶葉の匂いが漂ってきた。なんだが甘いような、でも、どこかスパイシーなアクセントが混じっているような、でも不思議と調和が取れている、そんな香りだった。

「変わった香りですね」

「でしょ。ところでひとみちゃん、紅茶の生産地で一番有名なのはどこかわかる?」

 私はコーヒーも紅茶も全然詳しくない。だから、イメージで答えた。

「えーと・・・・・・ イギリス?」

 横山先輩はお盆にカップやポットを並べながらいたずらっぽく微笑んだ。

「残念。インド」

「そうなんですか」

「インドは国内消費が多くてそこまで輸出されないから。世界最大の生産国なのにあんまりイメージないよね」

 そこまで聞いて、思い当たった。甘ったるいけどどこかスパイシーな香り。

「あ、チャイだ」

「うん。ほぼ正解。その中でもさらにマニアックな茶葉」

 横山先輩は一式を乗せたお盆をゆっくりと運んできた。「手伝います」と腰を浮かせたが、「熱いから。まかせて」と再度座せられた。カップとポット、ミルクの入った銀食器をテーブルに並べてくれる。クッキーまで用意してあった。

「少し蒸らすから、ちょっと待ってね」

 横山先輩は私の向かいに座った。二人の間に紅茶の甘い香りが漂う。

 どうしよ。なに話せばいいんだろ。

 流れでお邪魔してしまったが、よく考えれば私は男性とお茶なんてしたことない。自慢のコミュニケーション障害が早速発動してしまい、私は目を泳がせた。

 私が緊張しているのを悟ったのだろう。横山先輩が気を利かせて「音楽でもかけようか」と立ち上がり、CDプレイヤーをいじった。穏やかな音楽が流れ出す。男性の海外歌手の曲のようだ。私は音楽も詳しくないが、とってもお洒落な感じなのはわかった。

「どう? 大学は慣れた?」

 当たり障りのない話題を振ってくれた。助かる。

「あ、はい。大分慣れました」

「そっか。よかった」

「ありがとうございます」

 はい。会話終了。話題を振ってもらえたところで広げるなんてできないんだよ。私は。

 しかし、横山先輩は会話上手だった。間髪入れず次の言葉を差し込んでくれる。

「最近は寝坊もしなくなったもんね」

「は、はい。その節はご迷惑をおかけして・・・・・・」

「いや、ぼくは面白かったよ。教室にスライディングしてくる子はそういないから」

 横山先輩は屈託なく笑った。笑顔を見ると安心する。

「最近、沙也香ちゃんとはうまくいってない? 席、離れちゃったけど」

「あ、はい・・・・・・」

 私は思わず目を伏せた。流石に言えない。あなたが原因で沙也香に逆恨みされて呪い殺されかけたので、幼なじみが怒って呪い返して殺しかけました、とは。

 私の表情でなにかしら悟ったのだろう。「まあ色々あるよね」と横山先輩は会話を切って、カップに茶こしをセットした。

「ミルクと砂糖、大丈夫?」

「あ、お願いします」

 濃いめに入れられた紅茶に、カップの中でミルクと砂糖が混ざり合う。

「どうぞ」

「いただきます」と一口飲んだ。さらりとした紅茶の味わいのあと、シナモンの上品な風味を軸として、少しくせのあるスパイスの香りが鼻を抜けた。香りが複雑に重なった実に奥深いミルクティーだった。砂糖のあんばいもちょうどいい。

「おいしいです。すごく」

「よかった。チャイ系は向き不向きがあるから、ちょっと不安だったんだ」

「私、すごく好きです」

 もう一口飲む。温かい紅茶が喉を通ってお腹に流れていくのを感じる。思わず「ふうっ」と息を吐いた。なんだかさっきまでの緊張も薄れてきた。甘い物って偉大だな。

「ひとみちゃん、陸上部だったんだって?」

「はい。中学の時に」

「あの走りだもんね。活躍したでしょ」

「いえ・・・・・・」

 私はカップの湯気を見つめた。

「活躍する間もなく、やめちゃいました」

「どうして?」

 私は少し黙った。誰にも言ったことがなかった。でも、聞いてほしい。なぜだかそう思った。

「同級生の子と、なんだかそりが合わなくて。いじめられてたとかじゃないんですけど。よそよそしいって言うか。今から考えると、私が挙動不審だったんでしょうね。小学校の時は凪ちゃんとばっかり一緒にいたから、友達の作り方とか、全然わからなくて」

「そっか。それでやめちゃったの?」

「いえ。しばらく続けたんです。こんな私に目をかけてくれる先輩がいて。2年の女の先輩だったんですけど。とっても優しい人で、走るフォームとかも親切に教えてくれて。私、不器用だから全然言われたとおりにできないんですけど、根気強く声をかけてくれたんです」

 そこで私は言葉を切った。横山先輩は黙って待ってくれた。だから続けた。

「その先輩がある日、事故か何かで大けがしちゃって。最後の大会に出られなくなっちゃったんです。で、当然代走を誰かがしなくちゃならないじゃないですか。私、昔から体力お化けで、タイムだけは良かったから、一年生なのに私が選抜に入れられたんです」

「すごいじゃん」

「ありがとうございます。でもそれが先輩達の反感を買っちゃって。同級生達もあからさまに嫌みを言ってくるようになって。しまいには、私が先輩に何かして、選抜の座を奪ったんじゃないかって噂まで立ってしまって」

 私は一口紅茶を啜った。広がった甘い香りに乗せるように、言葉を吐き出す。

「それで、顧問の先生に、悪いけど辞めてくれって言われちゃったんです。クラブ全体の雰囲気が悪くなるからって」

「それは・・・・・・・ひどい話だね。ひとみちゃんは被害者なのに」

 横山先輩は眉をひそめた。それに対して私は力なく笑った。

「いえ。周りと円滑にコミュニケーションのとれなかった私が悪いんです。私もかなり精神的にやられたので、先輩にお礼をいうことも出来ずにそのまま逃げるように部を辞めました」

 私は気を紛らわすつもりで置いてくれていたクッキーを一つもらった。一口かじるとほろりと口の中で崩れて、バターの風味が広がる。紅茶とよく合った。

「その後は? 他のクラブには入らなかったの?」

「入りましたよ。中学でも高校でもたくさん。ほんと体力は人一倍あったので、いろんなクラブから誘われて。その度に必要とされた気がして喜んで入るんですけど、でも、結果はおんなじでした。誰とも仲良くなれなくて、たまに仲良くしてくれる人がいても、しばらくするとその人に不幸が起こるんです。で、私のせいにされて、そのうち疫病神みたいなあだ名がついて、ついにどこからも誘われなくなりました」

 自虐的に笑おうとしたが、うまく表情が作れなかった。

「・・・・・・つらかったね」

 横山先輩はそう言って、私の頭に軽くぽんと触れた。私を怖がらせないように注意を払った、でも、とても優しいタッチだった。

 うん。つらかった。

みんなが楽しそうに声を掛け合いながら活動しているのを、外から見ているのが寂しかった。

成功したときは褒め合って、失敗したときは励まし合っている姿を見てうらやましかった。

私が活躍しようとしていい記録を出せば出すほど、周りの視線が冷たくなるのが悲しくてたまらなかった。

きらきらしているみんなの青春に、自分が入れないことが本当につらかった。


気が付いたときには、一筋の涙が私の頬を伝っていた。

「ご、ごめんなさい。急に」

驚いて手で拭う私に、横山先輩は優しく微笑んだ。

「大丈夫だよ。ここには俺しかいないから。遠慮しないで。涙が出たときは全部出しちゃった方がいい」

「で、でも」

「じゃあ、俺は後ろを向いとくよ。それなら気にならないでしょ」

 そう言うと横山先輩は本当に後ろを向いた。優しい人だ。私はその優しさに感謝しながら、堰を切ったようにあふれ出した涙が収まるのを待った。


 その後、結局、私は紅茶を二回もおかわりし、レポートを横山先輩に預ける形でゼミ室を出た。

 去り際に、「また、いつでもおいで」そう声をかけられ、まるでまた熱い紅茶を飲み下した後のように体の奥が温かくなるのを感じながら。



「て、感じだったのよ。惚れちゃうでしょこれは!」

それから二週間後の今日。私は屋上のベンチで、本日、三つ目のコロッケパンにかぶりつきながら凪ちゃんに言い放った。さっきは田尾寺先生の授業で大声を出して教室を追い出されてしまった。横山先輩にも奇行を見られてしまってちょっとやけ食い気味である。

「はあ・・・・・・。ちょろいなあ、ひとみは。ほんとにチョロい」

 凪ちゃんはメンチカツパンをかじりながらため息をついた。

「悩み事やら悲しかったことにわざとらしく共感して距離を縮めるなんて、常套手段にもほどがあるでしょ」

「なんでそんなこと言うかな」

「事実よ。そもそも大して親しくない女の子の悩みを聞き出そうとする奴がほんとに優しい人のはずないでしょ。冷静に考えなさい」

「あー。やだやだ。凪ちゃんはいつもそうやって人の悪意ばっかりを漁ろうとするんだ」

「この世は悪意で満ちあふれてるのよ。沙也香の件で何を学んだのよ。ひとみは」

 そう言われて私は言葉に詰まった。言い返せない。でも、下心があろうがなかろうが、私の誰にも相談できずにいたつらい思い出を軽くしてくれた先輩のことを悪く言われるのは悔しかった。

「もういいよ!」

 そう叫んで立ち上がった私は、前方を見て面食らった。

「うわ。びっくりした。どうしたの」

 横山先輩が立っていた。ハムカツパンを持って。

「せ、先輩!」

 私はかっと顔が赤くなるのを感じた。あわてて席に座り直す。

「隣、座っていい?」

 横山先輩が微笑む。私が「もちろんです!」と答えたのと同時に、凪ちゃんが言い放った。

「ダメです。今、デート中なので」

「ちょ、凪ちゃん!」

「あはは。手厳しいな」

 横山先輩はそう笑いながらもちゃっかり私の隣に座った。いつぞやと同じように私は二人に挟まれる形になる。前回と違うところは、凪ちゃんが私越しに横山先輩を全力で睨み付けていることだ。

「ダメって言いましたよね。耳腐ってるの?」

「ダメと言ったのは魔女っ子ちゃんだけで、ひとみちゃんはOKしてくれた。そして俺が座ってるのは君の隣じゃなくひとみちゃんの隣。問題ないでしょ」

 凪ちゃんが大きく舌打ちする。怖いよ。

 私は友達と想い人に挟まれ、どうしていいかわからずにおろおろと周りを見渡した。すると、結構な注目を浴びていることに気が付いた。特に女学生からだ。私や凪ちゃんではない。横山先輩を見ている。

「見て! 横山さん。田尾寺ゼミの」

「相変わらず足長い! モデルさんみたい。彼女いるのかな」

「この前、ミスキャンパスがふられたらしいよ」

「てか、あの子たち誰?」

 うわあ。やっぱり先輩、モテるんだあ。イケメンだなあとは思っていたけど。ここまで人気だとは。

 沙也香から聞いて、先輩も私に気があるんだと思ってたけど、急に不安になってきた。なんであたしなんかに先輩はかまってくれてるんだろう。沙也香の勘違いではないのだろうか。ほんとは私の事なんてなんとも思ってないのではないのだろうか。

 だとしたら、嫌だな。

「聞きましたよ。うちのひとみにちょっかい出してるらしいですね」

「人聞きが悪いなあ。お茶会に付き合ってもらってるだけだよ」

「ものは言い様ね」

「じゃあこう言おうかな。君と同じように俺もひとみちゃんにデートしてもらってるんだよ。もしかして君の許可が必要だった?」

「せ、先輩!」

 私は先輩の言い方にまた赤面しながらも、凪ちゃんの様子を見て焦った。横山先輩は冗談ぽく笑っているが、凪ちゃんは今にも噛みつきそうだった。事実、凪ちゃんの手のメンチカツパンは握りしめられて具が飛び出し、パン生地は絞られたぞうきんのようになっている。

「な、凪ちゃん、もう行こっか。先輩、ごめんなさい」

 凪ちゃんが拳を繰り出してからでは遅いので、凪ちゃんの二の腕をひっぱって、ベンチから立ち上がる。

 うなり声を上げる凪ちゃんの背中を押して屋上を出る際、後ろから横山先輩が私に声をかけた。

「ひとみちゃん。今日、15時頃はゼミ室、俺だけだから」

 振り返ると、横山先輩はいつもの笑顔で小さく手を振っていた。

「おいしいお菓子もらったんだ。一緒に食べよ」

 周りの女子学生から「なにあの女」と睨まれながら、私は小さく頭を下げた。

ちょっとにやけてしまっていたと思う。




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