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幼なじみの黒魔術  作者: ナツヒト
3/11

第一話 呪物 三【終】


 三

 


 噴水の水って綺麗に見えて、実際はすごく生臭い。

 保健室に担ぎ込まれ、替えの服を貸してもらった私は、すぐさまタクシーで帰宅した。下宿のアパートの一室に入るやいなやシャワーで体を丸洗いする。最悪だ。

 体も冷えていたので、湯船に入ろうかとも思ったが、先ほどありえない溺れ方をしたところだったので、流石に水中に体を入れる気にはならなかった。熱いシャワーをしばらく浴び続けることで体温を上昇させる。

 不潔感が払拭されたのと、寒さから回復することによって、ようやく冷静な思考が戻ってきた。しかし、今日の出来事を考えれば考えるほど、あまりに冷静とは言えない結論にたどり着く。


 私は呪われている。


 誰に? なんで? そもそも呪いってどういうもの?

 全くわからない。わかるとしたら凪ちゃんだ。2回も私の命を救ってくれた凪ちゃん。

 そうだ。凪ちゃんに電話しよう。

 私はシャワーから出て部屋着を着ると、スマホを取り出した。

 そこで気づく。私は凪ちゃんの連絡先を知らない。

 でも、昨日バスを降りる時、確かに「何かあったら電話して」と言っていたはず。

 え、まさか。

 私はクローゼットの奥から段ボールを引っ張り出した。ここに越してくるとき、自分関係の書類は全てこの中に詰め込んである。がさごそと段ボールをかき回して数十分。見つけた。

 小学生の頃の連絡網プリント。

 クラスメイトの電話番号が一覧で記されている。今のご時世では考えられない個人情報だだもれシステムだ。

 あった。三田凪。

 私は記された電話番号にスマホで電話をかけた。数回のコールでガチャリと受話器が上がる。出たのは中年の女性の声だった。

「はーい。三田でございます。」

「あ、すいません。本町と申します。本町ひとみです」

「あら! ひとみちゃんひさしぶりー! 凪の母ですー!」

 お母さんが出た。そりゃそうか。家電だもんな。

「あ、ご無沙汰しております」

「大学一緒だったんですってねー。入学式の日に、もう凪ったら柄にもなくすごくよろこんでねー。ひとみちゃんとまた一緒になれたーって」

 それを聞いて、私の罪悪感がえぐられた。私は自分の大学デビューのために凪ちゃんを避けていたというのに、凪ちゃんはそんな風に思ってくれていたのか。

「ママ。余計なこと言わないで」

 凪ちゃんの低い声が聞こえたかと思うと、凪ちゃんに受話器が受け渡された。

「ひとみ。どう? おちついた?」

「あ、うん。大分。さっきはありがとう」

「いいよ」

 私はそこで唾を飲み込んだ。凪を疑って、変人扱いまでしたのに、いまさら呪いについて教えてくれなんて、虫が良すぎるだろうか。

「ひとみ。今、下宿先?」

「え? ああ、うん。そうだけど」

「じゃあ、今から行くわね」

「え? でも凪ちゃん」

 電話は一方的に切られてしまった。

 いや、凪ちゃん。私のアパート、どこか知らないでしょ。

 

 しかし、数十分後、いつもの黒ずくめスタイルの三田凪が私の部屋のチャイムを鳴らした。

「よっ」 

 ドアを開けると凪ちゃんはすっと遠慮なく部屋に入ってきた。

「ちょっ。凪ちゃん、なんで住所知ってるの?」

 これももしかして住所特定のおまじないか何か? 玄関先でぞっとしている私を置いて、凪ちゃんは靴をぬいでスタスタと部屋の奥に入っていく。

「なんでって、入学式の日の帰りにこっそり尾行したからに決まってるじゃん」

「怖いよ! 尾行してたの? リアルに怖いよ! あ、こら! ベッドの下を覗かないで!」

 凪ちゃんは床にへばりつくようにして私のシングルベッドの下をのぞき込んでいた。

「・・・・・・・ないな」

「なにが?」

「ジュブツよ」

 じゅぶつ? もしかして呪物ってこと?

 凪ちゃんは急に立ち上がると、トイレに向かい、ばんっと扉を開け放った。こらこら許可ぐらいとらんかい。

 凪ちゃんはしばらくトイレを眺めた後、ばたんと扉を閉め、また寝室に戻って来た。

「初めは、どうせ類感呪術だと思ってたのよ」

「るいかん?」

 凪ちゃんは今度はマットレスをひっくり返し始めた。

「類感呪術は対象と類似した物に呪いをかける呪術。わかりやすいのがわら人形に釘を打ち込むとかね」

 マットレスを検分し終わると、今度は枕のカバーを外し始めた。

「だから、おそらくどっかの誰かがひとみに見立てた人形を作って水に沈めてるんだろうと思ってた」

 背筋が寒くなる。それほどまでに私を恨んでいる人がいるというのか。

「さっきアパートの下でひとみの自転車を見るまではね」

 凪ちゃんはくるりと振り向いた。低身長の凪ちゃんは私を見上げる形になる。

「今回は類感呪術じゃない。相手はたぶん、式神を使ってる」

「式神?」

 わら人形まではイメージが持てたが、急に想像が追いつかない単語が出てきた。戸惑う私を尻目に、凪ちゃんは机の上にあった私のノートパソコンを見て、「借りるね」と言うと自然な動作でパソコンを立ちあげ始めた。

「式神って、どういう・・・・・・ 凪ちゃん! なんでパスワード知ってるの!」

「なんでって、授業で1回使ってたことあったでしょ。その時に後ろから見てて覚えたのよ」

「怖いよ! 呪いより凪ちゃんの方がリアルに怖いよ!」

 私の叫びを完全に無視して、凪ちゃんは画面に一枚の画像を出した。博物館サイトからひっぱてきたらしい。ヒビの入ったお皿?の写真だ。陶器ではなく土で出来ているようだ。

「平安時代の土器よ。陰陽師が式神を憑依させて使っていた呪物だと考えられているわ」

「陰陽師? 安倍晴明とか?」

「まあ有名どころではそうね」

 凪ちゃんは立ち上がった。

「この陰陽師式の呪物はなかなか優れものでね。人感センサー付き遠隔全自動呪い起動装置なの」

「人感センサー・・・・・・全自動呪い装置?」

 凪ちゃんは人差し指を立てると、私の周りをくるくると歩き回りながら説明を始めた。

「使い方としては、まず式神、つまるところ使い魔を、土器だとか、紙だとか、人毛なんかに憑依させて呪物にする。あとはそれを相手の屋敷の下なんかに埋めておくだけ。簡単でしょ」

 凪ちゃんの説明が心なしか早口になる。

「対象者がいない間はただのガラクタ。でも一度、範囲内に対象者が立ち入って、地面の下の呪物が対象者を感知すると、式神が起動。対象者に呪いをかける。対象者が離れるとまたガラクタに戻る。これを対象者が近づく度にずっとオートマチックで繰り返す。対象者が死ぬまで。超便利なアイテムだと思わない?」

 凪ちゃんは私の周りを回り続ける。だんだんスピードも速くなっていく。目で追っている私はめまいをおこしそうだ。

「つまり、呪いたい対象者がなるべく高い頻度で近づく場所に埋めたり隠したりするのが鉄則。だから平安時代は、政敵やら恋敵やらの屋敷の下にみんなこぞって埋めたのよ。寝室の下や厠の下なんかベストポジションだったでしょうね」

 そこで凪ちゃんはピタリと動きを止めた。

「だから、てっきりひとみのアパートの部屋に仕掛けられているんだと思ったんだけど、なさそうね。一応、部屋に入るまでにアパートの敷地内はざっと探してみたけど、それらしい物は見つからなかった」

 凪ちゃんが立ったまま考え込む。よくわからないがなんとか協力しようと私も意見を挟み込む。

「う、うん。アパートの敷地内まで考えるとわかんないけど、私の部屋にはまだ誰も来たことないから、多分なにも隠されてたりはしないと思う・・・・・・」

「そうなんだ。じゃあ、私が初めて部屋に来た友達ってこと?」

「あ、まあ、そうだね」

 凪ちゃんがにんまりとして私を見る。ちょっとこわい。

 しかし、すぐに凪ちゃんは笑みを消した。そのまま私の頭からつま先までを眼鏡越しに観察する。

「今は呪いの気配がない。昨日の保健室でも呪いの気配はなかった。でも屋上の時はひどかった。つまり、昨日保健室で別れてから今日の昼までに1回発動したんだ」

 そうつぶやくと、凪ちゃんはひっくり返したマットレスの上にぼすんと座った。今度は独り言をぼそぼそつぶやきながら考え事を始めた。

「家じゃないとすると・・・・・・ バス? でも今日は乗っていない。やはり大学か。食堂? いや、今日は使ってない。じゃあ教室? でも毎日授業も教室の場所も違う・・・・・・」

 凪ちゃんが黙りこくる。

「えっと、凪ちゃん・・・・・・」

 沈黙に耐えかねて私が声をかけようとしたのとほぼ同時に、凪ちゃんは真顔で勢いよく立ち上がった。急な動きに思わず「ひっ」と声を上げる。心臓に悪い。

「そうか。なるほど。やるな」

「え、なんかわかったの」

 凪ちゃんは頷くと、すたすたと玄関に向かった。

「行くよ」

「どこに?」

「大学」

「今から? 何しに?」

 凪ちゃんは振り返ってまたにんまり笑った。

「あんたを呪ってる奴を、やっつけに行くの」


 


 花山沙也香は重い足取りでと校舎の階段を上がった。友人のサークルの集まりに付き合っていたらすっかり遅くなってしまった。

 もう日暮れだ。夜に近い。研究室がある棟はちらほら明かりがついているが、授業にメインで使われるこの棟には人っ子一人いない。暗い廊下を進む。もうしばらくすれば守衛さんが部屋を施錠しに来るだろう。

 沙也香は、今日の一限目に授業を受けた教室に入った。窓からすでに沈みかけている夕日がわずかに教室をあかね色に染めている。

沙也香は今日の朝に自分が座っていた席にもう一度座り、ため息をつく。さっさとすませよう。

 沙也香は隣の席、本町ひとみが今朝座っていた座席の座面の裏側を、手探りで探った。

 あれ? ない?

 席を間違えたのかと辺りを見回す。いや、この席だ。この席のはず。

「沙也香。何か探してるの?」

 突然の声に体を硬直させる。

 ゆっくりと振り返る。すぐ後ろに一番いてほしくない人間が立っていた。

 本町ひとみ。

「・・・・・・あれ? ひとみ、どうしたのこんな時間に。そ、それより大丈夫なの? 溺れかけたんだから、安静にしてなきゃ」

「質問に答えて。沙也香」

 沙也香の言葉をひとみが遮った。夕日がまばらにあたり、表情が読めない。

「何か、探してるの?」

 いつもと雰囲気のちがうひとみの圧に戸惑いながらも、沙也香は必死に言葉を探した。

「え、えっとね。忘れ物だよ。帰る前に気づいてね。この教室かなー?って」

「忘れ物ってこれ?」

 ひとみはすっと手を差し出した。その手には古びた、マッチ箱が乗っていた。

「私が今日座ってた椅子の裏に、テープで貼り付けてあった。中にはメモ用紙の切れ端が入ってた。『本町ひとみ』って私の名前が書いてあったよ」

 ひとみは、うつむいた。

「沙也香の字、だった」

 日が落ちていく。ひとみの横顔も、徐々にと陰に没していこうとしていた。

 なんだ。ばれたのか。

じゃあ、もういいや。

「うん。探し物はそれ。私が毎朝、授業で椅子の下に貼り付けて、その上にひとみを座らせてた」

 ひとみが小さく息を飲む。

「な、なんで? なんで私を・・・私を・・・・・・」

 ひとみの声が震える。最後の言葉が出てこないらしい。だから言ってあげる。

「呪ったか?」

 ひとみの陰が揺れる。動揺しているのだろう。沙也香は吐き捨てるように言った。

「あんたのせいよ」

「え?」

 ひとみの被害者ぶった反応に沙也香は苛立つ。いつもこの子はそうだ。まるで自分は何にも悪くないみたいな顔をして。本当に腹が立つ。沙也香は感情のままに言葉を続けた。

「あんたなんて初めから大っ嫌い。私は・・・・・・ 私は、毎日一時間近くかけてメイクして、髪型セットして服をのコーデ考えて、服やバッグのブランドにも気を遣って、体型のために食べたいものも我慢して、会う人全員に笑顔振りまいて、つまんない授業も頑張って受けるふりして、ずっとずっとずっと頑張ってるのに」

 沙也香はつかつかとひとみに近づいた。

「あんたはなに? 毎日化粧っ気のない顔で、寝癖がついたような頭で学校来て、パーカーとジーンズに中学生みたいなエナメルバッグ。それで大学デビュー? ふざけてんの?」

 沙也香はひとみの胸を手の平で突いた。ひとみの体が軽く揺らぐ。

「なのにどうして? どうして横山先輩はあんたの話ばっかりするの? せっかく私は横山先輩と話すために毎日授業の一時間も前に来て先輩を待ってるのに、先輩はあんたのことばっかり。あんたと仲良くなるためにはどうしたらいいのかなとか、あんたの好きな物教えてとか、終いには私に協力してくれなんて言ってきたのよ」

 沙也香はひとみの胸ぐらを掴んだ。

「先輩の気を引くにはあんたの友達面するしかなかった。私は、中学校の頃から、ずっと先輩に憧れて、苦手な勉強もがんばって、ようやくおんなじ大学に入れたのに、なんで? なんで、ぽっと出で、なんの努力もしてないあんたが先輩を持って行くのよ! 許せるわけないでしょ!」

 沙也香はそこまで言って、ひとみを突き放した。ひとみは数歩よろめく。沈みかけた夕日のわずかな光の中、ひとみの頬が光った。

 ポトリと、ひとみの手からマッチ箱が落ちた。沙也香はそれを即座に拾い上げる。

「じゃあね。ひとみ。今日で絶交。ていうか、初めから友達ですらなかったし。明日から、ぼっちの大学生活を楽しんで」

 沙也香はそう言い残すと、カツカツとヒールを鳴らして教室を出た。

 ひとみは、完全に暗くなった教室で、ただ一人、立ちすくした。


 


 暗い廊下を歩く沙也香は、息を軽く切らしながらも、気分が高揚しているのを感じた。

 言ってやった。ざまあみろ。

 呪いのおまじないなんてちまちましたものを半信半疑でストレス解消がてらやってきたが、直接相手に言ってやった方がやっぱりすっきりする。あれだけ言えば、ひとみの性格だ。横山先輩にも、もう変な色目を使わなくなるだろう。

 それでもまだなにか私の邪魔をするようであれば・・・・・・

 沙也香は取り返したマッチ箱を見て笑みを浮かべた。

 これでまた呪ってやればいい。


「人を呪えば穴ふたつって、聞いたことない?」


 暗闇で急に声をかけられ、沙也香は驚いて歩みを止めた。

 沙也香が今まさに降りようとした階段から、一人の女が一段一段、時間をかけて上がってきた。

「何かを成すときはそれ相応のリスクが発生するということよ。いいことわざだと思わない?」

 そう言って、階段を上がりきった三田凪はにんまりと笑った。

「花山沙也香。あんたはまだ、リスクを被ってない。それじゃあバランスが取れないわ」

「・・・・・・何だ。魔女の三田さんか」

 暗がりで待ち伏せされたことに一瞬びびってしまったが、沙也香はすぐに余裕を取り戻した。

こんなカースト最底辺の変人、恐るるに足りない。

「・・・・・・どきなさいよ」

 そう言って、無理矢理押しのけて階段を降りようと足を踏み出した瞬間、沙也香の全身がぞわりと総毛立った。

 階段の下に、なにかいる。

「ひっ」

 急いで後ずさりする。なんなのかはわからない。目には真っ暗な空間しか見えなかった。多分、明るくなっても、きっと自分の目には映らない。でも怖い。とても怖い物だというのだけはわかる。決して私が近寄ってはいけないなにか。

「そうだよね。あれだけ強力な呪物を扱ったんだもん。一度でもこっち側に関わってしまったんだもん。そりゃあ、どうしても感じちゃうよね」

「じゅ、じゅぶつ? こ、この魔法のマッチ箱のこと?」

 沙也香が後ずさりする分だけ、凪は近づいてくる。そして、階段の下の「なにか」も凪にぴったりつくように一緒に近づいてくるのを感じた。

「あ、やっぱりよくわからずに使ってた? そうだよね。流石にあんたは呪術師には見えないもの」

 沙也香は後ずさりながら逃げ道を探した。階下に続く唯一の階段は凪が塞いでいる。

「その感じじゃ、式神のシステムもよくわからず使ってたんでしょ」

「式神? そ、そうよ。フリマサイトで見つけたの。『嫌いな相手に是非どうぞ』って安い値段で売られてた。興味本位で買ってみただけよ!」

 沙也香は屋上に向かう階段を後ろ向きに、半分這うように上がり始めた。もうこの道しか残されていなかったのだ。

「その箱、すごい代物なんだよ。本来、式神を憑依させる物は何でもいいんだけど、それをあえて箱形にして、中に対象者の名前を入れることができる仕組みにする。そうすることで式神の主以外の人間でも、中の紙のさえ交換するだけで誰だって、呪うことが出来る。平安時代の呪物の仕組みを簡易的にトレースしながら、万能の呪物にアップグレードしている。すばらしい完成度よ」

 さっきから何を言ってるんだ。この変人は。

「ねえ。製作者が知りたいわ。誰から買ったの」

 沙也香はそれには答えず、一気に階段を駆け上がった。運良く屋上への扉は開いていた。屋上に出て、逃げ場を探す。ダメだ。四方をフェンスに囲まれているだけ。追い詰められた。

「そんなに怖がらなくていいわよ。この子にはなにもさせないから」

 恐る恐る後ろを振り返る。

 三田凪がゆっくりと屋上に入ってきた。「なにか」が確実に後ろに待機しているのがわかる。

「まあ、いいや。私の幼なじみを呪い殺そうとした落とし前、つけないとね」

「ちょ、ちょっと待って」

 沙也香は屋上の端まで後ずさりし、フェンスの角に背中を押しつけた。

「しょ、証拠は? そう。証拠はあるの?」

 凪が首をかしげる。

「証拠? 今さら?」

「だってそうでしょ。確かに、私はマッチ箱を椅子の下に貼り付けてた。それは認める。でも、それだけでしょ。イカフライを喉に詰めたのはひとみがドジだからだし、噴水に落ちて溺れかけたのも単にパニックになっただけよ。そう偶然。ただの偶然よ。私のせいだっていう証拠は何一つないわ。仮に裁判をしたってどうせ無実よ。呪いなんてあるわけないってね」

 凪は数秒黙った後、急に吹き出した。そして笑い声を上げる。かわいらしい、子どものような笑い声だった。

「そっかそっか。あんたは呪いが発動したのは、あの2回だけだったと思ってるんだ」

 凪は眼鏡をずらして目尻の笑い涙を指で拭った。

「ひとみの自転車がなんで壊れたのか知ってる?」

「え?」

 脈絡のない質問に戸惑う沙也香に、急に真顔になった凪は言い放った。

「トラックに突っ込まれたからよ。あんたと午前中に授業を受けて、その後、バイトに自転車で向かおうしていたひとみは、信号無視の大型トラックに吹っ飛ばされたの」

 は? ありえない。そんなことがあったのならば、ひとみ自身が無事であるはずが・・・・・・

「無事だったのよ。かすり傷がいくつか出来ただけ。自転車はぐにゃぐにゃになったのに」

 唖然とする沙也香を凪は冷たく見つめる。

「別に不思議じゃないわ。だって本町ひとみなんだもん」

 意味がわからない。

「ひとみはね、本人に自覚がないだけで、生まれつき体が特別製なのよ。回復力も、身体能力だって規格外。内から出る生命力だって段違い。そんじょそこらの呪いなんて効きやしないわ」

 そこで凪がまた笑う。今度はにんまりと。

「本当よ。だって、物心ついたときから何度も何度も、古今東西あらゆる方法でひとみに呪いをかけてきた私が言うんだもん。間違いないわよ」

 凪の笑顔に鳥肌が立つ。こいつ、まさか幼なじみを呪ってるの? なんで? なんのために? 

沙也香は恐怖で、一層背中をフェンスに押しつけた。

「すごいわよ。ひとみは。私はバランスをとることを大切にしているから、ひとみに呪いをかける際は、自分自身にも同じ呪いをかけることにしてたの。それでイーブンでしょ。でもね。私が足に呪いをかけたら、ひとみはせいぜい打ち身が出来るかどうか。私は複雑骨折するのに。肺に呪いをかけたら、ちょっと咳をしてたわ。私は呼吸困難で緊急入院するはめになったのに」

 こいつ、何を言ってるの。

「それがひとみ。あんたがたいした覚悟もなく、呪いをかけたのはそういう相手なの」

 凪は目を爛々とさせて沙也香ににじり寄った。

「少しは伝わった? ひとみはスペシャルなの。選ばれし者なの。人類の枠を超えているの。あんたは中学の頃からあのピアス男に思いを募らせているらしいけど、私は幼稚園の頃からずっと。中学でしゃべらなくなっても、高校が離れてもかげからずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、ひとみを見てきたの。一緒に呪いを分かち合ってきたの。ぽっと出で、人の相手を奪おうとしたのはあんたの方。ひとみが自分の特別さに気づいていないことをいいことに無遠慮にベタベタして許しがたいわ。ひとみの隣に座っていいのは、友達でいていいのは私だけなの。わかる?」

 なにいってるの。なんなのこいつ。なんなのこいつら。

「ごめんなさい。話がそれてしまったわね。何の話だったかしら。まあいいわ。その呪具の話をしましょう」

 凪は沙也香が握りしめているマッチ箱を指さした。

「低レベルな類感呪術なんかじゃ、びくともしないひとみが二度も死にかけた。すさまじい攻撃力よ。それも単純な魔力の力押しではなく、毎回の攻撃方法を相手によって変えている、自律思考型。今回、式神はまず物理でひとみを攻撃して、つまりトラックのことだけど。それで直接攻撃が効果がないことがわかると、今度は生物なら誰しもが弱点の呼吸器官を狙ってきた。つまり食堂のイカフライね。それでどうやら効果があるようだと判断した式神は、水中に閉じ込めることでとどめを刺そうとした。強力な分、1回の発動でワンアクションしか起こせないようだけど、それを差し引いても中に入っている式神のレベルがすさまじく、すばらしく、おぞましく高いのがわかる。製作者はただものじゃないわね」

 恐怖でパニクった沙也香は、凪の言っていることの全てを理解することは出来なかったが、1つわかった。

 今、この手に持っているマッチ箱は強力なアイテム。そして、今の自分が持っている唯一の武器だということだ。

「来ないで! 離れなさい!」

 沙也香はマッチ箱を凪の鼻先に突きつけた。凪が数歩下がる。よし。効いてる。

「それ以上近づいたら、今度はあんたに呪いをかけるわよ!」

 凪はしばらく黙ってマッチ箱を見つめていたが、唐突にふっと不適な笑みを浮かべた。

「なに? 黒魔術で私とやりあおうって言うの? 呪い合おうって言うの? この私と?」

 屋上の入り口にとぐろを巻いている「なにか」がぞわりとうごめく。

「ひっ」

「そうそう。思い出した。バランスの話だったわね」

 凪が楽しそうに手を後ろに組み、また数歩後ろに下がった。

「あんたはひとみを一方的に呪った。でもそれじゃ、バランスが悪いわ。イーブンじゃない」

「な、なによ。あ、あれで私を襲うっていうの・・・・・・?」

 沙也香は震えながら屋上の入り口を見つめた。

「言ったでしょ。あの子にはなにもさせない。そんな必要ないもの」

 凪が口角を上げる。あの、にんまりとした満面の笑み。

「中の紙のさえ交換するだけで誰だって呪うことが出来る、とっても便利な呪具がもうあるんだもの」

 その言葉を聞き、沙也香は硬直した。

 頭をよぎった可能性に、心臓の動悸が激しくなる。

 沙也香は震える手で、ゆっくりとマッチの箱をスライドさせて中を覗く。自分がひとみの名を書いて入れたメモ用紙はもう入っていなかった。代わりに入っていたのは、見慣れぬ和紙の切れ端。達筆な字で人名が書いてある。


 花山 沙也香


「あの、本町ひとみすらも殺しかけた最高級の呪具。それをこれだけの時間、握りしめていたあなたは、どうなるのかしらね」

 沙也香は悲鳴を上げてマッチ箱を放り投げた。背中でフェンスにしがみつく。マッチ箱は凪の足下に転がる。凪はしゃがみ込み、それをゆったりとした動作で拾い上げた。

「大丈夫よ。だって、全部偶然なんでしょ。呪いなんてあるわけないんでしょ。だから今から起こることはぜーんぶ偶然。例えば・・・・・・」

 ベキン。聞き慣れない金属音が沙也香の足下で鳴り響いた。視界の隅に飛んでいく小さなボルトが見える。

「そのさび付いたフェンスが壊れて落ちていくのだって、ただの偶然よ」

 全体重を背中でフェンスにかけていた沙也香は、ゆっくりとフェンスごと後ろに倒れていった。ここは屋上。背後にはなにもない。数十メートル下にコンクリートの地面があるだけだ。

「あ、ああ」

 しゃがんで頬杖を突きながら微笑んでいる凪が見える。そこから視界が上に移動し、完全に日が沈んだ空が広がる。


「沙也香!」


 視界の隅からすさまじい勢いで人影が飛び出して来た。自ら宙に飛び込んだその陰は、沙也香の腕を掴み、もう片方の手で屋上の縁を掴んだ。二人で宙ぶらんになる。

 下から「ガシャン」とものすごい音が響く。フェンスが地面に落下した音だ。

「ひ、ひとみ・・・・・・」

 ひとみは沙也香の腕を強く握りしめていた。強すぎて骨が折れそうだった。

「おりゃあああ!」

 ひとみは沙也香の体をぶうんと一ゆらしすると、一気に屋上の上に投げ飛ばした。

 屋上の固い地面に背中から着地して、あまりの衝撃に沙也香の息が詰まる。

 ひとみ自身はひらりと屋上に上がり、叫んだ。

「凪ちゃん! やり過ぎだよ!」

「いいじゃん。こんなやつ。てか、いつからいたの。ひとみ」

「さっきだよ。ちょっとショックでぼうっとしてたら、屋上から沙也香の悲鳴が聞こえてきたから、急いで駆け上がってきたら沙也香が宙を舞ってるんだもん。なにしてんの!」

「自業自得だよ」

 沙也香はがくがくと震えながら自分の肩を抱きしめた。恐怖でぽろぽろと涙がこぼれる。

「・・・・・・沙也香」

 ひとみがつかつかと沙也香に近づく。沙也香はしゃがみこんだまま肩をすくめた。

「私が、沙也香のことを無自覚に傷つけてたのはわかった。わざとじゃないけど、気づけなかったことは本当にごめん」

 沙也香はおそるおそるひとみを見上げた。ひとみもまっすぐ沙也香を見つめていた。

「でも、そういうことはちゃんと相手に、口に出して言うことだと思う。先輩のことだって、相談してほしかった。自分の思い通りいかないからって、陰でこそこそやったりするのは人として最低だよ。自分の思っていることは、ちゃんと言葉にして相手に伝えないと」

 ひとみはそこまで言うと、ばっと沙也香に頭を下げた。


「今日まで、仲良くしてくれて、本当にありがとう」




 私は、大学でできた唯一の友達を失った。

 あの日以降、私は寝付きもやけに良くなり、余裕で早起きして大学までランニングで登校している。教室の席は後ろの方に座るようになったが、別に眠くないので居眠りもしなくなった。

 ただ、隣に花山沙也香はいない。

 代わりに、上機嫌の三田凪が座っている。


 あの夜、屋上で、私は凪ちゃんにも頭を下げた。言いそびれていたけれど、入学式から他人の振りのようなことをしていたことを、ちゃんと言葉に出して謝った。すると、凪ちゃんは小躍りするほど喜んで、「じゃあ、今日からまた親友ね!」と抱きつかれた。

 

 もうすぐ授業が始まるというのに隣で「西洋悪魔大全」を広げて、

「ねえ、ひとみの一推しの悪魔はどれ? 私はやっぱりモレクかしら。人身御供の血にまみれた悪魔。ぞくぞくしない?」

 などと言っている。「そ、そうだね」とあいまいな返事をしつつ教室の前方を見る。

 花山沙也香が教室に入ってきて、友人達と挨拶をしている。

 相変わらず最前列に座ろうと椅子を下げたが、そこから妙な動作をする。まず机の中をのぞき込み、次に椅子の裏を必死になで回す。そして周りの床に目をこらして、ようやく座った後も、鞄の中をのぞき込んだり、何度も服のポケットの中身を確認したりと落ち着かない。

「一回、人を呪うとね、今度は自分がされるんじゃないかと怖くてたまらなくなるのよ」

 凪ちゃんも沙也香を眺めて、楽しそうに言った。

「人を呪えば穴ふたつって、すごくよく出来た言葉だと思わない?」

 私は「そうだね」と頷いた。

「私、沙也香のことはかなりショックだったけど、もう吹っ切れた。私のことを陰で呪ったりする人は、友達とは言えないもんね」

 そして、改めて凪を見る。

「凪ちゃんとまた友達になれたおかげ。ありがとう」

 凪ちゃんに微笑みかける。

 凪ちゃんはほんの少しの間、真顔になったけど、すぐに顔いっぱいの笑顔を作った。

「うん。これからはずっと一緒だよ」

 授業が始まった。私たちは前をむく。

 なんだか凪ちゃんのさっきの笑顔になんだか妙な違和感を覚えたが、きっと気のせいだろう。

 さあ、私の清らかな大学生活はここから始まるのだ。




【第一話 完】




 第一話をお読みいただき、ありがとうございます。

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[気になる点] 日常と非日常の切り替わりが唐突に感じる…。これは前作もです。何故なんだろう。
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