第一話 呪物 二
二
三田凪は小学校の時から変わった子だった。
凪ちゃんは、当時からいつも怪談やら悪魔やら呪いやらの本を読みあさっていた。私も当時からぼっちだったので、同じくぼっちの凪ちゃんとはよく一緒に過ごしていた。
いつでも黒ずくめファッションの凪ちゃんは、常に体のどこかを怪我していた記憶がある。思い出す度に、凪ちゃんは足に包帯を巻いていたり、手にギブスをはめていたり、頭に医療用のネットをかぶせていたりと様々だ。
周りは親の虐待を疑っていたが、四六時中一緒にいる私はそうでないことを知っていた。
やれ、溝にはまったり、やれ、階段から転げ落ちたり、やれ、休み時間にボールが飛んできて頭部に直撃したりと、ドジというか運が悪いというか、そんな子だった。子供心に、この子は私が守らなきゃとそんな風に思っていた。
しかし、中学で私が陸上部に入るとめっきり会う機会が減り、違う高校に進学したことで完全に接点が絶たれた。それから音沙汰もなく3年が過ぎ、凪ちゃんのことは幼き頃の儚い記憶としてすっかり頭から消えていた。
だから、大学の入学式で見かけたときは驚いた。しかも、小学生の時と同様に黒ずくめでおどろおどろしい本を抱えているのだ。小学生なら、「不思議ちゃん」でぎりぎり通るそのスタイルは、大学生にもなると立派な「変人」である。大学デビューを企んでいた私は、つい自分の立ち位置なんかを考えてしまって声をかけそびれてしまった。凪ちゃんも声をかけてこなかったし、このまま卒業までたいした接点はないのだろうなあと勝手に思っていたのだが。
まさか突然バスで「呪われてる」宣言を受け、さらには掃除機を口に突っ込まれる間柄になるとは。
「・・・・・・ご、ごべいわくをおがけしました」
医務室のベッドに腰掛けながらそう言うと、保健の女の先生は苦笑いした。
「よかったわね。大事にならなくて」
「・・・・・・はい。ありがどうございまず」
「喉はしばらく痛むと思いますけど、一歩間違えれば窒息死してましたよ」
保健の先生は立ち上がった。
「お友達にもちゃんとお礼を言っときなさいね」
そう言って保健の先生は出て行った。ベッドの周りを見る。
心配そうな顔の沙也香。その隣に横山が座っている。そして、「黒魔術のすすめ」を読んでいる凪ちゃん。
私は凪ちゃんに掃除機で喉を吸引された後、あまりのショックで気絶したらしい。それを横山がおぶって医務室に運んでくれたらしい。
沙也香が言いにくそうに教えてくれたが、私が凪ちゃんに肩を踏まれながら吸引されている様子を撮影した動画は、すでにSNSでバズっているらしい。さぞ臨場感のあふれる映像だったに違いない。
「じゃ、じゃあ俺、帰るわ」
横山はそう言うと、立ち上がった。さすがに気まずそうだ。かける言葉が見つからないのだろう。
「あ、じゃあ私も・・・・・・」
と沙也香も立ち上がる。
沙也香は去り際に、「イカフライ、次からちゃんと噛んで食べなきゃダメよ」と言い残していった。
私と凪ちゃんの間に沈黙が訪れる。
凪ちゃんが唐突にパタンと本を閉じた。
「ごめん。私のミスだ」
いや、間違いなくイカフライを喉に詰めた私自身のミスだと思う。しかし、凪ちゃんは続けた。
「呪いの強さを見誤った」
ええっと・・・・・・。
私はどう答えるべきか迷った。
小学生の時も、凪ちゃんは呪いがどうとか、怨霊がいるだとか、悪魔の力を感じるなどとよくつぶやいていた。でも、それはアニメなんかに影響された子どもがよくする行動なので、私も、「凪ちゃんかわいいなあ」なんて思って適当に話を合わせていた記憶がある。
しかし、今は二人とも大学生である。選挙に行ける年齢なのだ。絵空事の妄想からは卒業していなければならない。
ここは幼なじみとして、ちゃんと現実を教えてあげるべきだろうと思った。きっと、凪ちゃんももう自分を客観視が出来なくなっているんだ。
私は空咳を数回して、喉の調子を整えて言った。
「あのね、凪ちゃん。昔からそういうのが好きなのは知ってるんだけど、流石に大学生にもなって・・・・・・」
すっと、凪ちゃんが目線を上げる。
「大学生にもなって、なに?」
凪ちゃんの大きな黒い瞳に見つめられて、一瞬ひるんだが、覚悟を決める。私たちはもう小学生じゃないんだ。幼なじみの私が目を覚まさせてあげないと。
「・・・・・・呪いなんて非科学的なものを信じてたら、変な人って思われるよ」
一瞬、凪ちゃんが黙る。
どうしよう。急に泣き出したりしたら・・・・・・
そんな想像をして身構えた私に、凪ちゃんは言い放った。
「大学生にもなって、この世は科学で全て説明できるんだなんてまだ信じてるなんて、そっちの方が心配だわ」
予想外の反論に面食らった私に凪ちゃんは続けた。
「ひとみ、あんたが80過ぎのおばあちゃんなら食べ物が喉に詰まることもありえる。でも、あんたは18歳。急いで食べていたわけでもないものが喉に詰まったりするかしら。お餅とかならまだしも、揚げ物が。聞いたことある? 揚げ物を喉に詰めて窒息した人」
「いや、でも現に起こったわけだし」
「そう。現に起こってしまった。唐突に。前触れもなく」
「偶然だよ」
「偶然。実に非科学的な言葉ね」
凪ちゃんは微笑んだ。やさしく、出来の悪い子どもをなだめるような笑みだった。
「ひとみ。あなた最近、眠れてる?」
「う、うん。寝てるよ。昨日も10時間ぐらい寝た」
「じゃあ、なんでクマができてるの」
言われて、思わず保健室の鏡をのぞき込む。確かに、目の下が黒ずんでいる。
「中学の時は朝練で、朝5時には平気で起きてたでしょ。それでも今と違って授業中に居眠りなんてしなかった」
「あ、あれだよ。一人暮らし始めたし、ベッドが変わったから・・・・・・」
「もう一つ」
私の言葉を凪ちゃんが遮る。
「なんで今日、バスに乗ってきたの。ひとみ、自転車通学だったはずでしょ」
「それは、自転車が壊れたから・・・・・・」
「なんで?」
凪ちゃんが立ち上がった。私の目の前に来て、眼鏡越しに私の目をのぞき込む。
「なんで、自転車が壊れたの?」
「それは・・・・・・」
私は押し黙った。答えたくなかった。それを答えたら、本当に自分が呪われていることになってしまいそうだったから。
「まあ、いいわ」
凪ちゃんは踵を返すと本を手に取り、保健室の出口に向かった。
「今は特に邪な気配はないから、多分大丈夫だけど気を付けて帰りなよ」
「え、凪ちゃん?」
「明日、大学終わったら部屋に行くから。あんたは大学休みなさい。」
そう言うと凪ちゃんは行ってしまった。
凪ちゃん、私の部屋知らないでしょうに。
次の日の朝も、私は大学校舎の階段を駆け上がっていた。だが、前日に比べると余裕がある。3階まで上り、チャイムが鳴り始める前に教室に入り、沙也香を探す。
「ひとみ! こっち」
今日も沙也香は前のほうの席だった。この優等生め。
実を言うとこの授業は田尾寺先生の授業ほど人気ではないので、席は割合空いている。居眠りし放題の後ろの席にだって行けるのだが、せっかく沙也香が場所を取ってくれているのに断るのは忍びない。
それに、ぼっちじゃなくなった私は知っているのだ。
授業は、友達と受けた方が楽しい。
「珍しいね。わりかし早いじゃん。バスの時間かえた?」
「今日はバス乗らなかったの」
昨日、凪ちゃんには学校に来るなと言われた。それなのに何食わぬ顔でバスに乗り込んで、凪ちゃんとかち合ってしまうことは避けたかったのだ。
「自転車、直ったの?」
「走ってきた」
軽く答えると、沙也香が目を見開いた。
「ここまで? 下宿先から何キロよ」
「え? いっても10キロぐらいだけど?」
沙也香があからさまにひいた。
「……陸上部、こわ」
「元、ね。結局、一時期しか入ってなかったし」
私はそれこそ中学時代から使っているエナメルバッグから筆記用具を取り出しながら答えた。昔のクラブの話はあまりしたくなかった。
「それより、喉、大丈夫なの」
「うん。もう治った」
「……なんなのその回復力」
私はちらりと周りを見回した。凪ちゃんがいないか心配だったのだ。うん。いない。この授業はとっていなかったのかもしれない。
そこで気づいた。凪ちゃんはいないが、四方から視線を感じる。教室に座る学生何人かから、明らかに好奇の目線を向けられていた。
「……あんまり気にしちゃだめよ」
沙也香が優しい言葉をかけてくれたが、うっすら「掃除機ちゃん」と囁かれているのが耳に入ってしまった。
え、つら……
陰口をこそこそ言われるのは、何回経験しても嫌なものだ。
私が目に見えて沈んでいたからだろう。気を利かせた沙也香の提案で、今日の昼食は食堂ではなく購買で買ったパンを校舎の屋上で食べることになった。
3階の上にある屋上は、さび付いたフェンスに囲まれているので、そこまで景色がいいとは言えない。だがその分、人は少ない。それに今日はいい天気だ。太陽の下で食べるランチも悪くない。
ベンチの一つを二人で占領する。
「……ひとみ、パン、いくつ買ったの」
「え、お惣菜パン2つに、甘い系3つしか買ってないよ」
そう答えながら私はすでに一つ目の焼きそばパンを平らげていた。次のコロッケパンの袋を開ける。
「その細い体のどこに入っていってんのよ……」
ちなみに、沙也香はサンドイッチを一袋しか買ってこなかったようだ。ずいぶん少食だな。ダイエット中なのかな。沙也香も十分細いのに。
そんなことを思いながら、コロッケパンにかぶりついた瞬間、ふっと目の前に人影が立った。反射的に見上げる。
「わかってないわね。コロッケパンとは。購買で一番の品はメンチカツパンなのは明確でしょうに」
凪ちゃんが立っていた。メンチカツパンを頬張りながら。
「しかも、人のせっかくの忠告を無視するとは。かわいくない幼馴染を持ったものだわ」
凪ちゃんはそういうと、私と沙也香の間に割り込むようにドスンと座った。
「あ…… 三田さん」
沙也香の表情がひきつる。そりゃあいきなり魔女に隣に来られたらその顔になるよね。
しかし、凪ちゃんは沙也香を完全に無視して私の顔を覗き込んだ。
「ひとみ、自分の置かれてる立場わかってるの。ねえ。また死にかけたいの? そうなの? ねえ、聞いてる? 死にたいの? ねえ?」
私はコロッケパンにかぶりつきながら完全に無視した。
昨日言ったとおり、私は呪いがどうとかいう話はしたくないのだ。ただでさえ(命を救ってもらったとは言え)凪ちゃんのせいで私は掃除機ガールの名を拝命してしまったのだ。これ以上凪ちゃんと関わっていたら今度は中二病の肩書までほしいままにしてしまう。沙也香も嫌がっているし、頼むから帰ってほしい。
「お、コロッケパン、メンチカツパン論争? 一回生あるあるだねえ」
再び私の前に人影が立つ。
「4年も食べ続けてるとさ、最後はこれにたどり着くんだよね」
院生の横山が立っていた。ハムカツパンを持って。
「よ、横山さん?」
驚く沙也香に「よっ! 沙也香ちゃん」と目くばせしながら、横山はすっと、私の隣に座った。
「てことで、ひとみちゃん。ライン交換しようよ。購買パントークしよ」
最悪だ。隣には半ギレの魔女、反対側にはチャラ男という布陣で挟まれてしまった。沙也香とガールズトークでもしながらのどかなランチタイムをする予定だったのに。なんだよ購買パントークって。
凪ちゃんが横山を睨み付ける。
「だれ。このピアス男」
「お、魔女っ娘ちゃんじゃん。田尾寺先生の授業で会ってるよ。なんなら昨日も保健室で会ってるよ。ていうか、魔女っ娘ちゃん、ひとみちゃんと仲いいの?」
「よくないです!」
私はそう叫ぶと、食べかけのコロッケパンを袋に戻して、立ち上がった。沙也香の手を取る。
「いこ。沙也香」
「あ、うん……」
沙也香をひっぱって屋上をでて、階段を下りる。
「いいの? ひとみ。三田さん、幼馴染でしょ」
「いいの」
そう答えながら一階まで出て、中庭に向かう。中庭の中心には直径5メートルほどの円形の噴水がある。特に飾り気もない噴水で、深さ50センチ程度の透明な水が張られていて、真ん中のオブジェから静かに水が吹き上がっている。カップルが数組、円形の縁に座って語らっていた。
隙間を見つけ、私もその縁に腰をかけた。沙也香も隣に座る。
「でも、屋上を出る時、三田さん、すごく寂しそうな顔してたよ」
「……そうなの?」
沙也香は心配するような顔で頷いた。
「ほんとは、ひとみとまた仲良くしたいんじゃないかな」
私は膝の上に置いた食べかけのコロッケパンの袋に目を落とした。
確かに。さっきの態度はよくなかったかも。
掃除機の一件で完全に腹を立ててしまっていたが、よく考えればあれは喉にモノを詰めた私に対しての最善手だったのだろう。控えめに言って命の恩人だ。恨むべきは、人が苦しんでいる動画をネットに上げた愚か者だ。凪ちゃんは悪くない。
それに今から思えば、昨日のバスでの「呪われている」発言も、凪ちゃんなりのコミュニケーション方法だったのかもしれない。
そうだ。幼馴染なんだから、本来は私から声をかけてもよかったはずだ。それを、凪ちゃんの 見た目が変わっているからって、私が避けていたんじゃないか。
謝りに行こう。
私はすっと顔を上げた。
その私の頭を、「なにか」かが鷲掴みにした。そして、ものすごい力で背後の噴水に引きずり落とした。
……は?
一瞬で全身が噴水の池に沈み込み、恐ろしい力でずるずると噴水装置のほうに引きずられる。ごぼごぼと気泡を吐きながら、がむしゃらに腕を振り回すが、何にも当たらない。
なに? なんなの?
ふっと引っ張る力が消えた。噴水池のど真ん中の水中に横たわっている形になっており、全身が完全に沈んでいるが、水深は50センチほど。深くはない。急いで起き上がる。
が、起き上がれない。
体が動かないわけではない。
水面から体が出せないのだ。
まるで水面が強化ガラスになったようだ。頭を押しつけても、手でたたいてもびくともしない。はたから見れば水中でパントマイムをしているように見えるだろう。でも、本当に見えない壁がある。
水面越しに空が見えるのに。たった50センチほどの深さなのに。
水中に閉じ込められた。
なに? どういうこと?
ゴボリと一際大きな気泡が口から出て、肺の中の酸素が尽きたことを悟る。その瞬間、呼吸が出来ない苦しみに、体が勝手にのたうち回る。昨日と同じ。
苦しい。やばい。
沙也香の叫び声が聞こえる。噴水の周りが騒ぎになっているのがわかる。
バシャバシャと揺らぐ水面には晴れ渡った青空しか見えない。視界が黒く狭まっていき、音がほとんど聞こえなくなっていく。意識が遠のいているのだ。
ああ、今度こそ。死んじゃう。
まだ、凪ちゃんに謝ってないのに。
その視界に突如、ロングヘアの少女が割り込んできた。
凪ちゃん?
凪ちゃんが私の両肩を掴んだ。力尽くで引き上げようとする。しかし、私の体だけ見えない壁に阻まれて体が起こせない。がっと水面にぶつかる形で再び水の底に背中から沈む。
反動で両手を放してしまった凪ちゃんは、諦めずにすぐさま私の腕をつかみ、引っ張った。だが、結果は同じだった。
だめだ。ありがとう凪ちゃん。ごめんね。
そう心の中でつぶやいたときだった。ほとんど機能しなくなっていた私の耳に凪ちゃんの声が響いた。ささやくような、それでいて絞り出すような、凪ちゃんとは思えない低い声。まるで地の底から響くような。
「かわのせにいのりつづけてはらふればくものうえまでかみぞのぼりぬ」
つぎの瞬間、ふっと私を閉じ込める壁が消えた。
「ぶはああああ!」
私は勢いよく体を起こすと水を吐きだした。咳き込みながらも思いっきり息を吸い込んだ。空っぽの肺が勢いよく空気で満たされる。
酸素ってこんなにおいしいんだ。
失われかけていた聴覚が一気に回復する。噴水の周りは大騒ぎだった。
見ると、野次馬が噴水の周りを囲んで騒いでいた。沙也香は半泣きになっている。
その喧噪の中、私は噴水のど真ん中で尻をつき、ぜーぜーと空気をむさぼった。
私は勿論、凪ちゃんもびしょぬれだった。しゃがみ込む私の目の前で、凪ちゃんは軽く息を切らしながら立っていた。
凪ちゃんは私をじっと見降ろし、つぶやいた。
「言ったでしょ。呪われてるって」