第二話 偏愛 八【終】
八
「でね! 部屋にね! 私の写真が張り付けてあったのよ! それも何枚も!」
私は両手をぶんぶん振り回しながら凪ちゃんに訴えた。この話はもうすでに何回かしているが、何度しても気が収まらない。
「そうなのね。それは引くわね」
対する凪ちゃんも何度目であろうとやさしくうなづいてくれた。やさしいなあ。そのやさしさに甘えて私は感情を吐き出した。
「引くどこらじゃないよ! 無理! 無理無理無理無理! ほんとムリ!」
「そうね。無理すぎるわね」
私たちはバスを降りて、一限目の教室へ向かった。最近はいい時間のバスに乗っているので、ゆっくり歩いていけば授業開始には間に合う。
「……横山先輩、あれからどうなったの」
大学が近づくにつれ、その不安が大きくなってきた。横山先輩に監禁されかけ、私は流石に落ち込んで一日大学を休んだ。このまま一週間ぐらい寝込んでやろうかと思っていたが、たった一日家でごろごろしただけでなんか暇になってしまったので、結局次の日の今日から登校開始だ。
だが、横山先輩と鉢合わせるかもしれないと思うと、ちょっと怖い。今日は田尾寺先生の授業じゃないから会わないと思うけど。まあ、会ったところで、また殴り倒せばいいんだけど。
「大丈夫よ。無害化しといたから」
「本当?」
「ばっちりよ」
あの夜、私は当然、横山先輩は警察に突き出すのだと思っていた。しかし、凪ちゃんは反対した。
「大学の目撃証言でも、近くの防犯カメラでも、証明されるのはひとみがデレデレ横山に付いていく姿よ。どう説明しても痴話喧嘩ぐらいに思われちゃうわ」
ぐうの音も出ないひとみに、凪ちゃんは「考えがあるの。任せときなさい」と胸を張ったのだ。
「結局、どうしたの?」
「愛よ」
「あい?」
凪ちゃんはにんまり顔になった。
「愛には愛。愛の力で解決したのよ」
よくわからないが、不安だなあ。沙也香の時は屋上から落としかけてたし。物騒なことになってないといいけど。
校舎の中に入る。今日の授業は田尾寺先生の授業ほどではないものの、人気の講座なはずだ。
「席、後ろのほう空いてるかな」と凪ちゃんに言いながら教室の前に来た時だった。
「おはようございます!」
突然、度肝を抜かれる大声が私たちを迎えた。
教室の入り口から、颯爽と横山先輩が登場した。
ほほに大きな絆創膏が貼ってあり、体のそこかしこに包帯が巻いてあるが、そんな怪我はものともしないとでも言うように、目は爛々と輝いていた。
「ひっ」と私は反射的に拳を構えた。そんな私に対し、横山先輩はすごい勢いの90度のお辞儀を披露した。
「ひとみ様! 先日は大変なご無礼、申し訳ありませんでした!」
え? なになになに?
周りがざわつき始める。こんな大声を出しているのだから当たりまえだ。
そんな中、凪ちゃんは腕組みをして横山先輩を見下ろした。
「あんた、ちゃんと反省してるんでしょうね」
ちょ、凪ちゃんも何言ってるの!
「は! 凪様。もちろんです! 俺の人生における最大の後悔です。万死に値するとは理解しております」
あたふたと慌てる私に対し、横山先輩はまた勢いよく顔を上げた。
「ひとみ様。俺はあなたを愛するがあまり、自分の身の程もわきまえず、あなたを自分のものにしようなどとなんとも思いあがった蛮行を計画しました。まったく自分でも信じられません。横山隼、この罪を一生忘れない所存です! どのような罰でもお受けします!」
大声で何言ってんだこいつ!
横山先輩は、ばっとその場に片膝をついた。首を垂れ、私に対して手を差し出す。
「その上で、このようなことをお頼みするのは恐れ多いことは十分承知しております。しかし、恥を忍んでお願い申し上げます!」
固まる私に向かって、横山は叫んだ。
「俺を、忠実なしもべとして、おそばに置いていただけませんでしょうかあああ!」
はあああああ?
周りの学生がどよめき立つ。
「ちょ! 凪ちゃん!」
私は凪ちゃんの二の腕を引っ張り、横山先輩に背中を向けた。
「先輩になにしたの!」
小声で問い詰める私に、凪ちゃんも小声で返す。
「言ったでしょ。愛には愛って。あいつがひとみに媚薬やら呪文でひとみの恋心を操ったんだから、同じようにあいつの恋心を操ってやったのよ。それがバランスってやつでしょ、」
「え? 凪ちゃんもあの、なんか恋愛の術みたいなのを先輩にかけたってこと?」
「そういうこと。ありったけの愛の呪いを横山にかけまくったのよ。それこそ呪文に秘薬。私の持ってるあらゆる術でね」
「え? じゃあ、先輩は、今度は凪ちゃんに恋しちゃったってこと?」
凪ちゃんはまたにんまりした。
「んなわけないでしょ。私が対象にしたのは、もちろんひとみよ。どの術もひとみに惚れてしまう術式にしたわ」
私は愕然とした。なぜか私に惚れていた先輩を、呪いでさらに強く惚れさせたということか。
「なにやってるの? じゃあ、悪化させたってこと?」
凪ちゃんは人差し指を出し「ちっちっち」と左右に揺らした。
「悪化じゃないわ。進化よ。いい? ただでさえひとみにぞっこんだった横山に、古今東西ありとあらゆる呪いでさらにひとみへの愛を無理やり重ねていった。すると横山の恋心は進化して、次の次元の愛に移行する。恋は愛に。愛は偏愛に。偏愛は盲愛に。盲愛は狂愛に。そして狂愛は行くところまで行くと畏怖に代わり、信仰になる。そこまでいけば宗教よ」
「そ、それって、よけい危ないんじゃ……」
「大丈夫よ。もう、横山の中でひとみの存在は大きくなりすぎて、神聖なものになってしまっているの。女神様よ。恐れ多くて手なんか出す気にもならないわ」
「そ、そういうものなの?」
「考えてごらんなさい。神様を崇め奉ってる人たちは世界中にいるけれど、神様と結婚したいなんて言う罰当たり者はいやしないでしょう。横山はいまや、ひとみという神を信仰する敬虔な聖職者よ」
そこまで言うと、凪ちゃんは振り返った。
「そうよね? 横山!」
横山先輩は跪き、手を差し出したまま叫んだ。
「はい! 俺は今や、愛の奴隷です!」
もうやだ。帰りたい。
「ほら。ひとみ。ひとみ教の信者第一号が手を伸ばして待ってるじゃない。応えてあげないと」
見ると、先輩は首を垂れたまま、緊張に震えている。子犬のようだ。女神様(私)に手を取ってもらえるかどうか、不安でたまらないのだ。
「ひとみ。優秀なげぼ……ナイトが手に入るチャンスよ。ボディーガードにも最適だわ。手を取ってあげなさい」
教室中の学生全員がしんっと静まり返った。私の動きに注目している。
同調圧力がすごい。
私は顔をひきつらせながら、恐る恐る、指先で、ちょん、と横山先輩の手をタッチした。
「あ、ありがとうございます……!」
横山先輩は跪いたままむせび泣いた。こわい。
「この横山隼! 命尽きるまで、ひとみ様に誠心誠意、使えさせていただきます!」
周りがまた一気にざわつく。
そんな中、私は顔をこわばらせ、凪ちゃんはにやにや笑っていた。
「ささ! ひとみ様。凪様。席をお取りしておきました。どうぞこちらへ」
私たちは横山先輩に、席までエスコートされた。
ブランドバックを取り落として口をあんぐり開けている沙也香が目の端に映ったが、見えなかったことにする。
「あ、ありがとう」と席に座る。
「とんでもございません!」
そう言って、大学一のイケメンモテ男は私に向かって微笑み、周りに向かって叫んだ。
「愚民ども! 静かにしないか! ひとみ様が勉学にご集中できないだろ!」
一層ざわめく喧騒の中、凪ちゃんが隣で楽しそうに笑い出す。
私は呆然としながら、私の思い描く理想のキャンパスライフが目に見えて遠ざかっていくのを感じた。
もう恋なんてしない。そう思った。
【第二話 完】