蝶
あゝ。どいつもこいつもクズばかりだ。そう私は吐き捨てたくなった。
もうすっかり夏の暑さは過ぎ去り、ヒュー。ヒュー。と冷たい風が肌を指す季節になる。まだ落ちきっていない木の葉が、ガサ。ガサ。と音を鳴らす。肩を窄めてしまう程寒い朝であったが、どこか心地良いとすら思えてしまう。最近、家の近くに巣を作ったのであろう。山鳩が、バサ。バサ。と音を立てその翼をは羽ばたかせる。そんな秋の独奏会を聴き、今日も高校へ行くために自転車で風を切り裂いて行く。私はカラス。ネズミ色の空を翔ける。翼の代わりだ。この黒く長い髪こそが。そんな、つまらない冗談を考え浮かべながら、駅へと向かう。その道中にある公園には、多くの自転車が駐められている。しかし、ベンチにも、ブランコにも、滑り台にも人がいる気配は全く無い。私は高架下の駐輪場に自転車を停め、駐輪場警備のおじいさんに
「いってらっしゃい。」
と声をかけられると、軽く会釈をして駅のホームへと向かう。改札を出て、電車に乗り込む。
電車は、ガタン。ゴトン。ガタン。ゴトン。と音を立てながら進む。以外にも、車内の至る所に非日常は転がっている。身なりや立居振舞から、あゝ。この男はろくな仕事に就いていないのだろうな。もし、仮に就いていたとしても、仕事もろくにできない、木偶の坊だろうな。だとか、鼻をつまみたくなるようなきつい香水や、今にも干上がった田んぼの様にヒビ割れて仕舞うのではないかと、ハラハラさせる程の化粧の厚さだとかで、あゝ。この女は夜職で、煙草も金も吸うのが、さぞ得意なのだろうと。そんな非日常を拾うことが私の朝の一興にすらなっていた。そんな下らない品定め何かをしている間に、高校までの最寄り駅に着く。
降車した途端、私はイヤホンをすぐさま耳に挿す。そうして、私は、本場アメリカにいるジャズバンドの曲を聴く。何故だか明らかではないが、この曲を聴いていると、大衆から隔絶された。という、何とも不思議な感覚に襲われる。が、悪い気はしない。何故なら、どこか、肩で歩きたくなるような、どこか、浮かんでいるような、そんな超越感に浸ることができるからであろう。
「…ちゃん!ヒロちゃん!」
イヤホンの向こうから、甲高い声が聞こえてくる。渋々イヤホンを耳から外し、振り返る。そこにいたのは、やはり、三学年になり初めて同じクラスになった相田陽介の姿であった。
「おはよう!ヒロちゃん!」
相田のハツラツとした声がホームに居る人間、全員に聞こえるのではないかと
冷や冷やした。曲のイントロが終わり、さあ、これからテーマだ。という時に声をかけられ、苛立つ気持ちを抑え、
「おはよう。相田君。」
と愛想良く返した。が、相田はどこかやるせない顔をしていた。と思ったがすぐに顔色が変わり、新学期になりクラスには馴染めそうか。とか、選択科目は何にしたのか。とか、そんなつまらない話を駅から学校にかけてした。私にはそれが途方もなく長く感じた。
私は相田が嫌いだ。
彼は人との距離感が全く持って掴めていないのだ。学校生活三年間が幕を閉じようとしている二学期の今でも、あの日の朝のことは忘れられない。肝が凍りついている。と錯覚するほど、私にとって恐ろしい朝であった。何故なら、彼は出会ったばかりの頃から私のことを「ヒロちゃん」と呼んで来たからだ。きっと、私の姓名が今田裕美だからであろう。
「何だ別にそんなことか。」
と嘲笑う方もいるだろう。しかし、私にとってその愛称は、私も知らない(というよりかは、気付かない振りをしているだけなのかも、知れないが)私に、真夜中の、街頭が何本か、並んでいるだけで、それ以外には、何もない、誰もいない、そんな、細く暗い一本道で、ばったり出会うような、そんな、身の毛もよだつ様な感覚であった。相田の悪癖は愛称のみに留まらず、日常生活にすら顕著に現れていた。多いのだあまりにも。ボディタッチが。通学中は決まって、私の手に触れようとしてくる。私はその行為もまた、私の知らない私にばったり会うような感覚に陥ってしまうのだ。何故、私の体に執拗に触れようとするのか問いただしてみた。すると、相田は言葉を選びながら、
「僕とヒロちゃんは似た者同士だからだよ。」
とこちらの顔色を伺うように答えた。相田の言動に耐え兼ねた私は、車両を変えるようになった。それからというもの、彼との関わりは無くなった。だが、しかし、何故だか、何処か心もとない気持ちになった。
近頃、生徒会長選挙があるため、校門の前では自作のタスキをかけ、挨拶をする二年生が数名現れ始めた。私は軽く会釈をしてその前を通る。「この学校をより良くしたい!」何て平気で嘘をつくのだから恐ろしい。大抵の人間が、大学受験に有利だから立候補しているのだ。そんな人間が頭に成るからちっともより良くなら無いのだ。
そうして生徒会長選挙当日。体育館のステージ上に、立候補者による演説が始まる。「私が生徒会長になったら、行いたい活動は全部で三つあります。」と指で三を作って見せる。私にはそれがとても苛立たしく、その三本指をへし折ってやりたい程であった。しかし、唯一とある人物のみが、異彩を放っているように感じられた。その演説の内容としては「性別に関係なく、女子もスラックスを。男子もスカートを。」といったものであった。私はとても良い案であると思った。何も入れられていない目安箱という名の、ごみ箱などを設置するという定型文より、よっぽどマシであった。だが周囲はざわつき始める。何が可笑しいのか。歯が見えないように口元を抑えるクズや、口を大きく広げ、笑いを堪え、どこかの芸人に成ったかの様に振る舞うクズもいた。そんな中、相田だけが彼女の演説に目を輝かせていた。
「女子がスラックスはまだしも、男子がスカートとか意味わかんなくね?」
一人のクズが私に、何かを下で見るような、そんな嫌味ったらしい聞き方をしてきた。上辺だけの笑顔で私は、
「それな。」
私はそう答えた。そう答えてしまった。そう答えさせられてしまった。この腐りきった社会に。その会話の流れを少し離れた所で察したのか、相田は酷く悲しい顔をした。直後。相田の輝いていた目は、私を蔑んでいるかのような、そんな色に変色した。
あゝ。どいつもこいつもクズばかりだ。
あのクズ達を自分より知性も、教養も、倫理観も、何もかもが欠如していると下に見ていた。私はカラス。そう思っていた。だが、決してそんなことはなく、詰まる所、私もネズミだったのだ。
その日以降、相田はネズミ達と同じ教室に来ることは無かった。どうやら俗に言う「保健室登校」という措置らしい。この措置ならば、近いうちにある卒業式には参加することができるらしい。あの日の事件を境に、私の中の私が変化した。あれ程好んでいたジャズバンドの曲も一切聴かなくなり、流行の曲ばかりを聴くようになり、何気ない日常をただ、ダラダラと過ごすようになった。おそらく私はカラスに成りたいが為に、数々の物事において、つまらないレッテルを貼っていた。自分の好みを他人に委ねていたのだ。私は流行している物事が嫌いなのではなく、流行が嫌いだったのだ。避けていたのだ。恐れていたのだ。大衆に揉まれてしまうのでは無いかと。自分は特別だと勘違いしていたかったのだ。今に至るまで、その事に私は気付かなかったのではなく、気付きたくなかったのだ。
例えるならば、あなたが、友人と映画を観る約束をしたとしよう。あなたは急がなければ、待ち合わせの時間に間に合わなくなる。しかし、そこには、明らかに道に迷っている他人がいる。この状況で自分から声をかけ、助けに行かないのと何ら変わり無いだろう(無論、迷わず助けに行く方もいるだろう。それは、一見、素晴らしい行動のように映るかもしれない。が、道を案内していたからと言って、それが、あなたの友人を待たせ、映画が見れなくなる。という事になってもよろしくない。)。相手が外国人で英語が喋れないからだとか、他の通行人が助けの手を差し伸べてくれるだろうから。と気付かない振りをするだろう。
流行もこの道案内の件も、仕方が無いはずなのだ。私もあなたも目先の自分の利益に動かされただけなのだ。焦っていただけなのだ。そう自身に言い聞かせ続けた。
卒業式当日。誰も彼もが、左胸に「御卒業おめでとう」と書かれた造花を付け合い、一喜一憂している。窓から外を見ようとする振りをして、相田と目が合わないように、慎重に恐る恐る左胸を覗く。そこには一輪の花が清く美しく咲いていた。蝶は目も、心も、何もかも吸い込まれ、消えてしまいそうになった。本当の私はどこにいるのだろうか。そんな、今にも包み込まれそうな、暗い夜道を一人歩き彷徨いながら、左胸にそっと手を添えた。クラスの男子が「花、着けてあげるよ」と来たが私はそれをやんわりと断り、卒業式を行う体育館へと名前順に並んだ。私は何故だか、妙な違和感を感じた。
私達は担任の先生を先頭に盛大な拍手で迎えられた。必死にカメラを構え、もうすでに涙が頬を伝っている親御さんもいた。「カメラに写すことでしか、想起することが出来ない程度の記憶ならば、捨ててしまえば良い。」という考えを私は持ち合わせていたが、ふと思う。そもそも記憶では無いのだ。その時点で私は誤っていた。きっとこれは記憶でも無く、ましてや、記録でも無い。かと言って想い出何て臭い答えでもない。式事なのだ。それも、子はもちろんだが、親御さん(保護者様)の式事でもあるのだ。汗水たらし稼いだ金(奨学金制度等もあるが)で我が子を通わせたのだ、三年間。もちろん。金銭面だけではなく、生活面でも同じことが言える。ならば、子は親の写し鏡と言えよう。平生は穏やかで、波の無い水面であるが、時として、富士の山のように噴火をしたように、怒るのでは無く、叱る(心に波立つことなく、教え諭すこと)。そういった親の子は、逆さ富士のように美しい人間に育つであろう。一方、平生、教養という名の勝手な価値観で出来た「土」と、庇護という名の何とも、まあ、都合の良い「水」。これらで出来た葉を幼虫に食べさせれば、至極当然。体内で毒が完成する。その毒はまだ、ひ弱な幼虫を守ることになる。この毒を一部の親は「愛情」と呼ぶらしい。この毒は確かに、幼虫を守ることには違いない。しかし、その毒は蛹になり、そして、蝶になった今でも、纏わりつき、いつしか束縛へと変貌する。あんなにも美しいのに。その毒の正体が愛情であれ、憎しみであれ、子に依存した親自身が、自分から逃げる為の手段なのだろう。しかし、富士の山と蝶、どちらがより美しいか判別する術は、私達には無い。庭先に咲くフウセンカズラとプラトーに咲くトリカブト。これらにも、どちらがより美しいか判別する術は無い。その思考すら、野暮である。兎角、判別する必要もまた無い。
校歌を歌い終え、お偉いさんのありがたいお言葉を頂く。腰が重くなった。やっと、プログラムは卒業証書授与へと移る。そうして、担任の先生が、それぞれの名前を五十音順に呼び始める。
「相田 陽介。」
何を躊躇うか、少し間を開けてから、
「はい!」
いつもの相田とは大きく異なり、背筋をピンと伸ばし、ハキハキとした大きな声で返事をした。どうやら相田は本当の嘘偽りの無い、自分と決別し、偽りの自分と、これからの先が見えない程の、真っ暗な夜道を歩んでいくことに決めたらしい。そんな彼の横顔からは、滲み出ていた。その覚悟と悲しみが。
「今田 裕美。」
相田の次に私の名前が呼ばれる。私はハッとした。その瞬間、私はどうやら出会ってしまったらしい。例のあの通りで。私も知らない私に。出会わないように、出会わないように、と個性という顔を隠しながら、歩いていたというのに。どうやら私と相田は本当に文字通り「似た者同士」だったのだ。それと同時に、あの時の妙な違和感の正体にも気づいてしまった。どうして、性別学的に見て男性とされているだけの私達が先に呼ばれるのか。私も知らない私は、女子の中で一番目の出席番号を望んでいたらしい(今日の女子の一番目は、上原さんである)。いや。二番目か。今、思い返せば、相田の一挙手一投足、全てに於いて合点がいく。
「今田 裕美。」
再び悪魔の声が体育館中に響き渡っている。「はい」というたったの二文字が、私の首を締め付ける。担任のあからさまに苛立っている表情を見て、とうとう私は、
「はい。」
と返事をした。返事をしてしまった。そう返事をさせられてしまった。男子がスカートを履くことを否定され、否定した。あの時と何も変わらないではないか。どうやら、私と相田はこのまま「こちらの方がより美しい」とほのめかされ、社会の圧力に押し潰されていくのだろう。そうして、私と相田は卒業証書という毒を盛られ、羽化の準備を始める。私も知らない私の行方を知り得る者は一人としていない。