*** 244 天界部門長会議 ***
だが……
それから20年後。
ダラダラと冷や汗をかくタケルの前には、黒仔猫26人と白仔猫26人が並んで座っていたのである……
エリザベートはリリアローラ一族の子孫繁栄の役割を娘のジョセフィーヌに譲り、空いた時間を使って銀河連盟大学付属幼年学校から大学までを修了している。
尚、連盟大学での主専攻は比較文明学であり、副専攻は理想惑星学だったそうだ。
ジョセフィーヌは愛しいタケルの仔を宿して生み育てるという快感にハマり、それからも仔を生み続けた結果24組48人の仔たちの母親となっている。
この20年間、妊娠していない期間は合わせても20日に満たないという恐るべき母性であった……
タケルの試練は、誰が誰だか当てるよりも、もはや52人分の名前を覚えておくという次の次元に突入している。
それにしても、この52人の仔猫たちが集まっている姿は壮観である。
或る日、夕食後に仔どもたちが絨毯の上で寛いでいた。
ある仔はまったりと毛繕いをし、またある仔はうとうととしている。
生まれたばかりの末っ子たちは、セルジュお兄ちゃんとミサリアお姉ちゃんの背中に乗せてもらってうにゃうにゃと喜んでいた。
そして、数人の仔猫たちが、パパが買ってくれた日本産のゴム風船で遊び始めたのである。
何人かで輪になって風船を鼻や頭でつついてパスをしあっていた。
だが、その中の一人が、つい興奮して爪を出した手で風船を思いっきり叩いてしまったのである。
パアァァァ―――ン!!!
「「「 ふぎゃあぁぁぁ―――っ! 」」」
52人の仔どもたち全員がやんのかスタイルになって垂直に飛び上がった。
小さい仔たちは50センチから1メートルほどのジャンプだったが、大きい仔は3メートル近く飛んでいる。
まるで仔猫噴水であった。
(ジョセフィーヌまでしっぽを膨らませて5メートルも飛び上がっていた。
普段はややトロそうなジョセフィーヌだが、さすが猫人だけあって運動神経にはかなりのものがある)
セルジュくんとミサリアちゃんの背にいた末っ子たちは、跳ね飛ばされてくるくると回っており、タケルが慌てて回収していた。
おかげで日本産風船はエリザベートに禁止され、銀河宇宙産の割れない風船のみで遊ぶこととされてしまっている。
ミサリアちゃんは、早く弟妹の人数を64人にしてもらって妹には黒いエプロンを、弟には白いエプロンを着せて、大きな遊戯版でパパと猫リバーシ対決をしたいとの野望を抱いている。
尚、勝ち目が無くなってきた際には盤の横に『ちゅちゅちゅちゅちゅー!』と大きな声で鳴きながら高速で走り廻るネズミのおもちゃを投入し、盤上の駒を一掃して勝負をうやむやにするという謀略まで用意していた……
もちろん天界救済部門の活動は極めて順調だった。
危機評価部のランク付けによれば、未認定世界9000万の内ランクA以上の世界はもはや存在せず、すべてがランクB以下とされている。
このランクBとは、惑星規模の危機ではなく国や地方規模の自然災害、すなわち旱魃や洪水などの地域災害とされており、救済部門の人員と資材があれば対応は極めて容易である。
ヒューマノイド世界だけでなく、すべての生命存在惑星も網羅するナノマシン監視網も完成しており、10万人の職員を要する総司令部の危機評価と出動指示によって、100万のヒューマノイドによる支援部隊と12億のAI部隊、20億のアバター部隊による即応体制も取られていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
神界リゾートの中央ホテル迎賓の間にて毎月定例の天界部門長会議が開催されていた。
壇上には最高天使エギエル・メリアーヌス、旧神界の前最高神ゼウサーナ・マイランゲルド、最高天使政務庁首席補佐官アルジェラス・ルーセンが座っている。
会場には最高天使政務庁事務次官、人事部門長、調査部門長、監査部門長、財務部門長、法務部門長、土木部門長、総務部門長、広報部門長、購買部門長、農業部門長、最高裁長官、ようやく強度のトラウマから現場に復帰出来た天地創造部門長と、知性付与部門長たち計13名がそれぞれの副官と共に席についている。
何故か救済部門長エリザベート・リリアローラだけは末席と言っていい場所に1人で座っていた。
まずは最高天使エギエル・メリアーヌスが口を開く。
「定例会議とはいえ、皆よく集まってくれた。
本日の議題は予め伝えてあった通り、私の引退と後任人事についてだ」
その場の全員の表情が引き締まったが、エリザベートだけは微笑んでいる。
「なにせわたしももういい歳だ。
あと数十万年で寿命も尽きるだろう。
執務中に万が一のことが無きよう、ここらで後進に道を譲りたいと思う。
後から述べる理由により、これからの天界指導層は途轍もない激務に見舞われるだろうが、老いたるわたしでは精神的にも肉体的にも到底その激務には耐えられまい」
多くの部門長とその補佐官たちが訝し気な顔をしていたが、口を開く者はいなかった。
「それではこれより最高指導部が協議した結果の後任人事を発表するが、その前にエリザベート・リリアローラ救済部門長よ、やはり次の天界最高天使の地位には就いてはもらえんか」
盛大などよめきが起きた。
「誠に遺憾ながら、妾の意思もタケルの意思も変わっておりませぬ。
次期最高天使就任は謹んでご辞退申し上げます」
会場内から思わず声が飛んだ。
「な、なぜだ!」
「最高天使就任ともあれば無上の栄誉!
それを辞退するというのか!」
「最高天使閣下の御意思を無視するのか!」
「場合によっては不敬罪、いや反逆罪に該当するぞ!」
だが、数名の部門長とその補佐官はこの騒ぎに参加していない。
土木部門長タオルーク・ゲオルギーに至っては微かに微笑んでいる。
会場には怒声に近い声が飛び交っていたが、エリザベートは端然と微笑んでいるのみであった。
だがその微笑も、救済派トップとして旧原理派神との対立300万年、旧神界上級神会議議長として5万年を経た大いなる威厳に満ちたものである。
本気のエリザベートはタケルですら少々引くほどに恐ろしいのだ。
会場の怒声も次第に小さくなっていった。
やはり経験と実績に満ちた威厳とは侮れないものであるらしい。
もちろん最高天使閣下もその首席補佐官閣下も同様に静かに座っているのみである。
ようやく声を発する者がいなくなったところで、最高天使閣下が再び口を開いた。
「ということでアルジュラス・ルーセンよ。
残り物を下げ渡すようで誠に心苦しいが、最高天使の地位を引き継いではもらえんだろうか」
「は……
非才の身ではございますが、謹んでお受けさせて頂きたいと思いまする……」
通常であれば祝いの言葉に溢れるところではあるが、最高天使政務庁首席補佐官閣下の苦渋に満ちた表情を前にし、会場には寂として声も無い。
「さらに、そなたにこの天界の負の遺産とでも呼ぶべきものを引き渡すのは慙愧の念に堪えんが、どうか許して欲しい」
「は、委細承知しておりまする……」
天界の最上層部がエリザベートの昇格拒否を咎めるでもなく、新たに最高天使に選ばれた首席補佐官が諦観に満ちた表情を為し、そして最高天使エギエル・メリアーヌスが口にした負の遺産という文言。
これらを見聞きした天界の幹部一同は大いに困惑していた。
前最高神ゼウサーナ・マイランゲルドが口を開いた。
「のうエリザベートや。
どうやら皆混乱しておるようだ。
そなたが次期最高天使への昇格を辞退した理由も含め、ここで皆が納得するように説明したいのだが、わしらの口から語るよりも、先日見せてもらったそなたとタケルの会談映像を見てもらうのが早いと思うのだがのう。
構わんかの」
「もちろん構いませぬゼウサーナ・マイランゲルド閣下。
ですがよろしいのですか?
最高幹部の皆さまはともかく、ここにおいでの各部門幹部の方々にとっては些か過激な内容になりますが」
「もちろん構わん。
あの内容はわしらにとってもかなり衝撃的だった。
各部門の実態については調査部門に報告を依頼しておったのだが……」
前最高神閣下が調査部門長をチラ見した。
調査部門長は突如目の前のテーブルの木目を数えることにしたらしく、目線を下げてテーブルを凝視している。
「それではどうぞご自由にお使いください」
「そうか、それではマリーや、映像を再生してくれるかの」
『畏まりました』
その場に大きな3D立体映像が現れた。
どうやら場所はタケルの天域にある救済部門総司令部の応接室のようだ。
華美ではないが重厚なテーブルを挟んでエリザベートとタケルだけが座っている。
『はは、この司令部応接室に来るのも久しいの』
『そういえばそうでしたね。
ところで今日は改まってどうされたのですか?』
『うむ、実は今日の天界部門長会議の後、最高天使閣下と前最高神ゼウサーナさま、そして首席補佐官のアルジュラス・ルーセン殿ら3人から内密に次期最高天使就任への打診を受けたのだ』
『そうでしたか、もうそのような打診が来ましたか……』
『もちろんその場では受諾しなかったがの。
そなたの意見も聞いてみたかったし、返答は保留しておる』
『エリザさまご自身は最高天使の座に興味は無いんですか?』
『妾が旧神界上級神会議議長の座に就いたり救済部門の部門長に就くなどの栄誉を受けたのは、すべて原理派神共に対抗して銀河宇宙に救済を広げるためであった。
そなたの救済部門事業を原理派神共の攻撃から守るためでもあったしの。
つまり我が栄達はすべてそうした目的あってのものだったのだよ。
だが、今ではもう原理派神共も、ほとんどは流刑星におるか神界刑務所で終身刑犯として服役しておる。
まあまだ隠れ原理派はおるかもしれんが。
また、そなたはもう妾が防波堤になるまでもなく、完全に救済部門を軌道に乗せた。
今更強欲な旧神共がそなたを攻撃したとしても、そなたの持つ強大な力があればそんなものは即座に粉砕出来るであろう。
つまり妾にはもう権力を得るインセンティブが何もないのだ。
また、最近のそなたや仔らや孫たちとの暮らしはもう無条件に楽しい。
月に1度の部門長会議などという様式美を求めての雑務ですら邪魔に感じる程にな』
『はは』
「「「 な、なんだと…… 」」」
組織の中で階梯を昇って来た者たちの中には、多かれ少なかれ権力志向の者がいる。
つまり、目的のために権力の座に就くというよりも、権力そのものを得ることを目的として来た者である。
その者たちにとって、最高天使閣下を議長に戴く部門長会議を様式美のための雑務と断定されたことは衝撃だったようだ。
『それにの、妾を最高天使に推挙したということは、そなたをその次の最高天使に据えるための布石であろう。
もしもそなたが最高天使の座を欲するのであれば、妾も今しばらく雑務に耐えようとは思うが……』
『いえいえ、まずわたしが欲するものと言えば、今の家族との平穏な生活です』
『嬉しいことを言ってくれるの♡』
『その延長として、同様の幸せな生活を営む銀河のひとびとを守ってやりたいという欲求があります。
認定世界は自然災害からの守り、未認定世界は自然災害に加えて暴虐など人災からの守りが必要であり、そのための手段が救済部門でありました。
その救済部門に必要な人材、資金、資源、生産能力などは既に十分なものを確保しています。
いまさら天界の権力を得ても資するものはありませんし、救済部門の実行部隊長であるわたしが天界の様式美などというものに係わるのは時間の無駄でしかないでしょう』
((( ……え…… )))
やはり権力の場に参集することを時間の無駄とまで言われたことは、この部門長会議出席者のうちかなりの者たちの理解が及ばないことであったようだ。
『それにわたしは既に天界に対して大いに失望していますからね』
「「「 !!!!!!! 」」」




