*** 235 国軍情報部 ***
翌早朝、国軍情報部の下級貴族家出身の若手によって、すべての公爵家に再び『勅命状』が届けられた。
その内容とは、
『先の勅命で指定した日時通りに王都を進発したにも関わらず、本日より3日後夕刻までに戦地となるタマス子爵領に至っていない軍人は、逃亡兵と見做してこれを縛り首に処す。
これはたとえ王族であったとしても例外ではない。
また、逃亡兵を出した公爵家は、爵位を剥奪して平民とする』というものだったのである。
王都に帰還していた軍人や公爵家子弟たちは、激怒した公爵家当主たちに叩き起こされた。
そしてすぐさまの出立を命じられたのである。
運のいい者は毛布とパンを持って出立する余裕があったそうだ。
こうして彼らは疲れた体をおして、再び戦場に向けての行軍を開始したのである。
侯爵邸にて(尻の)療養中である第1王子殿下は、麾下の国軍に対して(尻の)怪我が癒えるまで侯爵邸に留まることをお命じになられていた。
(実際は怪我ではなく単に尻の皮が剥けているだけだが)
だが、無情にもこの侯爵邸にも2つ目の勅命書が早馬で届けられてしまったのである。
殿下は馬車の椅子に座った途端に盛大な悲鳴を挙げられたために、やむなく輿を組み立ててそこに腹這いになった殿下を乗せていくことになった。
まあ馬車よりは輿の方が揺れは少ないだろう。
軽度の傷は空気に晒しておいた方が治りが早い、という俗説が信じられていたために、殿下の尻は剝き出しである。
そのお姿は、大きなひび割れの入った鏡餅の下段に短い手足が生えているかのような奇怪なものであった。
輿の後ろ側の棒を持つ従卒たちは露骨に迷惑そうな顔をしている。
そして、侯爵邸を出立し、しばらくして王子殿下一行の目に入って来たものは……
「な、なんだあれは……」
それは300メートルほどの間隔を開けてそそり立つ2枚の巨大な壁だった。
高さ25メートル、厚み10メートルはあろうかという白い壁が垂直に立っていたのである。
壁と壁の間の通路も、やはり白い不思議な材質のもので平らに舗装されており、その場の誰もがそんな巨大な建造物を見たことが無かったのであった。
そしてその壁の両側には、大きな看板が立っていたのである。
『↑この通路の先40キロでタマス子爵領。
↑この通路の先55キロで戦士村連合国との戦争会場』
通路入り口周辺には数人の男たちが立っていた。
「我々は国軍情報部の者です。
第1王子殿下と国軍第1師団の方々とお見受けしますが」
「そ、そうだ」
国軍情報部。
それは国軍の中にあって、ただただ国王陛下のみに直属する情報部隊であった。
如何なる指揮系統にも属せず、また如何なる貴族家の命令も撥ね退けることが出来る独立機関である。
その権限は陛下の勅命に準ずるとされ、高位貴族家当主の逮捕権まで有していたが、彼らがその地位を明かすことは稀である。
「今朝早く我々はこの壁を発見し、複数の早馬にて調査しました。
その結果、この壁に挟まれた通路以外の地を行くと、タマス子爵領の手前で同じ巨大な壁に遮られます。
通路内を行けばタマス子爵領に入り、さらにその先の通路の突き当りには大きな扉がありまする。
その場には大きく『戦士村連合国とヴェノム王国の戦争会場』『戦争開始まであと3日〇〇時間』と書いてございますが、その時刻は刻々と減ってゆきます。
ですのでこの壁の間を進軍下さいませ。
通路は平坦で歩きやすく、また途中には水場と馬の餌場とみられるものが点在しております」
「だ、誰がこのような巨大な壁を作ったというのか!」
「おそらくは賤民たちが魔法で建造したのでありましょう。
昨日まではこのような物はございませんでしたので」
「せ、賤民にこのような物を作れる魔法能力があると申すか!」
「たぶんあるのでしょう。
まるで建国王伝説にある『土魔法による一夜砦』のようですが」
「「「 !!! 」」」
輿に乗って尻を出したままの第1王子が前に出て来た。
「ま、待て!
この通路は賤民共の罠ではないのか!」
情報部の大佐は第1王子の無様な姿を見て一瞬顔を顰めたが、すぐに表情を戻して語った。
「もちろんその可能性はございますが、我ら情報部の調査ではその兆候は見つかっておりませぬ」
「そなたらの言など信じられるか!
我らはここにて待機し、後続の国軍第2師団や公爵家子弟軍を先に行かせて罠の確認をさせるものとする!」
「それは今回の遠征軍の総司令官である第1王子殿下のご判断であります。
ですがよろしいのですか?」
「な、なにがだ!」
「この地に留まったまま2日と12時間を経過しますと、陛下の勅命にあった『3日後までに戦地であるタマス子爵領に至っていない』逃亡兵と見做されます」
「「「 !!!!! 」」」
「その場合には皆さまは国軍第3師団と第4師団の手によって捕らえられ、死罪となってしまう上に、公爵家もお取り潰しに……」
「「「 うひいぃぃぃっ! 」」」
因みに低位貴族出身者によって構成される国軍第3師団と国軍第4師団は実質的な国軍の主力であり、訓練も行っているために、出自しか能のない第1第2師団より遥かに強いのは常識になっている。
第1師団や第2師団の者は誰も口にしないが。
「へ、陛下の勅命に従うためには仕方あるまい!
第1師団長、後続の第2師団の到着を待って余の周囲を固めよ!
その上で進発する!
国軍情報部のそなたは行軍の先頭に立って罠に備えよ!」
「はい……」
また、国軍第1師団の将校たちは、第2師団を待つ間に従卒や下男に周辺の農村からの食料徴発を命じた。
もちろんカネも持たせておらず、従卒や下男たちは勝手に他の公爵家の家名を名乗って『代金は邸に取りにくれば下賜してやる』と言って食料を奪おうとしていた。
つまりは実質的な略奪である。
だが、彼らが農家や商家に押し入ろうとするたびに、その姿が消えていったのであった。
辺りには微かに『はい、アウト-!』という声が聞こえていたそうだ。
結果として、食料徴発に赴いた者たちは誰一人として帰って来なかったのである。
(まさか賤民共がこの壁を建造したのはこの略奪を阻止するためだったのか。
国軍が民からの略奪を試み、それを賤民が防いでくれるとは……
それにしてもだ。
古来より『素人は戦略を語り、玄人は兵站を語る』というが、この阿呆な国軍第1師団と第2師団は、これだけの荷を曳いて来ながら食料を全く用意していなかったとは……
もはや素人以下だの)
国軍情報部員は交代で丘の裏にある野営地に戻り、暖かいスープとパンを食べている。
その日の夜。
国軍の軍人たちは空腹と寒さに震えていた。
地面に横たわると体温を奪われ、荷車から荷を下ろして横になっても寝ることは難しかった。
荷車の荷台は、動かしているときは水平だが、停車している2輪荷車の場合必ず前が下がるようになっているものである。
(ヒトは寝床が5度以上傾いていると寝るのが困難と言われている。
野営のベテランになれば10度近く傾いていても寝られるらしいが。
筆者は山中での野営経験が200泊以上あるが、5度以上での傾斜地で眠るのは苦しい。
故に所謂キャンプ場はほとんどすべて平坦地に作られているのであろう。
雨で土が流されて傾いているテントサイトなどは本当に最悪である。
もしスコップを持っていれば、たとえ1時間かけてもサイトを平坦にすることをお勧めする。
その点で雪山にテントを設営する際には、スノーシューでいくらでも雪を平らに固められるのでむしろ雪山の方が好ましいだろう。
ただし、同じ場所で2日も野営していると自分の体温で雪面が人型に沈んでいくのはどうしようもないが)
国軍情報部大佐はさらに嘆いていた。
(それにしてもこの連中は酷いの。
天幕どころか毛布すら持っていないとは。
本当にこれで戦争遠征など出来ると思っていたのだろうか……)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
この頃、タケルが救済部門司令部に出向くと、ニャイチローたちとオーキー、マリアーヌのアバターが片膝をついて頭を下げていた。
(こいつら戦士村の風習に影響受けすぎ!)
「あにょ!
ヴェノム王国との決戦の際には、是非僕たちも参加させてくださいませにゃ!
これ以上タケルさまだけに戦って頂くわけには参りませんにゃ!」
「オーク戦士たちにも是非出陣のご命令を!」
「戦闘用アバターも揃いましたので、是非AIたちも参戦を!」
「わかったわかった。
それじゃあニャイチローたちは参加で、オーク戦士は5人、戦闘用アバターはニャイチローたちの交代要員も入れて7人な。
戦闘自体に一度に参加するのは3人までで、それぞれ15分戦ったら交代だ。
あんな弱兵共相手に苦戦するわけはないが、万が一の際には俺も出る。
また、AI娘たちは魔法での補助も頼んだぞ」
「「「 ありがとうございます! 」」」
因みにニャイチローは戦闘のプロとしてレベル680の戦闘能力があるが、ニャジローもニャサブローも鍛錬に参加しているのでそれなりに強い。
ニャジローは魔法を使わずともレベル420の戦闘力があり、ニャサブローもレベル360に至っている。
まあ平均戦闘レベル1.2、最高レベル5のゴミ貴族軍相手ならなんの問題も無いだろう。
その後、銀河宇宙全域にて任務に就いているオークたちは、この戦闘員になるべく恒星間通信を使って激烈なジャンケン大会を開催したそうだ。
(キミタチ、それってのべ通信距離数千万光年に達してね?)
『いえ、2億光年ほどになります』
「!!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
ほとんど眠れなかったヴェノム王国軍人たちは、虚ろな目を開けて立ち上がった。
昨夜のうちに国軍第2師団も追いついて来たために、今日は行軍継続である。
その後ろには公爵家子弟軍も続いていた。
幸いにも壁際には水場があったため、彼らは馬と一緒に水場の水を飲んでいる。
馬があまりにももりもりと干し草ペレットを食べていたために、空腹に耐えかねてペレットを食してみた者は、盛大な腹痛に苦しんでいた。
ヒト族は、セルロースを分解出来る微生物を胃の中に飼っていないのである。
(因みに、牛や馬などの草食動物は、草のセルロースそのものを栄養にしているのではなく、胃の中でセルロースを栄養にして増えた微生物を消化して栄養にしているそうである)
第1王子ポンコーツ一行はその日ふらつきながらも30キロの行程をこなした。
道が平らで荷車や荷馬車の通行が楽だったこともある。
その場には、
『↑この先10キロでタマス子爵領。
↑この先25キロで戦士村連合国との戦争会場』との標識もあった。
あと10キロでタマス子爵領の領境である!
彼らは大いに喜んだ。
この苦行もあと10キロで終わりを告げるのだ!
彼らはこの行軍の目的を完全に失念しているようだった……




