*** 233 賤民懲罰軍 ***
執務室に入った侯爵閣下は、すぐに国王陛下の御前で膝下低頭した。
「面談要請の理由を述べよ」
宰相の冷たい声が響く。
「申し訳ございませぬ。
麾下の貴族領に於いて、賤民共の反乱を許してしまいました……」
「正確に言えば反乱ではなく独立の宣言であるな」
「!!!!
陛下は既にご存じであらせられましたか……」
「面を上げよ。
侍従長、この者に椅子を」
「はい」
チンボラーゾ侯爵の前には茶も出されている。
侯爵はそれを見て、とりあえずすぐにも捕縛されて地下牢に放り込まれることはなかろうと、ほんの少しだけ安堵した。
「さてチンボラーゾ侯爵よ、そなたは魔物肉1樽とエール1樽がそれぞれいくらで取引されているのか知っておるか」
「申し訳ありませぬ。
寡聞にして存じませぬ」
「賤民村に接する子爵領や男爵領では、エール1樽が銀貨2枚で売られているそうだ。
魔物肉は同じ1樽が銀貨3枚で売られているものの、商業組合の仕入れ値は銀貨2枚だそうだ。
つまり魔物肉とエールでは、1樽の価格が銀貨2枚で同じだということだな」
「…………」
(そうか、噂に聞く国軍情報部はそこまで詳細な情報を陛下に伝えているのか……)
「だが、辺境子爵家男爵家では、賤民村との交易所にて魔物肉3樽とエール1樽を交換していた。
いや実際には魔物肉5樽とエール1樽の交換だな。
この余分な2樽については領兵隊が勝手に定めたものだそうだ。
そしてこの2樽の肉は、領兵たちが喰ってしまうかエールに替えてやはり領兵たちが飲んでしまっていたのだ」
「…………」
「辺境領内で1対1の価格である物を、賤民戦士村はその5倍もの比率での取引に応じていたのだな。
チンボラーゾ侯爵よ、これは何故だと思う」
「王国の威信、ひいては国王陛下の御威信に畏れを為しているからと考えまする……」
「あの日々魔物と戦っている賤民戦士共はの、その暮らし故に強者しか尊重しないそうだ。
それ故に王国の平民だけでなく貴族家や王族すらも弱民と呼んで蔑んでおる」
「「「 !!!! 」」」
「その軽蔑する対象の威光に畏れなど抱くと思うか?」
「へ、陛下!
そのような無礼者たちは直ちに不敬罪で処刑すべきです!」
「第1王子ポンコーツよ。
ならばその方に賤民懲罰軍の指揮を委ねる」
「えっ……」
「国軍第1師団と第2師団、計2000名を直掩部隊とし、2日以内に独立とやらを宣言した賤民村に向けて出撃せよ。
そなたの主張する不敬罪の処刑を存分に行って来い」
「で、ですが……」
「安心せい。
502の公爵家全家に勅命を発し、当主から4親等以内の親族男子5名に加えて、その親族従士25名にも出陣を命ずる。
総計1万5000の軍とそなたの直掩2000により、反乱を起こした賤民共を見事鎮圧して来るように。
古来より軍事行動は巧遅よりも拙速を旨とすべしというからな。
2日以内に準備が完了したならば即座に出撃しても良いぞ」
「し、しかし……」
「この勅命に従えない場合はそなたを廃嫡し、王族からも除名する」
「!!!!!」
「なに、反乱軍の首謀はタマス子爵家に隣接するブルガ戦士村とかいう小さな村であるそうだ。
他に独立とやらを表明した47の戦士村はこれに従っているに過ぎん。
この反乱はチンボラーゾ領の戦士村だけでなく、その周辺の辺境貴族領の村々にも広がりつつあるらしいが、その中核たるブルガ村さえ潰せば、この独立騒ぎもすぐに終息するだろう」
「あぅ……」
「ブルガ村の戦士は多くとも1000、その周辺の村が応援に駆け付けようとしても、王国軍の進攻を恐れて多くは兵を出せまい。
よって敵軍の総兵力は多くても3000ほどだろう。
そなた率いる1万7000の軍ならば何ほどのものでもあるまい」
「はぅぅ……」
「もう下がってよいぞ。
早速に遠征の準備に入るがよい。
宰相、国軍第1師団と第2師団に2日以内の懲罰遠征出撃の勅命を。
併せて502の公爵家にも勅命を発せよ。
やはり2日以内に出撃せねば、その公爵家は取り潰しとし、当主以下全員を平民落ちにさせるものとする」
「畏まりました陛下」
顔面蒼白になった第1王子がその巨大な腹を揺すりながらふらふらと退出していくと、カリギュラ・フォン・ヴェノム国王陛下はチンボラーゾ侯爵に向き直った。
「さて侯爵よ、質問を続けよう。
賤民戦士共は何故に5対1などという比率での魔物肉-エールの交換に応じていたと思うか」
「税の代わりだと考えていたのでしょうか……
魔物肉5樽を税として献上する代わりにエール1樽を下賜されていると」
「王国法では税を納めるのに際し、麦やワインなどの物納以外にも労役の提供も税として認められておる。
賤民戦士共はその納入する肉の量から考えて、村1つにつき日に50体近い魔物を討伐して我がヴェノム王国を防衛しておった。
これを十分な労役提供と考えてもおかしくはないのではないか?」
「そ、それは……
申し訳ございませぬ、何故奴らがそのような比率での交換に応じていたのか見当もつきませぬ……」
「それはの、奴らは大麦の栽培方法も醸造の方法も知らず、エールを手に入れる手段が辺境貴族家との交換でしかなかったからなのだ。
加えて塩もな。
だが、そなたも知っての通り、賤民戦士村は塩とエールを何らかの方法によって大量に手に入れることが出来るようになったのだ。
そのために、もはや辺境貴族領と交易をする必要を認めず、交易停止とともに独立を宣言したのであろうな」
「そ、そうでありましたか……」
「それもこれも辺境子爵家男爵家の落ち度といえよう。
彼らを監督する立場の辺境伯やそなたのような辺境侯爵の落ち度でもあるな。
もしもエールや塩と魔物肉の交換比率がそもそも領内と同じ1対1であれば……
5対1もの比率を是正して1対1の取引を要求して来た戦士村の代表に対して、もうタダでエールが飲めなくなるとして激高し、槍で突きかかった領兵たちがいなければ……
さらにそれであっさりと打ち倒されて銅槍を鹵獲されてしまい、これが領主に露見するのを恐れた領兵が、銅槍を取り返すために人質として戦士村の女子供を攫って来ることを試みなければ……
さらにその女性を娼婦代わりにしようと目論見なければ……」
「!!!」
「その愚かなタマス子爵領48名の領兵たちは、賤民憎さのあまり交換用のエールをあろうことか己たちの小便で薄めて賤民たちに飲ませようとしたそうだ。
それで怒れる賤民戦士1人に魔法で全員男性器を切り落とされてしまったそうだがの」
「!!!!!!」
「どうやらそのせいで賤民戦士村は我が王国と決別して独立を選択することにしたらしいのだ」
「…………」
「それで事が露見するのを恐れた子爵家男爵家当主たちは、寄り親である伯爵への報告も無しに己が差配する領兵隊全軍に出撃命令を出し、賤民村に攻め込むよう命じたそうだ。
しかもせめて18家の貴族家が連合軍を組んで攻め掛かればいいものを、18家が別々に侵攻したために、ただ1人の賤民戦士にすべて討ち果たされ、青銅の槍も弓矢も鉄剣までをも鹵獲されてしまったそうだの」
チンボラーゾ侯爵の額には汗が滲み始めている。
「この先はそなたの方がよく知っておろう。
全軍を失った18家の子爵家男爵家当主たちは、伯爵への報告と称して妻子も置いて伯爵領に逃げ出した。
そこで初めて事態を知った伯爵たちが慌ててそなたにも報告に来たために、こうしてそなたも余に報告に来たわけだ」
「は……」
「賤民戦士村が如何にしてエールと塩を大量に入手出来るようになったのかは、未だに判明しておらん。
そしてここに大きな懸念があるのだ」
「と仰られますと……」
「万が一にも塩とエールを提供したのが隣国だったとすればなんとする」
「!!!!!!」
「その場合は賤民戦士共が隣国に逃散する可能性すらあるのだぞ。
そうなれば我が国はすぐにも魔物に襲われて、10日も経たぬうちに滅びるだろう」
「………………」
「また、仮に戦士村連合国とやらが、我が国になんらかの要求を突きつけ、要求が通らない場合は村いくつか分の防衛を放棄すると言って来るかも知らんのだぞ。
その場合にも防衛が放棄された村から侵入した魔物によって我が国は滅びる」
「!!!!!!」
「要は軟弱な貴族兵と弱小な貴族領兵軍しか持たぬわが国では、戦士村連合国に対抗する手段を持たぬということなのだ。
それもこれも賤民共を怒らせた阿呆な子爵と男爵とその領兵たちに責任がある。
奴らの監督責任を果たせなかったそなたや伯爵たちにもだ」
「は……」
「だがのチンボラーゾよ、制定から1000年近くも続く王国法の規定には『賤民兵の逃散や反乱を招き、魔物の襲来によって国が亡ぶ危機を齎した辺境貴族家は、これをことごとく死罪とする』という条項はあるがの。
残念ながら『賤民村に独立を許した場合』という規定は無いのだよ。
誰もそのようなことがあるとは想定していなかったのだな」
宰相が口を挟んだ。
「陛下、攻め込まれた戦士村連合国とやらが報復として辺境貴族領に攻め込んでくるやもしれませぬぞ」
「それについてなのだが。
なんと連合国は辺境子爵領や男爵領に魔物肉を販売する直営店を出し始めたそうなのだ」
「!!!!」
「それも当地の商業組合が魔物肉100グラムを銅貨1枚と半銅貨1枚という高値で売っていたにも関わらず、100グラムにつき半銅貨1枚という破格の安値で売っておるそうだぞ」
「な、なぜにそのようなことを……」
「どうやら貴族家との交換取引を停止した結果、領民が飢えるのを避けるためだったようだ。
なにしろ賤民戦士村がチンボラーゾ辺境侯爵麾下の子爵領と男爵領に齎していた魔物肉は、日量で10トン近かったそうだからの」
「………………」
「それでの、子爵領に潜入していた国軍情報部の者が、その肉の販売店の店員に聞いてみたそうなのだ。
『子爵軍に攻め込まれた報復に、この領都の街に攻め込んで来ないのか』と。
だが、彼らの答えは、
『我々は盗みを働こうとして侵入して来たならず者を退治しただけです。
だからといって、我々がならず者がいた街を襲撃することにはなりませんよ?
それこそはならず者の発想です』だったそうだの。
さらには、
『我々戦士村は攻めて来たならず者は必ず殲滅しますが、こちらから攻め込むようなことは決してしません。
第一今の戦士村は大変に裕福ですしなんでもあります。
この領に攻め込んでも得るものなどありませんしね』とも言ったそうだの」
「「 ……………… 」」
「この領兵を『ならず者』と呼んだ言には余も同意する。
また、国法の規定にない処罰を下すのも躊躇われる。
そこでチンボラーゾ、そなたは死罪ではなく法衣子爵に降爵とする。
伯爵2名は法衣男爵に降爵だ。
いずれも麾下の寄子貴族家の監督不行き届きの罪状によるものである。
もちろん18の子爵家と男爵家は平民落ちだ」
「は…… 寛大なるご処置を賜り、深く感謝申し上げまする……」
「また、王都の侯爵家別邸、伯爵家別邸はそのまま所有することを許す。
領地の邸は速やかに退去して王都に移れ」
「はい……」




