*** 205 スカタン王国国王 ***
中央大神殿は大混乱に陥った。
なにしろ、8万の上位聖職者たちと3万5000の騎士たちが醜いゴブリザードマンになってしまったのである。
ヒト族の修道士や修道女たちは異形の化け物から逃れようと逃げ惑っていた。
もちろん犬人化、猫人化した各国の王族や貴族も混乱したまま右往左往していたのである……
また、こうした様子は大森林内各地の部族連合本部や街道沿いのほこら周辺でもスクリーンに映し出されていた。
それを見た犬人族や猫人族も大歓声を上げている。
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中央神殿宗教集会に参加していたスカタン王国国王の場合:
「ま、まさか余の体が猫人奴隷と同じになってしまうとは……
だ、だが、そのうち元に戻るであろう……」
「陛下……」
「だ、誰だ貴様はっ!
犬人奴隷ごときが王たる余に話しかけるでないっ!」
「陛下の隣に座っていたわたくしは、スカタン王国近衛騎士団長のドスコイです」
「な、なんだと……」
どうやら体も小さくなって、顔もマズルのある犬顔になっているために元のヒト姿の名残は少ししか残っていないようだ。
また、王族衣装も鎧も消え失せてマッパにされているために、本当に判別出来なくなっていたのである。
(もちろんちんちんも丸出しだったのだが、犬の体毛に覆われているために見えなくなっていた)
何故王族や貴族はあれほどまでに仰々しい王族服や貴族服を着たがるのか。
それは裸になったり簡素な衣服を着ていると、平民との区別がまるでつかなくなるからである。
彼らにはそれが耐えがたい屈辱なのであった。
その華美な服が消えただけでなく、毛だらけの体になってしまうとは……
「わたしは確かに陛下の隣に座っていましたし、陛下もわたしが隣にいたことは御存じでしょう」
「う、うむ……」
ドスコイ近衛騎士団長は周囲を見渡した。
会場内では異形の化け物と犬人猫人が入り乱れ、収拾がつかなくなっている。
特に出口付近には皆が殺到し、あちこちで将棋倒しが発生していた。
ところどころで諍いも始まっていたが、不思議なことにそうした諍いが暴力沙汰に発展しようとすると、当事者たちは化け物も犬人も猫人もすぐに宙に浮かされている。
(そうか、先ほど天界から遣わされたという天使が言っていたように、他人に暴力を振るおうとしたために罰として宙に浮かされているのだな。
それにしても恐ろしい力だ……)
もちろん聖職者たちが化け物にされてしまったのは、勝手な教義を広めて奴隷狩りと奴隷売買をしていたせいであり、王族貴族が犬人や猫人にされてしまったのはそうした奴隷を購入して使役していた罪によるものである。
だが、宙に浮かべられたのは両者とも他者への暴力行為のせいだった。
だが、彼らにはそうしたことを認識する知能は無かったのだ。
自分が化け物やケダモノに変化したのも宙に浮かされているのも、何者かの悪意によるものとしか判断出来なかったのである。
このために10日間吊るされていても、その間反省などをすることは有り得なかった。
元より支配層である彼らは、今までの生涯で自省も反省もしたことがなかったのだ。
自分の身に起きる不幸は全て他人の悪意による攻撃のせいであり、その他人を憎悪することしか出来なかったのである……
スカタン国王は、隣にいる者が自分の配下であると認識すると喚き始めた。
「な、何をしておるか!
直ちに宿舎に戻り、護衛を連れて国に帰るぞ!」
「お待ちください陛下、今出口に向かえば乱闘に巻き込まれます」
「そ、そんなものお前がわしを守ればいいだろう!」
「よくご覧ください。
そうした護衛と思われる者たちが、殴り合いを始める度に宙に浮かされて無力化されています。
わたしが宙に浮かされた後、陛下はお一人で宿舎まで帰ることが出来ますか?」
「馬車溜まりに行けば我が国の王族専用馬車が控えておるだろう!」
「ここの暴徒たちも皆馬車を目指しているはずです。
多分ですが馬たちも化け物や大量の犬人猫人に怯えて馬車ごと逃げてしまっていると思われます」
「なにっ……」
「今はこの場に留まり、暴徒たちの多くが宙に浮かべられるまで待つのがよろしいでしょう。
それに馬車が残っていたとしても、護衛や御者に我らがスカタン王国の国王陛下とその近衛騎士団長であると納得させるのは困難です」
「な、なんということだ……」
1時間後、スカタン国王とその護衛騎士団長は数万人のゴブリザードマンや犬人猫人たちが宙に浮かべられている中を歩いて集会会場の外に向かった。
途中同じように警戒しながら歩いている犬人猫人たちに会うと、お互いに掌を向けあって敵意が無いことを示しながら進んでいる。
ようやく会場から出ても、馬車溜まりにあった馬車はほとんど破壊されていて、無事だった馬車は1台も残っておらず、また、馬たちもいなくなっていた。
その場には馬車を巡って争ったと思われる犬人猫人たちが大勢浮かべられている。
宙に浮いたまま喚き散らしている者もいたが、不思議なことにその声は聞こえない。
ほとんどの化け物や犬人猫人たちは、喚き疲れたのか項垂れたまま宙に浮いていた。
スカタン国王とドスコイ近衛騎士団長は集会会場前広場を歩き、宿舎に向かっていた。
(ん?
あのほこらのようなものはなんだ?
あのようなものは以前は無かったぞ?)
そのほこら前には1人のヒト族が立っており、その周囲には大勢の化け物や犬人猫人たちが浮いている。
「我らはスカタン王国の者である。
このほこらのようなものはなんだ」
「これは天界が皆さまのために用意したほこらです。
病人や怪我人の治療や食事の配布を行う場所ですね」
「あの天使とやらが言っていたが、我らを国に戻すことも出来るのか」
「はい。
帰国をご希望の際は皆さま揃ってお越しくださいませ」
「そうか……
ところで我らはいつまでこのような犬人や猫人の姿にされているのだ」
「奴隷所持や売買は天界の法では重罪です。
よって王や貴族家当主は終身刑となり、死ぬまでその姿です。
王子や貴族家係累者は数年から30年までの刑となるでしょう」
「やはりそうか……」
「まあ当然ですね。
あなた方の生活は、生まれてから今まで犬人や猫人の犠牲の上に成り立っていたのですから」
国王が喚き出した。
「な、なんだとこの無礼者が!
ケダモノ共を奴隷にして何が悪いのだっ!
す、すぐにわしを元の姿に戻せっ!」
「いえ、あなたは重罪犯ですのでそれは出来ません。
もしどうしてもヒト族の姿に戻りたければ、そのときは天界の牢に死ぬまで入れられることになります。
どちらになさいますか?」
「こ、こここ、この無礼者めがぁっ!
近衛騎士団長!
この者を不敬罪で処刑せよっ!」
「よろしいのですか?」
「な、なにっ……」
「この周りに浮かべられている者たちは、そうやってこの者を不敬罪で処刑しようとした者たちでしょう。
あの天使とやらが言っていたように、他人に危害を加えようとした者に対する罰のようです」
「!!!!」
AIのアバターが微笑んでいる。
「わたくしが同じように宙に浮かべられたとして、陛下はお一人で宿舎まで戻れますか?
戻られたところで、ご自身がスカタン国王だということを部下たちに納得させられますか?」
「な、なんだと……」
「今は非常時です。
どうか軽挙妄動は謹んでくださいませ」
「ぐぅぅぅぅ……」
「ところでこの宙に浮かべられている者たちは、いつまでこのままにされているのだ」
「この者たちは、他人に暴力を振るおうとした罪でこのように吊るされていますが、初回ですので10日間だけ吊るされます。
また同じことを繰り返すたびに罪は重くなり、3回目では3か月ほど吊るされますね」
「それでは皆飢えて死んでしまうのではないか?」
「天界の力で死なぬようになっていますのでご安心ください」
「なるほど……
仮にそれでも他者への暴力を止めなかった場合はどうなるのだ」
「この地より消え失せ、罪に応じた期間天界の牢に入れられることになります」
「そうか……」
国王と近衛騎士団長はその後も宿舎目掛けて歩き続けた。
なにしろ数千の国から巡礼が来ていたために、豪華な宿舎群のある地もヤタラに広かったのである。
普段であれば移動は全て馬か馬車であるためにそれでも問題は無かったのだが。
国王が地面にへたり込んだ。
「よ、余は疲れた!
馬車を持ってこい!」
「畏まりました。
見たところどこにも馬車はありませんので、中央神殿の馬車寄せを探しに参ります。
何時間かかるかわかりませんが、その間ここでお待ち願えますでしょうか」
「よ、余一人でか!」
この莫迦王にはそんなことも分からなかったらしい。
「他に随員はおりませんのでもちろんお一人です」
国王は辺りを見渡した。
そこかしこでまだ化け物や犬人猫人が歩き回っている。
「ひぃっ!」
「多分ですが、あと1時間も歩けば宿舎に帰りつくことが出来るでしょう。
よろしければわたくしの背に乗られますか」
「よ、よし!
特別に余を背負うことを許す」
「はぁ……」
だが、犬人の手も指もまだ短く、背負うことも抱くことも難しかったのである。
もちろん国王は自分で近衛騎士団長の肩に掴まることもしなかったせいもあり、何度も地に落ちる度に喚き散らしていた。
「致し方ありません。
ゆっくり歩いて戻りましょう」
「う、うぅぅぅぅ……」
こうして、さらに2時間ほどかけて国王と近衛騎士団長はようやく宿舎に帰りついた。
その宿舎入り口には、馬の世話や荷運びなどをさせるために連れて来ていた平民の下級兵が立っている。
「止まれっ!
ここは王族宿舎だ!
部外者は入れられん!」
「こ、この無礼者めがぁっ!
貴様、国王たる余に向かってなんという口を利くかあっ!」
「陛下、お待ちください。
今の陛下の外見では、スカタン王国国王陛下だとは誰も判別出来ないのです」
「う、うぅぅぅ―――っ!」
「おい、分隊長を呼んでくれ。
あの創世天使と名乗る者にこのような姿にされてしまったが、俺は近衛騎士団長のドスコイ伯爵だ」
「し、少々お待ちください」
平民出身であり、ヒト族の姿のままの分隊長が出てきた。
「ドスコイ近衛騎士団長と名乗る者はお前か」
「そうだ」
「いくつか確認させて欲しい。
ドスコイ団長閣下の奥方の名は?」
「ヤンデレーナだ」
「ドスコイ団長の子の数は」
「娘が1人だ」
「その娘の名は」
「ツンデレーナだ」
小隊長がその場に膝をついた。
「オスモー・ドスコイ近衛騎士団長閣下、大変失礼いたしました。
何分にも護衛随行団の内、貴族家子弟の方々が全員犬人や猫人になってしまっておりまして、また騎士服なども全て消え失せてしまっているために、誰が誰だったか全く区別がつかないのであります」
「やはりそうだったか……」
因みに代々近衛騎士団長を輩出しているドスコイ伯爵家では、先代伯爵が45歳の早逝したために、オスモーが25歳の若さで当主を継いで近衛騎士団長となっていた。
また近隣に領地を持つ伯爵家の侍女であるヤンデレーナとは幼いころからの許嫁であり、夫婦になってからもその仲の良さは有名だった。
3か月前には待望の第1子も誕生していたのである。
特に奥方のオスモーへの溺愛は激しく、デビュタント以来オスモーが他の貴族令嬢と踊らぬよう、舞踏会では最初から最後までオスモーと踊り続けたほどである。
故にヤンデレーナには『超耐久舞踏淑女』という二つ名があり、この国では特定の男性に惚れて惚れて惚れ抜いている女性が『ヤンデレ』と呼ばれる語源になっていた。(←マジですかそれ!?)




