*** 143 御恩と奉公 ***
ボロクソ子爵閣下は従士と領兵80人を領主邸前に集められた。
「よいか!
これよりお前たちはカレーイ伯爵麾下の貴族家の村に行き、農奴共を捕獲して来るのだ!
また、途中で我が領より逃散した農奴を発見した場合ももちろん捕えよ!」
(あーあ、領内の農奴が逃散したことを言っちゃってるよこの阿呆当主。
そんなことバラしたらどうなるかもわからないのか?
やっぱり進発前に檄なんか言わせるんじゃなかったか。
でもこいつ、大勢の部下の前で威張るの大好きだからなぁ……
あーあーあー、いつものように先祖自慢から始まって自分の自慢まで語り始めたよ。
今はそんな場合じゃないのに……)
「というわけで、お前たちは今こそ主家への忠誠心を見せるときなのだ!
各人一層奮励努力せよっ!
それでは進発しろっ!」
そして3日後。
「ご当主さま、農奴捕獲軍の従士が戻って参りました」
「おお! すぐにここに呼べっ!」
「そ、それで農奴は捕らえたか!」
「いえ……
ここより1日行程の後野営をしていたのですが、3名の従士が寝ている隙に77名の領兵全員が糧食を持って逃亡いたしました……」
「!!!!!!!」
(やはりそうなったか……
まあこの自意識過剰の阿呆領主の自業自得だの……)
「り、領兵には忠誠心というものが無いのかぁぁぁ―――っ!」
「ご当主さま、主と兵は『御恩と奉公』というもので結びついているのですよ。
この場合のご恩は、領兵に与える扶持麦です。
奉公とは、そのご恩に対する働きと忠誠心です。
ですが、ご当主さまは出陣の檄に於いて当家の支配下にある農奴共が全員逃散したのを暴露されてしまわれました」
「!!!!」
「ということは、今年の扶持麦は払えないと宣言したも同然なのですよ。
ですからその瞬間に領兵たちの忠誠心も消え失せたのです」
「な、なんだと……」
と、そのときすべての者の頭の中に声が響いて来たのである。
『東西南北の王国とその属国群におられる王族、貴族、平民の方々全員にお知らせします。
こちらはタケル王国です。
我々はこの中央大陸にいた農奴たちや、あなた方が蛮族と呼ぶ辺境の民のほぼ全て2400万人を保護して食事を振舞っています。
つまりあなた方は支配下の農奴全員を失いました。
よって、いくら逃散した農奴を探しても、他の村の農奴を攫って来ようとしても無駄です』
「な、なんだと……
全ての村から農奴共がいなくなっているだと。
よし!
これでもう王家も俺だけを罰することは出来んな!
よかったよかった♪」
(この阿呆はコトの深刻さがわかっておらんのか……)
『従いまして、あなた方の今年の食糧生産はゼロであり、来年以降も農奴がいないために食料は得られません。
つまりこのままでは1年もしないうちに皆さま全員が餓死されることになります』
「な、なんだとぉっ!
酒も飲めず肉も喰えないと申すか!」
(それどころか麦粥も喰えんのだが……
こ奴はこの程度のことも他人から指摘されなければ気づかんのか……)
『もうみなさんもお分かりですよね。
農奴からの収奪とその犠牲の上に成り立っていた国は、その農奴に逃げられたことによって滅んだのです。
つまり、あなた方4か国と属国群45カ国は、実質的にタケル王国に大敗北したのですね。
この上はタケル王の慈悲に縋って生きるしかありません。
また、ほぼ全ての王家と貴族家がタケル王国の財を狙って盗賊行為を働こうとしたために、タケル王国にその兵という名の盗賊全員が捕縛されています。
皆さま4カ国の総戦力160万ほどの内、150万人は既にタケル王国の牢の中です。
よって他の国や領に侵攻して麦を盗もうとしてもその盗人になる兵にも事欠くことでしょうし、タケル王に反抗することも困難になりました』
「な、なんだと!
戦って財を得るのは武人の誇りぞ!
それを盗賊だと!
ゆ、許せん!」
(あんたはいつも後方で威張ってるだけで、実際に戦ったことは1度も無いけどな。
それにしても……
我が国の武人とは盗賊と同じか。
なるほど言われてみればそのとおりだの……)
『また、この国家規模の盗賊行為に対する懲罰として、戦勝国タケル王国のタケル王はこの大陸上の全ての地域に於いて王家と貴族の地位を剥奪されました。
つまり王族も貴族も今は平民です。
これに伴い、王族貴族の名の下に暴力により他人を従わせようとする行為、暴力により他人の財を奪おうとする行為、またはそれを命じる行為もタケル王国により禁止されました。
これに違反した者は全員がタケル王国の牢に入れられます』
「なんだと!
貴族であるわしを牢に入れるだと!
こ、この無礼者めぇっ!」
(こ奴はやはりここまで阿呆だったのだの……
東王国はタケル王国とやらに敗北したために貴族は全員平民に落とされたのだぞ。
自分たちや先祖が敗北した蛮族の長一族を殺して来たように、皆殺しにされないだけ有難いと思わんのか)
『ただし、この念話放送を聞いている方々が餓死せずに生き延びる方法がいくつかあります。
ひとつめは、もちろん皆さん自身が農業を始められて自分の食べるものは自分で生産されることですね』
「お、王国貴族たるわしに農奴の真似をしろというのか!
こ、この無礼者めぇっ!」
(だったら餓死すればいいんじゃね?)
『これよりこの大陸上の主要な街、村などに30万か所ほどほこらを設置します。
もし農業のやり方を知らなければ、そのほこらに聞いて下さい。
丁寧に教えてさしあげましょう』
「そ、そんなことより麦をよこせ!
い、いや麦だけでなくワインと肉もだ!
寄越さねば兵に命じてタケル国とやらに攻め込むぞ!」
(もうあんたには兵はいないだろうに……)
『あなた方が生き延びる2つ目の方法は、タケル王国に移住されることです。
タケル王国では全ての移住者に食事を保証しています。
移住を希望される方は最寄りのほこらにお申し出ください。
その場から『転移』という力によってタケル王国に連れていって差し上げます』
「よ、よし!
わしに十分なワインと肉を用意せよ!
場合によっては移住してやっても、よ、よいぞ……」
(…………)
『ただし、タケル王国に於いては犯罪者は普通の生活を送ることは認められていません。
裁判というものを受けて頂いて、その罪の重さによって牢に入っている期間が決まりますので、その間は牢から出ることが出来ません。
そして、その犯罪とは、武力や暴力で他人を従わせたり財を奪おうとすることを意味します』
「な、ならばわしは犯罪者ではないの!
わしは自分でそのようなことをしたことは一度も無いからの!」
(この臆病者め……)
『もしくは配下の者にそうした犯罪行為を命令した教唆の罪も犯罪に含まれます』
例えば、配下の兵に命じて王国周辺の地に侵攻して蛮族の長を殺害して属国を作って来いなどと命令したり、奴隷を掴まえて来いと命令する行為などです』
「わ、わしはそのようなことを命じたことは、い、一度も無いぞ!
す、すべては兵が勝手にやったことだ!」
(この卑怯者め……)
『この裁判の量刑が不満であれば、今いる地に戻って来ることも出来ます。
ただし、いったん罪を認めて牢に入れば、罪に応じた期間が経過するまで牢からは出られません。
また、もし乳幼児を連れたご婦人が犯罪を行っていた場合、刑期が終了するまで子供は全てわたくし共タケル王国の養護院で育てますのでご安心ください。
そして、タケル王国にはタケル王さま以外には王族も貴族も貴族家関係者もいません。
つまりタケル王さま以外は全員が平等な『民』になります。
よってタケル王国に移住した場合も、もうあなた方は他の民と同じ境遇になりますので、地位をもって兵に命令することも、侍従や侍女に命令することも出来なくなります。
もちろん他人に命令し、その他人が命令に従わないことで暴力などの罰を与えようとしても、あなたは罰せられて牢に入ることになるでしょう』
「な、なんだと……
こ、ここな無礼者めがぁっ!」
(やはり阿呆には敗戦国の貴族の末路などは理解出来んか……
いや、自分たちが大敗したという認識も出来んのか……
殺されたり奴隷に落とされないだけマシだろうに……)
実はこのほこら念話放送を聞いていた王族貴族の反応は、そのほとんどがこの阿呆で卑怯で臆病な子爵と同じだったのである……
『また、もしも疑問点などがあれば、声に出すかまたは頭の中で『ほこら』と呼び掛けてください。
出来得る限りお答えさせて頂きます。
それでは最後になりましたが、今後の皆さまの生活におかれまして、餓死などせずに健康的で文化的な生活を営めるようにお祈りしております』
再びボロクソ子爵邸にて。
「それではご当主さま、わたくしは少々雑事を片付けて参ります。
その間ご当主さまは今後の身の振り方についてご検討してくださいませ」
報告に来ていた従士もいつのまにかいなくなっていた。
「ま、待て!
身の振り方とはどういうことだ!」
「先ほどの念話とやらを聞いていらっしゃらなかったのですか。
もうご当家には畑で麦を作る農奴がいないのです。
ですから今後はご自分で麦を作るか、かのタケル王国に移住するしかありませんな」
「い、移住するとどうなると申すのだ!」
「そのようなことはわたくしに聞かず、直接ほこらとやらに聞いて下さいませ。
それでは少々失礼いたします」
家宰が戻って来たのはもう日も暮れようとしている頃だった。
「お待たせいたしました。
雑事もすっかり片付いております」
「ど、どこへ行っていたというのだ!」
「ですから雑事を片付けて参りました」
「わ、わしは腹が減ったぞ!
何故侍従や侍女はわしに食事を持って来ないのだ!」
「侍従侍女は全員暇を出しました」
「な!
なぜ勝手にそのようなことをしたぁっ!」
「お忘れですか、当家にはもはや彼らに与える扶持麦が無いからですよ」
「だ、だがわしは子爵家当主ぞ!」
「その子爵家も農奴と兵を失い、貯え麦も失っておられます。
それに、我が国がタケル王国に敗北したことにより、全ての王族、貴族家は改易されて平民に落とされました。
ですからもうあなたさまは貴族ではないのですよ」
「!!!」
「わたくしはまずご令室さまとご長男さまご次男さま、そしてお嬢さまとご相談させて頂きました。
あのほこらに聞けば、その場にいても『さいばん』とやらの結果を教えてもらえるのですね。
その結果、ご令室さまは以前侍女頭に命じて粗相をした侍女を棒で叩かせた罪により、入牢1年ほどの処罰だそうでございます。
ですが幸いなことにご子息ご令嬢さまには罪が無かったことにより、ご令室さまはタケル国への移住を選択されました。
今は身の回りのものをまとめられているところでございます」
「な、なんだと!
わしの許しも無く勝手に移住するとは!
ゆ、許さん!
処罰してやるっ!」
「お止めになられた方がよろしいかと」
「な、なんだと!」
「ご令室さまとご子息さま方は、ご自身で身の振り方をお決めになられました。
それを妨害するようなことを為されば、ご当主さまは10日間ほど宙に吊るされて無力化されるそうでございます」
「ええい!
お前の指図は受けんっ!
妻たちに誰が当主か思い知らせてやるっ!」
まもなくして、悲鳴とともにマッパにされた子爵が庭に浮かんでいるのが見えた。
その悲鳴もすぐに聞こえなくなっている。
「やれやれ、やはりそうなりましたか……
それにしてもタケル王国という国は凄まじい力を持っているのですね。
なにしろこの東王国だけでなく、4大国とその属国群をあっという間に滅ぼしてしまったのですから。
しかもまったく血を流すことなく……
それに財の量も凄まじいものがありますな。
侍従や侍女に暇を出す際には、当家に残った僅かな麦を分配しようと思っていたのですが、タケル王国には大量の食料も衣類も家もあるので、本当に着の身着のままで移住して構わないとのことでしたし。
侍従侍女たちも今ごろは実家に帰って家族と今後の身の振り方を相談していることでしょう。
まあ全員タケル王国に移住することになるでしょうが。
それではわたくしも家に帰って妻と今後を相談することに致しましょうか。
商家を営んでいる息子たちは自分たちで今後を考えることでしょう。
それではご当主さま、わたくしもこれで失礼いたします。
もう2度とお会いすることは無いでしょうが、どうかお元気で……」




