*** 137 保育士受難 ***
クズラン子爵家では子爵が軍の帰りを待ちわびていた。
最初の3日間は期待に満ちて、次の3日間は不安に苛まれながら。
「ご当主さま、明後日にはロガシー伯爵閣下邸にて傘下貴族家の定例会合がございます。
明日朝には出発されませんと」
「わ、わかった……」
本来であればクズラン子爵は戦利品の鉄剣を持参し、ロガシー閣下に献上して他の貴族家の面々にドヤ顔をしてやるつもりだったのである。
そして定例会合当日。
ロガシー伯爵閣下は最初からお怒りのご様子だった。
「クズランよ、そなたわしに報告も無くタケル王国とやらに攻め込み、全軍を失ったそうだの……」
「ま、ままま、まだ全滅したと決まったわけではありませぬっ!」
(な、なぜ閣下はそれをご存じなのだ!)
「そうか?
それではなぜかの国の商業街でそなたの紋章がついた鎧が売られていたのだ?」
「!!!!!」
「鎧をもて」
「はっ!」
「これは確かにそなたの紋章であろう。
ここに従士長の階級章もついておる。
わしの領都の商会がタケル国の商業街に出向いた際に、そなたの紋章付きの金属鎧が10領、革鎧が290売られておったそうだ。
加えて銅剣が10本、銅槍も290だ。
それも格安の捨て値でな」
「はうっ!」
「そなたも王国貴族であれば当然知っておるだろうが、貴族家にはその爵位に応じて揃えておかねばならぬ軍備がある。
子爵ならば従士は最低6人、領兵は200人だ。
その全員に銅剣か銅槍を配布しておらねばならぬ。
にもかかわらず何故異国の街でその武具が売られていたのだ!」
「あぅあぅ……」
「1か月だ!
1か月以内に従士と領兵、並びに武具を揃えよ!
さもなければそなたは平民落ちどころか奴隷落ちぞっ!」
「あぅあぅあぅあぅ……」
「だが寄子貴族家の不始末は寄り親であるこのロガシー家の不始末でもある。
この上は我がフンコ・ロガシー伯爵の名にかけてこの汚名を濯がねばならぬ。
これより我が傘下の貴族家で連合軍を組み、必ずや蛮族の街を滅ぼしてくれようぞっ!
戦利品は各家取り放題とするっ!」
「「「 おおおおお―――っ! 」」」
そしてもちろん、4500もの軍勢はまた消失していったのである……
商業街の古武具屋は、たいへんな量の品揃えになっているらしい……
こうして2か月ほどで東王国125の貴族家、8つの王族家の内、実に122家がその戦力と武具の大半を失っていったのである。
兵力を保てているのはホスゲン辺境伯爵とその麾下の9家、加えて偶然の機会に農奴の逃散を知って必死に大捜索を行っている貴族家2家だけだった……
こうして東王国は、本国内に20万いるとされる戦力の内、実に半数以上を失っていったのだ。
その動きは次第に属国群にも広がっているらしい。
秋を迎えるころには戦力はさらに激減していることだろう……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は少々遡り、北王国では。
北王国南部にあるガーニー辺境男爵領では当主のガーニー男爵が吼えていた。
「な、なんだと!
謎の壁調査に派遣したバカボロ従士長と従士5名が重傷を負って帰隊しただと!
あれほどまでの大掛かりな壁を建造した相手に、決して事を荒立てず調査のみせよと命じておったのにか!
同行した領兵はどうした!」
「はっ、今尋問中であります!」
「わしが直々に尋問する! この場に連れて参れっ!」
「はっ!」
「それで相手は何人だったのだ!」
「2名でありました……」
「それも1名はその場を動かず微笑んだままであり、従士長殿と従士殿5名と戦ったのは1名のみでした……」
「な、なんだと!
バカボロ従士長はこの領軍の体術剣術教官長ぞ!
そのバカボロを含む従士6名をたった1人の男が叩きのめしたというのか!
いったいどのような武器を使ったというのだ!」
「素手でした……」
「な、なに……」
「最初は槍を持って立っていたのですが、門番の口調があまりに無礼だったためにバカボロ殿が馬上から槍で打擲されようとしたところ、門番は自らの槍を捨てて従士長殿の槍を手で受け、そのまま槍を引いて従士長殿の腕を掴んで15メートルも投げ飛ばしたのです」
「な、なんだと……」
「それで激昂された従士殿たちが槍を持って一斉に突きかかられたのですが、その男に全員が一瞬で叩きのめされてしまったのです……」
「ど、どのような格闘術だったというのだ」
「見えませんでした……」
「な、なにっ……」
「我ら3名の領兵も格闘術や剣術で上級の資格を頂戴しております。
その我らの目にも、門番の動きは全く見えませんでした。
彼奴はただそこに立っているだけのようだったのです」
「にもかかわらず槍を持った従士殿たちが次々とその場で落馬されていかれまして、全員が気絶もしていました……」
「そ、それでその門番はどうしたのだ……」
「黙って自分の槍を広い、門番の任務に戻って行きました」
「むう……」
「我らも及ばずながら参戦しようとも思ったのですが、気絶されておられる従士殿たちのことが懸念されましたので、介抱の上護衛しながら帰還致しました」
「それで従士たちの怪我は」
「全員が両腕の前腕部を骨折し、顎にも一撃入れられたために気絶されていた模様ですが、顎は大事ありません。
単に頭部を揺らされただけのようであります。
あの一瞬で5人に3発ずつ入れていたとは……」
「バカボロは……」
「従士長殿も顎に一撃入れられ両前腕を骨折されておられます。
ただ単に投げられただけに見えましたのに……」
「虎の尾を踏んでしまったというのか……
その門番の風体は」
「は、身長は190センチに僅かに欠けるほどでした。
軍服や革鎧を身に着けていてもはっきりと分かる見事な筋肉の持ち主であります。
特筆すべきは目の色が蒼く、また髪色は金色でした。
喋る言葉には微かながら異国の響きがございました」
「その他見聞したことを申せ」
「は、壁の高さは3メートルほど、門を潜ってすぐの場所は20メートル四方ほどの広場になっており、正面は大きな壁でした」
「むう、騎乗突撃を止めるためのものだの。
他に変わった点はあったか」
「些か妙な意匠の国旗がございました」
「妙とな。
東王国の獅子でもなく西王国の鷲でもなくか」
「はい、黒地に白地の歪んだ丸が少々と、あとは銀色の翼がございました。
まるで翼の生えた虎の足跡のような……」
「ぬう」
『タケルや』
「あ、エリザさま」
『肉球紋章を虎の足跡と言われたセルジュとミサリアがまた壁や天井を走り回って喜んでおるぞ♪
2人とも大きくなったら虎になるそうだ♪』
「ははは……」
(なんかどっかで聞いた話だな……)
或る日の救済部門幹部会終了後。
「ところでニャジロー、神界幼稚園や神域幼稚園での魔法授業の様子はどうだ」
「特に神界幼稚園では素晴らしい進捗ぶりですにゃ……」
「そうか」
「先日、救済部門から魔法授業のために派遣されている保育士さんが、子供たちの部屋に入って行ったんですけど、誰もいにゃいんでびっくりしたそうにゃんですにゃ……」
「それで?」
「ふと上を見たら、天井にびっしりと子供たちがへばりついていたらしくて……」
「!!!」
「思わず大きな悲鳴を上げてしまったそうにゃんですにゃ……」
「そ、そりゃあまあ驚くわな……」
「そうしたら悲鳴を聞きつけて集まって来た保育士さんも3人ほど悲鳴を上げて……」
「そ、そうか……」
「そのうちの1人はAIのアバターだったもにょですから、銀河宇宙に派遣されていてそのアバターに接続していたAIさんたち10万人が0.5秒間も機能停止したそうですにゃ」
「アバターすら驚かせたのか……」
「でもAIさんたちは『驚く』という貴重にゃ体験が出来たので大いに喜んでいたそうですが」
「な、なるほど」
(因みにヒューマノイドの女性保育士さんのうちの1人は、『ふんぐおぉぉぉ―――っ!』という悲鳴を上げてしまったために、自分の女子力に激しく疑問を感じて落ち込んでいるそうだ。
ただ、AIたちは、今度自分が驚いたときには同じ悲鳴を上げてみようと楽しみにしている。
もしそのような機会が訪れたなら、きっと周囲をどん引きさせることだろう……)
「ところで子供たちはよくそんな重力魔法を使えるようになってたよな」
「どうやらみんにゃセルジュくんとミサリアちゃんから教わっていたようで……」
「!!!!!!」
「この前にゃどはお昼寝の時間に園庭上空を漂っていた子がいて慌てたそうですにゃ……」
「そ、そうか。
たしかに園児たちに3次元機動されたらタイヘンだな……」
「それで保育士さんたちにも重力魔法を教えることににゃったんですけど、おかげで幼稚園が大変にゃことに……
お散歩の時間もみんにゃ笑いにゃがら大編隊を組んで空を飛んでいるもにょですから、あちこちで住民が悲鳴を……」
「お、おつかれさん……」
もちろんこの様子も銀河連盟報道部が配信したため、銀河全域でエラいことになっているらしい。
無重力ランドセルがバカ売れしているそうだ……
(最高高度地上2メートル、時速3キロまでの限定仕様)




