*** 134 武圧 ***
「ほら、これが貨幣を詰めた樽だ。
少し蓋を開けてみようか。
これが金貨の樽、こっちが鉄貨の樽だ」
「ふん!
どうせ一番上だけ貨幣を置いて、中身は砂でも詰めているんだろうが!」
「疑り深い奴だなぁ。
いくら自分の想像を遥かに超える富を見たからっていっても、それを認められないようじゃあいつまで経っても成長出来ないぞぉ」
「な、ななな、なんだとぉっ!」
「だったらお前がその樽を倒して中身を調べてみろよ。
ただしぶちまけた鉄貨はお前が元に戻せよ」
「お、俺は元辺境伯家縁者で今は従士だ!
そんな作業は奴隷にでもやらせろっ!」
「お前アタマ悪いな」
「!!!!!」
「さっきからこの国には貴族も奴隷もいないって言ってんだろうが。
だからお前が散らかしたら片づけるのもお前だ」
「な、なんだとぉぉぉ―――っ!」
「確かにお前の記憶力はそこらの虫並みだの。
わしが何度控えよと言ったか覚えていないのか」
「し、子爵閣下……」
「次は無いぞ……
そなたは如何に伯爵家の縁者だったとしても、今は子爵家の従士なのだ。
当主の命令が聞けんような奴は平民どころか奴隷に落とされても文句は言えんぞ」
「あぅっ……」
「どうする、樽を倒すか」
「いやそれには及ばん」
「それじゃあ次は小麦倉庫を見てみようか」
「こ、これは……」
「ここにはまだ5万石しか持ち込んでないけどな。
まあこれだけあったら十分だろうけど」
「…………」
(5万石の貯えと言えば、辺境伯閣下どころか侯爵家、いや王子殿下の貯えをも凌ぐであろうの……
王族全体でもそれだけあるかどうか……)
「あの店は薬屋だ」
「薬屋だと?」
「例えば貴族病(脚気のこと、ビタミンB1欠乏症)ってあるだろ」
「ああ、手足が痺れて体が怠くなり、悪化すれば心の臓が止まって死んでしまう病だの。
何故か貴族が罹ることが多いが」
(それは精麦して殻と胚芽を取った麦で白いパンを食べたがるからなんだよな。
殻と胚芽にはビタミンB1が含まれてるけど白い胚乳部分には含まれてないから)
「それから遠征病(壊血病のこと、ビタミンC欠乏症)も蔓延してるよな」
「遠征する兵がよくかかる病気で、口内から出血し、歯が抜けたり力が出なくなったり疲れやすくなるものだの。
傷も治りにくく、そのまま体が衰えて死ぬ者も多い」
(脚気(=壊血病)は江戸後期から明治期にかけては結核と並んで国民病とも呼ばれていたしな。
日露戦争では陸軍兵士が2万7000人も壊血病で死んだっていうし。
日露戦争自体の戦死者が8万4000だから、実に3分の1が壊血病で死んでるんだよな)
「あの薬屋では貴族病と遠征病の特効薬を売っているんだ」
(単なるビタミン剤だけど)
「なに……」
「どちらの病気も1日3回1粒ずつ、5日間服用すれば治るぞ。
しばらく経って再発してもまた薬を飲めば治るし」
「その特効薬はいくらするのだ」
「一瓶に60錠、つまり4人分入っていて銅粒40粒だ」
「特効薬にしては安くないか」
(はは、やっぱり喰いついてきたか)
「この国では人の命に関わる薬は安くしてあるんだ。
これも国王陛下のご方針だな」
「そうか……」
「今日はすっかり世話になった。感謝する。
これで帰還しようと思うが、特効薬1瓶と銀貨を1枚、それから銅貨を少々買わせてもらいたい」
「了解した。
またの来訪を待っている」
だが、壁門の外側で剣を受け取った際に、従士が吼えたのである。
「貴様に試合を申し込む!
軍とは個別兵の武威によるものだということを思い知らせてやろう!
よもや逃げまいな!」
「わかった、手合わせに応じよう。
ただしどちらが死しても遺恨が残る。
相手が致命傷を負わぬよう戦い、降参した場合に試合終了としよう」
「なんだと!
この臆病者めぇっ!」
「うむ、その条件でよい」
「し、子爵閣下っ……」
「それともわしの言うことが聞けぬと申すか」
「い、いえそのようなことは……」
(はは、このおっさんもなかなかの貫禄だな)
「それではわしが立会人を務める。
双方相手を殺さぬよう気をつけ、わしの開始合図で手合わせを始めよ」
タケルと従士は5メートルほどの間隔を空けて対峙した。
「双方武器を構えぃっ!」
(はは、こいつも言うだけあってまあまあの構えをしてるじゃねぇか。
だが素のレベル差が700以上もある上に、武器は向こうが銅剣、こっちがタングステン超硬合金製の槍だしなあ。
俺の槍が当たれば爆散するぞこいつ。
仕方ねぇ、体じゃなくって剣を狙うか……)
タケルから戦闘オーラが噴出した。
「うっ……」
従士の剣先が震え始めた。
周囲の兵たちはタケルの戦闘オーラを浴びて腰が抜けそうになっている。
(こ、これは……
若いころに見たあの武神デラクスル殿に匹敵する圧……
いやこれだけ離れていても脚が震えるとは、あれを遥かに凌駕しておるか……)
「そ、それでは始めっ!」
パキ……
従士の持つ銅剣が根元から折れて剣身が宙を飛び、スローモーションのように落ちて来て地面に突き刺さった。
「「「 !!!!!! 」」」
(な、なにが起こったのだ!
両者の距離は槍の間合いより遥かに広かったはずだ!
しかも槍を振った姿はわしの目にも見えなかったぞ!
ま、まさかわしが見ることも出来ぬ歩法と槍捌きかっ!)
「なぁ、降参しねぇってことはこのままお前ぇを殴りまくってもいいってことかぁ」
「ま、参った……」
「それじゃあこれで手合わせは終わりだな。
あー、ひとつ言っといてやるけど、本物の戦場で銅剣は使わねぇ方がいいぞぉ。
殺し合いの最中に折れちまうような剣だと命がいくつあっても足りねぇからな。
貯金はたいて鉄の剣買った方がいいぞ」
「「「 ………… 」」」
「門番よ、最後に2つだけ教えてくれ。
この門内商業街は他の3カ国の辺境に接したところにもあるのか」
「現在稼働中なのはここ東王国に面した街だけだが、あと数日で3カ国に面した地でも営業を始める予定だ」
「そうか……
それではもうひとつ、この商業街に他領の貴族家や商会が麦の買付けに来た場合には如何対応するつもりか」
「もちろん大歓迎だ。
我が国はどの国とでも誰とでも取引をする。
これを妨害しようとする者は誰であろうと、たとえ東王国王家であろうと排除する。
これは国王陛下のご方針だ」
「了解した……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日は転移で家に帰ったんだけどさ、なんか子供たちが元気なくってよそよそしいんだ。
撫でてやろうとしてもすぐ逃げちゃうし。
それでエリザさまが後で教えてくれたんだ。
「今日もそなたの映像を皆で見ていたのだがの。
あの街にそなたの紋章旗が翻っていなかったので子供らががっかりしていたのだ」
「!!!!!」
「気持ちはわかるの。
妾もジョセもがっかりしていたからの」
「す、すいませんでしたぁぁぁ―――っ!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
イペリット子爵一行が戻ると、ホスゲン辺境伯は早速第1砦にて報告会を開催した。
出席を許されたのはホスゲン辺境伯以下、子爵1名、子爵代行のリリシーノ、それぞれの配下である男爵6名と各領の従士長、従士副長である。
尚、子爵に同行した従士や兵たちは部屋の隅に控えていた。
「イペリット子爵よ、それでは報告を始めてくれ」
「畏まりました閣下。
ですが些か長くなってしまうことをお許しください」
「構わぬ。
というよりも視察の内容を詳細に知りたい。
この件は事と次第によっては我らの存亡に関わることになるだろうからな」
「はい、某もそう考えます」
微かなどよめきが起きていた……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「長らくのご静聴ありがとうございます。
某の報告は以上になります」
「うむ、イペリットよ、実に見事な報告であった」
「ありがとうございます」
「これがその特効薬と銀貨と銅貨か……
確かに銀貨も銅貨も美しく光っておるの。
まあ鉄貨や鉄剣が買えなかったのは残念だったが」
「「「 ………… 」」」
「それでバルガスよ。
お前は以前あの武神デラクルスに師事し、直弟子を名乗ることを許された身であろう。
そのお前が彼の男と直接に対峙して得た印象を述べよ」
「はっ。
わたくしは彼のデラクルス殿に8年師事いたしました。
その甲斐あって、師匠の太刀筋も見えるようになり、師匠の剣戟を3合防げたことにより直弟子を名乗ることを許されることも出来ました。
もちろん師匠には1合も打ち込むことは出来ませんでしたが。
そのわたくしから見ても、彼の男の槍筋は全く見えなかったどころか、間合いを詰めて来る歩法すらも見ることが出来ませんでした。
仮にわたくしが10人いたとしてもあの男を討ち取るのは困難であります……」
「やはりそれほどまでか。
それにしても、これから如何いたしたものか……」




