呼び出し
ジュリ様の化粧した素顔は戸惑いと驚きをもって注目されたが、一週間ほど経つと皆慣れて、ジュリ様は今まであまり接していなかった生徒と交流が増えた。
次期公爵のジュリ様にお近付きになりたいが顔を見て失礼をするかもしれないと躊躇していた子も多く、化粧有りとはいえ素顔を見ることが出来て安心して近付いてきたということらしい。
放課後新しく交流した子たちとお茶をしたり訓練したりすることも増えて、俺と一緒にいる時間が減ったのは少しだけ寂しいが、同じクラスだしそこまでジュリ様不足にはならない。社交が上手くいっているのは良い事だ。
マルシャン商会でも貴族から化粧品についての問い合わせや購入がじわじわと増えているという。
大っぴらに沢山、という訳ではなくひっそりとだが、ジュリ様を介して化粧に興味を持っている人が増えているのは確実だった。
放課後何もない時は校門まで手を繋いで行って一緒に馬車を待つ。
「仲がよろしいこと」「羨ましいですわぁ」と新しいジュリ様のお友達が気安くからかいの言葉を投げてくることも。悪意は無いようなので俺は笑って手を振る。ジュリ様も恥ずかしそうに片手で顔を覆うが口は笑っていたので満更ではないのだろう。
ジュリ様が馬車に乗り込んだ後、御者に「少しだけお待ちを」と声を掛け俺も中にお邪魔させてもらい、さっとキスしてすぐに出る(長居するのは外聞が良くない)、というイチャつき方を最近考え出した。
初回は驚いて「えっ?…えっ!?」と慌てていらっしゃったが、何回かしたらもう顎を軽く上げて唇をこちらに向けるという所謂キス待ちの姿勢でいてくれて最高だった。あまり長くは出来ないから触れるだけのキスだけど、それくらいにしておいた方が俺の理性が持つから丁度いいと思うことにした。
キスした後嬉しそうに笑って手を振ってくれる。何度しても少し照れて頬が桜色に染まっているのが可愛くてキュンとくる。
馬車チュー(と脳内で命名した。車中とチューをかけている駄洒落)考え出した俺天才じゃない???
そんなこんなで新しい学年の授業にも慣れて来たある日。
授業が終わった直後、教室の外から突然呼ばれた。
「アマデウス・スカルラット!今すぐ音楽室に来るように!」
声の主はまだ小柄な美少年だった。透明感のある淡い水色の髪とベージュの瞳。少し釣り目の大きな目で俺を睨んだと思ったらそのまますたすたと去っていった。
―――――――――…知らん。誰?!
初対面なら立場をはっきりさせる為に名乗ってくるのが普通なので困惑してしまう。名乗らずとも『私が誰かわかるよな?』という感じで確認くらいはしてくるものだ。
「あれは確か…クレスタール辺境伯家のロレンス様だ。一年生の」
「ありがとうございます」
ハイライン様が顔見知りだったようで耳打ちしてくれた。格上なので情報としては予習していたが顔は知らんし呼ばれる覚えもない。「私も行くよ」とリーベルトが言ってくれたので二人で後を追うように音楽室へ向かう。
何だっけ、クレスタール… 辺境伯家は侯爵家と実質同じくらいの格がある。
予習した内容を脳から引っ張り出そうとするが何で音楽室…? あ、ピアノか楽譜関係で何か不備でもあった?売ったっけ? とか疑問でごちゃついているうちに音楽室に着いてしまった。
ノックすると亜麻色の髪で眼鏡をかけた女生徒が扉を開けた。スンとした冷静な無表情。
音楽室のピアノの椅子に、アナスタシア王女殿下が座っていた。
「ようこそ、アマデウス」
悠然とした笑みで可憐な王女が言う。その左側に立っているロレンス様が親の仇でも見るかのように俺を睨んだ。右側にはモルガン様が薄く笑って立っていて、俺に軽く手を上げて見せた。
思い出した。クレスタール辺境伯令息ロレンス様と、エストレー侯爵令息モルガン様。
アナスタシア王女殿下の……婚約者候補になった二人だ。
※※※
モルガン様はヤークート様と一緒にエイリーン様にお熱だったはずだが、王女殿下の降嫁先候補として選ばれたところ、「俺は王女殿下に失礼の無いように侍りに行くが、俺が一番良い女だと思ってるのは変わらずエイリーンだぜ…」と謎に爽やかに言い訳して行ったと聞いた。
エイリーン様は目の前で揉められなくなって正直清々しているようだが。
ヤークート様は相変わらずだが図書室の中までは来ないので撒くのが楽らしい。撒かれてるんだ…。
王女殿下は男子二人と、そして扉を開けた女生徒のことを侍女になる予定のモデスト伯爵令嬢イリスだと紹介してくれた。イリス嬢は4年生らしい。確かモルガン様は6年生。
ロレンス様とモルガン様は髪がどっちも水色だ。薄い色と濃い色で違う水色だけど、親戚だったりするのだろうか。
そういえば、挨拶の時弾いてくれって言われていたな…。
王族と関わるのは出来れば遠慮したいんだけど、ピアノに興味がお有りなら有り難い事ではある。
「後ろの君は呼んでいない。退室したまえ」
「「え」」
ロレンス様がツンとしながらリーベルトに言った。ここで逆らってまで付き合わせる理由もないか、と思い「大丈夫そうだから先に帰っていいよ」と声をかけた。リーベルトは仕方ないと思ったのか頷いて退室した。心細い。本音ではいてほしかった。
昔のお茶会で「一人だと不安だから王女殿下への挨拶に付いて来てほしい」と言ったリーベルトの申し出を断ったことを思い出す。その報いを受けた気分だ。
「自慢の楽器の腕を見せてもらおうではないか…」
ロレンス様言い方が刺々しい。終始敵意がダダ漏れである。多分王女殿下が好きだから王女殿下が興味を持った男が気に喰わないんだろうが、俺には既に婚約者がいるのに…。
「…わかりました。喜んで」
王女殿下がピアノの前の椅子から立ち、俺は椅子の高さを調整し直して座った。
今度出す新譜、ショパンの『幻想即興曲』。
エミリオ様に連れられた夜会で披露した曲である。
即興と言われてとりあえずまだこっちで楽譜出していない俺が弾ける曲~~…と考えて咄嗟に出て来た。そこまで複雑な譜ではないが指回しがムズい。ピアノの経験が長くないと結構難しい曲だ。覚えてはいたけれど久々過ぎて夜会では指が追いつかず、音をわずかに飛ばしたり音の粒がバラバラだったりと細かいミスをしてしまった。夜会では他の皆さんは初めて聴く曲なのでミスしても気付かれなかっただろうが。
自分としては出来に不満だったので、夜会の後楽譜に起こしてみっちり練習し直した。
―――夜会の時は弾くだけでいっぱいいっぱいだったけど、こうして弾いていると前世で練習していた時の思い出が蘇る。
『手首が下がってますよ』『次の指の準備を素早く!』というピアノの先生の声が今も思い出せる。はい、と脳内で返事をする。
体の具合も悪くならないし、環境も整ってて(整ってないところは無理矢理整えて)、この世界では練習する時間がたっぷりあった。
だから大丈夫。
※※※
自分の憶えている限りではほぼ完璧に弾けた。
王族の前で品定めされていると思うと人生初めての発表会くらいの緊張があったけど、やり切った。
会心の出来だった。
聴き手たちに目を向けると皆少し驚いた顔で見てくる。
なんだ?と思うと、自分の目から一筋涙が零れていることに気付いた。
「あぁ…失礼、お気になさらず」
慌てて顔を手で雑に拭う。ちょっと昔のことを思い出し過ぎた。音楽や思い出に浸り過ぎると家でもたまに涙が出る。外で泣いたことはなかったのだが。いかん、また変な奴を見る目で見られてしまう。気を付けないと。
「アマデウス…」
王女殿下が立ち上がった俺の右手を徐に両手で取った。少しぎょっとしたが顔に出さないように努める。
「素晴らしかったわ。…安心して頂戴、貴方はわたくしが……」
「え?」
後半何て言ったかわからずに聞き返すが、王女殿下は言い直さずにこちらを見上げてにこっと笑った。
ふと気まずそうな顔で横を見るモルガン様が目に入ったのでそちらに目を移すと、ロレンス様が鬼の形相といった顔で俺を見ていた。折角の可愛らしい美少年顔も般若の如しである。
おわっ やっべめっちゃ怒ってる… と血の気が引いた俺はやんわりと手を引いて王女殿下から離れる。
「お褒めに預かり光栄です」
「指が10本以上あるのではないかと思いましたわ」
楽器上手褒め言葉あるあるだ。へへ。
「…楽器の腕だけで公爵令嬢を射止めたと言われるだけはあるな」とロレンス様が皮肉気に笑う。
「はは、それほどでも」と俺が笑うと彼の口元の笑みは消えた。怖い。『だけ』ってところが多分嫌味だろうが格上だし反論とかしなくていいよね…。怖いからなるべく絡みたくねぇ~~~~。
「アマデウスはエイリーンにも気に入られていたし、楽器が上手いだけでなく女ウケが良いんだよな」
モルガン様がざっくり褒めてくれた。ロレンス様と違って年上だからか普通に余裕がある。それかやはりエイリーン様が好きだから王女殿下にそんなに気が無いのかもしれない。美人なら誰でもいいんかなと思っててすまない。
というかロレンス様が嫉妬丸出し過ぎる。
そんな近付く男全部に威嚇してたら王女殿下も困るんじゃないか。知らんけど。
「こちらの楽譜もアマデウスが発行したものなのですよね」
王女殿下が音楽室に寄付した楽譜を見て言う。『ランケ(カノン)』と『行進曲』が置いてある。カノンは元々ピアノ曲ではないので全部のパートを弾く上級、少し減らした中級、シンプルな初級と熟練度で分けた楽譜がある。
俺が人前で弾いてるのは上級だけどここに寄付した楽譜は初級と中級のものだ。上級は弾ける人が限られるし欲しければ買ってくれということで。
「良ければ教えてもらえませんか?」と王女殿下に言われたのでひとまず今がどれくらいなのか弾いて見せてもらう。
練習したのはクラブロでだそうだが、初級は軽々弾けるくらいの腕前だった。王族ともなれば教養の習い事は多岐に渡るんだそうで、他の楽器もそこそこ弾けるらしい。それではと中級の楽譜にとりかかってもらう。
基礎が出来ているのでそこまで言うことは無いように思えたが、わかる分だけこうした方が良いと思いますと助言する。
王女殿下が「大きくて意外に筋張っていらっしゃるのね」と俺の手を指でするりとなぞった。長くピアノ弾いてると手の甲が結構ゴツくなる。鍵盤を強く押さえる為に筋肉が要るのだ。発育が良くて手が早めに大きくなったのもピアノを弾くのに大層好都合だった。
「そうですね、手の甲の筋肉だけやたら鍛えられてしまって」と笑うとしげしげと手を取って観察された。
「凄いわ」と無邪気に褒めてくれる。
王女殿下はまだ子供という感じが強い。そういうことを気軽にするとロレンス様がどれだけ嫉妬でミシミシしてるかがわかっていない。いや、わかっていて放置してるのかもしれないけど…。そうだったら小悪魔だな。
素直に助言を聞いて楽しそうに弾いてくれるので良い生徒ではあった。
「お嬢様、そろそろ…」
小一時間経ったところでイリス嬢がそう言って、お開きということになり「また教えて下さいね」とにこやかに見送られた。
校門で門番に伝言し、馬車を待つ。
馬車に入った途端、ものすごい疲労感に襲われて横に倒れ込んだ。
つっっっっ… かれた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~…!!!!!
王女殿下は素直で優しそうな方だが、何か失礼があったら大変なのでずっと緊張していた。
その王女殿下が俺の手に触る度に、俺が鍵盤を覗き込んで距離が縮まる度に、ロレンス様の視線が突き刺さる。
イリス嬢はずっと無表情で控えていたが、切れ長の瞳がじっ…と俺を観察していたようだった。王女殿下に近い男を注意して見張っているんだろうが、なかなかの威圧感。
モルガン様は普通だったが、俺の指導をつまらなそうに眺めていた。
何だあの空間。居心地わっっっっる。
解放されて心底ホッとした。気疲れがすごい。帰ったら風呂に長めに浸かろ。
……二日後にまた呼び出されるとは夢にも思ってなかった。




