転換点
「入学式は弟のことで頭がいっぱいでした」
「ふふ、デウス様は弟君と仲が良いですものね」
そう。可愛い義弟・ジークの入学式だ。金髪美人が入ってくるとかぶっちゃけどうでもよかった。
リーベルトの妹・リリーナの入学式でもある。
カメラがあったら写真を撮りまくるところだが。残念ながらこの世界にカメラはまだない。人の肖像を残したかったらもっぱら絵画だ。
学年トップの成績で学院を卒業したディネロ先輩は、領地経営しつつマルシャン商会でも精力的に働く予定だという。
国中の商品に明るいディネロ先輩にも確認したけどカメラのようなものは無いと言っていた。
存在しない物の説明はちょっと難しかった。
『その目で見た光景をそのまま紙とかガラス板とかに写し取る』『絵のようなものだけど本物の見たままを記録出来る』というようなことを言ったが「…そんなことは出来ないから絵に描くんだろう?」とぴんと来ていないようだった。原理を説明出来たら良かったけど、俺もよく知らんから出来ない。
不思議な力(魔法陣)で声と楽器の音をピンポイントに拾う拡声器があるんだから、魔道具なら何とかなりそうな気もするんだけど。
ジークとリリーナと合流してから王女殿下に一緒に挨拶に行くことにした。
「改めまして、スカルラット伯爵家第三子・ジークリートです。お見知りおきを。兄がお世話になっております、ジュリエッタ様。これからもどうぞ兄上を宜しくお願い致します」
婚約パーティーで既に皆に自己紹介はしたけど、ジークはジュリ様に向けて改めて丁寧に口上を述べた。恭しく礼をして優雅な笑みを浮かべる義弟に涙ぐむ。
「立派に、…大きくなったね…!!!」
「一つしか変わらんのに親目線か?」
ハイライン様が何だコイツ…という顔でツッコんでくれる。親どころか実の兄でも無いけど、精神年齢20くらいの気持ちで6歳から13歳になるまでの成長過程を間近で見て来たんだ、感動してもいいだろう。美ショタから無事美少年になったね~~~~~~~!!!!!!!
俺の婚約が決まってから、姉上とジークに来る縁談はどっと増えたらしい。
姉上は嫡女だからもともと縁談の打診は多かったようだが、より良い相手をと競争相手が多い令息を狙う為苦戦しているのだ。一生を左右することだから慎重になるのは当然だけど、決まらないことに神経質になってイライラするのは食卓の空気が悪くなるのでやめてほしい。
ジークは騎士団に入り爵位を継いだ姉上の補佐や護衛に付く可能性が高い。伯爵の姉、仲が良好な公爵夫を義兄に持つ貴公子(予定)となると…モテてモテてマジで困っちゃう状態。
学院でも既に獲物を狙う狩人のような視線を集めているとリリーナが言う。剣の腕が上がるにつれて年々たくましくなったけど、ジークは気が優しいからちょっと心配。
「ジーク、何か困ったらいつでも呼んでくれていいからね」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ兄上」
ジークは濃紺の髪を風に揺らし眉を下げて笑った。パッと見線の細い美少年で、俺とジークが並んだら音楽をやってそうなのは断然ジークの方である。実際はみっちり鍛えられている騎士志望。細いけどちゃんと筋肉が付き始めている。ギャップ萌え要素だ。
「アマデウス様の方が大きくなられましたわよ、背も、身分も」
小柄なリリーナが茶目っ気のある笑みで言う。リリーナは既に社交に意欲的なので自己紹介せずとも皆知っている。
ジークとリリーナも俺とリーベルトと一緒にたびたび交流していたので気さくな仲だ。
「確かに、デウス背が高いから一年生たちにもっと上の先輩だと思われていたみたいですね」
リーベルトが「私ももう少し伸びてほしいな…」と7~8センチ下から見上げてくる。顔と言動が可愛い。
そういえばジュリ様に挨拶に来た新入生は大体が隣の俺を見て頭の上に(??)や(…?)を浮かべていた。
(この人が…?)という顔で見られがちだった。
「想像していたアマデウス様と違うんでしょうね」
とプリムラ様が言った。えっ。
「もしかしてガッカリされてます…?」
「いえ、意外なのだと思いますよ。音楽神に愛されし天才、かつ公爵令嬢を口説き落とした女誑しの野心家という情報を頭に入れて挨拶に来ているでしょうからね」
「やっぱりガッカリされてません??」
肩書きだけ聞いたらお色気ムンムンなのが出て来そうだな。すいませんねご期待に沿えなくて……。
「誠実そうに見えるということですわ、きっと」
「…ジュリ様、殿下へのご挨拶は少し休んでから行きますか?」
ジュリ様が何となく気がそぞろのように見えたのでそう提案すると、彼女は少し沈黙してから「…はい、少し寝不足で…皆様先に行って頂いてもよろしいでしょうか?」と促した。
※※※
すぐに合流するから、と俺とジュリ様だけ近くの中庭に面した空き教室に入った。中庭のベンチが近かったが外で寛ぐにはまだ寒い。大きな窓のカーテンは開けてあり明るく、がらんとしているが微かに暖かい。遠目に顔はわからないくらいの見廻りの騎士が見える。あまり長居したら様子を見に来そうだが少しなら二人きりでも大丈夫だろう。婚約者同士だし。
「ジュリ様寒くはないですか?」
「大丈夫です…けど…」
顔を覗き込むと俺の下心に気付いたようで頬がうっすら桃色に染まった。
「…温めてもいいですか?」
笑って腕を軽く広げて待つとそろりと音を立てずに彼女が俺の胸の中に納まった。上着を着込んでいるのに体温が伝わる気がして顔に熱が上がる。一分ほど抱き締め合っていたがずっと立っておくのもなんなのでジュリ様を抱え直して椅子に座った。
「あ、あの、デウス様、重いでしょう…」
「正直軽いです」
全然大した重さではない。俺の膝に座るジュリ様の肩に顎を乗せると黒髪が頬に触れて少しくすぐったい。彼女は落ち着かなそうに少し身を捩ったがそっと後ろの俺に体を預けた。
「冬の間、ジュリ様に会って抱き締めたいなぁとよく思ってたんです。…すみません、嫌になったら言って下さい」
「…嫌になる事なんてありません、ずっとこうしていられたら幸せです…」
あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!
萌えで爆発する!!!うわよく考えたら体勢ちょっと危なくないか???!!!エロいことは考えるな俺雰囲気が台無しになる!!!!!!!!落ち着きたい時は素数を数えたらいいんだっけ??????素数を数えられるんなら既に落ち着いてるんじゃねえかな???????
荒ぶる鼓動を落ち着かせようとゆっくり深呼吸する。うわ良い匂いがする。
「…お手紙は嬉しかったですが、冬はやっぱり寂しかったですわ」
「私もです」
「デウス様は弟君や姉君と仲が良いですし、そんなに寂しくなかったのでは?」
ジュリ様が拗ねたように言ってくる。妬いてるのだろうか…あ、ジュリ様は妹さんと仲が良くないみたいだもんな…。
「そうですね、ジュリ様よりは寂しくなかったのかもしれません。私は恵まれてます。でも姉弟とジュリ様は全然違いますから。早く一緒に冬を過ごせるようになりたいですねぇ」
そう言うと「…はい。待ち遠しく思います」と口元を和らげてくれた。
「…昔、アナスタシア王女殿下は、わたくしの顔を見て気絶なさったことがあるのです。それ以来お会いしていなくて…怖がられるかもしれません」
嫌な思い出がよみがえったのだろうか、憂鬱そうに呟いた。
「ご挨拶に行くの今日はやめてしまいましょうか」
「そういう訳には参りませんわ」
くすっと笑ってそう言う。真面目だからそう返すだろうなとは思った。
「大丈夫です、ご挨拶に行くのがそんなに嫌な訳ではありません。考え事をしていたのは…デウス様にご相談したいことがあったのです」
「私に?」
もしかして魔力測定の話かな、と思ったが違った。
「実は……わたくし、お化粧をして学院に来ようかと思っているのです」
「へ?」
ジュリ様は、婚約パーティーの終わりにスザンナから聞いた『化粧でそばかすを消した』という話がずっと気になっていたそうだ。
冬休みに白粉を流通している全種類調達し、モリーさんと鏡の前で試行錯誤してみたのだという。
全種類?! ああ、でもあんまり広く使われているものでもないみたいだからそこまで多くは無いか。
「一度腕に塗ってみて色が合わないものや肌に合わない物はやめて、合いそうな物を顔に塗ってみました。粉なので保湿水に混ぜて液状にして、顔に付けやすくしたら結構厚塗りが出来て…」
保湿水は乾燥している時に顔に付けるハーブの香りがする水みたいなやつだ。寝癖直しの水もその一種。
つまり向こうでいう所の化粧水じゃない?と思ったけどこちらでは化粧水とは呼ばれない。保湿の為の水だ。
「完全に痣を消すというのは流石に無理ですが…かなり薄くすることが出来たのです…!」
凄い事実が判明した…!!と言うように仮面の向こうの目をキラキラさせるジュリ様。かわいい。
キラキラしている彼女には悪いが俺は(それはそうだろうなぁ)と思った。
「それは凄いですね」
無難なリアクションを取った俺。
「モリー以外の侍女数人にお願いして、その顔を見てもらったら…皆、大丈夫だったのです!気絶も叫びもせず、少しだけ恐ろしいけれど直視は出来る、と」
「え、それは凄いですね?」
次は本当に驚いた。
ジュリ様の顔の痣が聖女の証としてのものなら大きすぎる魔力によって生まれた歪み…ということだが、化粧で隠したくらいで畏怖させる力も薄くなるものなのだろうか?
少しだけ恐ろしい…ということは、畏怖させる、というのは多少魔力の影響もあるけどほぼ視覚によるということでいいのか?確かに隠せば特に問題なかったんだもんな。
ジュリ様は頷いて、「でも」と視線を下げた。
「…お父様に話すと、世間的にお化粧は大っぴらにするものではないと…仕事として舞台に立つ人間や、その…娼婦などが主にするものだ、とお聞きして…」
「公爵閣下は反対なさいましたか?」
「いえ。するなとは言わない、と仰いました。でも周りからはあまり良くない反応があることは予想出来ると。あと…デウス様がどう思うかは確認した方が良いと」
ああ、この世界で女性に化粧を勧めるという行為は、地球で美容整形を勧めるのと同じくらいの無礼である(と思われる)。
婚約者に化粧を勧めたと思われると、俺がまあまあの人でなしに見える。そもそも割と多くの人に地位目当てだと思われてるところからそれだと、俺に悪評が立つかもしれないのか。またか。
そもそもこちらで化粧が眉を顰められるのは、容姿を美しく偽って配偶者を得ようとする、つまり騙すという行為だからだ。すでに配偶者か婚約者がいる場合は…婚約者の望みで、と思われてしまうんだろう。本人が望んでやっていると言っても、婚約者がそう希望する素振りを見せたのではないかと勘繰られる訳だ。
―――――――――――でももう、ゲスの勘繰りとか、そんなの今更っちゃ今更だし。
「ジュリ様がやりたいと思うならやるのがいいと私は思います」
「…わたくしが望んでしているとは公言するつもりですが、心無いことをデウス様に言う者は出てくるやも…」
「ジュリ様。もしかしたら…ジュリ様がなさることは転換点になるかもしれません」
「転換点?」
「化粧というものが見直される転換点です」
したい人がして、したくない人はしなくてもいいものは世界に沢山あると思う。
冷静に考えれば当たり前のようでも、その判断はそこの常識に左右される。そういう自由は案外勝ち取らなければ得られないものらしい。
「私は、化粧をしたい人が出来る世間の方が良いと思います。なりたい自分でいられる世間の方が。化粧はお洒落の一環であって、綺麗になりたい、かっこよくなりたいというのはほとんどの人が思っていることです。何ら責められるようなことじゃない、それについて何か言われても私は笑い飛ばすことが出来ます」
というか、公爵令嬢が堂々と化粧をしたらどうなるだろう。
既に婚約者もいて当人が良いというなら、周りはおそらく大きな声では非難出来ない。最初は陰口を叩かれても、「公爵家の方もしているのだから…」と化粧してもいい空気になっていくんじゃないかと思う。自分に利益があって偉い人がしていたら、自分も…となるものだ。良い事も悪い事も。
まぁ、そうならないかもしれないけど。
黒服の時のようにアルフレド様やエイリーン様の美の力を借りられる訳ではない。でも残念ながら『国一番の醜女』と囁かれているジュリ様が顔を晒すことが出来るようになったとなれば……
……かなりの宣伝に、なりそうなんだよな。
そもそもまだ若く純粋な貴族は、化粧品そのものの存在を認知していないのだ。
ジュリ様が聞いたことはあるような…くらいの認知だったのと同じように。
貴族で知っているのは舞台役者の事情に詳しいとか、―――馴染みの娼婦・男娼がいる人、そういう人からよく話を聞く人、なのである。
まだ“化粧がけしからんもの”という考えに染まっていない貴族になら、すんなり受け入れられる可能性がある。特に娼婦や男娼に縁が無くて先入観が無い、若い令嬢たちに。
化粧品という、容姿に悩む人全ての味方になるかもしれない存在が。
日の当たる場所に出るチャンスになるかもしれない。
……そうと決まればディネロ先輩に相談して貴族が購入しやすい化粧品の販売口の用意だな。
儲からなかったらそこは俺が補填して許してもらおう。持つべきものは金と人脈ゥ…!
「…デウス様はおそらく反対なさらないだろうとは思っていたのですが、何だか壮大なお話が出て来て驚きました」
「まぁ、これは当たらないかもしれないので…あまり気にしないでください」
「明日、仮面の下にお化粧をしてきて先にこっそりお見せします。驚くと思いますわ…わたくしの顔を直視して気絶したことがある侍女が、とっても綺麗になったと感心していましたから」
嬉しかったのだろう、わくわくしているように見える。化粧の転換点とかなんとか思ったけど別にそんなことは関係なくジュリ様が望むことを反対など俺はしない。
「言ったと思いますが、私はジュリ様の素顔も好きですよ」
化粧しなくても綺麗だと思ってることは言っておこうと思ってそう言うと、
「…お化粧しても、デウス様にとってはあまり変わらないでしょうか」
と少ししゅんとさせてしまった。
おっと、難しいところだ…。
素顔と化粧した顔、どっちも良いといえば大して変わらないということか?となるし、素顔が良いというのは化粧を否定することになるし、化粧した顔が良いというとやっぱり素顔の方が不細工だと思っているかのように取られかねん。えーっと……正解は何!?
「……変わらない訳ではないですが、なんていうか…素材が大好物なので、味付けが変わっても好きなのは変わらないと思うと言ったところです」
料理に例えてみた。ジュリ様は数秒きょとんとして、理解出来たのかほわっと赤面した。
「あ、ありがとうございます…」と呟いて体を俺にすり寄せる。わかってくれたみたいで良かった。
ジュリ様が学院でも素顔で過ごせるかもしれないのは歓迎だ。いつもちゃんと顔が見たいと思ってるし、ジュリ様にとっても不便が減るだろう。それに、
「…仮面がないと、口づけしやすくなりますしね」
ジュリ様に学院内で仮面を外してもらうのはリスキー(万が一人の目が届いた場合目撃者が気絶するかもしれない)で難しいが、素顔だったらこういう二人きりの短い時間にキス出来そうだな…と思って言った。仮面は鼻の天辺と頬下まで覆っているのでどうにも俺の鼻が当たってしまって難しいのである。俺が慣れてないのもあると思うが。
それを聞いてジュリ様が「し、失礼します」と俺の膝から立つ。あ、しまった引かれたかな…と思ったらジュリ様がささっと頭の後ろに手を回し素早く仮面の紐を解いた。
驚くほどの速さで素顔になった彼女は俺の隣に座り、上目遣いに俺を見る。
あー、すぐに合流するってアルフレド様たちに言わなきゃ良かった……と思いながら唇を寄せた。
「ちょっと!貴方、そんなところで乙女に何をして… ッきゃ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!」
教室に飛び込んできた女生徒の悲鳴が響き渡ったのは、俺とジュリ様がキスし始めて数分後のことだった。
誤字報告などありがとうございます。助かります(^^)




