女神のお世辞
普段、下の階級の相手には態度が大きいとあるレナール子爵令息リーマスは、格上に呼び出されて内心慄いていた。人目の無い学院の片隅の一室で格上の令息はにこやかに言う。
「アマデウスに言いたいことがあるのならば堂々と言え」
「……な、何故それを…」
「大貴族の情報網を甘く見ない方が良い」
リーマスはアマデウスに、結婚しようと思っていた娼婦を奪われたと思っている。事実とは異なるがそう思っており、相手が格上の為泣き寝入りせざるを得なかった。
「しかし…彼は今や公爵家の婿です、そんな相手に…」
「自信を持って皆の前で糾弾すれば良い…そもそも娼婦を囲っているのをシレンツィオの令嬢に知られたら困るのはあちらだ…正義はお前にある。先に想いを通わせていたのはお前だろう…?」
その部屋には嗅いだことのない香りが立ち込めていた。寒くなってきたから暖房が付けられているのは不自然ではなかったが、何かの香を焚いている。その香を嗅いだリーマスは目の前の相手の言うことが正しい、―――全くその通りだ、―――という考えで頭がいっぱいになった。
「はい…そうですね…」
「そうだ。頑張れ。お前の美しい娼婦を取り戻して来い。――――――…エイリーンの前で恥をかかせやがって……あの野郎のしてやられた顔を見ないと気が済まん…」
※※※
「ディネロ先輩~どうも」
図書館で僕に声をかけてくる相手はもう一人しかいない。以前はレナールの奴が時々図書館の隅で蹴ったり殴ったりしてきたが、最近は僕に目をくれなくなった。もしかしてアマデウス…この伯爵令息が僕と親し気だからだろうか。
「ああ、アマデウス…、!?」
アマデウスは横に女神もかくやというとんでもない美女を連れていた。髪も目も黄金だ。驚いて黙ってしまった。僕は驚いてもあまり顔に出ない方だが、真顔で停止していたら驚いていることは伝わるだろう。
「流石のディネロ先輩も動揺しましたか。こちらランマーリ伯爵令嬢エイリーン様です」
「初めまして。貴方様がマルシャン家の御曹司でいらっしゃいますね」
女神は笑ってスカートを軽く摘まんで礼をした。僕もぎこちなく立ち上がり軽く頭を下げて挨拶をする。
「…マルシャン男爵家三男、ディネロと申します」
「ご丁寧に。…少々場所を変えてお話させて頂いてもよろしいかしら?」
「商売の話です。 …そんな不安そうな顔しないでも。悪い話ではないですよ」
にこやかな二人に連れられた僕は緊張と不安で葬式にでも行くような顔になっていたと思う。
アマデウスが計画しているという、黒い服を流行らせる為のパーティー。
そこで広告塔になるエイリーン嬢とタンタシオ公爵令息。
流行を生むには―――話題になった時に、すぐに手に入るモノがある程度売っていることも大事だ。モノを手に入れた者が話題にした時期に、機を逃さないこと。他に真似できないような技術のモノなら少々時間が経っても需要はあるが、服の意匠のように他が真似出来るモノなら早く用意出来た商人に勝機がある。
「わたくし、マルシャン商会には贔屓にしているお針子がおります。黒服パーティーのドレスもそちらにお願いしようと思っていますの。なので、可能なら今から黒い布を確保して服を拵え、ある程度の量をすぐ販売出来るように用意して頂けたらと…そういうお話ですわねアマデウス様?」
「はい。衣装の方向性の相談をしていたところエイリーン様はマルシャン商会に、ということだったので、それではディネロ先輩にお願いしてみようかと…どうでしょう。エイリーン様に提供するドレスに近い意匠の物が一気に売れる可能性が高い…とのことで、御相談を」
僕は全力で脳を動かした。額に汗が浮かぶ。
…その企みが、もし思い通りにいけば…莫大な利益が生まれる。
黒の染料の調達、布のランクによって値段は…、黒いボタンの材料の仕入は、今からお針子を確保したとして出来るのは…などなど様々なことを思い巡らせつつ、口を開く。
「――――――……貴族の服飾品の流行については、うちの商会は詳しくないのだが…なんせマルシャン家が十年ほど前に貴族入りしたばかりだ。僕の兄二人はとっくに商会で働いていたから貴族院には通っていないし…だから唯一貴族院に入れた僕がマルシャン男爵になる予定なんだ。…僕も結局貴族院で人脈は広げられなかったが」
兄たちは商会を支え、僕が貴族の人脈を作り、商会に役立てて行かないといけなかったのに。レナールに目をつけられていたのもあるが、元々本に熱中しがちで人付き合いも得意ではない。図書館に入り浸るだけの学院生活にしてしまった。平民のままなら得られなかった知識を得られたし見識を広げられて有意義だったとは思っているけど。
「だから、僕には判断が付かないが…黒服の需要は、そのパーティーで本当に、生まれるのか?」
「…う~~~ん」
「生まれますわ」
アマデウスは即答を避けて少し唸ったが、エイリーン嬢がきっぱりと言い切った。
「わたくしとアルフレド様の美しさに加え、アマデウス様の楽曲の力、公爵家の威光。必ず話題になります。これは好機です、ディネロ様。世間の常識を覆し、歴史に名を残す好機なのです」
エイリーン嬢が心からそう思っているのがわかる。彼女の瞳に確信があるのを見て、僕も決意する。
けして女神の美しい瞳に惑わされたからではない。
それに、…わかりきった勝負ばかりしていて成功出来るほど、商人も甘い職業ではない。
「乗らせてもらいましょう。…おそらく否とは言わないと思うが、父から返事を貰うまで少々待ってくれ」
「承知しました。良いお返事をお待ちしています!そうだ、招待状をお送りしても?」
「えっ…あ、僕が出席して…いいのか?」
「勿論です、この話がなくとも招待してみようとは思っていましたよ。ディネロ先輩、あまり興味がないかもなとは思いましたが…」
「興味が無い以前に、貴族のそういう催しに招待されたことが無い」
「まぁ…確かに、新興貴族となると親世代からの繋がりなどもないし…積極的に交流していかないと招待されないかもしれませんわね」
「…情けないが、そういうのは苦手で」
「まあまあ、今回のパーティーで出来ることやりましょう!まだ遅くないですよ、若いんだから」
僕より5つ下の癖に年上みたいなことを言う。僕から動物や植物や鉱石の話を聞きたがったり、アマデウスは本当に変わってる。…卒業まであと数カ月。降ってわいたような好機。学院で出来なかった人脈作り…有り難く、最後まであがいてみるか。
話をしていた空き教室から図書館に戻る。
「わたくしも図書館に通おうかしら…あまり行ったことがありませんでしたが、静かで良い所ですわね」
「あー…そうですね、本を読んでたり課題をやっていればあの人たちも五月蠅く出来ないかも」
「図書館だから外でおやりになって、と言えば済みますわね」
あの人達…?よくわからないが騒がしい連中が近くにいるのか。アマデウスはこんな非現実的な美女にも普通に話をしていてすごいな…僕は商売の話の間は切替出来るけど、雑談なんて出来そうにない。
「図書館にはディネロ先輩もいつもいますし」
「ではお近くに座れば危なくないですわね」
「え、ええまあ…」
危ないことがあるのだろうか。これだけの美女だからな。そういう時僕が守れるかはわからないのだが…。妙に信頼されても困る。僕は貴族社会で末端も末端だぞ。
その時突然。
並んで歩いていた僕たちの前に―――幽霊のような顔色で険しい表情をしたレナールが立ちはだかった。
「――アマデウス・スカルラット伯爵令息!!!」
「…はい?!」
「レナール子爵家次男、リーマスと申します。マリアという娼婦をご存知ですか?焦げ茶色の髪に、金色の目をした美しい人です。私の女神でした!私は…彼女を貴方に奪われた!!権力でです!私と彼女は愛し合っていた。将来を約束した仲でした!どうか彼女を私に返して下さい!!」
僕とエイリーン嬢、近くにいた生徒たちも面食らってじっとしていた。大声に何事かと近寄ってくる者もいる。
これは…修羅場というやつだろうか。初めて見た。
噂には聞いたことがある。一人の女を巡って争う男たち、もしくは一人の男を巡って争う女たち…。男が争う場合流血沙汰に発展しがち。貴族はそう簡単に殴り合いなどにはならないと思うのだが…レナールは結構手が出る奴である。
しかし、…レナールの奴何だか様子がおかしい気がする。
目の焦点がふらふらと揺らいで、身体もぐらぐらしている。顔も白い。興奮で血の気が引いてるのだろうか。
そしてアマデウス、無邪気な後輩だと思っていたのに…娼婦を囲っていたとは。しかも6年生から奪い取る形で…?鬼畜か?
婚約者がいると言ってた気がするが…。
アマデウスの方を見ると『まずい…』と思ってそうな顔をしていた。
ざわざわとする周囲。好奇の目に晒されている。
「格下の私が口にしていいことではない。わかっています。私は命を懸けてお願いしているのです!マリアを私に返して下さらないというのなら…私はこの足で、貴方の婚約者、シレンツィオ公爵令嬢に訴えに参ります!!」
「待った待った!!」
芝居がかった動きで言うレナールにアマデウスがやめろと手を前に出す。婚約者にそんなことを言いに行かれたら最悪だろう。言われる方も。
その手を頭に当ててハァと溜息を吐き、アマデウスは目を閉じた。数秒で目をカッと開いてレナールを見据えた。
「…誤解があるようですが、私は決して娼婦を囲っていません!!私は、開催したのど自慢大会の優秀者から三人の女性を歌手として雇いました。リーマス殿の仰る特徴の女性はその中の一人です」
アマデウスはレナールにも、野次馬にも聞こえるように声を張ってはきはきと話した。
「――ひとつ、お聞きしますが、リーマス殿は彼女と本当に将来の約束をしたのですか?」
「っ!勿論です!!それを邪魔したのが…」
「私ではありません、決して!マリアは私が買ったのではありません!のど自慢大会で得た賞金で、自分から娼婦を辞め、自由の身になったのです!…自由になった後私に勧誘されて楽師になっただけです」
「そ…そういう大義名分で彼女を囲っているんだろう!!」
「私は音楽神に誓って、マリアの行動を制限していませんよ!それで、彼女を雇ってからもう数カ月経ちますが、リーマス殿は一度でも彼女から連絡を貰いましたか?」
「…な、っ…連絡?」
レナールが怯んだ。反論されると思っていなかったのかもしれない。
こんな開けた場所で浮気を暴露などされたら、そして婚約者へ告げ口するなんて言われようものなら、普通なら別の場所に移動して交渉するか、すぐに話を切り上げる為に要求を呑む…と思っていたのかも。
最初はレナールの方を恋人と引き裂かれた悲劇の男と見ていただろう野次馬も疑惑の目を奴に向けた。
「手紙を出すとか、元いた娼館から問い合わせるとか、領主の館へ行って言伝するとか、連絡しようと思えばいくらでも出来たはずです。彼女から連絡は、来たのですか?」
「そ…それは貴様が阻んでいたに決まってる!!何をぬけぬけと!!」
被害者ぶっていた奴が、憎悪を顔に剥き出しにした。連絡は一度もなかったのか。そうなると―――普通に、振られたとみるのが妥当では…?
「娼婦は、客を取らないと生活出来ません。仕事ですから、時には心にも無い褒め言葉で客の機嫌を取る、ということをリーマス殿はご存知なかったようですね。―――お気の毒に」
アマデウスが困った顔で薄く微笑み、言う。憐れんでいるようでもあり、堪えきれずに嘲笑しているようでもあり……
レナールは平凡な見た目の男だ。アマデウスより見目が良い訳でもなく、身分も下。アマデウスは囲っていないと言っているが、どちらにより囲われたいかなんて…一目瞭然だ。
レナールを見る周りの目は完全に『恋人を奪われた男』ではなく『美女のお世辞を本気にした馬鹿な男』を見る目になった。
「――~~~~う……ウソだ…嘘だ嘘だ嘘だ!!!」
「…そんな調子で貴族の男が、平民の女に声を荒げれば、従わざるを得ないんでしょうね」
見苦しく怒鳴り散らしたレナールに眉を顰めたアマデウスが冷たい声を向ける。その言葉で周りは『そうか、平民の美女は貴族の男に逆らえないのだ』と思い至る。好ましい相手からの申し出なら玉の輿でも、好ましくない男からの申し出なら不運だ。
そこからアマデウスはぱっと笑顔を作った。
「―――――とは言いましたが、そもそもリーマス殿が言うマリアがうちにいるマリアとは限りませんよ!よくある名前ですし、うちの楽師のマリアはそもそも男を愛したことは一度もないそうですから!人違いじゃないですかねぇ~~~!だって、娼婦が子爵家に嫁に入るなんて玉の輿ですから、愛し合っているなら逃げる理由なんてないですもんね!貴方のマリアは自分が貴方に相応しくないと身を引いていなくなったのかもしれませんが、本当に貴方を好きなら、いずれ名乗り出てくることでしょう。…―――それでは、御機嫌よう、先輩」
※※※
何とはなしに、その場から離れたアマデウスに付いて行く。エイリーン嬢も。
角を曲がって、呆けたレナールが見えなくなってからアマデウスは止まり、「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~……」と言いながら両手で顔を隠して項垂れた。
「アマデウス…?」
「…押し通しましたわね、お見事でした」
「え?」
「口では何とでも言えますが、もし本当に伯爵家で厳重に囲っていたとしたら、平民の娼婦は何も出来ません。外と連絡を取るなんて無理です。言いようによってはやましいことがあると思われたでしょうが… 強気で、かつ向こうに非があるように持っていったのでアマデウス様が理不尽を強いた、という印象は残らなかったでしょう。冷静に対処なさったと思いますわ」
「な、なるほど…」
「最後に一応、向こうに情けもおかけになって。余裕ですこと」
「ああ、人違いだろうと…」
格上に対してだいぶ無礼をした形だが、『そちらの仰る通り人違いでした、申し訳ない』と謝罪すれば許す、という道筋を作った訳か。
レナール自身は『訴えを聞いた周りの貴族は自分に同情的になるはず、アマデウスは悪評が広がることを恐れて要求を呑む』と思っていたのだろうが。
こんなに目撃者がいるとアマデウスは家長に報告せざるを得ない、レナール家には抗議が届く。あいつ、叱られるだろうな。……正直、いい気味だ。
しかしうまくやったはずのアマデウスは頭を抱えて唸っている。
「あ~~~~~~~~~……囲ってないっつってるのに皆何でそっちの方向ばっか穿ってくるんです、破廉恥なこと考え過ぎなんじゃないの!?回避したはずなのにシャムスからじゃなくてこんな形でとか…ちょっと私、弁明してきますね…まだ院内にいるかな…」
「それがよろしいかと。人伝に聞くよりはマシですわ」
「ディネロ先輩、エイリーン様を門までお送りして頂いていいですか」
「え?あ、ああ…」
「それでは失礼します!」
小走りで駆け去っていくアマデウス。おい、女神と二人きりにしないでくれ。何を話せばいい。
アマデウスは婚約者に言い訳しに行ったそうだ。というか、公爵家の令嬢と婚約していることをさっき知った。
「あんなに話題になったのに…本当に貴族のお知り合いがいらっしゃらないのね」と女神に呆れられてしまった。一応、貴族社会の主な出来事は城の伝令が情報を家に持ってくる。だが自分にはあまり関係ないことだと思ってしまっていた。今度からちゃんと把握しよう…。
門へ行って彼女の馬車が来るまでの間、何を話せばいいかわからなかったが僕はエイリーン嬢に話題を振られるまま話をした。商売に関する話を滔々と垂れ流してしまい、ハッとして「こんな話面白くないでしょう、申し訳ない」と言うと「いえ、面白いです。わたくし、もっとそういう話が聞きたいわ」と真顔で言われた。
……本気に聞こえたが、お世辞だろうか。
後日、僕は彼女の言葉がお世辞で無かったことを知る。
図書館で毎日のように顔を合わせて会話するようになるとは、この時の僕は知る由もない。
イイネや感想などありがとうございます!
少々忙しくて更新ゆっくりめになりそうです。




