恋人の椅子
「ジュリ様、先に言い訳しておきたいことがございまして…」
「な、なんでしょう」
「雇っている楽師に、元娼婦の美女がいるのですけど」
「ごふっ…」
横にいたリーベルトがむせた。学院のお茶会室なので片付けなどはセルフだ。俺は布巾を持って来て机を拭いた。リーベルトが恥ずかしそうに「ごめん」と囁いた。いいよ。
ジュリ様は目を丸くしている。その隣のカリーナ様はジュリ様よりも目をかっぴらいている。
「えっと…話を続けますが。先日、その女楽師を愛人なのだろうと揶揄されまして。決してそんなことはないので、誤解される前に申し上げておこうかと」
「あ、ぁぁ愛人…」
「違いますからね!やましいことは一切ありません!」
あんまり強く言い訳すると逆に怪しく聞こえる…と思いつつ小刻みに震えたジュリ様に言い募っているとカリーナ様がはっとして詰め寄ってきた。
「どうしてしょ…娼婦を雇うことになったんですの?!」
「それは…」
俺はマリアがのど自慢大会の優勝者であること、男嫌いで娼婦を辞めたがっていたこと、素晴らしい歌声を持っていることを説明した。
「私が囲っているように見える可能性についてはわかっていましたが、彼女は逸材ですし逃す手はありませんでした。必ず大勢の人々から称賛される歌手になります、それは今雇っている歌姫三人ともそうなると思っていますが」
ジュリ様は仮面の向こうの瞳を俺にじっと合わせて、少し唇を尖らせた。拗ねた顔してる、そういう顔してても可愛いな。いやそんなこと思ってる場合じゃないんだけど可愛いもんは可愛い。
「……今は浮気でなくても、素晴らしい歌を聴いているうちに、その方を好きになってしまいませんか?」
「いやいや、無いですよ」
「何故無いと言い切れるのですか…?」
俺を責めている訳ではなく、純粋に疑問に思っているような声色だったので俺も考えた。
「……そうですね…私の中には既にジュリ様がいますし…マリアが私を男性として好きになることはないでしょうから、そういう雰囲気にはならないので、無い、と思います」
「…複数人を愛することは、出来るでしょう?男性は特に、何人も娶る方は多いですし…」
「出来る人は出来るんでしょうけど、私は無理だと思います。これはもう人それぞれとしか言えませんけど…なんていうか、私は心の中に椅子を一つしか用意出来ない」
「椅子?ですか?」
「心の中の場所取りといいますか…“友達”が座る椅子はたくさんあるしまだ空きもある。家族とか楽師や音楽仲間とかは、付き合いが長いほど近い前の方の椅子に座っていて…予備もある。多分、“恋人”の席をいくつも用意出来る人はいるんですよね。でも私の中に“恋人”の席は一つしかないんです。一人しか座れないんです」
俺が前世普通の庶民で、一夫一妻の社会に生きていたことも関係しているとは思う。何人も相手を作ることには抵抗がある。ジュリ様を好きになる前も、何人も奥さんが欲しいとは思ってなかった。何人もの夫の中の一人にもなりたくない。
だって絶…っっっ対、揉めるじゃん。
王族とか爵位持ちなら血を保つ為にも、何人も娶るのは仕方がないかと思うけど。
創作物の中ならともかく現実で一人の愛を複数人に分けるようなことをしたらどこかで綻びや歪みが出るとわかっている。上手くいく例もあるだろうが、運や環境、相当なバランス感覚が要るだろう。
――――――…という冷静な部分もあるけど、単純に今俺はジュリ様に恋しているし。
別の人とどうこうなりたいなんて微塵も思わない。浮気なんかしてジュリ様を悲しませたりする気はない。ジュリ様が他の男と良い感じになったら俺もマジで嫌だし。
「……では、その椅子を奪われないようにわたくし、頑張ります」
「…ゆったり構えていて下さっていいですよ」
ジュリ様が嬉しそうにはにかんでくれたので俺もほっとして笑った。
「—――いえいえいえいえ。ええ、やっぱりアマデウス様はお上手ですわね、でもやはりもう少し疑ってかかった方がよろしくてよジュリ様。浮気する男は口が上手いものだって聞きますわ!」
カリーナ様がジト目で俺を見据えて言う。
俺は無実だが、確かにこれ傍から見たらうまく丸め込んでるみたいに聞こえそうだな…。
いざとなれば例の忍者が潔白を証明してくれる……と俺は思ってるんだけど公爵家の忍者(隠密)が俺に付いていることを言いふらすのはあまりよろしくないよな。せっかく忍んでいるのに。
「ええと…では、一つデウス様にお願いしてもいいでしょうか?」
「はい、勿論」
「…わたくしの信用のおける女性騎士を、デウス様のお傍に付けることをお許し頂けたらと…」
「えぇ、いいですよ」
「へ、返事が早い!!」
俺の即答にカリーナ様が驚いた。それくらいでいいならと即決したけど何かおかしかっただろうか。
「常に見張られるようなものですよ、落ち着かないでしょうに…」
ジュリ様側なのにカリーナ様が心配そうに言ったが俺は既に忍者に見張られている。今更だ。
確かに忍者と違って姿が見えてると緊張感とかは違うだろうけど。それで女性かぁ。慣れるまではトイレ行く時ちょっと気恥ずかしいかもしれない。新人のメイドさんとかも慣れるまではちょっと気恥ずかしい。
ジュリ様の信用出来る騎士…シレンツィオの騎士団の人か。まあ、バドルの過去と衝突事故起こしたシャムスみたいな事例はそう起こらないだろ。うん。
―――シャムスの件をジュリ様に話すのは一旦保留にして、マリアのことを先回りして報告することにした。ジュリ様容赦なくシャムスをクビにしてしまいそうな気もするから…。
「それでジュリ様が信用して下さるなら安いものです」
「…デウス様を疑っているとかではないのです。その…心配なのです!」
「心配?」
「人気がお有りですから…!逆に女性に無理に迫られたりしないかと」
「えっ!?…あ、もしかして…」
俺が昔メイドに襲われたこと、どっかで知ったのかな…。
騎士団に届け出てるし逮捕者も出てるし、調べられたらまぁすぐ知られるだろう。
リーベルトとカリーナ様は怪訝な顔をしている。俺はジュリ様と机を立って二人から少し離れ、背中を向けて内緒話の体勢になった。
「…私の11歳の時の話ですか?」
「えっと…すみません、デウス様、ひょんなことから知ってしまいまして…」
「別に構いませんが、…あんなこと早々起きませんよ。心配せずとも」
「……お、起きるんですよ…」
「へ」
「勿論、人に薬を盛るようなことは罪です。でも高い地位の者は罪を揉み消せます。罪を犯してでも事を有利に動かそうとする人間は沢山いるのです…きっと、デウス様が思うよりずっと」
ジュリ様が深刻な顔で言う。否定…出来ない。そもそも俺、薬盛られて犯されかけたこと以外にも雑に命狙われたりしてたな…。忍者がついてるからって楽観的過ぎたかもしれん。
俺に色々あったようにジュリ様も色々あったのだろうか。いずれ公爵家に入ろうというのだから俺も警戒レベルを上げるべきなのかも。
「…そうですね。私は危機感が薄いかもしれません」
「デウス様は誰にでもお優しいから、警戒していない意外な女性から襲われるかもしれませんし…」
昔がまさにそのパターンだったから何も言えねぇ。
「はい…心得ておきます。…気を付けますから、そんな顔しないで下さい」
「…仮面越しでもわかりますか」
「不安そうなのはわかります」
過保護だなぁ…と思うけど、好きな人に対しては過保護にもなるもの。悪い気はしない。
俺はジュリ様の痣がない方の仮面を撫でた。
仮面の向こうの瞳がゆっくり瞬きで閉じられる隙を狙って、―――痣のある方の仮面の頬にさっとキスした。
「っ!!…」
ジュリ様が真っ赤になってぴゃっと体を跳ねさせた。
仮面越しだし、唇にキス…だって済ませたのだから怒られはしないだろうと思って。欲を言えば唇にキスしたかったが場所が場所だし仮面が邪魔なのだ。多分顔がぶつかる。
「も、もう…デウス様、こんな所で……い、嫌ではありませんけれど、もちろん」
そわそわと恥ずかしそうにしつつ嬉しそうで良かった。少々調子に乗っている振る舞いであることはわかっている。イケメンの自覚がなければ出来ない。
「…誰も見てないですよ」
願望を込めてそう言い、チラとリーベルトとカリーナ様の方を見ると、バッという音が出るくらいの勢いで二人が顔を逸らした。
「見てませんわ!」
「見てないです」
見られてた。ほっといてお茶してくれてたら良かったのに。
友達に恋愛モードのところ見られるの恥っずかしいな!!!!!完全に自業自得だが…。




