歌姫たち①
「スザンナ、お前には出てってもらう。ほれ、荷物はまとめてやったぜ」
ふらふらしていた義兄が、どこから聞きつけたのか知らないが夫の葬儀には帰ってきた。
葬儀を全く手伝いもしないしいてもいなくても変わらなかったが、まぁ大人しいからいいか、という程度に思っていた。
それが、葬儀が終わった次の日にいきなりそんなことを言い出した。
「はぁ?!クリード義兄さん、いきなり何を言い出すんだい?!」
「うちの畑はこれからは俺が管理する。年老いた母さんもいるし、食い扶持は減らさねえと」
「なっ…何年もどっかほっつき歩いてたあんたに畑の管理が出来るもんか!うちの畑はあたしとレクスのもんだよ!!」
レクスはまだ10歳だ。畑はレクスが大きくなるまではあたしが頑張って、レクスに継がせるんだ。
義兄のクリードは昔から素行が悪く、農作業を手伝いもせず悪い連中とつるんでいつの間にか出奔していた。そのため次男のクレメンが家を継いで今までやってきた。義父が亡くなった時にも義兄は帰ってこなかった。それをクレメンが事故で死んだ途端に奪おうなんて勝手過ぎる。
「レクスは弟の息子だ、追い出しゃしない。跡継ぎで働き手だからな。スザンナ、お前がいらないんだよ。クレメンが死んだんだからお前はもう他人だ」
「母さんだけ追い出すっていうのか?!そんなのおかしい!!」
レクスが言い募るが義兄は目もくれず、あたしに荷物を押し付けた。
「ばあちゃん、何とか言ってくれよ!」
義母にレクスが助けを求めるが、義母は気まずげに目を逸らした。
「…クリードが真面目になってうちに戻ってくれるって言うんだ…男手がないととても畑を続けていけないよ。収穫の時期まではまだあるし死亡税を払わなきゃいけないし、余裕がないんだ…スザンナには悪いけど、ふるさとに帰ってもらおうって…」
…今までそれなりに仲良くやってきた義母に見捨てられた衝撃は大きかった。
あたしは北の隣国、リデルアーニャ公国の出身だ。
――――幼い頃、村は長い不作に悩まされた。
度々山から冷たい風が吹いて冷害に悩まされていた土地だったが、そこまで長い不作は始めてだったという。飢え死にする者も出始め、追い詰められた大人達は一つ山を越えたら温かい風が吹いているという話に希望を託し、必死に山を越えて隣国に移住したのだ。
そしてあたし達は土地を一から耕し、村を作った。当時この地域はあまり人がおらず土地は余っているくらいだった。
余所者には厳しい目が向けられたが、少ない備蓄で耐え、作物を取引し…領主にも願い出て認められ、村は成り立った。故郷の名前からデル村と名付けられた。
…もう30年近く経つがデル村の者が未だに余所者と煙たがられることは多い…――――――
あたしは女にしちゃ大柄で恰幅が良く、力仕事にも慣れているがクリードはあたしより背が高く腕も太い。暴力的なことに携わって生きてきた雰囲気があった。こちらも細腕ではないがそんな男に力では敵わない。押し負けて扉の外に転がった。
「ふるさとに居場所が無けりゃ町で娼婦にでもなりな。いや…お前じゃ無理か。何でクレメンはこんなデブでブスの余所者と結婚したんだかな、見た目が良けりゃ俺の嫁にしてやってもよかったのに」
「何を…!!」
扉を閉められたが力任せにドンドン叩いた。手を痛めても壊しても良いくらいの勢いで叩く。
「開けな!!こんな勝手がまかり通ると思うな!!」
「――そうだ―――んがなんで―――」
扉の向こうでレクスが抗議している。だがその声が急に途切れた。
「!?レクス…?」
扉がほんの少しだけ開けられた。床にレクスが転がっているのが見える。
「レクス!!」
「大人しく出てけばこれ以上レクスが痛い目見なくて済むぞ。俺だって貴重な働き手を怪我させたくねえんだ、効率が落ちるしな」
義母がレクスに大丈夫かと声をかけている。…義母も孫は可愛いはずだ、酷く虐げられはしないだろう。義兄も働き手を粗末に扱わない程度の分別はあるという。
それなら、あたしに出来ることは………
あたしは暗闇の中、使い古した服が詰められた荷物を持ってデル村へ歩き出した。
※※※
夫のクレメンは狩りに行って崖崩れに巻き込まれた。夫以外にも3人死んだ事故だ。
―――――出会いは24年前、隣村と合同で町に作物を売りに行く係で一緒になったことだ。
クレメンは顔はそんなに良くなかったが、快活でたくましかった。あたし達は幼馴染になった。
不思議だがデル村にはあまり食べなくても太る体質の人が多くいる。あたしも他の子と同じ量しか食べてないのに太くなって嫌だった。その代わり太くなる人は妙に体が丈夫だったのは良い事だったけれど。
あたしは太ってて顔も良くなかったのに、18の時に嫁に来てくれと言ってくれた。
「顔が良くないのはお互い様だろ。気が強くて頼りになるところと歌が上手いところが良い。丈夫で力があるし、農家の嫁にはうってつけだろ?」
そう言って笑ってくれた。
あたしはデル村を離れて、隣のルオ村に嫁ぐことを決心した。
「……あんた…なんであたしをおいてしんじゃったんだよぉ……」
とぼとぼ歩きながら泣いた。
葬儀に忙しくて、レクスに弱い所を見せたくなくて、あの人が死んでからろくに泣いていなかった。
あたしはなかなか子供が出来なくて、義母があたしを実家に帰すことを仄めかしたこともあった。でも夫はきっぱり反対してくれて、その後レクスが生まれた。
…レクスの為にも歩かなければ。力尽きたらクリードが喜ぶだけだ。
隣の村と言ってもそこまで近くない。月明りと記憶だけでは道を進むには難しく、途中の森でマントにくるまって少しだけ寝た。火を起こしたくとも火打石など持っていないし、獣に襲われやしないかと物音に怯えながらだったので涙は止まったがほとんど眠れなかった。気を失うように寝て、起きて、軋む体に鞭打って歩き、日が出るかどうかの時間にたどり着いた。
村の入り口に座り込んでいると畑を見に来た若い男があたしに気付く。
「誰だ?どうした?」
「あたしは…18年前に隣村に嫁いだスザンナ。二年前にも少し帰郷したよ。村長に会わせてくれ」
両親は既に故人だ。
村長はあたしを小さい頃から知っている爺さん。あたしの話を聞いて同情してくれた。
村長の家の一部屋にいていいから畑仕事を手伝ってくれと仕事をくれた。昔の友人達も励ましてくれて、またこの村で頑張ろうと思った。
しかし少し暮らすと、デル村の金回りがルオ村よりも悪いことに気付く。
「去年不作だったのかい?二年前はこんなに困ってなかったろう?」
そう聞くと、去年の嵐で果物が大分やられてしまい収入がかなり減ってしまっていたのだった。ルオ村よりも多く果物を育てているため痛手も大きかったのだ。一日の食事量を切り詰めていて、あたしは自分がいることで親切な村長家族の食事を減らしていることを気にせずにはいられなかった。
「え、町に出稼ぎに行ってる人もいるのかい?」
「ああ、ミリーの旦那は町に出て荷物運びの仕事をしてる。働き手がいなくなるのは困るけど、このままじゃ冬を越せるかわからないからね…時々食料を買い込んで帰ってくるよ」
そう聞いて、あたしはここで働くよりもそっちの方が役に立てるのではないかと考えた。
すぐに金になる仕事をして、冬には食料を買って戻ってくる。村長達の今の食料を削らせるよりも…そして自分で自由に出来る金があれば、レクスにも何かしてやれるかもしれない。
あたしは作物を出荷する馬車に頼み込んで乗せてもらい(荷が重くなると馬が疲れるので困るのだ)、町へ向かった。
※※※
結果的に、あたしは高級娼館の掃除婦に収まった。
デル村から出稼ぎに来た男を尋ねてその雇い主に職を求めたが、荷物運びの仕事に女は雇えないと言われてしまった。力には自信があったが、男しかいない職場に女がいると気を遣うんだ、と言われてしまうと食い下がれなかった。
その代わり人手が足りていないという娼館の掃除婦の職を紹介してもらった。
娼館の掃除は思ったより大変だ。
他人があんなことやこんなことをした後の掃除がこんなに面倒だったとは。なのに給料は高いとは言いづらいし、掃除婦のなり手が少ない訳だ。
だが住み込みで部屋は貸してもらえたし、慣れてくればまぁまぁやりがいのある仕事だった。
あたしは見た目が悪いから娼婦として働けとは言われないし、客があたしを見た後は娼婦がより綺麗に見えて良いと娼館の主人に評価された。
嬉しくないんだけども?!と思ったが雇い主だから愛想笑いしておいた。
あたしが体調を心配して世話してやるとあたしを慕ってくれる女もいたし、あたしを馬鹿にしたり不細工が表に出てくるなと罵倒してくる女もいる。娼館にいる女達は色々だ。
綺麗な女なら簡単に稼げる仕事だと勝手に思っていたのだが、そんなに楽な仕事ではなかったと知る。
※※※
~…♪…~
―――掃除しようと思った部屋から微かに歌が聞こえた。
あたしはふと、自分が歌を好きだったことを思い出した。この部屋にいた女は娼館で一番人気のある美人、マリアだったか。彼女は貴族もお忍びで通ってくるという稼ぎ頭だ。素っ気ないがあたしに嫌な態度は取らない。
そうだ、一緒に歌えないだろうか。気が晴れそうだ。
とりあえず掃除もしないといけないので、ノックをしたが返事は無い。客は帰ったはずだ、疲れて寝ているのかもしれないと思い扉を開けた。
「―――――入っていいかい?マリア……、っ?!」
そこには、首に絞められたような痛々しい痕を残してぐったりと裸で横たわったマリアがいた。




