夢のち現
【Side;セシル】
外から聞こえる民衆の歌をなんとはなしに聴いていた。
アマデウス様の誘拐が世間に広まった日から減り続け、コレリック家の使用人の数は半分程度にまでなった。上級使用人で残っていたのは主に大きな弱みを握られている者ばかり。その者らも流石にもう無理だと嘆いて次々逃げ出している。コレリック家の影もぐっと数が減った(ヴィペールとその部下が抜けた)ようなので逃げる隙が出来たのだ。
……この状況で出て行ったら普通に民衆に捕まると思うのだけれど。今にも暴徒が飛び込んできて殺されるのではないかという不安が上回ったのだろう。
「ルシエル様……この歌、なんなんですか? お屋敷の外にすっごく沢山の人がいる感じがしますけど……」
ココが小さな手でルシエルの袖を握って不安そうにしている。普段なら「大丈夫よ」と返しているであろう彼女も自信がなくそうは言えないようだった。
「何とも言えないわ。彼らがどう出るのか……」
「……わたし、この歌はちょっと好きになってきましたけど。らーらららーららららーらーらー……」
領主邸の一階にいる私達に歌詞はいまいち聞き取れないが、何度も繰り返されたので覚えられるくらいだった。少女が可愛らしい小さな声で口ずさみ、その場がほんの少し和む。
「……セシル、貴方は上級メイド服を脱いで下女の格好をしておいた方が良いかもしれない」
「え? 何故……」
「彼らがコレリック侯爵家への敵意で動いているのなら、上級使用人も攻撃対象に入るかもしれない。でも下男下女にまでは構わない可能性はあるから、念の為に。……あと、少しくらい食べてね、お願いだから」
私は力なく頷いて下女の一人に着替えを貸してもらう。
部屋に置いていたビスケットを少しだけ齧る。
シオンが出て行った時から惰性で生きている気がする。あの子が死んだかもしれないのに何故私は生きているのだろう、なんてたまに心底不思議に思う。
母親なのに、助けてもらうばかりで、結局あの子に何もしてあげられなかった、そんな思いがずっと胸に渦巻きながら詰まっている。
食欲がないというかもう嚥下するのが億劫なのだが、ルシエルが心配そうに何度も食べろと促すので無下にも出来ず、無理矢理飲み込んでいる。
ぼんやりと歩く私の横を、喚いているメオリーネお嬢様を小脇に抱えたヴィペールが風のような速さで通って行った。
……アマデウス様を誘拐したヴィペールのことをコレリック家は関係ないと切り捨てた……と聞いたが、戻ってきたのか。
あの男がいるならますますこの邸から脱出など出来ないなぁ、と他人事のように思いながらココ達の所へ戻った。
いつもの仕事を終えた後は下男下女達といることにして、地下室へ潜るともう歌は聞こえない。
聞こえない筈なのに、耳にはずっと残っていて煩いくらいだった。
※※※
「――――――セシル!!」
「……ノトス……?」
仕事に起き出す早朝、急に地下室の扉の向こうが騒がしくなり鍵を壊したような音がした。
皆が怯えていると、先頭に立っていたのは……何故か上半身裸のノトス。
私まだ眠っているのかも……とぼんやりしていたら彼が駆け寄って来て私の手を取る。
「セシル、迎えに来るのが遅くなって悪かった……痩せたな、怪我をしてないか?」
「……なんで裸なの? 貴方こそ大丈夫……?」
他の人達は普通の町人に見えるのに、裸なのは彼だけだ。わからないことだらけだが思わず目の前の不思議が口について出た。困ったように目を泳がせつつノトスは笑う。
「ああ、えっと……これは大丈夫だ、うん。後で説明する。ひとまずここを出よう、皆で」
何故かそれぞれ一輪の花を持った人々は「もう大丈夫だぞ」「さあ上へ!」「助けに来たんだ」と明るい顔で戸惑う私達を連れ出す。
まだ少し暗くて冷える朝の空気の中、裏口から外に出て庭園へ。
逃亡しようとした上級使用人は要人の変装の可能性なども考えて皆捕まって一旦牢に入れられているそうだ。ルシエルは一度そちらに連れて行かれそうになったが、ココが「ルシエル様は治癒師様です!! わたしすぐ具合悪くなるから離れたくないです!!」と彼女の手を離さず駄々をこねたので、一緒に表に出ることが出来た。
正面の門の内側、修道士と男衆がトンカントンカン何か組み立てている。周囲に指示を出しているように見える、全体的に白っぽく格の高そうな美しい司祭様。
―――――――――随分と都合の良いというか、奇妙な夢。
「……置いて行かれたと思ってた……」
「……えっ?! あ、いや違う、俺がここから消えたのは、何て言うか……知らんうちに誘拐されて……」
「そうよね、そうだった……ねえ、ノトス、シオンを知らない? あの子が今何処にいるか知らない? 知ってるんでしょ?」
これが都合の良い夢ならば、きっと私の望む答えをくれるはず。一時の気休めでもいい。この狂おしい悲しみが緩和されるんなら。
彼女は無事だよ、逃げ出して保護されてるんだ……そんな返事がくると期待して見つめた顔は困惑に変わる。
「……シルシオン様の居場所? すまない、それはわからない……あ、アマデウス様ならもしかしたらご存知かもしれないけど……」
期待外れの返事、どこまでも生々しい感覚。今が現実だと思い知らされる。
けれど俄かには信じがたい、夢の中のような現実は続く。
『♪ 救えない強欲に
飽きぬ悪食に
果てない色欲に
惨めな傲慢に
呆れた怠惰に
日の目を見ない憤りに
終止符を! そして殺人鬼に 神の鉄槌を!!
『♪ ……悪は気付かないうちに身近に潜み蝕んでいる
悪は排除せねばならぬ!
嘘を吐く者はこまめに、地道に、吾輩がこの世から排除していかねばならぬ!
神よ、この剣は貴方の腕、この血は貴方の涙、この涙は ―――― 貴方の慈雨!
さぁゆこう! 邪悪な魔女に鉄槌を!!』
民衆が昨日とは違う曲を歌い出した。勇ましく、気分を高揚させるような歌。
よく見るとところどころで修道士が円盤再生機らしき物を鳴らしている。
――――メオリーネお嬢様、生首になった方が表情から性悪さが抜けて美人ですね。
お嬢様の首を掲げる司祭の、純白の衣装に散る真っ赤な血は花と花弁みたいで綺麗だった。
民衆が振り上げる花が、風に舞う花弁がどこか幻想的にぼやけて揺れる。
ココがお嬢様の生首を見つめてぽかんとしているのが横目に映った。
ハッと放心から戻った様子のルシエルが慌ててココの目を塞ぐ。私達も動揺しっぱなしだったので一足遅くなってしまったのは無理もないことだろう。この場にいるのは夜を徹して邸の周囲にいることを選んだ民らしいので幼子は帰らせたのだろう、他には見当たらない。
民衆は「鞭の魔女が死んだ!!」「聖女様、大司祭様万歳!!」と歓喜の声を上げている。
「やったよ、ついに母さんはやったよ……! この怒りが届いたよ!!」「姉さん、どうか天国で俺を褒めてくれよ!!」と家族の名を呼びながら咽び泣いている者達もいる。
私達は解放された。嬉しくないと言えば噓になる。
でも、どうしてあと少し早く、シオンが死地に向かう前に助けに来てくれなかったのかと悔し涙を流すのも、無理はないと許してほしい。
身勝手な想いだとわかっているけれど、今だけは。
「……セシル、大丈夫か? お嬢様が可哀想になったか? 何処か休める所へ行こうか、コレリック邸でもいいし外でもいい」
「…………そうだ、もうさがしにいってもいいんだ……捜しに行かなきゃ。あの子を……ああ、ノトス、アマデウス様にお尋ねしに行ってもいいかしら? あの子の居場所を……!」
「あ、ああ。知っていれば教えてくださると思うけど……シルシオン様に何かあったのか?」
「……ずっと言えなかったけど……あの子は私の娘なの、私が、生んだ子なの……!」
「…………えっ?!?!」
無事でも無事でなくてもあの子を抱き締めて謝りたいの。
それが出来なければ、きっと私はこの現という名の悪夢から永遠に覚めない。
※※※
「っあ~~~~~~~~~~~~~、痛ぁ……」
捕まったコレリック侯を素早く見捨て、王家の影を何とか撒いたヴィペールと仲間達だったが、メテオリートを守りながらシレンツィオ家の影と戦闘する羽目になった。
紫髪の年若い影は優秀だったが、体術ではヴィペールが上を行き逃げ勝ちした。しかし片目と片足を傷付けられる深手を負っている。
同年代だったら負けてたかもな、とヴィペールは彼を高く評価した。
「おい、食事はまだか?」
「……さっき食べたでしょ坊ちゃん」
「あんなネズミの餌程度で足りるわけがないだろうが」
そこまで新しくない使用人の私服を着用し、逃亡中に薄汚れてその辺にいる青年にも見えるようになったのにどこまでも偉そうなメテオリート……を軽く睨んで、ヴィペールはハァ、と短く溜息を吐き隠れ家の箱に腰を下ろした。
「治癒魔法を寝込まない程度に留めて耐えてんですから少しは気を遣ってくださいよ。まあ予想はしてましたけど。……今思えばアマデウス様は、殊勝に文句も我儘も言わず私にすら愛想がよくて、稀にみる出来た御方だった……尻軽だったけど……やっぱりヤッておけばよかったな……」
「出来た御方だ? ハッ……社交界で一番狂った男だろ、あんなのは」
「へぇ? どうしてです?」
「あんな化物を嫁に貰おうと思える男がまともなわけがない」
「ああ、ジュリエッタ嬢ですか? そういえば坊ちゃんは昔彼女の素顔を見たことがおありでしたねぇ。憶えてますよ、確か真っ青になって帰って来て寝込んで……一度見てみたかったかも、坊ちゃんが怯えるほどのご尊顔」
「あのな……僕がただの不細工に怯えるわけがないだろうが」
「……確かに、坊ちゃん五歳の頃には死体を見ても動じませんでしたしそんなタマじゃないですよね」
「婿入りすれば公爵家なのだから、我慢できるものならしたさ。あの顔の痣……本能が拒否するほどの悍ましさを感じた。最早あれは呪いか何かだ」
思い出すだけで怖気が走る、と二の腕を摩る青年を見ながら男は首を傾げて呟く。
「ふうむ……しかし……坊ちゃんの中身ってなかなか邪悪ですし……その痣のおかげで坊ちゃんが婿入りしなかったんなら、彼女にとってはむしろ神のご加護なのでは……?」
「うん? 何か言ったか」
「いえ、何でも。……お、来たかな」
隠れ家に誰か入ってきた音がして、ヴィペールが立ち上がって部屋の扉を開けた。
「フー、こっちこっち~~」
「あらっ! 怪我してるじゃなぁい! 大丈夫ぅ?」
「何とかねー。お、どうもどうも、ご足労いただきまして……」
「ドモドモ。大変だたネ~~! お疲れ様だヨ。お久しぶりネー」
アマデウスを湖に捨ててヴィペール一行が国境を越えようとした時アフアは泥酔していたため、ジャルージ領の宿に置いていき後日合流することにしたのだが、そのおかげで王家の影に捕まらなかった。
カツラを被ったアフアが連れてきたのは、商人然とした片言の青年とその下働きといった風体の男達だった。
「……こいつらは協力者か?」
「それもありますが、坊ちゃんを売る相手です」
「…………は?」
「メテオ坊ちゃんを買ってくれる帝国の奴隷商です!」
ヴィペールは顔に染み付いた笑顔を浮かべる。
それは彼を拾った奴隷商人の親方が最初に教え込んだ、商売人としての笑顔だった。




