希望の朝、絶望の朝
「……ッッンぎゃぁぁあああああああ!!!」
叫ぶと同時に手をバッと水面から出す。
慌てて手を見たが、暗くてよく見えない。じっと目を凝らしてさすってみたが特に異常はないようだ。
先ほどバチバチッと謎の衝撃に手が包まれ―――――――感電したかと思った。まだビリビリとした痺れが残っている。何かが起こったはずだが何が起こったかわからない。
……???
疑問符を浮かべて暫し手を見ていると、目の前に魚が一匹浮かんできた。
「ん? ……えっ? ええええ?!」
一匹と思ったら、二匹。三匹。その隣にまた何匹も次々と浮かび上がってきた。一種類ではなく色々な魚がいる。少しだけ手を光らせて周囲を照らしてみた。
すると………数えきれないくらいの魚が浮かんでいた。
そういえば、魔力を吸い込んだ時って静電気みたいな刺激があるんだった。さっきの、それか? 静電気ってレベルじゃなかったが……。
魔力が充分かどうかというのは、体力がどれくらい残っているかというのと同じくらい感覚的で曖昧なものなのだが、黒い箱封印の時に枯渇からの満タン状態を経験したのでなんとなくわかる。
今、満タンになってる。
つまり―――――――成功したのだ、"エナジードレイン"が!!
もしかして殺しちゃった……? と魚を恐々一匹持ち上げてみたら弱々しくだが鰭が動いた。周囲の魚も微かにうご……うご……と藻掻いているのが見えた。良かった、死んではいないようだ。瀕死かもしれんが。
お魚達には申し訳ないけど、助かった…………!!
強張っていた体から力を抜いて、毛布にくるまったままエアマットに寝転がった。何度か深呼吸してようやく楽観的な気分が戻ってきた。
希望の光が見えた。煌々と。これはもう生きて帰れる気しかしないぜ。
衝撃の大きさからいってむしろ集め過ぎてしまった感じがする。想定よりも広い範囲にエナジードレインが及んだのだろう。俺の器より大きな魔力は次第に空気に霧散してしまうことは実験でわかっているから、勿体ないことをしてしまった。
雲の隙間から見える星が綺麗だ、成人してもう少し行動範囲に自由が出来たらこういう湖の避暑地とかで船に乗ってご飯食べたり、ゆっくり星を眺めるのもいいよね……なんて考える余裕も出てきた。
――――――――――いかんいかん。死ぬぞ俺、寝るな。
寝たら死ぬぞ!!!!!
次の課題は、眠気だった。
基本的に具現化魔法は本人が寝たら解ける。この状況、一睡でもしたらドボンである。それで目は覚めるだろうがまた体の拭き直しだ、どちゃくそ寒いしそれは避けたい。
しかし移動続きでろくに寝られてなかったツケが結構きている。またちょっとどこかブスッとやって痛みで覚醒するか……? いや、このクソ寒い状態で血を流すのは悪手だよな……。強く抓るくらいで耐えられればいいんだが。
脳内BGM、歌劇トゥーランドットより『誰も寝てはならぬ』。
いつの時代かの北京、世にも美しいトゥーランドット姫と求婚者カラフ王子。
姫と結婚する条件は謎かけを三つ解くこと。謎解きに失敗した求婚者はなんと斬首。
カラフ王子は謎かけをクリア。しかし姫は結婚を嫌がる。理不尽。
王子は「夜明けまでに自分の名前を当てることが出来たら俺死ぬよ」と逆に賭けを持ちかける。
姫は北京の住民に「こいつの名前を調べろ、わかるまで誰も寝ては駄目、名前がわからなかったら皆殺す」と命令する。
街中の人間に自分の名前を探られ、名前を知られたら殺されるにも関わらず、自分の勝利を確信して夜明けを待つカラフ王子の歌がアリア『誰も寝てはならぬ』。メンタル強すぎ。
姫の性格最悪すぎる、とか王子を守るために自害する女奴隷が可哀想すぎる、とか色々思ってしまう物語だがアリアは名曲である。
今は王子のメンタルを見習いたい。(眠気に)勝つぞ俺は。
勝って帰る。ジュリ様と結婚するまで死ぬもんか。
絶対に寝てはいけない夜がゆっくりと過ぎた。
※※※
「参ったな……また税金の納付拒否の声明だ」
「ペティロ大司祭から『民の味方をするように』と各地の司祭に通達が来ているらしいの。取り立てようにも修道士が守っていると手が出せないと……聖女様の敵だなんて、我が家はそんな大それたこと考えたこともないというのに……! あのチラシのせいで……!!」
祝賀パレードから六日目の朝、シプレス子爵夫妻は町から上がってくる報告に目を通しては頭を抱えていた。
"美貌の嫡男が正妻の座を餌に令嬢達を唆し、アマデウスの悪評を流すよう仕向けた。また、ヴィーゾ侯爵令嬢に求婚を断られた理由に派閥の妨害があったとしてシレンツィオ派に悪感情有。ベイヤート伯爵家と結託していた疑い"と新聞に書かれた影響を受け、四日目以降噂を耳にした民がアマデウスを捜し回り、領主邸前に通りかかると「悔い改めろ」「魔の手先め、神の罰を受けろ」と罵っていく。
下級使用人は次々退職願を出して出奔し、上級使用人が本来の業務以外の仕事に追われている。
「父上、母上……申し訳ありません。私のせいで……」
「スチュアート、貴方はアマデウス様の普段の行いを改めてほしかっただけなのでしょう? 彼がヴィーゾ侯爵令嬢と恋仲だとか、そういう出鱈目を流したのはべイヤート家のご令嬢だそうじゃないの」
「侯爵家との縁組を妨害されたのだから我々にだって反抗する理はあるさ」
父母は可愛い息子を責めなかったが、周囲はそうはいかなかった。
「あらお兄様、なんだかとんちんかんな台詞が聞こえましたけれど……ご機嫌いかが?」
使用人の先触れなどもなく部屋に入ってきたのは子爵の妹、スチュアートの叔母、エフスラだった。後ろにはその夫と二十歳になる息子もいた。
「エフスラ、何を急に……何の用だ」
「お義姉様、スチュアートもご機嫌よう。わたくしの夫の商会にも大いに影響が出ています。この状態を何とかせねばと元凶の所へ馳せ参じるのがそんなに不思議かしら?」
「いや……済まない、それに関しては責任を感じている」
エフスラは、ふ――――――――……とこれ見よがしに長い溜息を吐いた。
「で、先ほどの発言ですけれど。侯爵家との縁組を妨害された? アマデウス様にですか?」
「ああ、スチュアートがヴィーゾ侯爵家のフォルトナ嬢に求婚したのだが、断られる理由がないのに断られ……」
「存じております。……本気で言っておりますの? 呆れた……」
「なんだと?」
息を吐いて下ろした瞼をカッと開け、エフスラは怒鳴った。
「――――お兄様もお義姉様も息子可愛さに馬鹿になりましたの?! そもそも断られて当然の話よ!! 比較的歴史の浅い侯爵家といえど優秀な研究者や文官を輩出してきたヴィーゾ侯爵家の、研究好きな引き籠り気質でなければ王太子妃にもなれたであろう美貌の才女よ!? その辺の子爵家が嫁に欲しいなどと鼻で笑われてもおかしくないっていうのに何を被害者顔してるんです!?」
「なっ……お前も、婚約の打診を出す話をした時反対しなかったではないか!」
「スチュアートは見目は頗る良いのだからフォルトナ嬢のお気に召せば可能性はあると思ったわよ! 難しいだろうとは思いましたけれどね。美男に少しでも興味があるのならとっくに歳の近い見目の良い令息と婚約していたでしょうよ。断られても当たり前なのに派閥の妨害があったと本気で思っていたなんて、なんッて浅はかな……! この噂を聞いた時恥ずかしくて顔から火が出るかと思ったわ!!」
その内容にも驚いたが、いつも優しい態度だった叔母に罵られたことに驚きスチュアートは固まった。
「……ハァ……それで、アマデウス様を逆恨みして、どこそこの令嬢を誑かしては次期公爵夫の悪い噂を流して、この結果というわけ」
「誑かしてなど……! アマデウス様の素行に問題があることを、友人達の力を借りて……」
エフスラの嫡男・エフォルトが憐れむような目でスチュアートを見ながら口を開いた。
「あの方の素行の問題など、文句をつける部分がそれしかないからパシエンテ派が大袈裟に言い立てているだけのものではないか。……そうか、そんなことにも気付いてなかったのか。被害を訴えている女がいるとも聞かないし、婚約者も問題にしていないのだからそもそも瑕疵になるほどのものではない。社交界には異性関係が派手な者などそう珍しくもないしな。要は遊び方の問題だ、君の兄はそれが下手だったから残念なことになったんだ……」
数秒何も言えなかったスチュアートはハッと息を吸って反論した。
「で、でも! 彼はルドヴィカ姉様を裏切った人で……きっと声を上げたくても上げられない被害者が、」
「ルドヴィカ・カーリカ嬢との話なら、彼女の同級生に少し聞いたことがあるが……実際は異なると聞いたぞ。直接事の流れを見ていた者からしてみれば、ルドヴィカ嬢はアマデウス様に全く相手にされていなかったと。彼の主催した学内のお茶会にも誘われていなかったし、『誤解を招く発言はやめてほしい』としばしば彼から苦言を呈されていたそうだ。……実際彼女、すごい美人ではあるけどいまいち話が噛み合わないから、普通にフラれたと聞いても私はさほど不思議には思わないが。アマデウス様は神童と呼ばれるほどの才人なのだから、伴侶にも聡明さを求めたのだろう」
「は……!? そ、そんなこと……ルドヴィカ姉様がフラれるなんて……シレンツィオ派の生徒だから彼を庇っているだけでしょう?!」
「信じられないか? かのヴィーゾ侯爵令嬢より成績が上で、騎士としても優れた技量を持ち、性格も謙虚で理性的であるという淑女よりも、ルドヴィカ嬢を選んで当然と考えるか。……そんなことだから君はヴィーゾ侯爵令嬢にフラれたんではないのか」
女性の外見しか見ていない、と揶揄されスチュアートはカッと赤くなった。口を開けたが反論は言葉にならず出てこない。
「まあ、その生徒の話が真実かどうかはこの際どちらでもいい。現在、国中のほとんどが彼の味方であるということが我が家を苦境に立たせている」
「そう。兄に続いて弟まで、シプレス家の名をひどく貶めたということはおわかりね? ……ああ、来なさったわ」
「誰が――――父上!?」
妹家族の後ろの扉から次に入ってきたのは侍従に支えられた老人。それは少し離れた地に隠居していた前シプレス子爵。
老人は微かに悲しげな、厳しい面持ちで息子を見つめた。彼にとって息子、そして可愛がってきた孫に引導を渡すのは心苦しいことだが、致し方ないと目を伏せる。
「……お前達夫婦には、跡継ぎを育てる力がないと判断した。次の爵位はエフスラの嫡男に譲りなさい」
「!? そ、そんな……!! ぉ、お義父様、確かに浅はかなことをしたとは思いますが、スチュアートはまだ十三で……」
「そうです父上、どうか汚名返上の機会を」
「飽くまでもスチュアートを後継者に指名するか? ここまで悪評が広まった者を当主にしたとしても……親戚一同、誰も付き従わんぞ」
エフォルトが溜息を吐きながら引き継ぐ。
「アマデウス様がコレリック家相手に喧嘩を売ったことも、下男の虐待があったと知られた今では皆掌を返して彼を賛辞し、彼と聖女様の敵とされた貴族は下男下女の扱いがひどいに違いないなんて決めつける者も出てくる始末だ。……この家の下男下女が逃げたのも大半は彼らの家族が心配して呼び戻したからだよ」
その言葉は、何か手を打たないとこの家は使用人をまともに揃えられないということを意味していた。
そしてこれは親戚の総意である、と突き付けられれば子爵も否やとは言えない。
上級使用人達が主に断りも入れずにエフスラ達を通したのも主一家に対する不支持を表明していた。
「私達は使用人を虐げたりはしていません! そんなのは無責任な決めつけだと、きちんと説明すれば……」
「……信じられないと返されるだけだろう。先ほどの君のような態度でな。アマデウス様が縁談を妨害していたと決めつけ、貶める噂を流した君がそんなことを言ってもな……」
決めつけていた側から決めつけられる側になったのだと思い知り、子爵達は愕然とした。
客が全員部屋を出ると、子爵は頭を抱えて黙り込み、子爵夫人は膝から崩れ落ちて泣き出した。
スチュアートは母親が泣き疲れるまで失意のままに床を見つめていた。




