後の新聞王
「デミオ、グスタフという男が門扉に来てる。お前と話がしたいと……」
「え……?」
祝賀パレードから五日目の朝。
スカルラット伯爵邸にて、普段アマデウスの世話をしている使用人達は気がそぞろになっていても周囲に許されていた。捜索の詳しいことなどは知らされていなかったが、そろそろ見つからないと厳しいという空気は感じ取っている。領を離れ捜索に行っている騎士団からの朗報をひたすら待っていた。
ベルとアンヘンは交代で休憩時間を貰い何度も教会に足を運び、アマデウスの無事を祈っていた。
ポーターは普段通りにも見えたが、磨く必要のない物を磨き、もう掃除する必要のない場所を掃除したりしていた。
デミオは通常の業務を片付けた後、読む主は今いないけれど帰ってきたら読みたがるかもしれないから……と考え、いつも通りチラシ――――アマデウス曰く『新聞』を集めに出かけようとしていた。
王都では既にコレリック家とジャルージ家の娘を"サンドリヨンの義姉"と呼んで罵る風潮が生まれている。
べイヤート家とシプレス家はお抱えの商会が取引を拒否されたり、退職希望者が続出したり、領民が教会を盾にして納税を拒否したりと問題が起こっている。
話題に置いて行かれまいと印刷工房は競うようにフェデレイ新誌の後追い記事を量産し、驚くほどの早さで四つの家の悪評が国中に広まり続けていた。
グスタフとは『フェデレイ新誌』を出している印刷工房に勤めている男でデミオの友人だった。
合流するとひとまず座れる所へと近所の営業が始まっていない飲み屋へ導かれる。裏口から入ると店の主人がカウンターの内側に立ち、見覚えのない男女五、六人が奥の席に座っていた。
「急にすまない、デミオ。上司が繋げてくれってしつこくて……」
「初めまして、上司のルーヒルだ」
立ち上がった少し小汚い男、ルーヒルが友好的に笑って手を差しだし、戸惑いつつデミオも握手に応じる。
「ルーヒルというと……"聖女様の敵対貴族"記事を書いた人か?」
「スカルラット家の使用人だものな、流石にご存知か」
「ああ、読んだよ……あの記事のおかげでアマデウス様の変な噂を流していた連中の評判は地に堕ちた、これから結構苦労するだろうな。正直小気味よかった。……でもあんなもん書いて大丈夫だったのか?」
飲みかけの杯で口を湿らせ、ルーヒルは流れるように話し出した。
「勿論対策はしたさ。俺だけでなく工房全員の命が狙われる危険があることはわかってたよ。だから、刷った記事を持って真っ先にマーキオ子爵とムツアン子爵に保護を求めた。この二つの子爵家は記事に広告を載せるという打診を王都の印刷工房いくつかに出していたことがあって連絡が取りやすかった。それに嫡男と娘がアマデウス、……様、を信奉する会のまとめ役だから、守ってくれることを期待してな。幸い両家とも快く護衛に騎士を貸してくれた。しかし下位貴族の護衛では高位貴族の隠密に出し抜かれるかもしれないからと、ムツアン子爵が大司祭に保護を依頼してくださったんだ。だから今俺達は中央神殿に匿ってもらってる。親切に扱ってもらってるぜ、食事は肉が無くてちと質素だが……」
「神殿に!? ……ああ、聖女様の御為にもそうなさるか……」
「"パレード通り魔事件"で修道女が狙われたことからも、通り魔事件の黒幕とアマデウス誘拐犯は教会の敵、聖女の敵と見做されたからな。大司祭様周りもシレンツィオ派以外の貴族を警戒している節がある。情報が欲しいというのもあるだろうな」
通り魔が修道女を狙ったわけではなくソフィアが子供を庇っただけだったが、世間は『修道女が攻撃された』と認識し、通り魔もアマデウスの誘拐も聖女の敵の悪者が企んだと結論付けている。それは雑な同一視だったがほぼ当たっていた。
特に注文はしていないが、飲み屋の主人がデミオの前に杯を置いた。また職場に戻るから酒は飲めないな、と思ったが匂い的に果実水だったので口をつける。
「この店は時々集会に使わせてもらってるんだ」
「集会?」
「情報交換さ。貴族の家の使用人や貴族と取引のある商家の奴らを時折招いて奢って情報を貰ってる。そのせいで俺は万年金欠だ、記事のネタが尽きないのはいいが……そうだ、後ろの仲間から少し前、あんたの主人にも関係のある話を聞いたぜ。カーリカ侯爵家分家のまあまあ見目の良い次男が、次期シレンツィオ公の第二夫の座を狙って『箱入り不細工娘をその気にさせるくらい簡単だから任せておけ』と自信満々に公女に会いに行ったのに、公女の顔を一目見て敢え無く気絶して帰ってきたんだってよ。分家の間じゃ既に鉄板の笑い話になってるとさ」
「あー……はは……」
ルーヒルや他の者にとっては性格の悪いボンボンに罰が当たって情けなくて痛快、というようなニュアンスだったが、シレンツィオ公女ことジュリエッタの顔がそれだけ恐ろしかったという話なので、デミオにとっては主の婚約者の悪口と紙一重である。曖昧に笑って流した。
「それで……俺を呼んだのは?」
「ああ、本題だが。頼みがあるんだ。楽師ノトスに会わせてもらえないか?」
「ノトスに……何を聞こうってんだ?」
「わかるだろ、コレリック侯爵家の……虐待について詳しく聞きてえんだよ」
「……それを記事に? 標的が散らばってる今でも危ないのに、コレリック家を完全に敵に回すことになる。神殿だっていつまでも匿いは出来ないだろ。流石に……無事では済まないぞ」
「心配してくれんのかい、ありがてえこった。……やるんだよ。命を懸けて」
人の好い笑みを浮かべながらもルーヒルの目だけが笑っていないことにデミオは気付いた。
「……スカルラット家は領主の評判も良いし、良い職場みてえだな。でもそんな貴族ばかりじゃねえことくらい知ってるだろ。召使にも下男下女にも平民にも孤児にも、痛みや気持ちがあるってことを知らねえ奴らがわんさかいるんだ。……背後にいる仲間たちは、全員身内を貴族に殺されたことがある奴らだよ」
少し離れた所に座っている人々の眼光がこちらに向けられ、デミオは鳥肌が立った。ごく普通の町人に見えるその人々の目付きが普通ではなかったことに今更気付いた。
「好機なんだよ。国中が憤っている今が。――――皆で、青髭に今にも殺されそうな七人目の妻を助けに行くんだ。俺達は、見守るしか出来ない無力な亡霊になるか、戦って救い出す騎士になるかを、今まさに神に問われてるんだ」
コレリック家を青髭領主、七人目の妻を虐げられている下男下女、騎士を大衆に見立てた物語。
民を煽り立て、一つの貴族家を潰しに行く。
今までぞんざいに扱われてきた命が注目されるようになる。
わかりやすい"敵"を前に団結し、奪われた側は何も許していないということを世に示す。
ルーヒルの目論見を察してデミオは考える。
恐ろしいことに巻き込まれている気分になるがそれは一旦置いておいて、問題はそれがアマデウスを救う道に繋がるのかということである。
明らかにコレリック家は怪しいとシレンツィオ派とスカルラット家は考えている。
世間の目がコレリック家に向いていれば多少は動きを抑えられるのではないか。何か悪事の証拠が見つかるのではないか。平民といえど大勢で声を上げれば、そしてそれが聖女の敵ともなれば王家も無視できまい。
そうなれば結果的にスカルラット家とアマデウスを助けることに繋がるかもしれない。
そう考えたデミオは頷いてみせて、ルーヒルと護衛を連れてシャムス邸へ向かった。
デミオからロージーに話を通し、ノトスに意思確認をして、応接室にてルーヒルとの面会があっけなく実現する。
アマデウスの行方不明の後体調を崩しがちになっていたノトスに「俺が代わりに話してもいいが」とロージーは気を遣ったが、ノトスは自分で話すと決めてルーヒルの前に座る。
証言を書状にまとめたものを確認したりして内容が整理できていたため、ノトスは初めて打ち明けた時よりも思いの外落ち着いて話すことができた。
コレリック家下男下女達の酷い扱いに加え、奴隷売買と人攫いの話まで出てきてルーヒルはしばしば頭を抱える。驚愕に困惑もあったが、どのように整理して記事にするかを考えながら質問を重ねた。
「……傷を見せてもらうことは出来るか?」
「え? ええ、構いませんが……」
特に躊躇いもなく服を脱いだ元下男の体を、記者は黙って食い入るように見つめる。傷跡を見せることにそこまで抵抗のないノトスもその視線には若干引いた。
暫しの沈黙の後、記者は一片の曇りもない真剣な目で口を開いた。
「…………なあ、楽師ノトス。全ての平民のために、裸で王都を歩く覚悟はあるか?」
「……へ…………?」
(こいつトチ狂ったのか???)という顔をしているロージーには目もくれず、記者はノトスの背中側に回り傷跡をスケッチし始めた。




