追駆
【Side:ジュリエッタ】
ハッと目を開けると青い椅子と壁紙が目に入った。この内装は"紺碧の兎亭"だ。
私はクラウスに横抱きにされて移動していた。前に早足で歩くセレナが見える。
「っ、……私どれくらい気絶していたの?」
「! お気付きに……」
「数分ですお嬢様、たった今紺碧の兎亭に戻ったところです!」
煙幕を吸い込んでしまい咳き込んだ後、私は気を失っていたらしい。一足先に戻った影の一人が状況を伝えていて、大体のことはお父様に伝わっているそうだ。影の三人のうち二人はデウス様とヴィペール達を追っていった。シルシオン嬢はロレッタの護衛にここの一室に運ばれた。
セレナに少し魔力を注いでくれるように頼んで枯渇は免れたが、他人の魔力のせいで眩暈は強くなってしまう。降ろしてもらったけれどまともに立っていられず、結局クラウスにお父様の所まで運んでもらった。部屋の前では降りてセレナに支えてもらう。
「お父様……!」
「ジュリエッタ、体は」
「一時魔力が枯渇に近くなりましたがセレナに少し貰ったので、大丈夫です。眩暈はしますが……」
「休んでいろ。アマデウスの捜索は私が指揮を執る」
お父様の口調はいつもと変わらず冷静だが、微かに焦っているようにも見えた。直後、逃げ込むようにロレッタとモルガン様達も部屋に入ってきた。
「一体何がどうなってますの? 王都の民も何だか異様に騒いでいるし……」
ロレッタが震え声で呟いた。
異様……無差別殺傷が多発し、やはり怪我人は出たのかもしれない。今はまさに渦中でもう少ししないと正確な情報は得られなさそうだ。
「ロレッタ、あれをアマデウスに付けたのだな?」
お父様にそう言われてロレッタは体をビクッと跳ねさせた。
「は……はい! クラウス、付けたわよね!?」
「あ、はっはい、ご命令で、靴の、えーと、靴紐の穴の革の裏に、忍ばせました……!」
ロレッタとクラウスは私にチラチラと目をやりながらしどろもどろにそう言った。
「お父様、『あれ』とは……?」
「アマデウスには追跡の魔道具、通称"追尾"が付いている。ロレッタに頼まれて私が与えた、最新の隠密道具だ」
「……えっ?! ど、どうして?!」
「今日、お前達の尾行が簡単に出来るような道具が欲しいとロレッタに頼まれたからだ。それに加えて何やら独自に動こうとしているお前達の居場所がわかるようにしておくのは悪くないと思ってな。ジュリエッタは勘が鋭くなったから仕込むのは難しかろうとアマデウスに付けることにしたが、結果的に正解だった。ロレッタ、地図を」
「あ、こ、ここに……!」
魔力攻撃の流れを読む訓練を積んでいるので、魔道具が服や靴などの肌に近い場所に仕込まれていたら確かに気付いたかもしれない。
暫し唖然としているとロレッタは護衛から地図(魔道具の片割れだろう)を受け取ってお父様に差し出す。そして私の視線に気付いて慌てたように手をばたばたさせながら言う。
「ち……、違うのよお姉様!! 別に悪意とかがあった訳ではなくて……ただ、お姉様とアマデウス様がどういう風に逢引しているのか観察したかっただけで……! お姉様程度の人が殿方を夢中にさせられるんだったら、きっと振る舞いのコツさえ掴めばわたくしにだって出来ると思って……!!」
ロレッタはそこまで言ってハッとして、呆気に取られている様子のモルガン様を見て茹蛸のように赤くなって俯いた。今までロレッタが彼をどう思っているかはよくわからなかったが、私が想像していたよりも彼に好意を寄せていたらしい。
――――物言いに引っかかるところはあるが今は流しておこう。結果的に、そう、大いに正解というか、非常に助かる。
「デウス様の場所が出ているのですか!?」
その地図を広げると、"尾"という赤い字がゆっくりと動いていた。
「……あった。――――直ちにここに騎士団を」
「ハッ!」
騎士が走って行き、私は少しだけ息が楽になった。
「"追尾"の魔力はどれほど持つ?」
お父様の侍従が答える。
「丸三日は持つはずですが、万が一国外に出てしまったとしたら追えなくなります」
国外に出る前、そして"追尾"が敵に見つかる前に捕まえねばならないということ。気付かれたら靴だけ何処かに捨てられてこちらが騙される可能性もある。
兎亭に残っていたシャムスが駆け付けてくれて、その後ろに青褪めるノトスとその背中を摩るバドル翁、今にも倒れそうな顔色のラナド楽師を支える夫人が見えた。
そしてスカルラット伯に事を報告しに行くお父様を見送る。
私も走って捜しに行きたいのに、今は体が言うことを聞かなくて口惜しい。
休める気分ではないが体調のために今は安静にすることにした。
きっとお助けしますから、急いで追いかけますから、それまでどうかご無事で、と祈りながら。
※※※
パレードを一度見送った後、間もなく紺碧の兎亭から出たのはロージー、マリア、ソフィア、スザンナだった。
ロージーは土産に町中の屋台でいくつか食べ物を買い求め、その後は真っ直ぐ家に戻った。
普段着で町人に扮した護衛を三人付けた三人の歌姫は王都を散策することにした。
「二人の方がよかったんじゃないかい?」
「たまにはいいじゃない」
「ええ、スザンナさんとも一緒に周れたらいいなと思ってたんです」
「そうかい? まあ、どっちみち護衛は一緒だし一人くらい増えても変わらないかね。息子は息子で友達と遊んでるし、あたしもそうするか!」
スザンナにとって紺碧の兎亭でくつろぐのも大変楽しかったが、外を眺めているとこの記念すべき日に王都を歩かないのは損なような気がしてきた。
護衛は一緒に来てくれるとはいえ単独で町を見て周るのも少し寂しいなと内心思っていたスザンナは友人の誘いに喜んだ。
マリアは自前のカツラとスカートで女装(※普段が男装)し周囲に気付かれていなかったが、スザンナはふくよかな体型、ソフィアは服装が修道女と特徴的だったため、三人でいたら気付きが緩やかな波のように広がっていく。
「見て、あれ歌姫達だ!」
「本当だ……! マリア様女装でも素敵~!」
「なあ! 歌ってくれよ!」
三人はどうしたものか少し迷ったが笑顔の民衆に囲まれて囃し立てられ、めでたい日だから少しだけなら……と頷き合ってどの曲を歌うか話し合った。
しかしその通りにもうすぐ再びパレードが通ると先触れが来て、人々が通りを開けた。楽隊の音楽が徐々に近付いてくる。
「はいはい、我らが王太子殿下と聖女様がお通りになりますよ! お見送りしてから歌うね!!」
スザンナがそう呼びかけると民衆はわぁっと拍手と口笛を飛ばし、道の両側に寄ってパレードを待ち構えた。
「聖女様~~~!」
「ユリウス王太子殿下、万歳!」
「すーっ……コニー様~~~!!!」
スザンナの大声は大勢の歓声の中でもコンスタンツェに届いた。歌姫三人に気付いた聖女は笑みを深めて手を振る。
誰もがパレードに笑顔を向ける中、男が一人道路の方にふらりと膝をついて周囲の人が「わっ」「ん?」と声を上げる。押されて躓いただけのように見えたがそのまま起き上がらずにいた。
「おーいっ!」
男の前を、歌姫の方に手を振りながら八歳の少女が通り過ぎようとした。その少女はスカルラットの民でソフィアと馴染みだった。家族でパレードを見に行くと話していたのを思い出し、ソフィアが気付いて手を振り返そうとした時。
膝をついていた男が無表情で懐から包丁を取り出したのを見た。
何かを考える前にソフィアは足を前に踏み出す。
そういう性分だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
「きゃああああああああ――――!!」
「ひ、人が刺されたぞ!!」
尋常ではない叫び声にパレードも足を止め、人が刺されたと聞くと民衆は恐怖のまま押し合いへし合い八方に動き出す。早く退け進めと揉める声、はぐれた人を呼ぶ声、子供が泣く声で収拾がつかず俄かに混沌とした。
「包丁で刺されたって!!」「修道女が倒れてた……!」「ここを離れよう、逃げなきゃ!」
逃げ惑う民の声はコンスタンツェにも充分すぎるほど届いた。
「くっ、こんな目の前で……!!」
「――――ユリウス様、私、行きます!!」
「は!? こんな混乱の中行かせられるか馬鹿!! 立場を考えろ!!」
「考えてます!!!」
次期王太子妃という立場を考えれば、危険に飛び込んでいくなど論外。
しかし聖女という立場を考えれば、行かないという選択肢はないのだった。
「ユリウス様、私に……"聖女"を、全うさせてください!!」
赤く燃える強い眼差しにユリウスが怯んだ次の瞬間、「――ぅぉぉぉぉ――」という唸り声と共に、青年が斜め上の空から降ってきた。
「――――――――――――うおおおおおおお!!!」
青年は屋根のない馬車の後部座席の後ろに着地し、ガゴンと派手な音を立てた。
「うわあああ!!??」
「……えっ!? せ、先生!?!?」
通りの建物の二階の窓枠まで駆け上りそこから風魔法と持ち前の脚力を駆使してジャンプしてきた男は、ニフリート・ジャルージだった。
本日ニフリートは祝賀パレードを初めからずっと一時たりとも目を離さずに追いかけていた。
彼なりに『コンスタンツェを影ながら守れ』というユリウスの命令に忠実に従った結果だったが、パレード中の近衛騎士からは要注意人物として警戒されていた。
「だ、なっ、ニフリート?!」
「誰かと思えばニフリート何をやっとるか殺すぞ貴様ァ!!」
「――――殿下! 私が妃をお守り致します、この命に代えても」
近衛騎士オーガス・ルバートの罵声をスルーして、ニフリートは真っ直ぐな瞳と力強い声を王太子に向ける。
悩んだユリウスは三秒で覚悟を決めて怒鳴った。
「無傷で戻れ!!」
「っ、ユリウス様愛してます!! グエッ」
素早く肩の上に担ぎ上げられたコンスタンツェは絞められた鳥のような声を上げた。
「道を開けよ!!」
ニフリートは人を退かせるために剣を抜き、魔力で真っ赤に染めて掲げる。
熱せられたように輝く剣に人々は反射的に悲鳴を上げ、転がるように道を開け、そこを男は走り抜けた。
包丁を持っていた男は護衛が地面に押さえ付け気絶したが、包丁は修道女ソフィアの横腹に深く突き刺さっていた。
倒れた彼女を抱えているマリアも、スザンナと護衛も、包丁を抜いたら血が出過ぎて終わりだと感じていた。しかし抜かなくても彼女の命が終わることは明白で、目の前で起きていることが信じられずに夢の中にいるような感覚に陥り、動けずにいる。
「……ソ、ソフィア、だ、大丈夫よ……い、痛いわよね、でも大丈夫……今シャムス様の所に……連れて……」
「……っごほ、う…………ご……の……」
「え?」
「ご、護衛の方が、怒られてしまうかも……私が勝手に動いた、せいだったって、伝えてくだ、さ……」
「…………や、いやよそんなの……自分で……言って……」
マリアが呆然としながらも涙を流し始めたのを見て、ソフィアに庇われた少女が泣き出す。
ふぇぇえ――ーー……ああぁあ――ーー…… と赤子のような泣き声だけが耳に木霊し、再び周囲で上がった悲鳴もマリアの耳に入らなかった。
だがその悲鳴と一緒に燃えるような剣が目の前に現れた。
気配にゆるりと視線を上げると、青年の肩に担がれた少女が「ぐはっ……運び方ァ……!!」と言いながら地に降り立つ。
「――――スザンナさん、マリアさん! っ……!!」
「……コニー様……?」
「息はある?! あるって言って!!」
駆け寄って覗き込んだコンスタンツェは、瞳が動いたソフィアを確認して眉間の皺を緩めた。
修道女の体をそっと、しかし素早くマリアの腕から受け取り「先生、包丁を抜いてください!」と言い放ち、剣を持った青年が頷く。
「……え!? ま、待って、抜いたら血が……ソフィアが」
「大丈夫、信じて」
少女は気が動転している歌姫を少しでも安心させるため、そして自分の憤怒と魔力を落ち着かせるため、短く息を吸ってから強気な笑みを作って言った。
「――――――――――私、魔法が使えるんだから!」




