喫緊
なるべく急いで予定を調整して、"青髭"の録音をすることにした。録音円盤が出るという話だけでも宣伝効果はあって劇場は助かったようだが、なるべく人々の関心が集まっているうちに売った方がいいだろう。
録音の日、役者・演奏家達と一緒に舞台曲の作曲者も挨拶に来た。
作詞作曲者はマーデン・ディンというくすんだ赤紫色長髪男性で、二十代かと思ったら三十一だと言われた。口元に黒子があるのでこちらの価値観では多分中の下くらいの評価かと思うが、色気のあるイケメンにしか見えん。
音楽家にしては日焼けしたかのような小麦色の肌である。生まれつきだろうか? 南東の方だと褐色肌の人もいると聞いたことがある。
『古き良き音楽の普及計画』で地方に寄付する円盤の制作費用は俺が出したが、売れた分の金は俺に一割、マルシャン商会に一割、マドァルド工房に四割、音楽家達に四割だった。皆が知ってる古い曲の録音だったので作曲者への取り分はなし。
しかし新曲ならそういう訳にはいかん。作詞作曲者であるマーデンに一割、商会に一割、演奏者達と工房に四割と決めた。俺は今回演奏にも参加してないし貰わない。いやらしい言い方をすれば、恩を売っておく。
「録音円盤制作のお許しをいただいた上に私へのご配慮まで……誠にありがとうございます。初演日にご挨拶させていただくつもりだったのですが、ギリギリまで演出と衣装の見直しをした後、死んだように眠りについてしまいまして……目が覚めた時には初日が終わっており……」
疲れて泥のように寝てたらしい。恐縮しきりといった様子で縮こまっているマーデンに軽く笑いかける。
「仕事熱心ですねぇ。初日は婚約者と一緒でしたので貴方と長く話すことは出来ませんでしたし、改めてお話する機会が出来て嬉しいですよ。東洋風の舞台を作るに至った過程などお聞きしたかったんです」
「! もっ、勿論ご希望とあらば喜んで!」
皆に契約書の確認などをしてもらっている間、マーデンは快く舞台制作の流れを話してくれた。
彼は辺境領の商人の息子で(ディンは屋号。話した感じだとしっかり教育受けているし結構太い実家だと思う)、親についてシデラス国まで何度か行ったことがあるそうだ。シデラス国よりも東、シンツ帝国の人間にも会ったことがあるという。
俺が予想した通り、平民でも裕福なら妻を複数娶ることもある土地ということで"青髭"の舞台に選んだらしい。
茶の生産が盛んなシンツ帝国はなんとなく中国っぽい文化のような気がするのだが、なんせ遠いのでウラドリーニには全然情報がない。緑茶と絹と時々陶器が流れてくるくらいだ。地球で昔日本が黄金の国とか言われてたように、噂もあんまり当てにならない。
ちょっと気になるなと思った噂は『全員目が黒い民族がいる』と『嘘がわかる民族がいる』とかいうやつ。全員目が黒いのは普通にあり得る。嘘がわかる、というのは民族の血に受け継がれる固有魔力だったりするかもしれない。
「マーデン殿……シデラス国や周辺でよく食されている、辛い料理とかご存じではないですか?」
「ああ、熱い国なので香辛料が多く使われている煮込み料理がありましたよ。サーグリーという……」
良い人に当たったかもしれん……!!!
俺は内心すごく興奮してるのを悟られないように努めて穏やかに尋ねる。
「噂だけ聞いて是非食べてみたいと思ってたんです。ざっくりとでも構わないのでレシピわかりませんか? 勿論タダでとは言いません。そうですねぇ……教えてくださったら、大銀貨一枚でどうでしょう」
「えぇっ!? 大銀貨!? ほ、本当にざっくりでよろしかったらわかるのですが……そんなに出していただけるほどの価値があるかどうか……」
「遠い国の情報は貴重ですよ。体験記など書いてみたら需要があるんじゃないかと思いますが……。書いてみて面白かったなら私がヴィーゾ侯爵領の友人に出版を提案してもいいですし」
「体験記、ですか? 日記をつけていたので書くことは出来ますが……赤の他人の日記なんて読みたいものでしょうか……?」
「売れるとは明言出来かねますが、私は興味ありますよ」
随筆を本にするという発想がまだ一般的ではなかったらしい。今出版されてるものって昔話や小説、神話や絵本、知識本といったものばかりでそういえば随筆やエッセイは見たことが無い。
未来だと確実に『この時代の外国への認識を知るのに貴重な資料』になるやつだ。書いとくべきだと思う。歴史に残るかもだぞ。
マーデンが体験記を書くかどうかはわからないが、ひとまずレシピを教えてもらう取引はまとまった。
――――アレンジは要ると思うけど、カレーが……食えるかも!!!!!
コメはないがパンにも合うし、カレーパン食べたい。しかしこの国だと香辛料は富裕層向けでお高い=量が多くないので、流行ったら香辛料の確保が難しくなる可能性もある。いっそレシピを売らずに個人で楽しんだ方が良いかもしれない。
演奏家達と舞台の俳優達とも録音部屋で見たことは口外禁止の契約書を交わし、歌手に従来よりもマイクから大分離れてもらって試しに録音した。楽器と歌声が丁度いいバランスで録音できる場所を探らないといけない。
三回ほど失敗しては調整し、上手くいった。昼からとっぷり日が暮れるまで時間がかかってしまった。疲れたけど良い原盤になったと思う。
余談。ほとんどの女優さん達の顔に黒子があった。
俺は(黒子があったんだ。舞台だと化粧で隠してたのか。目元や口元に黒子がある美人ってやっぱ色っぽくていいよな~)……と思っていたが、後になって演奏家に知り合いがいたラナドから「黒子を、わざと書いてきていたようですよ。デウス様に気に入られるために」と聞いた。
「……逆じゃない?! 気に入られたら嫌だから書いてきたんじゃ……? カーセル伯の時にそうしてたらしいし」
そうだったらちょっと傷付くが、俺は女誑しだって言われてるからまあしゃーないかな……。
「いえ……なんでも、信用できる情報筋から"アマデウス様は不細工がお好き"と聞いたそうです……。デウス様とカーセル伯では比べ物になりませんよ、女性からの人気が」
「そ……そっか……」
複雑な気分。嫌われているわけではなかったことは嬉しい、でもブス専と思われていることは否定したい。黒子があろうがなかろうが皆美人だよ。
※※※
複雑な気分は振り払い、カレーのレシピが手に入るかもしれないとるんるん気分で夕食に向かった。
食卓にて、ジークはやっとネレウス様との面会の許可が下りたと聞いた。それは良かった。
マルガリータ姉上は騎士クラスの模擬戦を見た話をしてくれた。
最終学年の冬休み前、騎士クラスでは勝ち抜きの模擬戦を行い(男女は別々)、優勝者は近衛騎士団御用達の鍛冶師が作った剣を学院長から授与される。
授業の一環としてやるため他学年は授業中。同学年の生徒のみ観戦が許されるという代物だ。
そんな学年ナンバーワン騎士を決めるイベント……絶対皆見たいじゃん!! 後輩にも見せてくれよ!! と当然俺は思ったけど、娯楽じゃなくて授業だから……と言われてしまうと何も言えない。
来年リーベルトとアルフレド様達が出る模擬戦を見るのを楽しみにしている。
「誰か勧誘するんですか?」
「特にしないわ。上位を取った女騎士はもう他で内定していたようだし、男騎士の上位もほとんど近衛に取られるでしょうしね……護衛は自領の騎士団から秀でた者を選ぶつもりよ」
模擬戦で上位に入ると近衛騎士団から声がかかり、どこの騎士団に入る場合も歓迎されるという。護衛が要る立場の生徒は模擬戦で目を付けて卒業後の護衛騎士に、と勧誘することも多い。
男性が入りにくいような場所でも同行可能な女騎士は女性の貴人や子女に一定の需要がある。姉上も良さそうな人がいれば勧誘するつもりだったようだ。女騎士は母数が少なく結構売り手市場らしい。男と比べたらやはり腕の立つ人が少ないので、優秀な人は引く手数多だ。
ジュリ様も、結婚後にセレナとゲイルが護衛騎士になることは決まっているが、同世代からも一人くらいは勧誘したいと言っていた。学院の訓練場で騎士クラスの女生徒と交流しているが、まだ決められていないようだ。
侍女も一人くらい若い人材が欲しいのだが、そっちは希望者がいなくてなかなか難しいと。
専属の侍女はなぁ、素顔を見ないようにするのが難しいだろうからな……。
侍女侍従、一人でも何とかなるとは思うけど、仕事量多めの爵位持ちなら二人は欲しいところだ。一人だとその一人が病欠の時とか困るし。モリーさんの負担を減らすためにももう一人、良い人がいればいいんだが。
シレンツィオ家のジュリ様周りのメイドはベテラン揃いで、ジュリ様の素顔を見ずにうまく立ち回れるようになっている。それでも不意に素顔を見てしまったら気分が悪くなってしまい丸一日動けなくなったりするので、新人の希望者がいなくてそこもいずれ人手不足になるのが心配だと。
……やっぱり万能魔力薬の改良は喫緊の課題である。
"黒い箱"封印に役立ったことで王家が予算を増やしたようだが、俺も王立研究所に寄付金追加しに行くかな……。
※※※
そろそろ五年生も終わろうという冬の入り口、ノトスの診察に訪れたシャムスが俺に小声で話しかけた。
「……お耳に入れたきことがございます」




