一面
【Side:ジュリエッタ】
デウス様が何者かの魔法で水を被ってしまい、訓練場の更衣室で着替えに行った。
さっきはつい睨んでしまったが私達が水を被るのを防いでくれたのだから、ニフリート先生にもちゃんと礼を言わねば。彼の方に水を逸らしてしまったのは事故だろう。犯人について気になることも言っていたので話が聞きたい。
「それにしても、アマデウス様はいつでも明るくていらっしゃいますわね」
「あんな状況で笑えるのは明るいというより少々おかしいですわよ。深刻になり過ぎないのは良いところだと思いますが」
カリーナとプリムラがそう軽口を叩いて控えめに笑う。
「……いつでも、というわけでも、ないのですけれど……」
彼は割といつも楽観的だが、ひどく不安そうな顔をすることもある。
夢見が悪かった、と言っていた時。あれはどうやら彼の体質のせいでネレウス殿下の魔力を吸い込んでしまった結果、少しだけ未来を予知してしまったということらしい。疫病が流行る未来。"黒い箱"の封印に失敗しこの国が滅ぶ世界。幸い、未来視は絶対ではなく未来は現在の行動に影響されて変わることもあるという。
卒業式典の後カフェで、出産について話していた時。私が出産で死んでしまったら、と想像してしまったのかと思って「私は丈夫ですから心配しないで」と口から出した後、(思い上がりだったかも……?)と一瞬思ったけれど、当たっていたようだ。彼に愛されているということが当然であるかのように自分に馴染んできたように感じて、面映ゆかった。
「――――それは、恋人にしか見せない一面もあるということですわね」
「ひゃっ」
耳のすぐ後ろで囁いたのはアルピナ様だった。アルピナ様とエーデル様が近付いてきていることは気付いていたが、思ったよりも近くまで来ていて驚いた。
「いつも明るい彼が、自分の前だけで見せる弱さ……」
「良いですわよね」
「良い……」
エーデル様とアルピナ様はしみじみと目を閉じて頷き合っている。そういうデウス様も『良い』らしい。確かにそう考えると気を許してもらえているということで嬉しいかもしれない。
恋人……。『婚約者』だと契約相手のような意味も含んでいるけれど、恋人と呼ばれるのは純粋に好き合っている同士ということが強調されるようでついときめいてしまう。
「あ、お二人はもしかしてエンリーク様をお探しですか?」
「ええ、この後会合する予定でしたの。見ませんでしたか? 一組の教室にいなかったのですが」
この二人とエンリーク様の三人がデウス様を『信奉する会』を主に率いている。今起きたことを説明して一緒に待機する。
戻ってきたデウス様とエンリーク様(先生はいなかったので御礼は手紙を出すことにする)から事のあらましを聞いて、敵も一筋縄ではいかない相手なのだと改めて危機感を募らせた。信奉する会を通して速やかに注意喚起が行えて助かる。
優れた騎士には魔法を発動する時の魔力の動きを察知できる者もいるそうだ。直感のようなもので、鍛えてどうこうできるとは限らないが鍛えるしか習得する方法がない。訓練を見ているとペルーシュ様とリーベルト様あたりはその辺の勘が冴えているように思う。私も時々は気付けるのだけれど、先ほどのニフリート先生ほど早くは反応できていない。守るためにもっと強くならなければと決意を新たにする。
※※※
その日は休息日だった。
厚い雲が空に広がり薄暗く、遠い所で雷鳴がぐるぐると呻いているのが聞こえる。
"黒い箱"が出現する場所は王都の端にある森の中だった。数日前から立ち入り禁止の紐を張り、近衛が近隣の猟師などにも入らないよう警告している。表向きは凶暴な魔獣が目撃されたので退治のため、となっている。
ついに封印の日が来た。来てしまった。
デウス様と私は王宮に訪れ、そこから王家の馬車で森の入り口まで来た。そこからは徒歩。ユリウス殿下とコニーとはそこで合流した。
コニーは少し緊張している様子だったが強気な笑顔と元気な声でずんずん歩いた。昨日黒い箱について教えられたばかりだというユリウス殿下はまだ混乱しているのか落ち着かない様子だったが、コニーの強敵に立ち向かうような表情を見て思うところがあったのか、歩いているうちに覚悟を決めた顔になった。
結構歩いたと思った頃、見えた。黒いものが。そして出来ればそれに近付きたくないと思いながらも足を前に進めた。
森の真ん中、元は少し開けた草原だっただろう場所に、小さな家くらいはある黒く巨大な箱が在った。
闇としか言いようがない飲み込まれそうな黒だった。四角い形をしているが、よく見ると塵のような点が無数に集まって出来ていて、虫のようにざわざわと蠢いている。それに気づいた時は全身に鳥肌が立った。
ネレウス殿下とペティロ大司祭は既に現場にいた。
銀髪を靡かせて黒い箱を見上げているネレウス殿下は美しいが、憂いを帯びた顔色はあまり良くない。
「――――ネレウス!」
「兄上、コンスタン……」
ユリウス殿下はネレウス殿下に駆け寄り、ぶつかるような勢いのまま抱き締めた。
「苦労をかけたのう。こんな役目を其方がずっと負っていたなんて、毛ほども気付かなんだ……」
兄がそうすることを知っていたのか、ネレウス殿下は穏やかに笑んだ。
「極秘にしていたのですから知られていたら困ります。むしろ隠れて色々と画策していたこと、兄上にお詫びしなければ」
「よい。全て許そう」
その時のユリウス殿下の微笑には、『王子』ではなく『王』を思わせるものがあった。
嫁ぐ相手としては絶対に御免だと思うことには変わりないが、彼を王として戴くことに抵抗は全くない、そう思えた。
改めて"黒い箱"を見上げる。私だけではなくデウス様も、修道士や近衛もこの黒いものには忌避感を覚えているようだった。黒さと大きさが異様だというだけではなく、纏う空気が不吉というか、これはよくないものだと肌でわかる。一刻も早く離れたい。そういうわけにはいかないが。
この箱は日が昇ると現れ、封印した後も日が沈むまではここに在るそうだ。
簡素な櫓が組まれていて、箱を上から見ることが出来る。高い所に上ってみると箱の全貌がわかった。
箱の上面の真ん中に線が入っていて、持ち上がっているのがわかる。全部が黒いけれど不思議と箱が開きそうなことがわかった。私とデウス様、ネレウス殿下と大司祭は上から箱がちゃんと閉まったかを見届けられるように櫓に上った。
デウス様と大司祭はじっと箱を見ていたが、私はあまり直視したくなかった。ネレウス殿下もそうなのか、時折目を逸らしている。人によって感じ方が違うのか、周囲の者も見つめる者と見たくない者で分かれている様子だった。
緊張した顔のコニーとユリウス殿下が箱の側面に近付く。二人が片手を繋ぎ、片手で箱の側面を触る。魔石に魔力を込めるように注ぎ込むのを固唾を飲んで見守る。
コニー、貴方なら大丈夫、頑張って。
二人の手から白い靄のようなもの――魔力が、箱の表面に沿ってぐるりと漂い箱全体を下から覆っていく。白い靄は箱の上面に届くと、日の光によるものか薄っすらと金色に見えた。そしてゆっくりと開きかけた箱の蓋が、靄が重くなったかのように閉じていく…………
ずうぅぅぅぅぅん、…… と重々しい音がして、蓋が降り切った。
コニーとユリウス殿下が崩れ落ちるように座り込んだ。辛そうだが意識はあるようだ。近くの修道士がすかさず駆け寄って魔力を注入する。
「閉まった……?」
「閉じました、よね………!」
私とデウス様は詰めていた息を吐き、顔を見合わせて喜ぼうとした。
「アマデウス、ジュリエッタ。あれを見て何か気付くことはないか?」
だがその前にネレウス様が箱の上を指差す。箱の上、中央辺りに何か浮いている。少し遠いので目を凝らさないと見えない。
「何でしょう。矢尻の様な形に見えますが……」
「…………」
デウス様が俄かにひどく不安そうな顔をした。とても心配なことがある時の顔。
「デウス様……?」
彼は暫し何か考え込んだ後、言うか言うまいか迷うように口を開ける。
「あの……変なこと言ってもいいですか……?」
「今更だろう、君の場合」
ネレウス様が雑に促す。確かに彼はちょっと変わった感性でものを言うこともあるけれどいつもではないのに、と反発したくなれど今は立て込んでいるのでやめておく。
「――――これ、箱じゃなくて…………門、じゃないですか……?」
小声だったけれど、その言葉に私達は全員目を瞠って固まった。




