見ぬ人
シレンツィオ城からお暇する玄関で、名残惜しく片手を繋ぎながら少し話した。
「オルゴール、録音円盤よりも気軽に聞くことが出来ますし、澄んだ音色が心地良いですわ」
「癒し効果がある音ですよね。寝る前に聴くとよく眠れる気がします」
実際睡眠導入に良いといわれてる筈だが、いきなり断言すると不自然なので「気がする」程度にしておく。
「次の大きな催しというと、ユリウス殿下の卒業パーティーでしょうか。コニーをエスコートしてもらえればかなりの牽制になったでしょうが……まだ許可が下りなかったようで」
「となると、ユリウス様の同行者は王女殿下に?」
「そうなるでしょうね」
卒業式典の後に学院の講堂で行われるパーティー。追い出しコンパ的な懇親会である。
社交界に出て行く者達のために夜会に寄せたダンスパーティーのような様式なので、一人でも出席出来ない訳ではないがパートナーがいないと居心地が悪い会だそうだ。卒業生を主役とした懇親会なので部外者や下級生の参加は卒業生のパートナーのみに限定されている。卒業生は最後だから大体誰か誘って出席するが、友人同士で示し合わせて集まりたい場合はそっちに行っても良いし、式典とは違って義務ではないので出なくてもいい。ディネロ先輩は完全にスルーしていた。
だが王族がスルーするのは空気が読めていないのでユリウス様は当然出席する。そこでコンスタンツェ嬢がパートナーとして出られたらもう『選ばれたのは彼女でした』状態に出来るのだが、まだ王家からOKが出なかった。ユリウス様もコンスタンツェ嬢をパートナーに希望はしたようだが、やはりまだ聖女になっていない彼女をほぼ確王子妃として認めるには時期尚早と思われたようだ。決まった相手がいない場合は身内が同行するのがセオリー。メオリーネ嬢とニネミア嬢はおそらく兄が同行するだろう。
ジュリ様がリラックスした様子で微笑む。派閥のお茶会が無事終わって一安心したのだろう。俺もひとまず肩の荷が降りた気分。
お暇しなくてはと思いつつ手を離せないでいると、彼女が潤んだ瞳で見上げてくる。ジュリ様は狙ってやってないんだろうけどハイかわいいあざとい。
「お帰ししたくないですわ……」
「俺も帰りたくないです……」
馬鹿ップル仕草~~~~! とはわかりつつ見つめ合いながら互いの手を撫でる。
モリーさんは表情を変えずにどこか満足げだったがポーターは(アホやってないで帰らんかい)と言いたそうな目をしていた。
※※※
「……兄上。お疲れのところ申し訳ありませんが……少し、お時間頂いてもいいでしょうか」
「うん? 勿論」
帰って夕飯の後、音楽室に行く途中でジークに呼び止められた。
部屋に招かれてお茶をもらう。ジークは結構癖のあるお茶が好きだ。もう慣れたけど交流初期はもしや歓迎されてないのだろうか? なんて疑ってしまった。
「ジークから見て、今日の茶会はどうだった?」
「素晴らしかったと思います。歌手達とコンスタンツェ様の歌声で一体感を覚え、兄上とジュリエッタ様のお人柄が穏やかなのも相まって、あの場にいた全員が明るい未来を思い描いているように感じました」
お、おお。思ったより高評価だ。
「それなら良かった。フォルトナ様とはどうだった? 良い方だけど自由な人だから、ジークが困ってないといいけどと思ってた」
「困ってなど。お話しやすい方でした。印刷事業について色々教えていただいて。……兄上は最近、ネレウス殿下にお目にかかりましたか?」
「え? ああ、そうだね。少し前に」
急に話が変わったな、と思いつつ答えた。俺がネレウス様とコンスタンツェ嬢とチーム組んでることは大っぴらにはしてないが、時々面会していることはティーグ様には伝えているのでそこから耳にしたのかも。
「その、ここのところ学院にいらっしゃっていないので……お体の具合が良くないのでしょうか」
「いや……単に公務がお忙しいようだよ。優秀でいらっしゃるから学院で学ぶことが少ないようだし、仕事を優先してしまうんだろうね」
“予知”のために魔力を使い過ぎて疲れている、とは言えないのでそう返した。あれも彼にとっての公務ではあるだろうし嘘ではない。
「そうですか……」
ほっとしたような顔をしてからジークは目を伏せる。お茶を一口飲んでから意を決したように視線を上げた。
「まだここだけの話にしてほしいのですが、フォルトナ様から、婚約を考えてみないかというお話を頂きました」
「へっ?!?!」
お茶会の途中で提案されたそうだ。
「もし貴方が想い人との結婚が叶わないことに悩んでいるのなら、わたくしとの結婚を隠れ蓑にしてもよろしくてよ。実はわたくし、未だに結婚したいと思う殿方に出逢えていませんの。貴方の兄上のように上っ面に惑わされない真実の恋をしてみたいという想いはあれど、あっという間にもうすぐ五年生ですわ。兄もまだだからという言い訳も使えなくなってしまって、婚約を急かされっぱなし。貴方も似たような立場ではなくて? 政略というより、契約結婚のようなものですかしら。いかが? そんなに深刻にはならずともいいので、少し考えてみてくださいな」
――――正しく利害の一致で偽装夫婦になる提案かぁ~~~~……。フォルトナ嬢はジークの想い人がコンスタンツェ嬢だと思ってそうだな……。
「兄上はどう思われますか?」
ジークは恐る恐る俺の顔を窺う。まだびっくりしてるが、俺の意見はハッキリしていた。
「う~ん……俺は、あんまり良い話とは思わないかな……」
「そう、ですか?」
ジークは意外そうだった。俺は賛成すると予想してたのかもしれない。確かにフォルトナ嬢は商売仲間で信用してるし美人で頭も家柄も良い、縁談相手としては申し分ない。しかし。
「だってフォルトナ嬢は『まだ結婚したい相手と会えていない』だけなんでしょう。これから普通に出会うかもしれないし……ファウント様が姉上に出会ったのだって卒業後だしさ。偽装婚約なんて手段に出るのは、早いよ」
「早い……でしょうか」
「早い! そもそも結婚相手を決めるのなんて急ぐことじゃないと思う! 焦って決めて後悔したら不幸なことになるし。十三で婚約した俺が言っても説得力が無いかもしれないけど。俺は全く後悔してないけど」
「は、はぁ」
勢いまかせの俺の意見に戸惑う弟。
俺のこの考え方はこの国の貴族の常識ではない。地球から持ち込んだ価値観だ。こっちの世界では十代で結婚するのは普通、十代で婚約も普通、二十代だと遅いと言われる。フォルトナ嬢とジークがそろそろ相手を見つけなきゃヤバいと思うのも普通なのである。だが地球・晩婚化・日本育ちの俺としては結婚相手なんて二十代いっぱい使って見つけられたら御の字だろという感覚なので、まだ中学生くらいの男女が契約結婚に踏み切ろうだなんてちゃんちゃらおかしい、早まるんじゃねえと思う。
「ヴィーゾ侯爵家とはもう姉上が縁を結んだから、まずいこともないけど旨味もないし。ジークがフォルトナ嬢を好きで結婚したいんなら賛成するけど……違うんでしょ?」
「っ…………でも! このお話を、この機会を逃したら、私は……結婚出来る気がしないんです!!」
「そ、そうなの?」
悲痛な声にそぐわない単純なリアクションをしてしまって瞬時に少し反省した。この軽めのリアクションがジークの緊張の糸を切ってしまった感じがした。
「~~~~、ぁ、兄上にはわからないですよ!! ちゃんとした理由も無いのに近付いてくる令嬢を躱し続けるのがどれだけ申し訳ないか、良いと思う女性はいないのかって父上や母上から期待をかけられる度に応えられないのがどれだけ情けないか、好きになった人がすぐに好意を返してくれる兄上みたいな人にはわからないんです!!!」
「ごっごめん~~~!! 確かにそれは俺体験してないや……」
ジークはハッとして後悔したようにぎゅっと目を瞑って机に突っ伏した。
「すみません。八つ当たりです」
「ううん、正当な八つ当たりだと思う」
「……フフ、正当な八つ当たりって……」
失笑された。
「でも、『ちゃんとした理由』はあるんじゃない? ……好きな人がいるから、半端な気持ちで令嬢達の相手は出来ないと思ってるんでしょ? 真面目で誠実で、ジークらしい」
机と両腕に閉じ込めた顔からくぐもった小さな声がした。
「私も、フォルトナ様と同じで……まだ出逢えていないだけなんです。あの人よりも好きになれる人に……」
「他の人達がどう思うかは、何とも言えないから置いとくけど……俺はジークが誰を好きでも応援したいと思ってるよ」
「……男なのに男が好きでも応援してくれるんですか」
「するよ」
顔を上げたジークは驚いたように目を瞠っていたが、数秒後には薄らと涙を浮かべた。
「まあ、幸せになれなそうな感じだったら色々言うかもしれないけど……結局さ、父上もジークの母上も多分、ジークに幸せになってほしいんであって、追い詰めたい訳じゃないと思う。だから、」
「はい。……あまり焦って結論を出すのはやめます」
眉を下げて困ったような笑みを浮かべた弟。俺は言おうか言うまいか内心葛藤しつつ、十秒悩んで結局言うことにした。
「ネレウス様は、結婚する気ないみたいだよ」
「えっ」
「結婚して子供が出来ないと妻が責められる材料になるし、子供が出来たら後継者争いに周囲が巻き込んでくるだろうから……っていうのは建前で、単純に女性にあまり興味がないみたいだ。でも……彼みたいに多忙な御方には支えてくれる人がいた方がいいと思うんだけどね。学院で歳の近い側近を見繕うべきなんだろうけど、後回しにしてるっぽい。パッと見何考えてるかわかりにくい人だけど、国のために、ユリウス様のために、ずっと努力してきた方だ。俺はネレウス様にも幸せになってもらいたい」
「…………」
ネレウス様はちょくちょくジークに会いに行っている。ジークは非礼にならない程度に対応しつつ地味に避けている。周囲にどう見られるかを気にして、揶揄われているだけかもしれないという疑いがあったから距離を取っていたのだと思う。
結局ジークはフォルトナ嬢の提案を受けないことにしたようだ。
正直ジークとネレウス様をくっつけるようなことを言うのはちょっと癪だった。可愛い弟があの王子に振り回されているのは嫌なのだが……女装を目撃した当時よりずっと、あの王子が良い人だということは知っているし。弟にも彼にも幸せになってほしいという気持ちは本当だった。
くっついたからといって幸せになるかどうかはわからないが、二人の後悔が少しでも小さくなるように願って、行く末を見守ることにした。




