誘拐計画
普段はウキウキしながら向かう筈の音楽室に、気が重い、と思いながら向かった。
ネレウス様からの情報を共有するために。
「ノトスが……コレリック侯爵家の下男に……?」
ロージーが俺の伝えた情報を呑み込もうとするように繰り返す。複雑そうな顔をしている。この国でちゃんと生きていたことに喜べばいいのか、人攫いの巣窟かもしれない場所にいることを哀しめばいいのかわからないのだろう。
「因みに彼の髪の色は憶えてる?」
「顔はしっかり憶えているとは言い難いですが、髪なら確か……暗い赤だったかと」
「……合ってる」
赤褐色髪の若い男でノトス、という情報しかないが大体年齢も相違ないし名前と髪の色が同じなら同一人物だと思っていいだろう。流石に偶然とは思えない。
「つまり……本当に子供を国内で売っていただけなんでしょうか? それなら犯罪ではないんですよね」
マリアがそう訊くとシャムスが答える。シャムスにも来てもらっている。黙っておくのも何かあったら困るので楽師全員に情報共有した。結局俺が動いたら一蓮托生みたいなところあるし。
「罪を犯していないなら、家付きの治癒師に見張りを付けたりしないだろう」
「ああ、そうですよね……」
「治癒師ルシエルかノトスと接触して話を聞ければいいんだけど……『それらの下男下女の一部は敷地から一切出ずに仕事をしている』だって。そこまでは調べられたけど、それ以上となると難しいみたいで」
王家の影が動いても悪事の尻尾を掴ませないとはコレリック侯爵家の影もすごい。手詰まり感がある。うーん……と皆で悩むこと数分。
「ノトスを誘拐、もしくは買い取れませんかね……」
ラナドがぼそりと呟いた言葉に暫し沈黙が流れた。
「……誘拐って言った?」
俺や他の面子は戸惑っているがラナドは至極静かな声で言う。
「ええ。治癒師の方は貴族ですので無理でしょうが、ノトスは平民でしょう? 連れ去った者勝ちですよ。誘拐がバレたら慰謝料を支払えば済む話です」
「そ、そういうもん??」
「……強引で不作法ではありますが、確かに」
バドルが納得したようにそう言ったが、シャムスはびっくりした顔をしている。
「ああ、シャムス様はご存知ないでしょう。平民の使用人との距離が近い下級貴族にとってはないことではありません。下男下女が他家の方の目に留まって買い取られることがあるのです。勿論、元々の雇い主の要求額を支払う必要がありますが、平民ですからそう大した額は要求しませんし出来ません」
上級貴族になると使用人は貴族の分家の者がほとんどで、平民の下男下女がいてもお客様の目に留まる場所に出ることはないのでそういうことは起きないのか、なるほど。そして平民に人権は無いようなものなので本人の希望など聞かれないし嫌でも断れない……。
「……ラナド様がそういうこと言い出すの少し意外でした」
ロージーが言った。俺も少しそう思った。ラナドははしゃぐこともあるが基本的には常識人である。誘拐なんてならず者的なことを言い出すイメージはなかった。
「マリアを雇う時、間一髪だったのを思い出したのです。あれがなければ思いついていませんね」
「ああ……」
迎えがあと一歩遅ければマリアはDV気質子爵令息に買い取られてしまうところだった。思い出したのかマリアは嫌そうに顔を顰める。
「それに……孤児といえど国内の子供が奴隷として売られているかもしれないだなんて、人の親としては看過できません。民を守るべき貴族がそれを為しているとしたら尚悪い。多少強引でも不届き者の所業は速やかに止めねばなりません」
「……そうだね」
ラナドが子供の親として許せないと感じている。その感情は国民の全ての親が感じるかもしれないものだ。この罪が露わになればコレリック家はかなり世論に追い詰められることになるだろう。大きな世論は王家も無視出来ない。爵位の降格、剥奪、領地の没収……どの程度かはわからないが、罰を受けるのは必至だ。
「ノトスを買い取りたいとアマデウス様が申し出るのは如何でしょう。ロージーの旧知だと正直に言ってもいいし、声が気に入ったから楽師にするとか何とか言って……」
マリアがそうアイデアを出した。
「ほう……良い考えかもしれませんね、デウス様ならそういうことを言い出しても不自然ではない」
「ふ、不自然ではない?!!?」
ラナドがさらっとそう言ったけど俺そんなに傍若無人なイメージある?!
「ああ、悪い意味ではないですよデウス様、天才というのは突拍子もないことをすると思っている者は多いですから……通らなくはないかと」
「そうかなぁ……!? ……まあいいや、ノトスをどこで知ったかはどっかで見たとか言ってこじつけるのは難しくないとしても……でもやっぱり先に彼の身柄を確保しないと危ないんじゃないかな? 悪事の証人を外に出すくらいなら消した方が楽でしょ」
「やっぱり誘拐するしか……」
「それが出来るとしたらやっぱり王家の影くらいでしょうか……奴隷売買は王命に背いている訳ですから、王家に協力を仰げませんか?」
「それが可能ならノトスは王家に保護してもらえばいいのでは?」
王家の影がノトスを攫えたとしても、領地に不法侵入したと非難されるリスクがある。王家はコレリック侯爵家に喧嘩を売って対立することになるのは避けたいだろう。
攫うまでは王家の隠密に任せて、その身柄は俺が引き受けて「ノトスを気に入って連れて帰っちゃいました! 買い取りたいです!」と申し出れば王家を責めることは出来なくなる。
俺がコレリック家に喧嘩を売る形になるが、シレンツィオ派とコレリック家は既に対立しているし、シルシオン嬢が色々仕掛けて来ていたのだからお互い様だ。周囲には俺が下男を無理矢理買ったってだけにしか見えないし派閥に大した影響は無いだろう。俺の評判は多少落ちるかもしれないけど……。
ただの下男を強硬に売らないなんていうのは上級貴族としては不自然だし、あまり大金を吹っ掛けても『コレリック家は金に困っているようだ』と言い触らされたら辱められる材料になるのでしないだろう。
ノトスから悪事の証言が得られれば王家としても益があるが、得られなければ王家に大きな借りを作ってしまう。俺が。
証言を元に摘発出来る方に転がるか、証拠も得られずより警戒されてしまう方に転がるか、賭けである。
――――などなど、色々話し合った結果。二人の王子にノトスの誘拐を依頼することにした。
ネレウス様の隠密だけだと限界があったが、ユリウス殿下付きの隠密の力も借りれば可能性が広がりそうだという考えだ。
ネレウス様には『エナジードレイン』を成功させたことを手土産に便宜を図ってもらった。
ユリウス殿下が承知してくれるかどうかがネックだったが、割とあっさり承諾の返事が来た。ネレウス殿下を通して。
いざとなったらヤークート様の件を持ち出してお願いしようかなと思ってたけど、人身売買の証拠が掴めるなら掴むべきと王族として判断してくれたのかもしれない。
承諾はされた。が、実行については時間が要ると次に面会した際に言われた。
「予知も使って万全を期し成功させるべき誘拐計画だが、予知を活用出来るのは君が四年生の間までだと思え。僕は黒い箱の日の予知をするため魔力を温存しなければならなくなる。下調べなどの時間を考慮すると、誘拐を決行するのは黒い箱の封印が終わった後がいい」
「シレンツィオ派のお茶会までなら予知していただけるそうです!」
俺もお願いしたいと思っていたが、コンスタンツェ嬢がもうお願いしていたらしい。助かる。これ以上何か頼むのは差し出せるものが思い付かない。ジークにネレウス様とデートしてくれと頼む……とかならまだあるけどそれは俺が切りたくない手札である。最終手段だ。
そう、黒い箱出現の日が近付いていた。俺とジュリ様が五年生の夏だ。
「今のところの予知だと、上手くいってるんですよね?」
「ああ。上手くいく筈だ。少し気になることはあるが……」
「気になること?」
「封印した後の箱の上に、何かがあるんだ。黒い、妙な塊のようなものが……それが何かがわからない」
「……?」
「……?」
三人で首を傾げる。まあ、ネレウス様が直接見てわからないものが伝聞の俺とコンスタンツェ嬢にわかるとも思えない。謎だ。
教会の修道士たちとも考えているがわからないらしい。ひとまず封印は成功しそうだが、不可解なこともあるのでまだ予知を何度か行って検証していくとのこと。
これがシナリオのある物語ならば、黒い箱の封印でコンスタンツェ嬢が聖女となり王子妃の座を射止め、めでたしめでたしといくのだろうが。封印後も俺達の生活は続く。むしろ妃の座が確定してからが、生き残り勝負のスタートのようにも思える。しかしその勝負が出来るのも封印が上手くいってこそだ。
――――運命の日は近い。




