無神経と我儘
【Side:ジュリエッタ】
ユリウス殿下は率直な物言いをするくせに人と揉めるのが嫌いな方だ。
平和主義というか、事なかれ主義というか。寛容といえばその通りで、ちょっとした不手際からくる不作法などは謝れば笑って流すので女子だけではなく案外近しい男子からも人気がある。
コンスタンツェ嬢とお付き合いするようになってから彼女を守らねばならないと覚悟が決まったのか、物言いも慎重になってきたようだし公務の勉強も真面目にしているらしい。昔は正直嫌いだったが今はそこまでではない。
ニフリート先生はおそらくデウス様ひいてはシレンツィオによるコンスタンツェ嬢への後援が気に喰わないのだろうから、ひとまずそこの不満を聞き出してから窘めているのだろう。
ジャルージ辺境伯家は三つある辺境伯家で一番他国と接しており武力には定評がある。一族の気質が四角四面で社交は不得手だが、王家にとっては国防を担う重要な臣である。ちゃんと叱ってくれているだろうか。デウス様が嫌な思いをしていないといいけれど。
やきもきしながらも大人しく廊下で待っていると、ニフリート先生とオルデン先生が学院長室から出て来た。
「……ジュリエッタ嬢。無礼な発言をして申し訳ありませんでした」
ニフリート先生が私の前まで来て頭を下げた。どうやら殿下はしっかり叱ってくれたらしい。謝罪には気持ちが籠っているように感じる。だが上がった顔にはまだほんの少し、納得出来ない感情が滲んでいるように見えた。
「いえ、わかっていただけたのでしたら良かったですわ。……一応、申し上げておきますが。コンスタンツェ嬢の後援を最終的に決めたのは父であり、わたくしです。シレンツィオが決めたことです。デウス様を目の敵にするのは筋違いでしてよ」
「……ほう。アマデウス殿に誘導されたわけではないと? 貴方はどうにも婚約者にお弱いと聞くので、てっきりそうかと」
「ご出身の土地柄時世に疎くていらっしゃるのは致し方ないかと存じますが、彼一人で決められるような事柄ではないことは御承知でしょう?」
“どうせ婚約者の言いなりなんだろう?”と言われたので“田舎者の世間知らずでも彼だけで決められることではないことくらいわかるでしょ”と返す。
剣呑な目付きの応酬にオルデン先生がまた顔色を悪くしているが、まだ引けない。彼や殿下が許しても私はまだ許していない。怒りは燻っている。魔力を纏った攻撃を騎士見習いでもないデウス様に向けたこと。教師としても言語道断、騎士としては品性を疑う。
「……貴方が化粧なんて下品な物に手を出したのは、婚約者の影響でしょう? 婚約者に阿っていると思われたくないのなら即刻やめるべきことですな」
「ぉ、……お化粧? ですか?」
……下品、ですって?
思いがけない言葉だったので少し呆気に取られてしまった。
「親からもらった顔を気軽に変えるなんて、親不孝な行い……化粧を勧めるなど非常にはしたないこと。あれは下賤な役者か娼婦の使う物です。若者の品行が心配だと苦々しく思っている者は多いですよ。貴族令嬢の模範となるべき公爵令嬢が風紀を乱してどうするのです!」
―――――――――――― 脳が、沸騰しそうだと思った。
それくらい一瞬で頭に血が上ってしまったのがわかった。でも逆上してはならないと自分に言い聞かせて息を吸って吐く。
「……わたくしの素顔をご覧になったことが無いからそんなことが言えるのです、ニフリート先生」
「貴方のお顔を見た軟弱者が何と言ったか存じ上げませんが、人の目を気にし過ぎていらっしゃるのです。無辜の者を悪く言う者には天罰が下ります。堂々となさればいいのです! 誰に何と言われようが自信をお持ちになることです。神から与えられたありのままの姿に恥じることなど何も無いのですから」
驚くくらい癇に障る人だ、と逆に少し冷静になれた。おそらくほぼ善意で言っているのが性質が悪い。
正しく思えることを言うので言われた方は自分が間違っているような気になってしまう。実際正しい意見かもしれない。
でも私にとっては率直な悪口よりも残酷で傷付く言葉だった。
デウス様と婚約する前だったら心が折れていたかもしれない。
私がありのままの姿で、怖がる人と気を失う人を量産しながら誰にも受け入れてもらえないまま生きていくことになっても責任など取れやしないくせに。
そもそも誰に何と言われても自信を持ち続ける人なんて、むしろおかしい。もっと周囲の意見に耳を傾けた方が良い。
ああ、そうか。ジャルージ家が社交下手なのはこういう考えが根底にあるせいかもしれない。誰に何と言われても正しいと信じた我が道を行く、という。自分達だけで勝手に行くのならいいが、周囲に考えを押し付けて巻き込むのは実に煩わしい。ニネミア嬢もそういう傾向がある。メオリーネ嬢よりはマシと思っていたが、ニネミア嬢の方が王妃にしてはならない人かもしれない。
「実に…無神経なお言葉だわ。断言してもいいです、素顔のわたくし相手ではニフリート先生、貴方ほどの方でも勝つことは出来ない。醜さに足が竦み無様な敗北を知ることになるでしょう」
「……なんですと? 聞き捨てならない。剣術を嗜まれているとは存じていますが、いささか自信過剰ではありませんか?」
「それでは、お手合わせ願えませんか? わたくしが負けたなら、今後お化粧を広めるようなことはしないと誓いましょう。わたくしが勝ったら、今後お化粧そのものに関して一切言及しないと誓ってくださいませ。…ああ、わたくしに負けるのが恐いのであれば無理にとは申しませんが」
「……甘く見られたものだ。ご令嬢だからと手は抜きませんよ」
「ええ、よろしくてよ。――――では、わたくしと決闘していただきます」
「受けて立ちましょう!」
これ以上この人が無駄に他人を傷付ける前に、私がその鼻っ柱を折る。
丁度学院長室から出て来たデウス様が目を丸くし私と先生二人をきょろきょろと見比べた。
「けっ……? なん、ジュリ様!?」
彼が驚いている間に、時間と書状の用意などを口頭で手早く決め、ニフリート先生は礼をして去って行った。
「デウス様、ユリウス殿下とのお話は大丈夫でしたか?」
「ああ、はい、私は大丈夫です、けども……!?」
「ええと……」
私が言いよどんでいるとずっと困っていたオルデン先生が口を開いた。
「アマデウス様、お止めください……! 流石のジュリエッタ様でもニフリート教官相手というのは分が悪いかと……」
確かにニフリート先生は相当な手練れだ。普通に戦ったら勝つのは難しい。だが……素顔の状態なら勝算はある。
「ひとまず、何故決闘することに……?」
オルデン先生が手短に説明してくれた。
『ニフリートが化粧ははしたないことだからやめるべきと進言したところジュリエッタが手合わせを提案し、ジュリエッタが勝ったらニフリートは化粧に二度と言及しない、負けたらジュリエッタは化粧を広めるのはやめると約束した』と。
簡単にまとめられると、何だか癇癪を起したみたいだ。そういう部分が無いとも言えない。デウス様は額を押さえて苦い顔をする。
「……呆れましたか?」
それくらいのことで決闘なんて恥ずかしい、と思われてしまったかと恐る恐る顔色を窺うと、彼は息を吐きながら溢した。
「ええ、ニフリート先生ったらさっきユリウス殿下に叱られたばかりなのに……もう少し世渡り上手くなれって……直後にこれとは……」
どうやら私にではなくニフリート先生の方に呆れているようだ。
「その、くだらないと思われるかもしれませんが……わたくし、どうしてもお化粧がはしたないと切り捨てられることを許容したくなくて」
「くだらないなんてことはありませんよ。はしたないなんてことも無いです」
彼が当たり前と言わんばかりにそう言ってくれてほっとする。少し涙が出そうになった。
きっと私がどれだけお化粧に救われてきたかわかってくれている。
最初は痣をある程度隠せればいいと思っていた。少しでも綺麗になれて本当に嬉しかった。
メイドや使用人の顔が見えやすくなった。遠巻きだった人が近付いて来てくれるようになった。
仮面の穴から見える光景が狭いと思ったことは無かったのに、世界が広がったという実感があった。
同じ言葉を口にしていたとしても、目や眉の僅かな動きで伝わる印象が案外異なる。目元が見えないというのは私の想定よりも感情がわかり辛かったのだと遅まきながら理解した。交流し辛いと思われるのは致し方ない。機嫌を損ねたくない高い身分なら尚更。
劣等感のままに目を真っ直ぐ見ることも出来なかったような綺麗な人とも、仲良くお喋りが出来る。
それが私にとってどれだけの喜びで、自信で、奇跡か。
「……デウス様。いつか、わたくしが転換点になるかもしれないと言ってくださいましたね。これから生まれてくる、容姿に自信の無い全ての人達の手の届く所に、お化粧道具が在ってほしいと思うのは我儘でしょうか」
「いいえ。我儘ではなく優しさでしょう。私も未来の全ての人にとって音楽が身近に在ってほしいと思ってますよ。人が幸せになれる可能性があるものは、いくつ用意されてても良いですからね」
彼が人懐っこく笑った。そして日差しの中の若葉のような目で私を見る。
何度目になるかわからない、『この人を好きになって良かった』という想いで肺が満ちる。
オルデン先生はその横で諦めたように肩を下げつつ笑った。
「決闘は避けられない流れなのですね……」
「オルデン先生、色々ととりなしてくださって感謝していますわ」
「ええ、本当にありがとうございます。オルデン先生は何も悪くないですから!」
まともな方の教官に礼を言いつつ、私達は教室に戻る。他の生徒ももう訓練場から戻っているだろう。家に帰ったらすぐお父様に許可を貰って決闘状を作らねば。
「デウス様……あの盾、もう一度見せていただけませんか? よくよく観察すればわたくしも作れるかもしれません。透明で丈夫な盾というのはもし使えればかなり有利です」
使い慣れない道具を使うのは普段なら控えるが、形振り構っていられない。純粋な実力だけでは分が悪いことはわかっている。やれることはやらねば。
「すぐに学院長と同じ発想に至るなんてさすがジュリ様……ええ、お見せしますよ」
今日の馬車の中ではあまり恋人らしい時間は過ごせないだろう。それは少し残念。
決闘は、明日の放課後行う。




