仲裁
「殿下、……それは……」
「私に言いたいことがあるであろう。許す」
ニフリート先生は苦悶の表情を浮かべてグッと目を閉じてから、堰を切ったように叫んだ。
「っ……何故! ニネミアを選んでくださらないのです!! あの子は小さな頃から努力してきました、殿下をお支えするためにずっと!! この国の王妃に相応しい女性になるために研鑽を積んで参りました!! 歌手の真似事をしてちやほやされているだけの金髪娘に劣る所など何一つ無いというのに…!! この国の未来のためにも殿下に目を覚ましていただきたい!! あの子以上に王子妃に相応しい娘などおりません!!」
ユリウス殿下は意外なくらい静かにその訴えを聞いていた。目を閉じ短く溜息を吐いてからゆっくりと瞼を上げ、億劫そうに口を開いた。
「……気が重いが、色々と言わねばならんことがあるな。まず、そういうところだ、ジャルージ家の人望がない所以は……。コンスタンツェは平民育ちとはいえれっきとした男爵家の血筋だ。この国に男爵家がいくつあると思っておる。心の内で卑しいと思っていたとしても、メオリーネとて当人のいる場で口には出さぬぞ」
当人……あ、俺か。そういえばそう(男爵家の血筋)だった。
つーかジャルージ辺境伯家、家族揃って社交下手なんだ……。猪突猛進っていうのか、不器用っつーのか……。
「そしてニフリート。其方は、安価な薬さえあれば死なずに済む民が一年でどれくらい自領にいるか知っておるか?」
「! …………い、いえ……」
「私も知らん。だが、コンスタンツェは知っておるぞ。ソヴァール領では約二百人だそうだ。平民の生死の情報は地域の教会が管理しているから調べれば大体のことが掴める。根気がいるがな。男爵領で二百いるのだ、大きい領地ではもっといるだろう。……歌手の真似事でちやほやされているだけ、と言ったな。コンスタンツェは舞台に上がる前から薬草栽培計画に興味を持ち、進んで勉強していた。スカルラット領のマルガリータに教えを乞うて自領に取り入れる準備をしていたから、薬局設立計画の旗振り役になることも出来たのだ。年に二百人の命を救おうと奔走している人間を卑しいとは、たとえ平民であろうと私はとても言えぬ。思わぬ」
「っ……!!」
おぉ…… ユリウス殿下の寵愛が、決して気まぐれや一時の気の迷いではないと伝わってきた。
そうだよ、彼女は頑張ってんだぞ。そもそも上がりたいとは思ってないのに大義のために舞台に上がってアイドルやってんだからな。まあ俺がやらせてるんだけど。つーか歌手やるのも全然楽じゃないからな!!
……と、黙って後ろに控えつつ頭の中ではワチャワチャ抗議する。
「母上が殊の外期待をかけておったから、ニネミアが自負を持って励んできたというのは理解しておる……だからこそ、不憫に思うからこそ明言を避けていたがな……最も王子妃に相応しいのがニネミアだと思っておる者など、其方達ジャルージ家だけだ」
――――――――ぅゎキッッッツ!!
ポーカーフェイスだった学院長も(うわ~言っちゃったよ……)って思ってそうな気まずい表情をした。オルデン先生や俺も気まずくて俯いてしまう。
「そっ……! でっでは、コレリック家のメオリーネ嬢が相応しいと陛下も殿下もお考えだというのですか!?」
「いいや。父上と母上が王子妃に相応しいと思っているのは………」
ユリウス殿下はここで俺を見た。そしてクイッと顎を軽く動かした。
俺に言わすのかよ。仕方なく片手を胸に当てて恭しく答える。
「――――シレンツィオ公爵令嬢ジュリエッタ様です」
「そうだ。二人と、宰相までもが口を揃えて私に勧めてきおったのはジュリエッタだ」
「なっ……!? 馬鹿な!!」
馬鹿なとはなんだ、失礼な。学年首位(今年は二位だったけど)の公爵令嬢ぞ。順当だろ。
まあ、陛下王妃宰相が口を揃えたのは、ジュリ様が『聖女』ってのが大きいんだろうけどね……。
「嫡女であるし、本人も私も望まなかったので実現はしなかったがな。公爵家の支援が望めるというのはやはり大きいのだ……今、予想以上に民の人気がコンスタンツェに集まっていて私も王家も驚いておる。側妃にならまだしも正妃には……と渋っていた母上にもこの調子なら認めていただけそうだ」
国王夫妻は彼女が黒い箱の封印をやり遂げて聖女認定されたら認めるだろう。おそらくそれが決定打になる。
予言者曰く――コンスタンツェ嬢が正妃ではなく側妃に納まってしまうと、常に命を狙われる生活になる。ニネミア嬢もメオリーネ嬢も妃同士協力しようとか上手く共存しようという気はまるで無いってことだ。怖~~~……そりゃ立場的に邪魔だろうけども。
「ニネミアも『卑しい娘と関係を切れ』と人目も気にせず説教してきおった。この先、コンスタンツェが私の子を生んだとしても其方は卑しいと断ずるか? 私の妃と、私の子を。そのような可能性がある臣を私が傍に置きたいと思うか?」
「………いいえ……」
口惜しそうに拳を握りしめているニフリート先生。重い空気が流れる。
――――大人が年下に怒られてるところって、いたたまれないなぁ!! 早く解放されてぇ~!!!!
ふと、ユリウス殿下が目元を緩めて立ち上がりニフリート先生の肩に手を乗せた。
「……ニフリート。私はジャルージ家の忠誠を疑ったことなどない。それこそどの公爵家よりも信用しているくらいだ。其方は有望な騎士であるし、ニネミアは優秀だ。私の治世で大いに活躍してもらいたい忠臣と思っておる」
「殿下……」
おお、フォローもしっかりしてる。
感じ入ったようにニフリート先生が顔を上げ、重苦しい空気が霧散していく。助かった。
……初対面の高飛車スケベ王子の印象が抜けてなかったけど、なんか変わったな、ユリウス殿下。頼りになりそうなオーラになった。
――――バッドエンドもハッピーな未来もシミュレーションしてるネレウス様が『自分が王になった方が良い』とは露ほども思っていなさそうなところからしても、もしかしてユリウス殿下って……国王として安牌なのか……?
つーかそもそも時の予言者と聖女(予定)に慕われてる時点で……失脚とかまず有り得ないな……???
二人の正体を知らずに味方につけてるんだから、ユリウス殿下って実は豪運の持ち主なのかもしれん。
「だからこそ、其方達にはもう少し世渡りが上手くなってほしい。今回のこととて、アマデウスが怪しいと思ったのなら騒ぎ立てずに私に報告するに留めておけば調査するにもやりやすかったのだぞ」
「……はい。仰る通りです」
ほんとだ。騒ぎ立てたらシレンツィオ派から目を付けられるし怪しいヤツ(※俺)には警戒されるしでいいことないな。
「証拠もなしに謀反と騒ぎ立てるのは無礼者と言われても否定出来ぬ。ニフリート、今回は其方が謝罪せよ」
「は。…………申し訳ありませんでした、アマデウス君…アマデウス殿」
「アマデウスも、私に免じて今回は赦せ」
「承知しました。大丈夫です」
神妙に頭を下げられたので受け入れる。これ以上揉めないで済むなら俺も助かる。
「ジュリエッタにも謝罪しておくように」
「はい。……お手数をおかけ致しました、殿下」
「――ニフリート。非常識な行いについてはアマデウスに私からも言い含めておくが……そこまでこやつを危険視することはない。ネレウスが首輪を付けておる」
「! そうでしたか……それは改めて、出過ぎたことを致しました」
ニフリート先生が少し気の抜けたような表情になる。
首輪……。首輪って言われると弱味をがっしり握られてそうな響きだな……。制御出来てるって意味だとはわかるけど。一応意味深な薄ら笑いを浮かべておく。
まあネレウス様に逆らうつもりとか全く無いから間違ってはないか。多少難しそうなことを指示してくることはあるけど基本的に話をちゃんと聞いてくれるし頼りになる王子様だ。そして予知能力者、普通に敵に回したくない。――――俺が“異界からの来訪者”であることと価値観が違うことは、周囲に秘密にしておいてもらいたいことではあるから、それが弱味といえば弱味だろうか。
そして俺もこれから怒られるのか……。
ニフリート先生に続いてオルデン先生も頭を下げてから退室した。オルデン先生には後で御礼を言っとかないと……。教官二人が退室するとユリウス殿下はだるそうに肩を回した。
「案ずるな、ニフリートの手前ああ言ったが其方を責める気は無い。すまぬな、あれは戦闘能力は非常に優れているのだが融通が利かん性格のせいで出世が危ぶまれている男なのだ」
「そ、そうなんですか?」
ニフリート先生は近衛騎士団にスカウトされていたのだが、王子妃争いの真っただ中にいる妹の傍にいるために学院の教官職に滑り込んだのだという。シスコンなのかな……と一瞬思ったが、ガチで命を狙われる危険があるから心配するのは当然か。コンスタンツェ嬢も悪質な嫌がらせを受けたし、同居のお母さんのことも心配ということで警備が厳重な王都の邸宅にユリウス殿下が移らせた。
妹が卒業したらニフリート先生は近衛騎士団に幹部候補として入る予定だが、歓迎してない人も多いらしい。あんな調子で学生時代から周りとちょくちょく衝突してたから。確かにあんまり上司にはしたくないタイプかも……。
「ところでアマデウス。硝子の盾とやら出せるか?」
「あ、はい」
出して見せると学院長と殿下がしげしげと盾を眺めて触ったり軽く叩いたりした。
「ふむ……本当にこれでニフリートの攻撃を防いだのか? 俄には信じられんな」
「ええ、確かに硝子とは少々異なる感触ですが……普通の剣戟で割れそうに見えます。ですが向こう側が見渡せる上に軽くて硬いとくれば、これは革新的ですよ」
学院長が何処か興奮した面持ちで盾を撫でる。手つきがちょっと嫌らしい気がしてビビる。
「存在しないものは魔法で出せないのが通常ですが、『存在する』と思い込んだ物の具現化に成功したという逸話はございます。しかしどれも古い時代の話で真実味が薄いとされ公には認められていません。逸話はどれも精神を病んだ者がわけのわからない物や恐ろしい物を出したという話なので、健全な精神では不可能とも考えられております」
…………妄想と現実の境が曖昧になった精神異常者しか出来ない技ですって!
強化プラスチックを開発していないと主張するならつまり俺が精神異常者ということになってしまうのかな……!?
「そんな話は初めて聞いたな」
「一部の趣味人しか読まないような奇書にしか記述が残ってませんからね。そういう奇怪な話が好きな者の間ではよく知られているのですよ」
妙に楽しそうな学院長。もしかして何かのオタクなんだろうか。オカルトとか心理学とか……? 一般には通じないけどマニアには有名な話、的な……?
「アマデウス様、御都合の良い日で構いませんので、これを騎士団に見せていただけませんか? もしかしたら……この盾をよく観察し、“存在する”と認識することで再現出来る騎士もいるかもしれません」
「はい……わかりました」
「……出来る者がいたら、かなり有利になるな。強さの序列が一気に塗り替わるのではないか?」
「そうでしょうな。見ものです」
ニタァ……という音が似合う顔で学院長が笑う。すげえワルそう。真面目な管理職っぽいイメージだったのに悪代官にイメージが変わる。
「やはり其方、精神が普通ではないのだな……」
「やはりって」
妙にしみじみと言われた。ひどい言い草である。
「いやなに、悪い意味ではなくな。一人の才人がそれまでの当り前をひっくり返してしまう、歴史の中には時々そういうことがあろう。それが今目の前に、同じ時代にいるのだなと感慨深く思ったのだ」
「……そこまで大層な人間ではないと思いますが、お役に立てれば幸いです」
ユリウス殿下はハハ、と軽快に笑って俺の肩をぽんと軽く叩いた。
「葬式の色を流行色にしておいて今更何を謙遜しておる。其方もジュリエッタも怒らせると何をするかわからぬところが恐ろしいからな、友好的にやっていきたい。不満があったら遠慮なく申すが良い。人の悪意には恐ろしいほど敏感なネレウスが其方を信用しておるからな、私も今のところは疑っておらん。――あ、コニーに手は出すなよ。信用しておるからな」
「出しませんよ」
「あんなに愛くるしいのに……?」
「私にとってはジュリ様の方が可愛いので……」
「…………」
数秒黙って目を合わせた後、妙におかしくなって二人でワハハと笑った。
ヒヤヒヤしたけどおおよそ何とかなったしユリウス殿下とちょっと打ち解けられた気がする、結果オーライ……と思いながら足取りも軽く部屋を出たのだが。
「――――では、わたくしと決闘していただきます」
「受けて立ちましょう!」
廊下でジュリ様がニフリート先生に決闘を申し込んでいた。




