妨害
「……二人がそんなことする訳ないじゃないですか」
と口に出してから、『実直な若者のほとんどが己や親しい者の誠実さが永遠であると信じている』というダフネー様の言葉を思い出す。
――――いや、これは別に友達を盲目的に庇ってる訳じゃなくて。シルシオン嬢を排除しようと思った二人がそれを実行するにあたってそんな下手な真似はしないと信じてるからだ、うん。プリムラ様とリリーナならもっと上手くやる。自分たちに悪い噂が立つようなことはしない。
「ああ、それはわかっている。これまでの傾向からして、シルシオンが二人に罪を着せる為に自ら階段から落ちたということなのだろう。なかなか根性が据わっているな」
感心してる場合じゃないよネレウス様。
プリムラ様達に罪をおっ被せようというのは、カリーナ様へというより明確にシレンツィオ派への攻撃だ。周囲からは逆、シレンツィオ派からパシエンテ派への攻撃に見えてしまう。タンタシオ公爵夫人の座を巡った政略と愛憎劇の果ての蛮行に。
『カリーナ様の友人の目の前で』『アルフレド様に言い寄っていた少女が大怪我を負った』という事実が出来てしまったら、カリーナ様とアルフレド様は知らん顔で婚約なんてのは無理だ。親同士も渋るだろう。実際は無関係でも良くない噂が生まれるのは必至。というか悪い噂を流す為の計画。
流石のプリムラ様とリリーナもシルシオン嬢が自分達の目の前でわざと階段から落ちる、だなんて予想は出来なかったか。
ジュリ様が以前『自傷というのは覚悟の要る行為だ』と言っていた。その通りだと思う。俺が太腿を鋏で刺した時だって、死ぬだなんてさらさら思っていなかったけど覚悟が要った。階段から自ら落ちるなんて命を関わることまでやってのけるとなると……明確に逆らえない、重い理由があると思う。俺達はシルシオン嬢がそんなに追い詰められているなんて予知でもしなけりゃ知る由もない。
「……シルシオン嬢、パシエンテ派にどんな弱味を握られているんでしょう」
「昏睡状態になられるとそれも吐かせられなくなるので困るな」
「彼女が大怪我しなければいいんですよね?階段がある所で話をしないようにお二人に言えばいいのでは」
コンスタンツェ嬢がそう言ったが。
「でも、その時は防いでもまた別の方法で大怪我をしようと企まれたら困りますよね……何度もネレウス様に予知して頂く訳にはいかないんでしょう?」
「そうだな。黒い箱の出現も近くなってきたし、魔力を他の予知に使うのは極力控えたいというのが僕と教会の本音だ。なので、アマデウスかコンスタンツェ、シルシオンを受け止めろ」
「は?」
「え?」
「階段から落ちるシルシオンを受け止めて、頭を打たないようにすればいい」
魔力さえあれば万能っぽい治癒魔法だが、鬼門といわれているのが頭部だ。
表面の怪我までならいいが、強く衝撃を受けて脳内まで損傷が出た場合は完治が難しいと言われている。体は皆同じ作りだが、脳は人それぞれ異なるから体のようには治せない……というのがこちらの学者の見解。
地球の現代医学でも脳というのは未知な部分があったと思うし、ややこしい部分なのだろう。
シルシオン嬢が昏睡状態に陥ったのは、学院治癒師の治療が効いていないということだから頭部を強く打ってしまったと思われる。
「わかりました! 私が階段の下で待ち構えて……」
「いや、コンスタンツェ嬢は巻き込まれて自分も怪我する可能性もあるし止めておきましょう」
「それはアマデウス様だって」
「まあそうなんですけど……うん、そういうことは……騎士に頼むのがいいと思うんですが、どうでしょう」
※※※
一週間後の放課後。俺はリーベルトと一緒にプリムラ様とリリーナを尾行した。
俺は『シルシオン嬢がわざと階段から落ちて怪我して、プリムラ様とリリーナのせいにしてカリーナ様とアルフレド様の婚約を妨害しようとしている、…という計画の情報をとある隠密から仕入れた』とリーベルトに相談した。リーベルトは驚きつつ躊躇うことなくシルシオン嬢を受け止める役を引き受けてくれた。婚約者と妹の危機だ、彼に頼むのが良かろう。
プリムラ様が廊下でシルシオン嬢を呼び止め、人気の少ない方へ行く。シルシオン嬢が周りをサッと見渡して、階段の踊り場へ二人を誘導した。何を話しているかは聞こえないが、二人とも厳しい表情でシルシオン嬢に苦言を呈しているように見える。
プリムラ様は居心地の悪い思いをしているカリーナ様を心配していただろうし、リリーナはずっとピリピリしている婚約者のペルーシュ様の力になりたかっただろうし、何か言わずにはいられなかったのかもしれない。
壁を背にしていたシルシオン嬢が少し不自然な動きでぐるりと動いて階段を背にした。逃げようとしているようにも見える。
そして―――――――片足を、後ろに出した。
それと同時にリーベルトが駆け出す。
俺達が少し離れた所で待機していたのは、階段下にシルシオン嬢とよく一緒にいた友達の令嬢がいたからだ。堂々とうろついていたら多分計画は中止になっていたんだろう。おそらく彼女は見張りだ。ちゃんとシルシオン嬢が役目を果たすかどうか確認する役。
懸念していた通り、見張り役の令嬢はハッとリーベルトに気付いて手を伸ばした。彼がシルシオン嬢を助けるのを邪魔する為に。
俺は「おっと、失礼!」と言いながら急いでその手を掴んで制し、リーベルトを通す。
階段を踏み外し、背中から落ちたシルシオン嬢の体を駆け上がったリーベルトが抱き留める。バランスを崩して何段か下に駆け下りたが、しっかりと踏み止まった。
「――――――――ふう、ああ、よかった。……大丈夫ですか?」
薄く笑ってそう言うリーベルト。
か、かっこいい~~~~~~~~~~~~~~~~~~。俺がシルシオン嬢だったら惚れてる。
しかし当のシルシオン嬢はそんな場合ではなかったようだ。青ざめた顔で何か言おうと開いた口元はかたかたと震え、リーベルトの上着の襟をギュッと握った。手も震えている。実際に落ちてみて、死ぬところだったかもしれないという恐怖が改めて追い付いてきたのだろうか。
「そっ……そちらの二人が突き落としたのよ!! わたくし見ていましたわ!!!」
見張り役の令嬢がプリムラ様達を指差しながら声を張った。見張り兼、こうして叫んで周りに印象付ける役だったか。近くにいた生徒が何事かと集まってくる。
「私も見てましたが彼女達はそんなことは し て ま せん!!!!!」
ひとまず俺は打ち消すように主張する。声のデカさには定評がある。
「そ、そうです! 彼女が足を踏み外したんですわ、わたくし達彼女に触っていません」
リリーナがそう言って俺とリーベルトに目で訴える。
「わかってる、見てたよ」
と言うとリリーナはほっと息を吐いた。プリムラ様はまだ戸惑ったように俺とリーベルトを見比べている。
「……頭は守れたと思いますが、何処かぶつけたかもしれません。ひとまず保健室に運びます、いいですね?」
リーベルトがそう呼びかけ、シルシオン嬢は青ざめたままこくりと頷いた。
軽々と彼女を抱き上げて姫抱きにし、早足で歩いて行くリーベルト。それに付いて行きながら、ふと、
「―――――――――― 失敗、した…………」
……とシルシオン嬢が小さく呟く声を聞いた。
※※※
シルシオン嬢が無事だったこともあり、致命的な醜聞は防げた。
だが『カリーナ様がシルシオン嬢に嫌がらせをしている』という噂は再び生徒達の口に上った。悪評を流す準備は予めしていたのだろう。
まーた地味に噂をちみちみと潰していかなきゃいけないのか……とうんざりしていた所。
思わぬ援護射撃があった。
アナスタシア王女殿下とロレンス様が、半年と少しの静養(謹慎)期間を終えて学院に戻ってきた。イリス嬢も少し時期をずらして復帰した。
「クレスタールは自然が豊かで人々も優しくて、とても良い時間を過ごしました」と語り、王女殿下は辺境の生活を殊の外楽しんだようだった。王女殿下とロレンス様の仲も以前より親しくなったように見えるとのこと。接近禁止を守って彼らは俺に近付いて来ないので噂でしか知らないが、よしよし。
カリーナ様がシルシオン嬢に嫌がらせをしている…との噂を聞いた王女殿下は憂いを帯びた顔をして、
「ヴェント侯爵令嬢はとっても親切な方よ……?」
と言った。
噂を強く否定した訳ではないしそれだけだったが、カリーナ様が王女と親しくしているという話は全くなかったので、周囲はとっても混乱したらしい。もしかしたら知らないところで王女殿下とカリーナ様は懇意にしていたのかも? という憶測を呼び、悪評は大分鳴りを潜めた。
もしかして違法媚薬事件の時、カリーナ様に助け出されたことを憶えていたんだろうか……?
王女殿下の人気を初めて有り難く思った。
ジュリ様も「今回は王女殿下に感謝しなければいけないようですね……」と少し複雑そうに苦笑いしていた。
――――大事にならなかったのを安心する一方で。
計画に失敗したシルシオン嬢はこれからどうなってしまうのかと、心の一部分がずっと落ち着かなかった。




