風雲
この国において、女の方から男を誘うというのは結構ハードルが高い。
貴族令嬢は声を掛けられるのを待つもの、という価値観が強い。勿論、もたもたしてたら勝てねえ!と積極的に行く娘もいるが、飽くまでも遠回しな言葉で好意を仄めかして男に言わせる方向で動くことが多い。
貴族となるとただの恋愛でとどまらず家同士の関係や結婚を意識しなければならない為、慎重になる必要にも迫られる。
こんな公衆の面前(授業後の廊下)で女性の方から申し込むのは、勇者と称して相違ない度胸だが…
断られたら赤っ恥、誰もが認める美男子への特攻、嘲笑を受けること間違いなし…それにもしここで断られた場合、次に頼んだ人は第一志望ではないとわかってしまう。エスコートを引き受けてもらえる可能性がダダ下がりだ。最悪エスコート無しでお茶会に臨むことになる。別にエスコートは必須ではないが、こんだけ目立てば噂にはなってしまうだろう。
つまり…断ったらものすごく可哀想であるが故に―――― 断り辛い!
カリーナ様に好意を抱いているアルフレド様、という情報共有が済んでいる男子陣は焦る。
婚約者のいないアルフレド様には明確な断る理由がない。格上だし、断っても問題は無いが… 勇気を出した令嬢の気持ちを無下にするなんて、エスコートくらいいいだろう、冷たい御仁だ と思う者が多数出る。そう思われるのも不快だしあまりに可哀想なのでそれだけなら……とアルフレド様は受けてしまうかもしれない。
しかしこれからカリーナ様にアプローチしようという時に他の令嬢のエスコートをするのは当然悪手!
動いたのはハイライン様だった。
「――っシルシオン嬢、アルフレド様はお立場のある身。周囲の誤解を招くことを防ぐ為に軽率に誘いを受けることが出来ん。エスコートの相手をお探しなら―――」
僭越ながら自分が、と言おうとしたのだろう彼の口はそこで止まった。
あれ、どうした… とハイライン様の視線の先を見ると、隣のクラスの入り口付近で何事かとこちらを見ているエーデル様と…アルピナ様。
―――――― ん?!
もしかして、ハイライン様の相手ってアルピナ様?!(エーデル様はもう婚約者がいる)
知られたくないと言ってたから、まあ近いうちにわかるだろうと特に探らないでおいたのだが。彼女は俺を信奉する会の会長だから、ちょっと意外だが……わからんでもない。
アルピナ様は、実は三年生のうちに評価が変わった人である。
『垢ぬけた』と囁かれ、令嬢たちは『何か特別な美容法があるの?』と彼女に尋ねた。
この美形インフレ世界で垢抜けるとは大抵はお洒落を覚えて雰囲気が変わることを指すのだが、彼女の場合はそうではない。
肌が綺麗になって本当に美形になるという例が……稀にある!!
それは俺にとっても発見だった。
この世界の美の瑕疵、そばかすと黒子…は消えるということはまずないが。
吹き出物の痕は――――――人によっては、…消える!
考えればまあ、そりゃそう。アルピナ様の頬にあったのは吹き出物の痕。それが三年生の始めから薄くなっていき、終わり頃には綺麗に消えた。
曰く、「今まで使っていた保湿水をマルシャン商会が取り扱わなくなったのです。その為違う保湿水に変えたのですが、それが合っていたようで…」だそうだ。
保湿の為の水や香油、クリームは“美容品”として売られている。俺が頼んだマルシャン商会の化粧品の品質調査は美容品にも及んだ。粗悪品と判断された物はマルシャン商会のラインナップから消えた。中には香り付けしただけのただの水を売っていた業者もいたと報告書で見た。アルピナ様は多分そういうのを使ってたんだろう。ちゃんとした物でケアするようになったら肌が良い感じになった…ということらしい。
そんな訳で彼女は美形の仲間入りを果たした。俺にはそんなに変わったようには見えないが…周囲の対応は結構変わったようである。「今まで話したことも無かった男子が(アルピナを)お茶会に誘ってくるようになったりして、全く呆れますわ」とエーデル様が男子たちに不満の意を表明していた。当のアルピナ様はそんなに困ったふうでもなく急に態度を変えた男子の誘いは上手い具合に躱していた。
たまにハイライン様と話していたような気はするが…リーベルトとも俺とも普通に話してたし、全然気付かなかった。組織のリーダーやってるだけあって元々顔の広い人だったし…。
ハイライン様は銀髪美形で外見は良いのだが、ちょっと偉そうで自慢話とアルフレド様信者なところが玉に瑕。エーデル様の早口長話に慣れていて聞き上手なアルピナ様は好感度が高かったのだろう。外見も美少女になった彼女にハイライン様が好意を持っても不思議ではない。
…そんな訳で、おそらく お互い好意があると思いつつまだ伝えていない状態(多分)…の令嬢の前で、他の令嬢のエスコートに名乗り出るなんてことは出来ず。ハイライン様は口を閉じてしまった。
――――うん、誤解されたくないよね……。仕方ないよ、うん。
だがそうなるとアルフレド様の壁になれる男子はいなくなってしまった。俺もペルーシュ様もリーベルトも婚約者がいる。シルシオン嬢のエスコートは出来ない。万事休す。
「……お受けしよう。ただし、一回きりのエスコートになっても抗議しないとお約束頂けるなら、だ。それでもよろしいか?」
アルフレド様がシルシオン嬢の申し出を受けてしまった。しかし『今回だけでいいなら』という条件付き。
丁重だが、『一回エスコートしたからといって勘違いしないでよね』というなかなかシビアな答えだ。
――でも一番良い形の返事かも。普通の男子なら何様だよと思われそうだが、美の化身かつ公爵令息だ。妥当と判断する人の方がおそらく多数派…!
これぞモノホンの『イケメンに限る』……!!!
「…は、はいっ!勿論ですわ!!詳細は書状でお送り致します!」
しかしOKを貰えたシルシオン嬢は喜んだ様子でそそくさと去って行った。
ちらっとジュリ様の隣にいたカリーナ様を窺うと、少し驚いた顔をしていたがまあ普通。やっぱりアルフレド様、今は何とも思われてないっぽい……と溜息が漏れた。
※※※
その後聞いた話だと、シルシオン嬢はそこまで熱心ではないが騎士訓練をしていて、学院で訓練もする。
訓練場は学年によって時間が区切られており(男女は別々で訓練しているが場所は隣り合っている)交代して使うそうだが、先日、二年生男子がなかなか交代してくれなかった。模擬仕合が白熱すると時間を忘れて騒ぐ者がいて、これまでにもそういうことが頻発していた。痺れを切らした一年生、代表して伯爵家の子が交代してほしいと頼むと、二年の家格が一番上の侯爵家の生徒が「今良い所なのだ。待っていろ」と居丈高に退けた。体育会系パワハラこわい。
するとすぐ近くをアルフレド様たちが通りかかった。違和感を覚えたアルフレド様はペルーシュ様を二年生の所に遣わし、「今は一年が使う時間だったかと思うが、交代はしたのか」と尋ねさせた。アルフレド様が見ていることに気付いて焦る二年生。二年生が答えないのでペルーシュ様が戻ってこない。アルフレド様が来る。代表の侯爵家の生徒は「申し訳ありません、熱中し過ぎて時間を忘れており…」と言い訳。
「…ほう。ここにいる二年生全員が気付かなかったと申すか。そうか……其方、名は?」
アルフレド様はその場にいた二年生の家格が高い者数名に名乗らせ、軽蔑の視線で眺めた。
「覚えておこう」
叱責は無く、ただそれだけ。だが良い意味で覚えられたのではないとわかるその言葉に二年生は青ざめ、「今後このようなことは無いように致しますので…!!」と必死に言い募った。
その後時間超過のパワハラはなくなったそうである。
そのアルフレド様カッコイイエピソードにシルシオン嬢は居合わせ、恋に落ちた結果突撃と相成った。
※※※
「そんなことしたらそりゃあ…」
「そりゃね…」
俺とリーベルトはその話を聞いて感心と呆れ半々の溜息を吐く。その場の何人もの女生徒、多分少しの男子も信者にしてるだろうなぁ。
シルシオン嬢は派閥が違うが、そういう相手との婚約は別に無いことではない。血縁を得て、今まではピリピリしてたけどこれからは仲良くしましょうね、という意思表示として繋がる例はあるので。パシエンテ派閥とタンタシオ派閥は仲は良くないが険悪という程ではないので、彼女とアルフレド様という組み合わせは、なくはない。
ただ、今の彼女の状況からするとカーセル家の落ち目の経済状況を何とかする為に一発逆転を狙って公爵家に擦り寄ってきたという見方も強い。純粋に恋しているようにも見えたが、どうなんだろう。あ、両方ってこともあるかもしれない。
コレリック侯爵家の令嬢・メオリーネ様は今六年生。同じ派閥の子だけ呼ぶお茶会を度々開いて、自分を讃えさせるのが好きとの評判。俺も何回か顔を合わせたが、笑顔なのだがどこかこちらを見下しているような表情の黄みの強い茶髪の美少女だ。後ろに撫で上げて結った髪にギラギラした金銀の髪飾りを付けていて、典型的なプライド高々令嬢といった印象。
ユリウス殿下と同い年で以前は王妃候補として注目されていたが…ここ二年くらいでその立場がコンスタンツェ嬢によって崩された。もう六年生だけど婚約者が決まる気配はなく、家も当人もまだ王妃の座を諦めてはいないように見える。コンスタンツェ嬢への嫌がらせ、ぶっちゃけしそうに見えるがまだ決めつけることも出来ない。
そのコレリック家のお茶会に、シルシオン嬢のエスコートで参加したアルフレド様、休み明け。
「…………疲れた」
その重々しい一言で、楽しくなかったことは察せた。『一回切り』と宣言したことは結構知られていて、シルシオン嬢と婚約すると思われているなんてことはなかったようだがそのせいで他の令嬢からのアプローチもあって大変だったようだ。
何はともあれ、一区切りついたしさてこれからカリーナ様へのアプローチの再開…と思ったところで。
――――――『シルシオン嬢が嫌がらせを受けている。その首謀者はカリーナ様だ』という噂がまことしやかに流れ始めた。




